2018年12月31日月曜日

ドビュッシー ピアノ曲の秘密

青柳いづみこ氏による対話集。美術評論家の高階秀莞爾氏やダンサーの平山素子氏など、ジャンルを超えて多角的にドビュッシー像を浮き上がらせる企画。DVDで表現について具体的に言葉と音とで理解を深めることができるのも嬉しい。



(本の写真:AMAZONから 青柳いづみこ氏監修 音楽の友社編)

この写真のドビュッシーが好きだ。リラックスして親密な雰囲気な中で音楽を楽しんでいることが伝わってくる。55歳で亡くなった時、彼は何を思ったことだろう。もしかしたら、駆け落ち・再婚で離れていった、若い時の知り合いとの楽興の時も脳裏をよぎったかもしれない。

大晦日の今日。ドビュッシー没後100年の今年も終わり。誰にとっても佳い年越し、新年をお迎え下さい。

2018年12月30日日曜日

愛のピアノ/愛と哀しみと 冬の小さなコンサート/作曲のインスピレーションを辿る

今月は中司麻希子さんのTetra Museeの「愛のピアノ/愛と哀しみと」、そして斉藤真美さんの「冬の小さなコンサート/ドビュッシー没後100年、作曲のインスピレーションを辿る」、二つのコンサートを聴いた。

Tetra Museeは今年で7回目。毎回テーマが変わる。今年は「愛と哀しみと」で昨年の「愛と歓びと」に対をなすもの。中司麻希子さんはグラナドスの「ゴイエスカス 恋するマホたち」を演奏。この曲はよくコンクールで聴いていたが、彼女の演奏は全く異なり、違う曲かと思ったほど。グラナドス=スペイン=熱情、激情 といった図式で弾く人が多いように思っていたが、彼女の透徹した音色が陰影を印象的に浮かび上がらせていた。「ゴイエスカス(ゴヤ風の)」は、ゴヤの絵に描かれるマハ(粋な男)とマハ(粋な女)の恋愛模様を表した曲。グラナドスはこの曲をオペラ化し、その初演で訪れたNYからの帰途、1916年3月24日にドイツの潜航艇による攻撃により沈没し亡くなった。

その二年後の2018年3月25日にドビュッシーが55歳で世を去った。斉藤真美さんは彼が作曲のインスピレーションを何から得ていたか、影響を与えた作曲家、詩、絵を紹介しながらのドビュッシーのコンサート。音楽も知ることで楽しみ方が増える。クラシック音楽もこのように聴かせる一方から、聴衆の好奇心を刺激する企画がもっと増えてもいいと思う。「冬の小さなコンサート」は今回で二回目。続きを期待している。




2018年12月29日土曜日

ドビュッシーを知っていますか 没後100年の音楽会

この12月、デュオ・ポッキーズの友人が標題のコンサートを企画。フランス音楽講座の仲間四人での演奏会実現となった。

タイトルの「ドビュッシーを知っていますか?」という問いかけ、曲目のないちらし、でミステリーツアー仕立て。Chez Claude(クロードの家という意、クロード・ドビュッシーの為にあるような名前?)という森下駅から程近い、木の温かみを感じるスタジオでサロン形式に。

前からやりたいねと言っていた、作曲家や曲に関するお話や思いを語って音楽も聴いてもらうことにした。暗譜するのでやっとなのに、語る言葉も紡ぎだすのは思っていたより難しく泥縄で用意した。しかし知っていたつもりのドビュッシーのほかの面を紹介することで、知る楽しみがもし感じていただけたなら嬉しい。

ちらしに印された模様は「金色の魚」。最後の曲目の「映像」の中の「金色の魚」から想を得て友人が彫刻し押印したもの。水面から飛び上がって落ちる直前に金色に光る躍動感とドビュッシーの東洋趣味が表現されている。寒い中、家族、友人に来ていただき、今年一番幸せな一日だった。

2018年12月24日月曜日

師走のサンタ

毎年この時期になると父の写真でカレンダーをつくる。写真が唯一の趣味だった父へのプレゼントでつくりはじめた。今は見せられる訳ではないのだが、見ていてくれていると思いたいのは残されたも者の自己満足なのだろう。

子供の頃、父が必ずクリスマスと誕生日に買ってきてくれて、その度に歓声をあげてたべたTOPSのチョコレートケーキ。今日家族でいただいた。思い出の「はれのひ」のケーキも年々現代風に甘さ控えめに、大人の味になってきたように思う。


この木彫りのサンタのように、父は毎年クリスマスにはケーキと家族それぞれにプレゼントをもって意気揚々と帰って来た。きっと師走の忙しい仕事の合間を縫って、走り回って買ってきてくれていたのだろう。この時期、わくわくとした気持ちを思い出す。

2018年12月9日日曜日

ドビュッシー 小組曲 

この1週間は泥縄の週、というか、凄く贅沢な週だった。来週のコンサートに向け、友人のヴィオラ奏者の先生、私のピアノの先生、そして今日はフランス音楽講座でも聴いていただき、コメントいただいた。

このドビュッシーの小組曲は1888-1889年に作曲された。彼がまだ20歳台半ば。小舟にて、行列、メヌエット、バレエと4曲からなるが10分程度と短い。前半二曲はポール・ヴェルレーヌの「艶やかなる宴」詩集に因んでいる。初々しいメロティー、元気の良いリズムや優美で艶やかな詩を想起させるフレーズなど、くるくる変わる舞台を見ている気がする。


フィラデルフィアのアンティーク店で惹かれて、つい求めてしまった壁飾りと共に。

2018年12月2日日曜日

ゴリウォーグのケークウォーク

どの作曲家と友達になりたい?恋人は誰?と話し合ったことがあった。学生時代。その時ドビュッシーを良く知らず、話した思い出がない。だが最近友人と話して一致したのは、「友達にも恋人にもしたくないけれど、どうしても気になる存在。フォロワーに絶対なる。」

憧れと好奇心が一杯あって、なりたい自分を目指して。そしていつもある程度は手にいれる。けれど、本当に欲しいものは憧れて手を伸ばした先にある、それが分かってしまう鋭い意識がある、そんな人に思える。天才の焦燥感は凡人の自分には遠いものだが、一個人として、彼の憧れに向かってあがく姿は共感できる。

1908年の作曲。46歳、亡くなる10年前の作品。当時流行り始めてきたジャズ音楽。新しい、異国の、自分の琴線に響くものは全て貪欲に取り込んだドビュッシー。シンコペーションのリズムを強調し始まるゴリウォーグ(キャラクター)のケークウォーク(その頃流行った黒人音楽で二拍子)を創った。娘のシュシュに捧げた「Children's Corner」のアルバムの一曲だ。

好奇心から行ったことのある国、ない国、きいたことのある曲、ないフレーズ、総動員して、想像の世界を駆け巡って、愛娘にその経験を御伽噺に聞かせたのだろう。


今月のコンサートに弾く曲。練習が楽しい。リズムを厳格に。でも次ははねたりとんでみたり自由に弾いてみたり。きっと娘に聞かせた時には、ほら、これはどう?と娘に目顔で問いかけながら弾いていたのではないだろうか・・・。

2018年12月1日土曜日

千日紅

今日から師走。今年は前半骨折で動けなかった分、秋以降、いろいろな人と会う機会が増えて、慌しいが嬉しい。

一年草で、色も長続きするので、百日紅(さるすべり)を抜き去り「千日紅」と言われる。ドライフラワーとして目にする機会も多いのでは。花言葉は色褪せぬ、不朽。


師走になった途端に時間や新年までの残日数を意識するようになり、毎年のように焦燥感に駆られる。千日 紅いという名前にあやかり、悠然と年を越したいもの。

2018年11月25日日曜日

収穫感謝祭 週末のソロイスツ 連弾練習

勤労感謝の祝日、友人出演の「週末のソロイスツ」コンサートが紀尾井町で行われた。多彩な個性、いや音色の競演。殆どがアマチュアで仕事に加えての練習なはずだが、どう時間を捻出されているのか・・・。ため息がでるばかり。

その友人と連弾練習ことはじめ。ドビュッシーの小組曲。連弾は楽しい。私には初めての曲なので入り損ねたりしながら、大笑いのうちにどうにかゴールまで。次回までに落ちないよう練習しなければ。二時間練習。疲れきって、彼女の手料理をいただいた。やわやわとしたベビーリーフとルッコラのサラダ。カリフラワー、ブロッコリー、スモークサーモンにミニトマトの華やかなパスタサラダ。とろとろの牛肉の煮込みに、焼きたてのパン。仕事に、音楽に・・・他にも多趣味というかマルチタレントの彼女の凄みに、今回も脱帽・・・。

日本は勤労感謝の祝日だが、米国は収穫感謝祭。中高の時、この週は果物を学校にもっていって、それを最後の金曜日におもちしてボランティアをするというのが毎年のイベントのひとつだった。フルーツの幸せな香りが教室一杯に広がり、香りが人を幸せにし、それを分かち合おうということはいいことだと素直に思えた。


親戚から送ってもらった柿。収穫感謝祭の豊かな気持ちを懐かしく思い出した。


2018年11月18日日曜日

祥月

武蔵野の樹木の下にも父は居る。家の至る所に若い時から晩年までの姿が見えるが、明るい秋の日差しの中、子供達が走り回る公園もまた、お気に入りの居場所だと思う。祥月でもあり、花を供えに行った。老いも若きも、散歩しながらゆったりと園を巡り、花を供えていく。穏やかで静かな時間が流れている。長くこの地を見守ってきたであろう大木が並んでいる。ふと見上げると父が好きな薄紅色の花が輝いている。


ーーー秋が かうして かへって来た
さうして 秋がまた たたずむ と
ゆるしを乞ふ人のやうに・・・・・・

やがて忘れなかったことのかたみに
しかし かたみなく 過ぎて行くであらう
秋は・・・さうして・・・ふたたびある夕ぐれにーーー

(立原道造 「やがて秋・・・」から)

2018年11月11日日曜日

ドビュッシー アラベスク1番 薄紅色のトルコ桔梗

今日は1ヶ月に1度のフランス音楽講座。ドビュッシーのアラベスク第1番を弾いた。私のこの曲のイメージは、薄紅色のトルコ桔梗。



だったが、もう一度自分のイメージを忘れ、アラベスクというタイトルからドビュッシーはどういう発想なのか考えてみようと思った。

アラブ風。唐草模様の絡まる複雑な美しい模様。もしそちらが彼が想いうかべたものであったら。豪奢な金、銀、ボルドーの赤、深緑の360度の円、90度に円弧を描く蔓草。そうしたら全く違う弾き方の方がいい。きっちりした3連符のメロティーが緩やかな弧を描く8分音符のアルペジオに絡まる。そう弾けたら。一歩間違えるとハノンのようになるけれど、もし一歩進められれば。タイルに描いたエキゾチックな美しい模様のように、違う世界に誘うことができるだろうか。

2018年11月4日日曜日

檸檬の香りのする 良い蓋 思い出 

両手首を骨折した友人と、左足を骨折した自分と、時折奏でる連弾を、「ポッキーズ」とユーモラスに名づけてもらった。先週は、その友人とまた来年に向けてユニットの曲を相談。初めから候補の筆頭にありながら何となくまだ・・・と思ってきたドビュッシーの「小組曲」を弾くことに。

実は、彼女の発案で、ドビュッシー没後100年の今年のラスト12月に、同じフランス音楽講座の仲間でサロンコンサートを開く予定。そこにもっていく為に、短工期だが小組曲にもチャレンジする。地元で美味しい中華に舌鼓を打ちながら、いろいろ企画をブレーンストーミングした。枷を外して自由な発想で考えてみたらどんなことを思いつくだろう?知見豊富な彼女の発想には舌を巻く。弾く歓びと共に、コンサートを一緒に創る楽しみに今からわくわくしている。

5月にその友人宅に伺った時、ローズゼラニウムとこの植物をひと枝ずついただいた。名前は「良くeu」「覆ったkalyptos」「檸檬の香りのするcitriodora」が由来。花言葉は「思い出」。


レモンユーカリだ。いろいろな説はあるものの、今週の誕生花とする記事もある。名前のとおり檸檬の柑橘系の爽やかでお気に入り。友人宅のように上へ上へと3mも伸びず、こちらは何故か横に伸びて何となく格好がつかないが、自由奔放な伸び方もご愛嬌。

今年最後の音楽会が良い思い出になるよう、泥縄ながら、練習しなければ。




2018年10月28日日曜日

沈黙の時間 静寂という花言葉 セダム レッドカウリ

中・高校時代の友達と横浜で。いつでも忌憚なく話ができるので、抱腹絶倒の失敗談から、時には辛い思いも打ちあけられる。大笑いしながら韓国料理に舌鼓を打てば、また明日に向かっていく元気も出ようというもの。

学校は中高一環の小さな学校で、学生数も少なく、全員が顔見知り。鬱陶しく感じる時もあったが、卒業してみると懐かしい。今よく「マインドフルネス」と言われるが、この学校では「沈黙の礼拝」が週に一度あった。20分だか25分、短いようで長く、その時考えることがあれば結構短く感じられる。礼拝なので神と向き合う時間という設定だが、多くの人にとっては自分と向き合う時間だったのではないか。人の話を聴く、音楽がメイン、いろいろな礼拝の時間があったが、長い歳月を経て今でも時折思い出すのはこの沈黙の時間だ。

セダム レッドカウリ。花言葉は静寂。マンネングサ属ベンケイソウ科。ラテン語の座る(sedere)が語源。岩や壁にでも張り付いて生えることからくるという。沈黙の礼拝を思い出させる花である。


2018年10月27日土曜日

天竺牡丹 メキシコ国花 Dahl氏

というタイトルで当てられますか?天竺の牡丹ということで画像的にイメージはできるかも。メキシコ原産でメキシコの国花。スウエーデンの植物学者Dahl氏にちなんだと言えば更なるヒントに。


そう。ダリア。花言葉は「威厳」「華麗」「感謝」。母の好きな花のひとつだ。花が大きすぎて、狭い我が家に飾るのが難点だが、花言葉そのままに威厳があり、華麗だ。

君と見て一期の別れする時も
ダリヤは紅しダリヤは紅し
北原白秋

2018年10月26日金曜日

集いの時 秋のメルセデスコルダナ

10月は集いの時だった。期末を終えたらねと約束していた仕事関連のお疲れ様会が多かったが、今週は楽しみにしていた云十年前に入社した時の会社の上司と同窓の先輩との懇親会。

今年のコンクールで偶々私の演奏を聴いて下さって、それを機会に音楽の話をすることに。上司は先日記したのコンサートの方で趣味のカントリーウエスタンを。先輩は学生時代から続けてきたヴァイオリンを、私は練習しているフランス音楽について話し始めると止まらない。仕事が縁で知り合って、時が経って趣味の話で打てば響くような会話が楽しめるとは得難い経験だと思う。

先輩とは学生オケで知り合った。コンミスとして皆をまとめるパワーと、一人一人を気遣う繊細さを併せ持つ憧れの彼女の誘いも入社の理由のひとつだった。同じ会社ではなくなっても、様々な国での生活を経験され今また日本に戻ってきて働く彼女のエネルギーに、今でも私は元気をいただくばかりだ。


ところで、今我が家の空中庭園は、春に家へやってきたメルセデスコルダナが未だにエネルギッシュに光輝いている。ずっと1-2輪ずつ咲き続け、暑い夏も、幾度の台風にも負けず、一緒に過ごしてきた。秋の陽射しを穏やかに受けて元気一杯。


2018年10月21日日曜日

彫刻の森美術館 人とペガサス カール・ミレス

10月になってしまったが夏休み2日目をとって彫刻の森美術館に家族旅行に行った。台風を縫って希少な普通の天気に恵まれ、それだけで有難く思えた。

彫刻の森美術館は子供の頃も何度も連れてきてもらい、家族の思い出もあり、彫刻を見る楽しみと広大な緑の中を散歩する歓びがある場所だ。特にこのカール・ミレス(スウエーデン1875-1955)の彫刻家による「人とペガサス」はいつ来て見ても、ひろびろとした空を跳ぶ姿に魅せられる。彫刻だから見る角度によって見え方も違うし、見る時々の気持ちや心の綾も映し出されて、毎回印象が違う。


父が好きな彫刻で、毎回これだけでも数十枚写真を撮っていたのを思い出す。写真の腕は引き継げなかったが、何となく構図が似てきたような気がする。

2018年10月8日月曜日

ドビュッシーのおもちゃ箱

青柳いづみこ氏のレクチャーコンサートに妹と一緒に参加。アンドレ・エレの絵を映しながら、ドビュッシーの「おもちゃ箱」をピアノで奏で、時折語りも入る、贅沢なひとときだった。

エンマと二度目の結婚をしてから生まれた子供「シュシュ(愛称」が7-8才mp頃に書かれた、子供の為のバレエ音楽。エンマとの再婚というとどうしても「喜びの島」のイメージがあるので、幸せ一杯なドビュッシーが刷り込まれていたが、この曲を書いた頃は、経済状況の厳しさから家庭もぎくしゃくしていたそうだ。「こんな葛藤があったにもかかわらず、あるいはむしろだからこそ、<<おもちゃ箱>>の音符のひとつひとつに、ドビュッシーの優しさといいしれぬ哀しみが込められている。」~「ドビュッシーのおもちゃ箱」青柳いづみこ氏~


幼い頃、妹と二人、レコードプレイヤーに耳をつけながら音楽を聴いていた頃を思い出した。両親から買ってもらって夢中だった。小学館だったか、絵本、ナレーションつき音楽の入ったレコード、簡単なピアノ楽譜に解説本。これらが入って1セット、毎月もらって1年で揃う。お気に入りで何年も聴いた。白鳥の湖、くるみ割り人形、ピーターと狼、魔法使いの弟子。様々なストーリーと画と音楽。目を瞑って耳を傾けると人形やバレリーナ達が踊るのが浮かぶようだった。音つきの想像力をもらった。

青柳いづみこ氏の演奏の入ったCD付エッセイ、ドビュッシーのおもちゃ箱からいろいろな音やメロディー、ハーモニーが色彩豊かに飛び出してくる。大人が楽しむ為の魔法が詰まっている。

2018年10月6日土曜日

実りの時 友と葡萄酒を つくね芋

18年度もいよいよ後半戦。

10月の声をきいたその日、高校時代の友人と久しぶりに食事。葡萄酒片手に話も弾み。あっという間に互いに高校の時の気分に戻ってしまうのが不思議だ。色鮮やかな紅い人参、珍しくもういきょう、秋になったことを実感させるほくほくしたお芋のバーニャカウダ。


ところで我が家の空中庭園も、思わぬオブジェが。つくね芋がここまで育ってしまった。こちらも実りの時。

2018年9月29日土曜日

台風と鴇茶色の薔薇と

今日は友人のコンサート。最後まで、行けるか様子を伺っていたが、甘かった。国慶節前の最後の土曜日、商談できるかと結局夜まで待機。はああ。こういう時もあるさ・・・。


台風前の不穏な空。鴇(とき)茶色の薔薇と。

2018年9月24日月曜日

実るほど・・・ 薄 中秋

先週は入社時の上司が、外国人特派員クラブでカントリーウエスタンのコンサートをされた。彼が会社で初めてこのクラブで外国人特派員向けに英文のニュースリリースを公開され、自分も手伝い(まだ働いたとはいえない)をした懐かしい場所。カウントリー自体はあまり詳しくないが、彼の魅力で、学生時代の友人、会社関係の知人、カントリー仲間が多く参加され、楽しい会だった。

この方を表して多くの人から「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉を聞いた。

今日は秋(7-9月)の真ん中の日。旧暦の8月、中秋。稲穂ではないけれど、頭を垂れる薄と華やかなダリアを飾ろう。薄墨色の雲立ち込める夜。月・・・は見えないが、


2018年9月16日日曜日

ピリオド楽器によるショパンコンクール第一回 Naruhiko Kawaguchi

この9月にピリオド楽器によるショパンコンクール第一回が行われた。ピリオド楽器とは「the period」ということで、作曲された頃に使われていた様式の楽器、その頃弾かれていた楽器。ということでショパンが作曲していた頃の楽器を使ってショパンを弾くコンクール。ショパンコンクールがこれだけ有名になり、マーケティング的には二匹目の泥鰌を狙って切り口だけ変えたのではないか、とうがった見方をしてしまったが、結果はさあどうだろう?

今回の結果は
http://iccpi.eu/en/news/id/136

Thomasz Ritterが一位。二位にNaruhiko Kawaguchiというオランダ在住の日本人が入った。おめでとうございます。この方以外の入賞者は皆ポーランド人。そういう審査にしてしまったのか、ピリオド楽器をそもそも練習する機会が多いのがポーランド人なのか。にわとりと卵の議論となりそうだ。また、ただピリオド楽器を弾くだけで良いのか、弾き方の様式はその当時のものにどこまで対応するのかもこれから深化させていく余地があり。

ピリオド楽器、ピアノに関してはモダンピアノに対しフォルテピアノという言い方もするらしい。18世紀初頭 強弱を出せるチェンバロの一種という売りでピアノ誕生。19世紀にかけて5オクターヴ、6オクターヴと音域も広がり、工房で職人の技を競い合った。19から20世紀にかけ、フランスではエラール、プレイエル、ドイツでベヒシュタイン、ブリュートナー黄金時代を迎える。一方で産業革命後の大量生産の波はピアノ製造にも影響を与え、20世紀はスタインウェイが一大勢力となる。

強弱を出せるチェンバロから出発したピアノの進化とピアノが作曲された時代を結びつけて弾く、聴く楽しみは確かにある。そもそもマーケティングは需要を創出することも含め、人の望みをすくいとることでもあるのだから。このコンクール、クラシックピアノ界に一石を投じることはできるのか?長い眼で見守りたい(といっても次は5年後だし)。


さて、妹がもってきれくれた今日咲いているのはスプレーバラ3色。グラデーションが美しい。ペンシルヴェニア州に以前出張で行った時にアンティークショップで求めた祈る少女の人形と共に。



2018年9月9日日曜日

ラモー やさしい訴え フレンチ・バロック

先週の台風及び北海道地震の被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。同僚も職場もいろいろあり、客対応にも追われた週だった。

ラヴェルの「水の戯れ」の譜読みをしている。ソロ曲としては初めて弾くので音の想定が難しいことと共に左手と右手がよく交差し弾きにくい。彼はクープランへのオマージュを作曲していることから見てもクラヴサン曲の技巧を使っているのだろう。

幼い頃バッハのインヴェンションはよく弾いたが平均律は殆ど練習していなかった引け目があり、コンクールが終わったあとはフレンチ・バロックの小曲をフランス音楽講座にもっていくようにしている。というのは後付の論理で、青柳いずみこ氏のCD「やさしい訴え」を聴いて、その繊細で美しい演奏に魅了されたことが本当のきっかけ。


講座にもっていく曲をラモーにしようと思い2-3曲練習してみる。そうそう。この両手の交差。絡みあう指の間からの打鍵。私が弾くと、聴いている人には単によっぱらいの千鳥足にしか聞こえないだろうが、実はピクラヴサンとピアノの構造の違いからピアノで弾こうとすると弾きにくい。ラヴェルの「水の戯れ」にもこの技巧は使われている。

ところでこのラモー。バッハと同時代だ。ラモーは1683-1764年、バッハは1685-1750年。あの時代に81歳まで生きられたのだから長寿である。とはいえその音楽活動は大器晩成型。父はオルガニスト。11人兄弟の7番目に生まれる。子供時代は落ち着きがなかった?ようでクラスで歌を歌って邪魔をしたりもしたという。後に「オペラへの情熱はこの時からのもの」と言っていたらしい/Rameau by Wikipedia。読み書きより先に音楽の勉強をはじめたが一時は法学を志す。音楽の道に舵を切り替えイタリア留学するが短期間で帰国してしまう。ここまでの経歴は結構現代の私達でも心の動きや葛藤が想像できる気がする。音楽理論家、作曲家として活動はじめ、名声を得るのは40代から。亡くなる直前まで作曲活動を続けた。フレンチ・バロックの最後の隆盛の時を生きた訳だが、彼の死後 1789年にフランス革命が起こり貴族の文化は終焉する。


2018年9月2日日曜日

リフレッシュ 那須高原

私だって夏休み。子供達に遅れてはならじと、8月に那須高原とんぼ返り。東北新幹線で一本、JR那須塩原駅からで便利だ。栃木県、関東内、近いからいつでも行けると今迄行ったことがなかった。


鶏頭の色鮮やかなフラワーパーク。あの丘の向こうには何があるのだろう?(ゲリラ豪雨で行けなかった・・・) 牧場から直行の新鮮なソフトクリームに濃い味のチーズ。涼しい高原の気、眼というか心に染みる森林、湯質やわらかい温泉。リフレッシュの時。

骨折半年過ぎて リハビリ再開

7月は音楽イベントの為、土曜に通えず休んでいただが、リハビリ再開。骨折から半年経ち、歩くことには不自由しなくなったが、骨折足の筋肉不足からくる身体のアンバランスが課題だ。

骨折足ではない方の筋膜炎がまた出始めたので相談すると、「立ってみて」と。「前に重心がいっているので、指の付け根に負担がかかっている」とのこと。「自然体」で立つ時に「骨」に重心を置いて立つ、座る時も「坐骨」に重心を置いて座るように。「自然体」というのは難しいとつい言ってしまったが、「信号待ちなど止まった時の立ち姿でも、会議から戻って腰かける時でも、一瞬意識するだけで変わってくるからやってみて御覧なさい」。また、踵上げを30秒毎日行うと、足を運ぶ時の蹴る力を育めるとも。数秒の積み重ねでも、本来あるべき姿にプチリセットするだけで、自分の身体の不自然な歪みを治していけるのであればやってみる価値大ありだ。

2018年8月30日木曜日

夏休み 宿題 空中菜園のトマト 麗夏

8月ももうあと僅か。電車で何の気なしに車内吊をみていると、夏休みとなると子供の宿題用にいろいろなイベントがPRされていた。これも一種の夏の風物詩。

夏休みの宿題。好きな人はあまりいまい。対応は、多分大別して、1)最初にやる 2)最後にやる 3)適宜やる 4)やらない、に分かれよう。4)やらないで許されることはあまりないので1)~3)が現実解。この1)~3)、日頃の性格が如実にでると思う。私は1)だった。嫌いなものは先に食べる、と同じ論理である。そして何等かの理由で最初にできないと今度は最後までやらず、いきなり2)となる。夏休みの最終日まで借金を抱えた気分で、登校前夜にやる羽目になる。

朝顔の観察日記ですら初日完了。日付を毎日ふり、一週間ごとに想像で開花・枯れさせた絵を描き、各週ごと平準化した成長記録を適当に書くと、あとはその間を埋めていく。天気だけは最後の日に自分が覚えている日の天気を書き、あとは適当。それでも何も言われなかったので、先生は見ていないのだろうと勝手に納得していた。

その宿題から云十年。今年は母がプチトマトの苗を3本育てたので、朝顔の日記ならぬ、トマトの観察が日課となった。私達の計画(妄想)では毎日たわわにトマトが数十個は生り、昼に夜に食卓を賑わすはずだった。が、この「麗夏」はその名の通り立派な美しいトマトに育つのだが1週間で1個位だった。眺めに眺め、待ちに待ち、漸く採取し、お供えとし、最後に個を分け合っていただいた。青臭い、野菜らしい香りがした。昔ながらのトマトの味だった。


2018年8月29日水曜日

向日葵 Sun and Moon Flowers レスリー ラヴェル

リビングに学生時代のみたラファエル前派の展覧会の中で一番好きだったた英画家レスリーが描く「Sun and Moon Flowers」(画像は「オールポスターズ」HPより借用)を飾っている。生花の生命力も、この絵の静謐さもいづれも向日葵の魅力だ。


1890年に描かれた作品。時期としては、丁度今年弾いたフォーレの舟唄1番(1881年)と来年弾きたいと考えているラヴェルの水の戯れ(1901年)の丁度間に描かれたとも言える。

ここ数年間、ドビュッシーの「水の反映」と共にいつか弾きたい曲リストの筆頭を飾ってきた。好きな曲という動機ではなく、フランス音楽の代表作のひとつにチャレンジしようというもの。昨年今年と「水の反映」を弾いたので、次は、という訳だが、難しさに加えてラヴェルの曲を殆ど弾いたことがないという引け目が二の足を踏んでいる理由。

難易度が高い、精密に楽譜で弾き方を指定するので窮屈、といったイメージが強く、自分には縁遠い人、と思っていた。初めて彼の曲を弾いたのは2-3年前に友人と「マ・メール・ロワ」を連弾した時。譜読みは楽だった。しかし美しく弾くのは思ったよりも難しかった。間やニュアンスを上手く表せないとと薄っぺらに聞こえ、やりすぎると厭らしく響く。シンプルで美しいメロディーは、不思議と頭の中でリフレインする。名曲のもつ曲の力、なのだろう。

曲を知る前に、ラヴェルその人にお近づきになろうか。
スイス人で実業家の父と、バスク人の母との間に1875年生まれる。父の影響で6歳でピアノ、12歳で作曲を学び、パリ音楽院に在籍。ここまでみると順風満帆なエリートと見えるが、1900年から5年にわたりローマ大賞に応募するもついに大賞を得られなかったという意外な過去が。1898年に国民音楽協会で作曲家デビューを果たすが1909年には同協会と決別し、新しい音楽の創造を目指し独立音楽協会を旗揚げ。時代は第一次世界大戦となり、ラヴェルはパイロット志願するが果たせずトラック輸送兵として従軍。この大戦中の1917年に母が世を去り、この後創作意欲は減衰したように見え、この後、作曲家としてよりも演奏家としての活動が公的には増えていく。特に1928年に初渡米でのコンサートは成功し、ラヴェル自身も米国の新しい音楽に刺激を受けたと言う。一方、水面下で病気が進行しており、1927年から記憶障害や言語症に悩まされ、1932年のパリでの交通事故で加速する。最後弟や友人の勧めで外科医の手術を受けるが治らず、1937年に62歳で逝去。

「水の戯れ」は冒頭記したとおり1901年、彼が26歳の時の作品。パリ音楽院で作曲を師事していたフォーレに捧げられた。

2018年8月25日土曜日

スタインウェイ 向日葵

紀尾井ホールのスタインウェイは楽器もホールも一流で、夢にみるコンビネーションだ。よく響き、家で練習するのに慣れているよりももっとペダルを細かく踏み、濁らないように調整すべきだったと反省。あがってそんな余裕ももてないと分かっているのであれば、常日頃のペダルを更にもっと細かく制御しておく必要があるのだろう。音は美しく、一曲目はあがって暗譜落ちをしてしまったが、二曲目はかえって俗念を捨てたからか音の響きを楽しむことができた。美しさは楽しめたが、力強い部分、響きにのせるということはまだできなかった。ホールに比して音量は小さかったことだろう。こればかりは、家のピアノだけではなくホールで弾く機会をつくって自分の耳と身体で確かめていくしかあるまい。

スタインウェイは1853年にドイツのシュタインヴェークがニューヨークに渡り、名前もスタインウエィへ、そしてメーカーとしても開花した。工場は米独両国にある。他の欧州メーカーと異なり、宮廷で響かせる前提ではなく米国の音響まだ乏しかった時代に音を響かせることを主眼に新しい技術を次々と投入。同時にマーケティングの意識も高く、その頃のメディアとしては大人数にPRできる展示会に積極的に取り組み、1867年のパリ万博では金賞受賞。またスターピアニストに弾いてもらう、コンサートを後援するということも行っており、営業戦略も時代の先駆者だったとえよう。

技術戦略も明確だ。革新的な技術は特許をとり、その先進性で自社を守ってきた。これも会社経営の教科書に書かれた現代企業の手本そのもの。音を響かせる、その為の技術は、たとえばグランドピアノで弦を交差して張る交差弦。楽器全体を音を伝導する為に、金属のサウンドベルも設けた。

華やかな音は、製販両輪の知恵と努力の成せる業。


コンクールの時に妹からもらった向日葵。飾るだけで太陽が家にきたようだ。眩しい、圧倒的な強い生命力。存在感。花を見ながら、スタインウェイはそういった強い力をもっているとあらためて思った。

2018年8月18日土曜日

送り トルコ桔梗 感謝

今週は太陽暦のお盆。また父の好きなピンクの花、それに似合う優美な白いトルコ桔梗を飾る。横浜に住んでいた頃によく散歩に行っていた大桟橋で買ってきた船の置物。父はよく働いてきた。忙しく殆ど旅行など楽しむ余裕もなく、退職して時間ができた頃には相次ぐ病気で行きたくても行けなかった。憧れからか、よくその大桟橋で船の写真を撮っていた。


トルコ桔梗。リンドウ科ユーストマ属。ギリシャ語でeus(良い)+stoma(口)。形がトルコ人のターバンのような形ということでトルコ桔梗と言われるが、原産はトルコではなくアメリカ。花言葉はすがすがしい美しさ、希望。英語ではappreciationを表すという。感謝の気持ちをこめて、送りの時。

2018年8月12日日曜日

上か下か? ヒペリカム

お盆直前の金曜日。多分職場は、休みに早めに入る人が多いか、休み前に自分の宿題をためないように振りまくり最後の戦いの時か、いづれかだろう。ブーメランのように返ってくる仕事を振り切って、デュオ・ポッキーズ 連弾仲間とのお疲れ様会に駆け込んだ。

コンクールが終わった今がお互いに次の曲目を選び練習はじめるまでの、贅沢な迷いの時だ。弾きたいと思っても手が届かない憧れの曲、他の人が弾いて素敵だった曲を思い浮かべ、音楽談義にもいつも以上に花が咲く。

その友人に先週いただいた花束。このヒペリカムもいただいたが花瓶に入らず、別にして飾っている。学名はHypericum、オトギリソウ科。ギリシャ語でhyper(上に)+eikon(像)が語源という説と、hypo(下に)+erice(草むら)という説とがある。まるで逆な説というのも面白い。前者の説としては、聖ヨハネ祭の前夜、世界中から魔女達がブロッケン山に集まり宴会をしている間、十字架の上にこの花(像の上)に置いておくと魔除けになるという。8月の誕生花でもあり、花言葉は「きらめき」。

煌めく音を一音でも多く紡ぎだすことができるようになりたい。また練習を始めよう。そんな元気を見る者に授けてくれる、生きる力が凝縮したような紅い実。




2018年8月7日火曜日

庭からの贈り物 紀尾井ホール 音の花束

友人から花束をいただいた。鮮やかなガーベラ、カーネーション、野薔薇、それから彼女の家に咲いていたレモンユーカリ、ローズゼラニウム、赤い珊瑚のような実にローズマリー、アイビー。いろいろな種類の草花がそれぞれ精一杯咲き誇っていて、生の美しさに目が離せない。この花束を創られたセンスに脱帽。


先週はアマコンが紀尾井ホールで行われた。一次から本選まで様々な個性が様々な曲で競い合い、弾く側の緊張感、集中力、普段触れることもできないピアノを奏でる歓びと共に、まわりのコンテスタントの演奏を聴く楽しみも味わうことができた。いただいた花束のように、華やかな音、匂いたつようなフレーズ、可憐な装飾音、生命力弾けるスタッカート。音の花束のようだった。

2018年8月5日日曜日

杉並公会堂 ベーゼンドルファー スプレーシフォンブルー

先週は杉並公会堂で憧れのベーゼンドルファーを弾く機会に恵まれた。

毎年応募しているアマチュアピアノコンクールがあり、一次、二次がここで行われるからだ。アマチュアであろうとなかろうとコンクールに出る以上しっかり育てようという気概が講評に表れていること、家族が応援してくれてきた幸せな記憶があること、そして普通触ることができないベーゼンドルファーを弾くことができる、が毎年参加している理由。

ベーゼンドルファーは、1828年ウィーンで創業。ウィーンの音と称される、豊かな中低音部、表情豊かなピアニッシモがよく特徴として挙げられる。リストが弾いても壊れない「耐久性」が有名でもあるが、標準の88鍵の下にさらに弦を張った97鍵のピアノとしても知られる。

初めて弾いた時は、知識もなく弾いたので、ふと気づくと最低音よりも低いところに黒鍵が並んでいるのにぎょっとしてそれだけであがってしまったものだった。何度目かにドビュッシーの「雨の庭」を弾いた時、その第一音が鳴った時、何と美しい音なのだろうかと思った。その時に受けた感動は、今でも忘れられない。このエクステンドベースの追加により弦の響板が広がり、共鳴する弦が増え、中低音の豊かな響きにつながる。ブゾーニがバッハのオルガン曲を編曲する時にベーゼンドルファーに相談したことが始まりだという。

今はヤマハの子会社となった同社だが、ベーゼンドルファーはベーゼンドルファーであり続ける。185年の間に5万台、年に250台しか製造されておらず、標準製造工期は62週間、最終調整は8週間。工業製品というより芸術品(同社HP)。

さて。そんな芸術品に触れ、音を奏でることのできた時間は幸せだった。悲しいかな、存分に歓びを感じるだけの余裕はまだまだもてないのだが。

コンクールのあと、妹からお疲れ様ともらったスプレーシフォンブルーとカーネーション。家族の嬉しい記憶がまた一葉増えた。

2018年7月22日日曜日

ポッキーズ 川口リリア小ホール Shigeru Kawai

先週は川口リリア小ホールで友人と連弾。フランス音楽講座仲間もかけつけてくれ、緊張もしたが嬉しくもあり、楽しい時だった。この一年のうちに両手首を骨折した友人と、左足踝を骨折した二重苦?三重苦の私達に「デュオ ポッキーズ」と命名してもらい大笑い。今年は別々の時期に(当たり前だが)骨折、安静、入院、手術などが続き、一緒に練習時間が殆どごれなかったが、友人の曲選択の良さに助けられ、どうにか間に合ったと思う。来年にむけては、もう骨折を繰り返さないよう、ポキポッキーズとならないようにしたい。

ホールのピアノはShigeru Kawai。華やかで軽やかな打鍵に感じた。実力よりも良い音に響いた気がする。ただ、ホールの面積はピアノの音量に比して狭いからか、自分で聞こえる音がソフトペダルを通したようなのだが、実際には(人の演奏を聴いていると)ブリリアントな音が比較的でるようで、ギャップがあった。それを味方にできる人もいるのだろうが、私自身は頭でわかっていても身体は迷い調整があまりできなかったと思う。ただ、綺麗な音であることは確かで、その喜びは迷いながらも感じることができた。

Shigeru Kawaiは創業者河合小市がヤマハの第一号を一緒につくったあと独立しピアノ製造をはじめ、二代目滋氏が満を持して世に出したプレスティージ・モデル。一台一台素材にも手作りにもこだわり、またサポートも同一技術者が対応するという。素材へのこだわりとしては、響板への木材の選別もさることながら、アクション機構にはカーボンファイバー入りABS樹脂を採用。軽快なタッチとダイナミックレンジの拡大といった演奏家の希望をかなえるべく高剛性と軽量化を同時に狙ったという。ピアノは欧州のもの、長い歴史を尊ぶ、といった思い込みを吹き払う、「今」に合わせた新しいピアノなのだろう。



2018年7月21日土曜日

泰山木の

マンション前の垣根にこの木があって、季節になると母は見上げて花が今日は咲いているのではないかと楽しみにしている。生まれ故郷で咲いていたそうで懐かしいと。大盃木とも書く。中国の泰山にちなむともきき、中国原産かと思いきや、北米が原産とのこと。

木蓮科で、花の色は象牙色、葉もつややか。大きいものは50cmの花だそうだ。木が高くならないと花をつけないとのことで、なかなか咲いても気付きにくい。ふと空を見上げて見つけた時には、仏様の両手が空に向かっている気がして、ふと佇んでしまう。


泰山木の 三好達治
泰山木の花咲きしは なほ昨日のごとし かの寄宿舎の窓べに ある日ふとその花咲きしは なほ昨日のごとし そのかみの友半ば戦に死し 身はひとりかくも拙く老いはてぬ ことなべて終わらんとして 思い出はなほ昨日のごとく新し かの花や かの青空や

2018年7月15日日曜日

お盆

西日本豪雨災害の被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。以前、九州の親戚や知り合いが被災し、今回の豪雨で会社の同僚や職場も被害にあった方々も多く、公私共に心配が募った週だった。

この週末はお盆。江戸っ子の父にとってお盆とは7月。イタリア親父のような濃いめで甘めのルックスの父は、自分の憧れを投射したのか、強面のマドラスの木彫りの人形を買ってきて大切に飾っていた。

そのマッチョマンと父の好きなピンクの薔薇でお迎え。

2018年7月1日日曜日

蝦夷菊 中国の菊 美しい冠

今日から7月。2018年も後半に突入だ。今年は梅雨明け宣言が早かった。もう関東は開け宣言済みで今日は一足飛びに真夏の天気だ。妹が父の好きな小花をもってきてくれた。この花は夏から秋の花というが今を盛りと咲いている。

キク科シオン族。Callistephus chinensis(中国の菊)中国北部が原産。ギリシア語のcallos(美しい)stephos(冠)が語源。日本では蝦夷菊ともいう。


真っ白で光る真珠のような蕾が沢山ついている。それらがためらいがちに少しずつ、しかし次々と花開く。アスター。可憐な小花ながら、力一杯に、エネルギッシュに咲き続ける様は、とても眩しい。

コッペリア、あるいは琺瑯質(エナメル)の目をもつ乙女 ドリーブ

先週は、友人と連弾三昧だった。曲はドリーブのコッペリアから。ピアノの先生のレッスン、仕事帰りのスタジオ練習、週末はオーケストラの先生のレッスンまで。友人の先生は有名オーケストラのヴィオラ奏者の方で、曲を大局から捉えること、フレージングなどを中心にオーケストラを指揮されているかのような指摘をいただき、厳しいながら毎回ワクワクと心が躍る。どんなにピアニシモでも弾いても「もっと小さく、もっとできるでしょ」。フォルテシモでも弾いても「もっとドラマチックに、もっと豊かに」。高い要求に、思わず応えようとギリギリまで背伸びしてしまう。その背伸びもまた楽しからずや。

コッペリアはバレエ曲で、ポーランドの農村で、恋人のフランツとスワニルダが、コッペリアという人形を恋の鞘当にひと波乱演じる。二人はもとの鞘におさまりハッピーエンドで大舞曲でしめくくられるが、振り付けによってはその人形が本当に人間になってしまうバージョンや、人形はバラバラに壊れて呆然と立ち尽くす人形師コッペリウスを最後に幕が下がるバージョンがあるそうだ。最後はどうであれ私達が弾くのは序奏とワルツ。物語のはじめ、何かが起きる予感と、身体が動き出さずにはいられない村の踊りの楽しさを表現できれば嬉しい。

2018年6月29日金曜日

そうび しょうび メルセデスコルダナ

6月もあと僅か。2月に骨折、4月に松葉杖出勤、やっと歩けるようになり外を眺める余裕ができてきたら、梅雨と台風があわせきたような天気。


6月の誕生花といえばこの薔薇。「そうび」とも「しょうび」とも読み、女性の名前として名づけられることもある。「ばら」は和名として「いばら」から転じた。中国の雲南省からミャンマーにかけてが発祥の地。多くの種類がある中で我が家のものはメルセデスコルダナ。

学生時代、リルケを読んだ時期があった。墓碑銘に刻まれているという詩。意味も分からず気になって短いこともあって覚えてしまった。どんな時に心に浮かんだ言葉なのだろうか。

薔薇よ おお純粋な矛盾 瞼のこんなたくさんの重なりのしたで だれの眠りでもないという よろこび(清岡卓行訳)

2018年6月28日木曜日

天空劇場 ベヒシュタイン

週末に天空劇場のベヒシュタインを弾く機会に恵まれた。通常であればアマチュアには手が届かないホールなのでとても楽しみにしていた。友人との連弾とソロ2曲で参加した。

連弾はバレエ曲「コッペリア」から2曲。とても楽しかったが、Secondの私の譜めくりが失敗し暫し迷走。Firstを弾く友人に迷惑を・・・。「本番前の肝試し」と慰めていただいてしまった。次回はリベンジだ。

ソロは1年振りの舞台であがってしまった。幼い頃はあがることが殆どなかったのに大人になっての再出発では自分の練習不足からくる自信のなさが「あがり」の原因のようで、殆どいつも起こる。昔はものを思わざりけり。そんな自分でもピアノの音の美しさは楽しむことができた。華やかなスタインウエイ、深い響きのベーゼンドルファとは全く別の魅力がある。バランスが良く、ホールのせいか響きが気持ちよく通る(自分の技術は別として)。音色を何かにたとえればシルク。キラキラピカピカする訳ではないが、上質な光沢がひとめで他の素材と一線を画するのと似ている。

ベヒシュタインは1853年ベルリンで創業、多くの作曲家、ピアニストを喜ばせたが、第二次世界大戦で工場を破壊され、またナチスに「第三帝国のピアノ」と位置づけられた為、戦後もその記憶に苦しめられたという。1962年にアメリカ企業となり、1986年にまたドイツに帰した。会社としては100年余の間に大きな浮沈を経験した。強い弦のテンションとアグラフ(弦の留め金)の使用により、弦を鉄骨に触れさせず響きの良さを追求する設計思想と言われるが、その思想は政治や経営、製造する個々人は変われど、アイデンティティとして引き継いできたものなのだろう。


ホールの扉をあけて一歩踏み出ると、そこは21階の空に浮かぶ空間。雨が止んでふっと陽射しが降り注いだ。ガラス越しの空と、鏡面ステンレスでメタリックに映る空が。眼にも耳にも美しさ染み入る天空劇場だった。


2018年6月17日日曜日

花開く百合 クープラン

父の日に父が好きなピンクの花。

花はどの花も蕾がつき花開く時は心躍るものだが、百合の花が開く時はもっと違う感覚を抱く。まるで重く光沢のあるサテンのドレスを手でゆっくりと捌き前に滑るように歩く様を思い浮かべる。息をとめてじっと見惚れるしかない。


フランスの作曲家クープランのクラヴサン曲集第3巻に「花開く百合」がある。ブルボン王朝を象る百合とかけたタイトルだという(船山信子氏)。クラヴサンがもともとの楽器ではあるが、ピアノで聴くのも繊細な美しさが際立ち別の曲のように違う個性を楽しむことができる。特に好きなピアノでの演奏は青柳いずみこ先生の「雅なる宴」に収録されている。クープランとドビュッシーを「フェット・ギャラント 雅宴画」に結び付けてプロミングが見事な企画で堪能できる。


「雅なる宴・・・ドビュッシー、クープラン作品集」 青柳いづみこ ナミ・レコード




2018年6月16日土曜日

水の器の大きな葉 「七変化」 「八仙花」

学名 はHydrangea(水の器) macrophylla(大きな葉)、花言葉は「家族の結びつき」「辛抱づよい愛」。色が変わることから「七変化」 「八仙花」とも言う。紫陽花だ。原種は日本。

ふとマンションから外に出ようとしたらいつの間にか咲き始めていた。青いガクの蕾?が赤ちゃんの拳のように空に向けられている。その色は梅雨の今、目に楽しい。しかし、季語としては夏だという。いろいろな句がありそうだが、自分にとってすぐ思い浮かべる言葉は学校で暗誦させられた詩だ。

母よ
淡くかなしきもものふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり

三好達治 「乳母車」

音楽から沈黙へ 「フォーレ 言葉では言い表しえないもの・・・」 ジャンケレヴィッチ

「フォーレの音楽には、ベルグソンを強く感じさせるような傾向が存在する。それは継続した流れ、つまり流動し、経過してゆく魅力のことであり、流麗さともいえるものなのだ」。

「ガブリエル・フォーレとその歌曲(メロティー)」を論じることから本書は始まる。詩と音楽の「結ばれあった特別な瞬間」・・・たとえば「ミニヨン(ゲーテ)」がシューマン、リスト、ヴォルフに霊感を与えたように、ヴェルレーヌのいくつかの詩はほぼ同じ頃にドビュッシーとフォーレの音楽を誘い出している・・・もっとも類似はそこで終わる。ガブリエル・フォーレの唄は<リート>ではない・・・フランスの歌曲は・・・「ただ自由な海と自由な天とあるのみ」・・・あらゆる種類の例をみない音階と洗練された音の集積を試みるのに力を貸しているのである。(第I部より)

冒頭に歌曲をもってきたのは彼の像を解明し易くしていると思った。弾いていると、フォーレはピアノ曲でも、「歌」がその本質だと感じる。どんなに楽譜どおり弾こうとも、その曲に流れる「歌」をかな奏でないと琴線に触れず、CMソングのように流れさって過ぎていく。マルグリット・ロンが記していたように、リズムの統一性が、ややもすれば繰り返しの冗漫さに変じる危険性を孕み、歌うことを難しくする。

「フォーレはたちどころにフォーレその人となった・・・フォーレとラヴェルはいうなれば、第一歩から自分自身であり得たのだが、ドビュッシーは雑多な影響物ととっつきやすい魅力的な提案のあれこれに囲まれて、長いこと自己を模索し、手探りで進んでいた。」(第I部 第1章 1890年以前より)

サン=サーンスからフォーレへ、そしてフォーレからラヴェルへ。それぞれ曲調は全く異なるがこの師弟達は、若いときから自分のスタイルを確固としてもっていたところが奇妙に似ているように思えた。



2018年6月15日金曜日

「回想のフォーレ」 マルグリット・ロン

ピアニストのマルグリット・ロンがフォーレとの思い出を語っている。初めて数年前に読んだ時には、フォーレ伝なのか、音楽論なのか、自伝なのかよくわからず、随分私的な思いいれが入っていると感じ読みにくかった。しかし今回、要素毎に読み分ければ興味深いと思い直した。

フォーレの人物像の一面:
オルガニストとしての経歴の長さ、サンーサーンスとの友情、パリ音楽院の院長として新風を吹き込んだ手腕、ラヴェル、デュカス、シュミットといった教え子達、ロン夫妻との深い交友と別れ(この本だけでは何が原因だったかわからないのだが)、耳が聴こえなくなってからの苦しみが描かれている。活き活きとした場面もあり思わずひきこまれる。たとえばこんな記述。当時の教室の雰囲気が目に浮かぶようだ。誰か映画にしてくれないだろうか?

フォーレは45分遅れて到着すると、煙草をふかし、座ると、すぐに夢想から我に返ってこう言った・・・。「ラヴェル、それでは君の<水の戯れ>を弾いてごらん」。ラヴェルがピアノの前に座り、最後の音を打ち終わると、先生はちょっと考えていて、それから夢想へと戻っていった。少しして、先生は時計を見た。レッスンはそれ以上進むことなく、終了した。」エネスコが賛美と感謝の念をこめて、こう付け加えていることも事実です。「しかしこの日、私たちは大きく進歩した。」 ~フォーレとその人生~ 

フォーレの音楽の優れた点:
3つの統一性による規律が尊重されている・・・それは本物の古典主義からくるとくちょうのひとつ・・・最初に様式(スタイル)、次にリズム、最後に調性 この3つの統一性。

確かに、この3点は優れているのかもしれないが、その統一性或いは執拗さが、工夫しないと退屈な繰り返しに反転してしまう弾く者にとっては両刃の剣だ。

フォーレが大切にしたもの:
フォーレが、気に入って「日に6回」は繰り返していた言葉あります。それは「ニュアンスをこめて。でも動きは変えないで。」こんな言葉もありました。「僕たちにとって、バス声部は重要だ。」バスへの愛着、私はこれをフォーレから学びました。・・・ フォーレは短くて息をのむような「クレッシェンド」や「ディミヌエンド」を好んでいました。それはちょうど、トスカニーニが驚異的なダイナミックスによって最高に大きな効果を引き出すやり方と似ていました。 ~魔法の輪 作品の統一性~

確かに、今弾いている舟唄1番にも、一小節でfからpへ急降下する部分、最後の盛り上がり部分メロティーに対をなす美しいバスなどすぐに思い浮かぶ。若い時の作品から彼の特徴がちりばめられていることが分かる。フォーレが大切にした部分を意識して表現することで「フォーレらしさ」にく一歩近づけることができればと願う。

「回想のフォーレ ピアノ曲をめぐって」 Ai Piano avec Gabriel Faure 音楽の友社

2018年6月12日火曜日

不思議な訪問者

いただいた花束に埋め草の観葉植物あり。これも年末から水栽培していたが長寿に敬意を払い鉢植えに昇格させた。100円均一店の二種の土を混合していれ数週間。昨日突然花開いた、いやキノコ開きとなった。水栽培の時も鉢植えになってもずっと家に置いていたのに、何故か観葉植物と関係ないキノコが凛と佇んでいる。100均土壌の為せる業か。

一晩あけたらキノコの畑となっていたらどうしよう?と思っていたら、なんと一日で消えてしまった。居なくなってみれば夢か現か幻か。寂しい気がするから不思議なもの。

2018年6月1日金曜日

梔子 ジャスミンのような 

学名は Gardenia jasminoides 「ジャスミンのような」。違う花の「もどき」と学名がつくというのもいかがなものかと思うが。その実は料理の色づけに。黄色でサフランのような色となるという。精神安定剤や胃腸炎の薬効も。花言葉は「幸せを運ぶ」「私は幸せ」。

アカネ科クチナシ属というと、ああ「くちなし」とわかるだろう。名の謂れは、果実が熟しても割れない、クチナワ(ヘビ)ナシ(果実のなる木)から、ヘビ位しか食べない、という意味とも言われる。私はずっと口で説明しなくても香りをかげば一発で分かるから「口無し」からくると思っていた。将棋盤の足がこの花を象っているのは「第三者は問答無用=口出し無用」という意味がこめられているとも言うので強ち遠い思い込みではないと思っている。

妹からのプレゼントで、母の空中庭園に加わった。口がきけなくともこのかぐわしい香りだけで花言葉どおり朝から幸せを運んでくる。


おもふ事 いはねば知らじ 口なしの 花のいろよき もとのこころも 樋口一葉

2018年5月27日日曜日

迷迭香 万年蝋 海の露 スカボローフェア(詠唱)  

シソ科、マンネンロウ(ロスマリヌス)族。この属名から和名は「迷迭香」とも「万年蝋」とも。学名Rosmarinus officinalis。ここまでくるとローズマリーと分かるのでは?ラテン語のRos(露)+marinus(海の)に由来するという。

強壮剤として使われたり傷につけたり。ウルソール酸が肌に効く、ポリフェノールが若返りに良いとも。肉を焼く時に使えば食欲をそそる香りを醸し出す。

はじめてガーファンクルの「スカボローフェア」を聴いた時には、このローズマリーの実物を知らず、どういうものかと想像したもの。イングランド民謡のスカーバラ・フェアにガーファンクルが曲をつけたという。この民謡ででてくる、「パセリ・セージ・ローズマリーとタイム」という人気ハーブの順番か?と思う歌詞の一部は「魔除け」のおまじないとも聞く。花言葉は「思い出」に関する言葉が多い。「追憶」「私を思って」「あなたは私を蘇らせる」。実際的な効用と詩的な象徴をもつハーブ。

2018年5月26日土曜日

紅いゼラニウム カシニヨール 緑のブレスレット

ローズゼラニウムに続き、紅いゼラニウムが咲いている。次々と。風が吹くと鮮やかなスカーレットがはらはらとベランダに散る。



オリーブがベランダに戻ってきた時、次に欲しいのは紅いゼラニウムと決めていた。南欧の庭によく飾ってあって、それだけで窓辺が華やいでみえる。欧米では厄除け、魔除けの意味も。

もうひとつ理由が。フランスのリトグラファー、カシニョールの作品の中で「緑のブレスレット」が好きだ。背景の燃えるような紅い花は、私のイメージではゼラニウムなのである。我が家のゼラニウムをよくよくみると葉の形が違うような気がしてきが・・・。煙るような眼差しのこんな美女に目の前に座られたら、背景のスカーレットなゼラニウムも色褪せて見えようものだが、女性も花も一心同体のように共に活き活きとしてくるから不思議だ。ゼラニウムの花言葉は「慰め」「君ありて幸せ」。

カシニョール作 「緑のブレスレット」 無断転載させていただいています。

リハビリ#1 ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと 

骨折の左足の腫れがひかない。もう骨折から3ヶ月が経った。処方された薬も役に立たず。

別の整形外科にいくことにした。三点歩行の際に健足である右が痛くて歩行できず困り果てて相談しにいった病院だ。そこは流行っていて3時間ほど待たされたが、きちんと足を触診し、動かした筋肉も確認し「足底筋膜炎」と一発で診断され、骨折が治ってから治療しましょうとしていた。どうせならと一緒に左足の浮腫みも見ていただいた。左も右と同じ症状で筋肉が弛緩し本来あたるべきでないところがあたって二の指付け根が痛くなる構造に加えてギブスで血流が滞り筋肉が更に衰えている為に、浮腫みがとれないとのこと。マッサージで血流をよくしつつ、筋肉も少しずつ動かす為に所謂タオルギャザー運動をすることに。

「足は足関節で大腿骨からの体重を受けとります。足の体重を栄える部分はアーチ型をしています・・・したがって、足には体重を支える部分が3つあり・・・足を3本足の台もしくは三脚のようにイメージし、そのうちのどれか1つではなくて、3つの中心に立っていると思うと良いでしょう。」トーマス・マーク著 ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと から

ピアノの音をもっと豊かに出せるようになりたいと思い購入した。一度読んだはずなのに全く頭に残っていなかった。「痛い目にあわないと分からない」とよく言うが、あたっている。この本はピアノを弾く上で論理的に身体の使い方をアドヴァイスしてくれているが、その知恵は自分の身体を守る為にも大切なことばかり。もう一度読み直してみよう。







2018年5月25日金曜日

豚の饅頭 篝火花

イタリアでは球根を豚が食べるので「豚の饅頭」と呼ぶ。日本では、篝火をたいているような花の形だからとも言う。花言葉は「清純」「はにかみ」「内気」など。と言ってすぐこの花を当てられる方もいるのだろうか。シクラメンである。

我が家のシクラメンは、昨冬に購入したのにすぐに枯れ、それでも水をあげていたら少しずつ生き返り、今や花盛り。蕾も初々しい。

季節外れの狂い咲きと思っていたが、実は開花時期は10-4月頃。5月であればまだ「遅咲きの大器晩成型」と言えなくもない。冬の花だと思い込んでいたが、それはクリスマス時期に売り出されるコマーシャリズムに惑わされていたのだろう。季語も冬のそれではなく「春」だそうだ。

サクラソウ科。和名「シクラメン」。これは学名Cyclamen(シクラメン属)persicum(ペルシャの)の発音をそのままあてたもの。Cyclamenは球根が丸いことからギリシャ語のkiklos(円)が語源で日本には明治末期に渡来。

「シクラメンのかほり」の歌詞では、シクラメンを「清しい」「まぶしい」「淋しい」と表していて、これは花言葉のイメージを上手く女性に転化していると思いう。一方、またの名前にも表れているように花の形から「焔」「篝火」といった俳句も多く読まれている。「豚の饅頭」までいってしまうと違う花ではないかと思ってしまうが、なんとも幅広いイメージをもち、奥深い。


2018年5月19日土曜日

ローズゼラニウムの花咲いた 

友人からいただいたローズゼラニウムが花咲いた。お気に入りのコップに活けてベランダにおいている。太陽を一杯に浴びて元気一杯。そしてとうとう可憐な花が。


吉兆だ。そう思い友人のHPにアクセスしてみると、骨折した両手の再手術が無事終わったとのこと。良かった。花も喜んでいる。

2018年5月18日金曜日

葉牡丹 縮葉甘藍 雪傘

母が注ぐのは水だけでなく愛情。だから植物が長持ちする。この葉牡丹(写真花瓶内3本の植物の中央)は昨年末に新年を祝う為に求めたもの。5ヶ月一緒に暮らしたことになる。

アブラナ科。別名牡丹菜、阿蘭陀菜。ornamental cabbage, ornamental kale, flowering kale。宮沢賢治は「縮葉甘藍(ケール)」と記すこともあったという。花言葉は祝福、利益など。「紅白」の目出度い色、葉の中心(色づいた部分)を赤ちゃんにみたて周りの葉が包むことから「祝福」。三国志の諸葛孔明が食用としたキャベツに似ていることから「利益」。

いろいろな種類があるが、こちらは「雪傘」という種。この写真からは信じられないが、儚げな薄紅色が美しく、名前がしっくり合う。薔薇ともトルコ桔梗とも違う柔らかな夢見るような色調が忘れ難いが、今のこの季節には若草のような緑が眩しく嬉しい。




2018年5月15日火曜日

オリーブの花 知恵と勝利と平和のシンボル

母の空中庭園の原点と言えるオリーブ。

マンションが大規模修繕で半年以上ベランダの木々を1Fの玄関前に置いておかなくなった時、それまで丹精込めて育てた植物を全て手放した。その中でこのオリーブだけはどうしても離せず1Fの共有保管場所で育てた。漸く各室に戻せるようになり母の空中庭園に今また戻ってきた。今は白い小さな花を咲かせている。



モクセイ科・オリーブ属、別名オリバ、オレイフ。阿利襪橄欖(かんらん)の字が当てられることもあるが別の植物とのこと。花言葉は「知恵」「勝利」。ギリシャ神話が由来で、エーゲ海沿岸の町を海神ポセイドンと女神アテネが争い、全知全能の神ポセイドンが「最も人に役立つ贈り物をした方が治める」と言い渡した。ポセイドンは戦いの勝利に資する「馬」を、アテネが薬効ある「オリーブ」を植え、人々はアテネの贈り物を喜んだとのエピソード。

この他「平和」の象徴ともいわれ国連の花ともなっている。こちらは旧約聖書の「ノアの方舟」に由来する。神々が人間に与えた大洪水の罰に、唯一信心深いと助けられたノアと動物が方舟に避難。ノアが地上の状況を調べるために放った鳩がオリーブを持ち帰ったことで洪水の終わりの知らせを知ったという話。



藤城清治のノアの方舟より。鳩が運ぶオリーブが描かれている。

我が家の空中庭園にも知恵と平和が花咲きますように。