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2021年6月6日日曜日

1802年 「テンペスト」作曲の年

 ベートーヴェンが32歳の時のだ。

今、「ベートーヴェン」平野昭/新潮文庫 を読み返している。年譜が巻末についているので便利だ。

この1802年という年は、ハイリゲンシュタットに滞在し、後に「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれる、二人の弟に宛てた自殺まで思い詰めたことが記されている。平野氏によると1798年頃には親友に難聴の兆候を打ち明けていたという。この、音楽家にとって致命的な打撃ゆえこの地で引きこもっていた時期だ。

音が聞こえなくなるという恐怖と、それを認めざるを得なくなった時、どのような気持ちだったか。自分と比べるのもおこがましいが、ストレス性の突発性難聴になり、医者からは良くなることはなく悪化を防ぐためにストレスレスになるよう努力するしかないと言われた。聞こえにくさもさることながら、音が微妙に上がって聞こえるようになり、今や完全に1度高く聞こえるようになってしまった。私ですら受け容れがたい気持ちだったのに、音楽家にとってどのような思いだったか想像するに難くない。

そんな苦しみや救いを求める心を投影したかのように思えてしまうテンペストだが、一方でその作風には野心的な点がいろいろある。

平野昭氏の本 「ベートーヴェン」音楽之友社 に対し、紀伊国屋が書評を出している。

https://booklog.kinokuniya.co.jp/imaiakira/archives/2012/11/post_79.html

1802年はまだ旧式のピアノを使っており、1803年にエラール社の新しいピアノを入手している。ベートーヴェンは貪欲に新しいピアノを取り入れていて、生涯に10数種類のピアノをもったと言われるが、テンペストを作曲した1802年には古い(膝で押し上げるペダルの)ピアノだったはずなのに、新式のピアノでのペダル(足で踏む)の指示になっているという。一楽章の型破りな冒頭、レスタティーヴォ(話すような独唱、独白)という表現指示を施したり、独創性はかえって増したようにさえ見える。



2020年5月24日日曜日

音楽の対話

Stay Home、巣篭もり、という言葉が当たり前の枕詞に使われる昨今、人と対面することが難しい状況にあっても、それでもインターネットやメディアなど、様々なNETから私達は情報を享受できている。

人に簡単に会えない時だからこそ、流れてくる様々なコンテンツに耳をそばだてたり、心惹かれたりするのかもしれない。

BSドキュメンタリーでみた、パールマンの演奏が素晴らしかった。
イツァーク ~天才バイオリニストの歩み~

名前は知っていたが、向き合って聴いたことがなかった。子供の時に小児麻痺になって下半身不随ながら、イスラエルからアメリカに渡ってバイオリンの才能を開花させたという。ドキュメンタリーの中身も興味深かったが、キーシンとのトリオ、アルゲリッチとのデュオ。アルゲリッチが「対話している」と表現したのが正に言い得ている。ソロの「シンドラーのリスト」のメロディーは、人の心を動かす音色かく在るもの、と思わせる。

また、別の番組の話となるが、「空港ピアノ」のブリスベン版を見た。何度目かの再放送。台湾人の調律師が「人に心があるように、ピアノの魂は音だ」といったような話をしていた。この人はそう思いながらそのブリスベンの空港ピアノを調律しているのだな、と思わせる弾き方で一曲弾いていた。そうか。人の心が、ピアノの魂と対話する時に、音楽が生まれるのか、と腑に落ちた。

音楽を介しての対話は、弾く人と聴衆と。そして、弾く人と音を奏でる楽器と。


今日は久しぶりに天気良し。もみじに紅い花?ガク?知識不足の私には分からない可愛らしい生き物がてんてんと。

2020年4月26日日曜日

枝垂れ桜

先週は一部の都府県から全国に拡大して緊急事態宣言がでた為、今迄通常勤務だった会社の各工場も急にテレワークに入り、様々な手続きや対応に時間がかかるようになった。工場の現場は休めないものの、品質管理や生産工程を見ている人達はテレワークの対象に。従来工場関係者はテレワークする業務設計をしてきていないことから、突然様々な運用ルールを決めなければいけない。固定的な取り決めの多い各種システムに関わる部分は柔軟な対応に限界もあって、一つ取り決めを決めても幾つもの「また」がでてくる。

といった不便さは多々あるが、勤務形態の多様性は本来選択肢としてあった方が良い。日本は遅れていたので、ここはこの機会を肯定的に捉えて、早く使いこなしたいもの。

プライヴェートで参加している月1回のフランス音楽講座、先週、動画で有志の講習があった。講座敢行予定であったが昨今の状況を踏まえ急遽動画方式に変更され、短工期で仕切られた先生の進取の気性に頭が下がる。常の講座と比べるとライブ感はやや薄れるものの、丁寧な解説、なにより先生が弾いてみられる時間がいつもより長めなのが嬉しい。。受講生、先生ともに、演奏される手もよく見えて、非常に恵まれた機会となった。これも、逆境を「工夫」で逆手にとった例。

デュオ・ポッキーズの友人は動画参加され、先生にしっかり指導を受け。私達にも公開してもらったので、ドビュッシーの「水の反映」を堪能させていただいた。


水面に波紋が広がり、それがだんだん収まっていく様が目に浮かぶような演奏。

円形や放物線を精密に描く噴水型の西洋の水と異なり、この枝垂れ桜のように、しなやかに、柔らかに、自ずと形が現れ消える。そんな演奏はドビュッシーに相応しい。

2020年1月25日土曜日

エディット・ピアフを讃えて

2月のフランス音楽講座に何をもっていこうか悩み(といっても短い曲しか検討対象に入っていないので、とりあえず楽譜をもっている15の即興曲から)、15曲目の「エディット・ピアフを讃えて」にした。

プーランクを初めて聴いたのもこの曲で、YOUTUBE見ても多分この人の中で一番多く出されているであろう有名曲で、イージーリスニングのように耳に心地よい。これはクラシック曲のレッスンとしては、ハードルが高いことを意味する。皆が知っていて(間違えたらすぐわかる)、耳に心地よい(技術的に難曲ではなく聴こえる)。しかもこの耳に馴染むフレーズが何度も何度も繰り返される(淡々と弾くとあきられる)。

だが、前回の講座で指摘されたペダル(ミドルペダルを使ったら)の練習と、メロディーを唄うという命題をかざして(自分に対して)、この曲を弾くことにした(結局、好きな曲を弾きたかっただけ)。

今日は今年初のピアノレッスン。甘くならないように、楽譜指定の速度に近づけて弾きたい、という思いも空しく。

一見の譜面とは異なり、この曲は譜読みすると。バスは(距離を)跳ぶし、繰り返しが多いと思っていたフレーズも一つ一つ微妙に違って読みわけなければいけないし、ベースを譜面どおり音をのばそうと思えば音が濁るわ、散々だ。先生は受容に満ちた表情で、「どこが難しいですか?」と質問。こちらは縷々言い募るも、全く慌てず、ベーシックな確認に。メロディーとバスだけ弾いて流れを確認してテンポを決める。次に内声も加えてハーモニーの移り変わりをききニュアンスの変化を聞き取っていく。自分一人でもやってみたのに、先生と意見をやりとりしながら辿って行くと、自分一人の時よりも更に色鮮やかに曲が彩色されていくように思える。


ピアフについてはまた別の機会に。

フリージアがあうイメージではないが、今日の我が家の花は、春を待てずに高いのに母が買ってきたフリージア。分かる。その気持ち。この香りをかげば。春が。

2020年1月4日土曜日

アダモ 雪が降る

とタイトルを書いたが、アダモの唄うこのシャンソン、ご存知の人は少なくなっているかもしれない。だが、多分、メロディーを聴いたら、なんだか聴いたことあるかも、と思われるのでは。

年末のフランス音楽講座ではプーランクの即興曲11番と13番をもっていった。11番はフランス版「金平糖の踊り」のつもりで、前半はペダルを使わず(あくまで脳内想像では)軽やかなスタッカートでバレエ風に・後半はペダルを一瞬利かせて対比を。

13番は、唄うことを目的に練習。曲は好き、唄いたいけれど、何故うたえないのか。そんな私に、フランス音楽講座とは別に通っているピアノの先生は、楽譜に忠実に各声部での弾き分けを徹底させる。そう。この基本ができていないと、思いをぶつけてもワンワンいうだけでこぶしが聞こえない。分かっているのだが、でもその「基本」が難しい。右手でメロディーと内声を弾き分けるのだが、メロディー部分は指をたてて硬めに。内声は寝かしてやわらか目に。一つの手で二声部を弾くだけでも攣りそうなのに、音もかえて横のラインを繋げていくのは、技術がない者はやはり練習を重ねるしかない。

フランス音楽講座では、先生から「この曲はこぶしよね」と。先日シャンソニエに行かれた際の話しをしていただいた。そうだ。この曲はシャンソンだ。詩が乗る唄だ。

そこでデュオポッキーズの友人から「アダモの雪が降るに似てませんか」とのコメントが。おお。そうなのです。この13番の上がり下がるメロディーはまさに、上がり(雪が降る)、下がる(あなたはこない)にピッタリ。

先生も大笑いで同意され。
そしていかにメロディーをピアノで唄うが如く弾くことが難しいか、若い頃1フレーズを公開レッスンで1時間それだけレッスンしていただいたこともおききした。
自分自身、メロディーを、ピアニストとして(アマチュアだとしても弾いている時間は聴衆に責任がある)、聴かせられるか、という課題意識を抱えていただけに、先生ですらそれだけ努力されているのなら自分は生涯終わってもずっと頑張るしかないのだと納得。


正月のコスモクロック。今まで何度もみてきたがこんなにキラキラと輝き指輪のような時ははじめて。嬉しくて御紹介。

ピアノを弾く時も、一部でも良いので、きらきらっと光る部分を表現できたら。きかせるべきツボでこぶしをきかせられたら。

2019年12月22日日曜日

冬至 そして音 楽しむとき

冬至のこの日。南瓜を食して、この季節の健やかなることを願う。

音の喜びもまた心の健やかさのひとつのバロメーター。

先週は友人のコンサートに参加。川口でベーゼンドルファー・インペリアルを弾く機会に恵まれた。とても佳い音楽会だった。仲間よし、ピアノよし、ホールよし。これ以上何を望めよう。

今年は本当に自分の体力と種々のスケジュールとの闘いに思えた。無事にプライヴェートは今週末で主なところは終わり本当に安堵。ホッ。


2019年11月29日金曜日

気になるプーランク

2019年は実は(と言っても自分が知らなかっただけ)プーランクの生誕120年だった。2019年1月7日にプーランクお誕生日おめでとう!と書いていた人のブログを読んで気付いた訳。

フランス音楽講座で受講生が「ナゼルの夜会」を弾いたり、青柳いずみこ氏が「小象ババールの物語」をとりあげたりされたので、その自由な作風に興味をもったものの、今年1月7日時点では全く自分が弾くことは想定していなかった。

本当は弾きたいなという思いもあったが、それはいつかもてる自分の時間の為にとっておき、コンクールの曲は別にと思っていた。

だが、弾きたいと思った曲を練習し、アマチュアなんだからコンクールにもっていってもいいじゃない!と思うようになった。心境変化である。

コンクールに対する自分の気持ちが変化した(コンクールで受け容れられる曲を弾くべしと思ってきたが自分の弾きたい曲を弾いて、アマには分からないコンクール用の曲じゃないじゃないと評価落とされてもいいじゃないという変化)。それに、プーランクの曲は弾いてみると弾きにくく(自分にとって予想したような音にいかない)、とても短い即興曲を練習しているのにもかかわらず仕上がらず、「得体の知れないもの」としてもっと知りたくなったから。

そういう訳で、「好きなメロディが時々ある」だけではなく、「気になるプーランク」として、追っかけをしてみようかなと思っている。


我が家の花、ちょっと趣向を変えて横貌を撮ってみた。

正面からみると、絢爛。香りも艶やかに、座を支配するが如く美しく咲き誇るオリエンタルリリーだが、このアングルからだと意外と華やかというよりも柔らかく、しなやか。

百合の横貌。人と同様、いつもと違う表情は、思いもかけぬ邂逅なだけに、印象深く心に刻まれる。

2019年10月19日土曜日

青柳いづみこ氏 フォルテピアノ らららクラシック ハノン

続けて音楽の話し。最近で印象に残っている音楽のプログラムを。


まずは青柳いづみこ氏の「フォルテピアノ 脱力と音色」
(写真は同氏のオフィシャルHPより借用)
汐留ベヒシュタインにて。
フォルテピアノで弾くとこういう音なのか!と論より証拠、百聞は一見にしかず。
曲はその楽器の為につくられたのだと納得させられたコンサートだった。
私が弾いたことがあるラモーも、こんなに繊細な音で弾くことができるんだ!と当たり前にして自分一人痛い発見。
https://ondine-i.net/concerts/4632

らららクラシック 嫌いじゃないぜハノン。
嫌いだったハノンをこんなに楽しんで、愛でて弾く人がいるとは。
開眼である。
リズム練習や調整を変えて弾く練習は子供の頃に練習したが。いろいろ本当に楽しげに工夫して弾かれるのを見て、こちらもその気にさせられ、早速番組終了後に、強弱いれたり、速度を変えたり、ずらして弾いてみたり、今迄しなかった遊びを仕掛けてみた。怖くて近寄らなかったおじさんがふっと笑いかけてくれたような、子供の頃解けなかった難問がすっと解けたような、わだかまりがいつの間にかなくなった気持ちの軽やかさが後に残った。
http://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2019-09-20&ch=31&eid=29463&f=2285

音楽交差点 民族楽器
今日放送(再放送)。インド打楽器 タブラ、日本 胡弓、スウエーデン ニッケルハルパ、ベトナム トルル、ケルト アイリッシュフルート。
聞きなれない音色、音階の楽器もあるが、自分のものにされている方が弾くと、耳慣れない楽器なのに魂が一瞬で惹き込まれる。邂逅の機会を提供する、といえる番組。
https://www.tv-tokyo.co.jp/broad_bstvtokyo/program/detail/201910/23729_201910190800.html

音楽はいいなあ。

2019年9月1日日曜日

八月の終わりに ピアノレッスン プーランク

今週出張もなくなったので、今日は急なお願いをしてピアノのレッスンを先生にお願いした。9月のフランス音楽講座にもっていく曲をみていただくため。練習をはじめたのは昨日なのだが、、、。

プーランク 15の即興曲の6番と8番。フランス音楽講座で他の人が弾くのを何度も聴き、弾きたいと思いながら手を出しかねていた。好きな曲はメロディックな曲と、皮肉の効いたでも技術的には難しそうな曲なので、前者はイージーリスニング、イージプレーと思われるのではないかと思い、後者は難しい割にそう受け取ってもらえないとの勝手想定。だが、弾きたい曲を弾けばいいじゃない!と開き直ることにした(自分に?、誰も気にしていないでしょう)。

プーランクは1899-1963年仏作曲家。現代音楽家といってよい時代に生きた人だが、分かりやすく、調性で作曲をし続け。所謂現代曲の作曲家とも交流し理解を示しつつ、わが道をいく人だったようだ。Wikipediaでは、クロード・ロスタンの評を引用している。「ガキ大将と聖職者が同居している」と。

作曲家に個人的にも興味が湧くが、掘り下げるのは、まずは曲の練習をしてからでしょう。


今日で8月も終わり。夏休みも1日とっただけで終わり。ちょとさびしい気がする・・・が、この災害の多い夏、親族も仕事の同僚も九州に居るので、月が変わりもう災害もさようならと言いたい。


2019年6月15日土曜日

荏原スクエア/スタインウエイ 中野/ベーゼンドルファー

ゴールデンウイーク前からの大きな商談二件が決まらず、心身ともに休まらないままきている。 頭がなかなか仕事モードから音楽に切り替らない。

練習量もとみに少なく、コンクールで一曲目に弾く予定のフォーレの舟歌12番は漸く譜読みが終わった状態。 今月中の暗譜は絶望的。

 こんな状態とは本人も家族も想定しておらず、荏原スクエアのスタインウエイを弾く機会を家族が抽選申し込みしていてくれて、また中野ベーゼンドルファー社のスタジオ借りを例年のように一度だけだが申し込んでおり、まだそんな状態ではないのだが・・・会社帰りに行ってきた。

こんな特別な機会は私には望めない。仕事関係者には時間外とはいえ1時間携帯をオフにすると伝え。 荏原スクエアのホールは初めて弾いたが、響きが美しい。

華やかなスタインウエイの音色が、放物線を描いて放たれていくようだ。スタインウエイも、音も鍵盤も軽すぎず、重すぎず。ピアノ、ホールともども、ピアニストを助けてくれるようだ。 

しかし、はじめ弾いた時は、家で弾いているように、音が閉じていた。

防音室などないので消音で技術的な練習、土日に普通に弾くが流石に窓も閉めて気を使う。響かせることを意識することはなく、上手く(間違いなく・・・私の苦手な)、歌えることを目標に練習する訳で、思いっきり響かせる機会はまずない。冒頭部分と、響かせたい部分だけ取り出して弾いてみる。だが音はポトリと落ちる。時間が勿体ないが、冒頭部分を右手、左手で分けて弾いてみる。それでもポトリ。目を瞑って弾く。尚更ボトリと湿り気を帯びて落ちた気がした。

ポーンッ と放物線を描く第一音が欲しい。腕を使って。響くが音がキツい。指の腹を使って、腕を使って・・・。 

冒頭の部分で響きを確かめていたらそれだけで30分経っていた。慌てて通しで弾いて録音をし、あとで確かめることに。 

次は水の戯れ。美しい音がするに違いないと思って弾いたのに、こちらもマンション練習の音が。フォーレの柔らかな陰影に富んだ音とまた違う、硬質な、煌びやかな音が欲しいのに。

だがこちらは冒頭練習はあきらめて、中間部のフォルテ部分を鳴らす練習をした。

ホールのあの隅まで音が届いて欲しい。左手で、腕を使って、アーチを描いてあの隅へ音が届くように。

結局隅まではまだ届かなかった気がするが、腕の力を抜いて弾けた時、何度か音がホールに響いた。

あの感覚を忘れずにいられるだろうか。 

中野のベーゼンドルファー社のピアノは、初めてベーゼンドルファーを弾いた時の混乱と感動を、毎回思い出させてくれる。美しく豊かな音。これぞ欧州(と括ってしまってはいけないのだが)、墺国の音なのだろう。ドビュッシーの「雨の庭」を初めてベーゼンドルファーで一頁だけ弾き、その美しさに感動した。コンクール本番の場だったが、上手く弾きたいという自意識を忘れさせる程の音の美しさだった。 

ところが、今回、その美しさを感じられなかった。

自分の弾き方がこのピアノを弾く迄になってなかったのだろう。また、仕事から音楽への集中に切り替えも上手くできていなかったこともあるだろう。

ピアノは嘘をつかない。ベーゼンドルファーで弾いたら、あの雨の庭の感動が再び味わえる期待を勝手にしてきた訳だが、思いいれをもって練習し、その瞬間 その音楽のことだけを考えないとピアノは応えてくれない。

ここでも同じように、シンプルなフレーズを何度も美しい音と思えるまで練習した。全くもって技術的には進歩なし。自分が音楽に没頭すること。その大切さを、あらためて教えてもらった(ああ、勿体ない、、、もっともっと違う練習に使えたはずなのに・・・)。 

どのピアノもそれぞれに働きがあり、意義があり、音楽を奏でる素晴らしい楽器だ。だが、今回「非日常」のピアノだからこそ、強制的につきつけられて向き合うことができた課題がある。機会に感謝。

2019年5月5日日曜日

端午 タンゴ TANGO

洒落のつもりで今日UPするのではなく、たまたまなのだが。今日の話題はTANGO。



両親が好きで、父はお風呂で、母は気が向くと、タンゴを歌っていた。昭和時代に日本に入ってきたタンゴの曲、殆ど知っているといえるかもしれない。両親のタンゴ好きに加えて、ピアソラの曲が好きで、ピアノで時々弾くが、いつかはタンゴらしい楽器 ピアソラが弾いたバンドネオンを試してみたいもの。

夢はバンドネオン。でも、悪魔の楽器と言われるほど、ボタンの並びに規則性がなく、学ぶのが難しいらしい。

連休中にはじめて、小松亮太のバンドネオンのコンサートを聴いた。全て良かったが、特にピアソラは良かった。

いつかバンドネオンを弾きたい。これが夢だ。


2019年2月24日日曜日

煌めく日

昨日は「デュオ ポッキーズ」の友人のコンサートだった。汐留メディアアネックスで燦燦と陽が降り注ぐ中、ブルーシフォンドレスで颯爽と演奏。

業種異なり、フランス音楽講座がなければ多分知り合わなかった縁だが、話してみると働く環境の厳しさは同様で、いつの間にか公私に渉って相談してしまうほど。


シフォンドレスが美しかった。彼女のお客様を迎える声も煌めいている。

美しさ。それだけでは人は動かない。しかし情熱があれ人は心を動かされる。

2019年1月26日土曜日

雪 樹氷 水の戯れ ピアノレッスン

今朝は美しい青空だったのに、午後から鉛色の雲が急激に空一杯に広がり不穏な雲行き。夜のニュースでは、熊本の地震と共に各地で豪雨、突然の雪、雹などが列島を覆ったと知った。

母が夏に購って育ててる観葉植物。名前は分からない。家では「もじゃもじゃ」と呼ぶ。我が家に夏に登場したが、私の脳内イメージは「寒中の麦」ならぬ「樹氷」。


先週に続き今週も平日も週末も商売待ちの待機の週。電話がかかってくる可能性もあるが事前に先生にお伝えしレッスン今年2回目。正月休みから漸く本腰入れたラヴェルの「水の戯れ」の譜読みの結果をみていただく。通常速度の2倍遅だが初めて通しで弾いた。さすがに間違いが多く、弾き間違いか、認識間違いか判断できないのか、はじめて右手、左手、分けてゆっくりと部分的に確認していく。

ラヴェルは初めて弾く。初めて弾く曲がこの曲でよいのか・・・という問題はあるが。ドビュッシー、フォーレはそれなりに曲数を弾いてきたので、感覚的に分かる部分があるが、ラヴェルは譜読みもまだ、曲への入り込みもまだ。だが、何となく、たとえば水や自然について、ドビュッシーなら、その自然を自分が感じたままにピアノで弾いて満足したり、これは違うと投げ出したりするのに対し、ラヴェルは水や自分が表現したい対象を、自分の心だか頭の中にある何か(私はスイス製の精密機械やオルゴールをイメージするが)で再生できるよう設計図を描きたかったのではないか・・・と思う。

さて、そんな想像より先に、練習。練習。

2018年12月31日月曜日

ドビュッシー ピアノ曲の秘密

青柳いづみこ氏による対話集。美術評論家の高階秀莞爾氏やダンサーの平山素子氏など、ジャンルを超えて多角的にドビュッシー像を浮き上がらせる企画。DVDで表現について具体的に言葉と音とで理解を深めることができるのも嬉しい。



(本の写真:AMAZONから 青柳いづみこ氏監修 音楽の友社編)

この写真のドビュッシーが好きだ。リラックスして親密な雰囲気な中で音楽を楽しんでいることが伝わってくる。55歳で亡くなった時、彼は何を思ったことだろう。もしかしたら、駆け落ち・再婚で離れていった、若い時の知り合いとの楽興の時も脳裏をよぎったかもしれない。

大晦日の今日。ドビュッシー没後100年の今年も終わり。誰にとっても佳い年越し、新年をお迎え下さい。

2018年12月30日日曜日

愛のピアノ/愛と哀しみと 冬の小さなコンサート/作曲のインスピレーションを辿る

今月は中司麻希子さんのTetra Museeの「愛のピアノ/愛と哀しみと」、そして斉藤真美さんの「冬の小さなコンサート/ドビュッシー没後100年、作曲のインスピレーションを辿る」、二つのコンサートを聴いた。

Tetra Museeは今年で7回目。毎回テーマが変わる。今年は「愛と哀しみと」で昨年の「愛と歓びと」に対をなすもの。中司麻希子さんはグラナドスの「ゴイエスカス 恋するマホたち」を演奏。この曲はよくコンクールで聴いていたが、彼女の演奏は全く異なり、違う曲かと思ったほど。グラナドス=スペイン=熱情、激情 といった図式で弾く人が多いように思っていたが、彼女の透徹した音色が陰影を印象的に浮かび上がらせていた。「ゴイエスカス(ゴヤ風の)」は、ゴヤの絵に描かれるマハ(粋な男)とマハ(粋な女)の恋愛模様を表した曲。グラナドスはこの曲をオペラ化し、その初演で訪れたNYからの帰途、1916年3月24日にドイツの潜航艇による攻撃により沈没し亡くなった。

その二年後の2018年3月25日にドビュッシーが55歳で世を去った。斉藤真美さんは彼が作曲のインスピレーションを何から得ていたか、影響を与えた作曲家、詩、絵を紹介しながらのドビュッシーのコンサート。音楽も知ることで楽しみ方が増える。クラシック音楽もこのように聴かせる一方から、聴衆の好奇心を刺激する企画がもっと増えてもいいと思う。「冬の小さなコンサート」は今回で二回目。続きを期待している。