2020年2月29日土曜日

閏日 柊 水の戯れ 練習再開

2月最終日。閏日。連日コロナ関係がニュースが大半を占めたまま2月が去る。

今日はピアノレッスン。3月は政府方針に則り?急遽休校とのこと。また、3月下旬にミニコンサートにジョインする予定もキャンセル。キャリア・カウンセリングの試験とピアノと両方はきついなと思っていたところで身体はほっとしているが、気持ち的にはピアソラの連弾を楽しみにしていたのでがっかり。

レッスンでは、今年またコンクールで弾こうと思っている、ラヴェルの水の戯れを3月中に練習再開することとし、休校の間の練習方針を相談した。ただ何も考えずに練習再開してしまうと、指が上手くまわることにのみ主眼がいってしまい、曲に馴れ合ってしまうのが怖い。昨年は、指定テンポよりもかなり遅かったこと、音が不揃いな部分がありラヴェルらしい機械仕掛けのような均質さを求める人には期待外れ感を抱かせてあろうこと。ここは最低限一段あげたい。

次の目標は、タッチを多彩に聴かせられたら。特に硬質さ。全体的には軽くて硬質。時にキラキラ。ドーン。パラパラ。もーん。シャラン。チャリン。ガーン。

そしてペダル。嗚呼、ペダル。せめてハーフペダル位は使えないと。音が多いの濁らないように。そして、ほんの時たま、わざと混ぜてみせられたら。これが濁るべきでないところで濁って制御できていないと、意図してやっていることを分かっていただけず、ああ、またこの人やってるよ、ペダル下手だな、でオ・ワ・リ。

最後は勿論曲想だが、練習再開の今はまず一番目の目標かな。先生と相談しながら、結構プロジェクトマネージングだと思った。仕上がりの目標と時期を定め、それまでのステップを方法とスケジューリングをしていく。なんと、一曲も弾くことなく、練習の仕方を打ち合わせするだけで1時間たっぷり終わってしまった。楽しかった。


マンション前に咲いていた柊。真ん中に綺麗な黄色い花が咲いているのが見えますか?もうこの「冬の木」をブログにのせるのは冬までないでしょうから2月最終日にギリギリ アップします。2月初旬の節分の日には、「邪気を払う」として鰯を刺して飾ったりしているところもあったでしょう。邪気を払い続けてくれますように。

2020年2月28日金曜日

不要不急の

そう。不要不急の出張は、外出は、原則避けましょう。会社方針がおりてきた。とはいえ、不要不急の出張など、これだけ世知辛く(時間にも費用にも)いまどきしていないのでは?。あとで(世間様に、或いは上層部に)言われても大丈夫なように各自理論武装しておいてねとでも翻訳される文言だろうか。

勿論、以前はこういうことを書いていた身、いろいろなケースを想定し、漏れなく、そつなく、隙なく、でも勝手に動けるだけのシロは残しつつという苦心の産物の文章であることは重々承知しているのだが。

必要で急ぎの案件なので、いろいろ手続きを踏んで、結局今日も出張。

ちくっと言いたくもなる。毎日、あれだけ満員の電車に押しつぶされ、接触という言葉では語りつくせない圧着に耐え、大勢の人々行き交いう交通の要衝を通っていることを考えたら、人の少ない地域の出張の方が、よほど人との接触も少なく済む。

いろいろな人がいろいろ言うが、結局は自分で自分を守るしかない、ということを覚悟する。平和ぼけ状態からモード切替えて、各自臨戦態勢をとれ、ということなのだろう。


こんなご時勢でも、花は美しい。
いきいきとした黄色は陽のように気持ちを照らしてくれる。

あえかなる薔薇選りをれば春の雷

石田波郷

2020年2月23日日曜日

クランボルツ 計画された偶発性

キャリア・カウンセリングの理論家として学んだ。20世紀末に発表した理論だから、理論として今きいてもストンと腑に落ちる。

「計画された偶発性」と聞いても、よくわからないかもしれないが、言葉にしてみると、「偶然に起こる予期せぬ出来事によってキャリアはつくられる」と言われれば、まっそれもそうかも、と思える。

クランボルツは、「だから」と言う。「さまざまな出来事を上手く活用できるようになろうよ」と。

そのためには、5つのことができるといいよね。

好奇心 Curiosity
持続すること Persistence
柔軟でいること Flexibility
楽観的に考える Optimism
リスクをとること Risk-Taking

聞くと全部当たり前なのだが、本当に実行しようとすると難しい。

宮沢賢治流に言えば「そういう人に私もなりたい」だ。


我が家では、好奇心旺盛なピーターラビットが散歩中。

2020年2月22日土曜日

木春菊

3連休。何も予定のない週末。それだけで緩んでしまい、今日は買い物に行っただけであとはひたすら眠った。

新型コロナウイルスのニュースが連日焦点となっている。一ヶ月前の旧正月直前、ここまでのことになっていると予想していた人はあまり多くないだろう。危ないと感じて休みに入る直前に中国の需要家に状況をきいたが、春節に気をとられている方が多く、あまり反応もなく休みに突入。明けてみれば、様変わりで、需要家の工場も出勤停止状態。それだけではない。中国の需要家の来日に加え、欧米印の客も来日キャンセル、当方の出張も見合わせで、商談の殆どは電話またはWeb会議。予定の再調整に追われた。

加えて。決算発表もあった。会社の方針が大きく変わり、客への説明に奔走した。為替も円安に大きく動いた。私が担当する輸出は為替予約をとったりしながら急ぎ積極策に舵をきる。ジェットコースターのような一ヶ月だった。

春一番の吹いた今日。寒さ緩み、なま暖かくも激しい風が吹きすさぶ。やさしい春ではなく、キツイ春になるのかもしれない。

妹のもってきてくれた白い花。これをみると多くの人が春の訪れを感じることだろう。
和名は「木春菊」。

Marguerite 「真珠」を意味するギリシア語の「Margarites」に因む。ここまで書くとマーガレットと分かるだろう。どの花も陽のさす窓の方を精一杯むいている。


2020年2月17日月曜日

4S シュロスバーグ

学科の勉強会は、終日で大変だったが、全体の流れを復習する良い機会だった。やはり自習では、家事や眠気や仕事が気になって、到底一日9時間も集中して勉強はできない。

理論の勉強は、各理論家の本を読んでいるわけでもなく、昔数学で公式を無理やり覚えたようなものなので、カタカナの人の名前と理論を結び付けて暗記していくのは結構難しい。その中で、以前「転機」で書いたシュロスバーグ、自分の転機を思い浮かべながら読んだので、結構興味が湧いている。

前回記した「転機」。対応するプロセスも記している。(1)4Sについて検討する (2)行動に移す。

4Sとは、Situation(状況) Self(自己) Support(支援) Strategies(戦略)。

例えば、前の例であれば。転職のお誘いを受けた。今自分は転機にあると気がついた。

Situation(状況):予測できた?突然だった?どううけとめている?好機と思うか打撃?
例えば、突然でどううけとめていいか迷っている。認めてくれた気がして嬉しいが、今の仕事と天秤にかけてどうなのか整理できていない等。

Self(自己):仕事の重要性、生活全体の中でのバランスは?自信はある?意義を感じる?
これもまた定義の仕方で変わると思え決めかねている。仕事の対象は変わるが転職先の仕事も営業なので広く見れば同じだからできるかもしれないと思っている等。

Support(支援):家族、友人、先輩、後輩などからサポート受けられるか?アドヴァイスもらえるか?欲しい情報は?どうやったら得られるか?
この例であれば、家族や友人にアドヴァイス求めてみる?転職先の会社情報、業界情報をとってみられる?

Strategies(戦略):状況を変える対応、問題の意味を変える、ストレス解消法。
例えば、転職誘ってくれた人にまた会って質問をする、その会社の他の人にあってみる、転職活動もしてみて自分の市場価値を探ってみる、或いは転職に心動かされた自分の内面に目を向けて現職に居ながらステップアップのトレーニングを受けて挑戦してみる、ストレス解消に昔からやってみたかったドラムの教室にいってみる等。

今日からでも使えそうな、心のツール。引き出しが一つ増えたかも。


以前はスイートピーは紙のようで好きではなかったが、春めいた色に誘われて買ってみると、華やいで、葉の緑の躍動感をひきたててくれた。

2020年2月15日土曜日

木瓜

何も彼も忘却にあり木瓜の花
飯岡良一


昨晩、今日とキャリア・カウンセリングの勉強会。

勉強しても覚えられない理論、練習してないからなお身につかないカウンセリング・スキル。自分の「惚(ぼ)け」ぶりに空を仰ぎ見て嘆くしかない。

写真の方は、そちらのボケではなく、「木瓜」。愛らしく、この句に引き合うのは違うとわかっているのだが。また、この句は本来の意味は厳しいものだと思うのだが。ただ、今の自分の心境はこの句がとても近しく感じられ、思わず引用。

今の季節によく見るが、子供の頃は梅と勘違いしていた。netでしらべてみると、薔薇科。学名はChaenomeles(ボケ属、chaino裂ける+melonリンゴ)speciosa美しい。分かるような分からないような。

漢字の「木瓜」は実が瓜に似ているからということで分かりやすいが。

花言葉。こちらも結構いろいろかけ離れている、一目ぼれ、熱情、早熟、平凡、退屈、指導者、妖精の輝き・・・。「指導者」が織田信長の家紋からきている、というのは一致しているがあとはよくわからない。

話はそれるが。伊集院さんが病気療養で、日経の朝の小説「ミチクサ先生」が中断となる。ご回復を祈る。夏目漱石と正岡子規の交流が楽しみで、久しぶりに連載小説を楽しみにしていたのだが残念だ。この二人も実は木瓜について語っている。

初旅や 木瓜もうれしき 物の数
正岡子規

夏目漱石は「草枕」に木瓜を描いている。
「木瓜は面白い花である。枝は頑固で、かつて曲がった事がない。そんなら真直かと云うと、けっして真直でもない。ただ真直な短い枝に、真直な短い枝が、ある角度で衝突して、斜に構えつつ全体が出来上がっている。そこへ、紅だか白だか要領を得ぬ花が安閑と咲く。やわらかい葉さえちらちら着ける。評して見ると木瓜は花のうちで、愚かにして悟ったものであろう。世間には拙を守ると云う人がある。この人が来世に生れ変わるときっと木瓜になる。余も木瓜になりたい。」

この花は、どこにでもある、(だから見ると)ほっとする、という図式で語られることの多いのに夏目漱石は「面白い」「頑固」「曲がったことがない」が「真直な訳でもない」「斜に構え」という形から「拙を守る」と表現している。見方が違う、そしてそれを文章にできる技術も違う、と文豪の才に納得。

2020年2月10日月曜日

紫羅欄花

先週末は北海道は-36度だったという。岐阜・名古屋も今日は初雪と。立春も過ぎたのに。

ふと脳裏に映ったのは先週妹がもってきてくれた花。雪のように見える。

冬から春に咲く花。和名は紫羅欄花(アラセイトウ)。蕾などの繊毛から「羅沙」転じてきたという。また英語名は「茎」からストックと。


いかにも父が好みそうな柔らかな花びら、仄かに薄桃色だ。

沖波に暾(ひ)のあたりたる紫羅欄花(あらせいとう)
斉藤すみれ

2020年2月9日日曜日

枯葉

今日は月次のフランス音楽講座。プーランクの即興曲15番「エディット・ピアフを讃えて」をもっていった。

シャンソン「枯葉」を想起させるメインテーマが何度も繰り返される。これを飽きさせずにきかせられることと、ペダルを濁らせずに楽譜どおりにバスをのばすことが、自分自身の課題。先生に指摘されたこともやはりペダル、そして内声をハーフタッチにしてメロディと弾き分けることだった。


ああ私はあなたを忘れはしない
私たちが友人でいた幸せな日々を
あの頃、今日よりも人生は美しく
そして、太陽は明るかった
枯葉がシャベルに集められる
あなたは私が忘れていないことを知っている
枯葉がシャベルに集められる
想い出と公開とともに
そして、北風がそれらを運び去る
忘却の冷たい夜へ
あなたは私が忘れていないことを知っている
あなたが私に歌ってくれた歌を
「枯葉 フランス語 意訳 magictrain.bizさんのHPより」

シャンソンは詩の語りから入る場合もあるが、プーランクはこの人らしくカプリッチョで。それもとても早いテンポでいきなりはいっていく。語りから入るのではなく、即興的に、ふと手が動いて枯葉らしいメロディーから入ってしまったように聴こえる。始めは拍どおり8分の9で。それが8分の6になったり。ふらふらしながら第一の流れを終えると、そこから「かれはよー」とアーフタクトから入って「よー」に気持ちを込めてのばすお馴染みのメロディーのパターンとなる。でもここでこぶしをきかせてしまっては、演歌になってしまう。いやいやプーランクだ。「よー」と気持ちを込めた音を響かせながら、すぐにTempo subitoでするりと湿っぽさをすり抜けて鼻歌のような何気なさで運んでいく。

この按配が難しい。この速さでは本当は私の技術では弾けないが、無理やりテンポを指示に近づけて練習をし、歌うときは落として、それでどうにかじめじめ感は免れた。ペダルはまだまだ。ペダルよー と詠嘆するばかり。

2020年2月2日日曜日

カウンセリング実技勉強会

この週末含め、2月は毎週、キャリアコンサルティングの勉強会。週1に絞ったものの、学科と違ってカウンセリングの実技は相手がいないと出来ないし、日常業務では使ってないし、仕事上の会話や時間軸とかけ離れているので、練習するしかこれまで積み上げてきた自分から離れられない。

今日のロールプレイもきつかった。9:30から18:30。


改善しようと思うと、そういう自意識に縛られ言葉がでなくなる。気にかけないようにすると、井戸端会議の会話になってしまう。職業としてのカウンセリングは、当たり前だが、人を相手にするだけ無限に選択肢があり、難しい・・・。

2020年2月1日土曜日

プーランク ピアフ すずめ

プーランクとピアフの接点は直接にはないという。それもそうだろう、製薬会社を営む富裕層の生まれでクラシック音楽の作曲家であるプーランクと、ピアフ。音楽、がなかったら直接どころか、間接的な接点もなかったろう。

ピアフ(パリジャンの俗語で「雀」/Wikipedia)のニックネームで知られる彼女は、身長147cmの小柄で、ドイツ軍に処刑された看護婦イーディス(Edith)に因んで名づけられた少女。母はイタリア系のシンガー、父はアルジェリア系の大道芸人。働く若い二人の変わりに世話をしたのは父方で売春宿を営む祖母。独り立ちしたのは16歳で、そのときには恋人の子供を身ごもるが、子供は二歳で小児性髄膜炎で逝去。

プーランクの「エディット・ピアフを讃えて」の即興曲は1932年に作曲されている。ピアフがナイトクラブのオーナーに見出されて歌うようになるのは1935年だから、その前のどこか酒場かどこか流していたピアフの唄をきいたのだろうか。

1932年に作曲されたこの曲、この年はナチス党がドイツで大勝した年だという。プーランクは、即興的に弾いたこの曲、どこまでピアフを意識し、その意識は彼女の何から想起したのだろう・・・。

ピアフの大恋愛はプロボクサーのセルダンとのものだが、セルダンは1949年に飛行機事故死。彼女が「早く会いたい」と言ったことで当初予定の船から飛行機に切り替えて、そして事故に遭った。

プーランクのこの曲が作曲されたのは1932年だったが、なんだかその後のピアフの苦しみを予見しているように思えてしまう。

この曲の「枯葉」の冒頭のイメージ、中間の一瞬の幸せな長調のフレーズ、最後に短調から宗教音楽の赦しのようなフレーズのあとに絡みつく不安定な左手の音の流れと、不意に聞こえる短調の和音。

但し。それを踏まえたうえで、ピアフが、プーランクが、この曲を「悲愴」「演歌のこぶし」で弾いて欲しかったかは別だと思う。二人とも、ふっと息を吐きながら斜めを見て、自分の素の感情を別の表現に置き換えたような気がする。


実際のピアフを聴く機会はなかった。
想像の中の彼女は、スカーレット。だが、多分、人によっていろいろな思いを持って欲しかったのだろう。