2018年12月31日月曜日

ドビュッシー ピアノ曲の秘密

青柳いづみこ氏による対話集。美術評論家の高階秀莞爾氏やダンサーの平山素子氏など、ジャンルを超えて多角的にドビュッシー像を浮き上がらせる企画。DVDで表現について具体的に言葉と音とで理解を深めることができるのも嬉しい。



(本の写真:AMAZONから 青柳いづみこ氏監修 音楽の友社編)

この写真のドビュッシーが好きだ。リラックスして親密な雰囲気な中で音楽を楽しんでいることが伝わってくる。55歳で亡くなった時、彼は何を思ったことだろう。もしかしたら、駆け落ち・再婚で離れていった、若い時の知り合いとの楽興の時も脳裏をよぎったかもしれない。

大晦日の今日。ドビュッシー没後100年の今年も終わり。誰にとっても佳い年越し、新年をお迎え下さい。

2018年12月30日日曜日

愛のピアノ/愛と哀しみと 冬の小さなコンサート/作曲のインスピレーションを辿る

今月は中司麻希子さんのTetra Museeの「愛のピアノ/愛と哀しみと」、そして斉藤真美さんの「冬の小さなコンサート/ドビュッシー没後100年、作曲のインスピレーションを辿る」、二つのコンサートを聴いた。

Tetra Museeは今年で7回目。毎回テーマが変わる。今年は「愛と哀しみと」で昨年の「愛と歓びと」に対をなすもの。中司麻希子さんはグラナドスの「ゴイエスカス 恋するマホたち」を演奏。この曲はよくコンクールで聴いていたが、彼女の演奏は全く異なり、違う曲かと思ったほど。グラナドス=スペイン=熱情、激情 といった図式で弾く人が多いように思っていたが、彼女の透徹した音色が陰影を印象的に浮かび上がらせていた。「ゴイエスカス(ゴヤ風の)」は、ゴヤの絵に描かれるマハ(粋な男)とマハ(粋な女)の恋愛模様を表した曲。グラナドスはこの曲をオペラ化し、その初演で訪れたNYからの帰途、1916年3月24日にドイツの潜航艇による攻撃により沈没し亡くなった。

その二年後の2018年3月25日にドビュッシーが55歳で世を去った。斉藤真美さんは彼が作曲のインスピレーションを何から得ていたか、影響を与えた作曲家、詩、絵を紹介しながらのドビュッシーのコンサート。音楽も知ることで楽しみ方が増える。クラシック音楽もこのように聴かせる一方から、聴衆の好奇心を刺激する企画がもっと増えてもいいと思う。「冬の小さなコンサート」は今回で二回目。続きを期待している。




2018年12月29日土曜日

ドビュッシーを知っていますか 没後100年の音楽会

この12月、デュオ・ポッキーズの友人が標題のコンサートを企画。フランス音楽講座の仲間四人での演奏会実現となった。

タイトルの「ドビュッシーを知っていますか?」という問いかけ、曲目のないちらし、でミステリーツアー仕立て。Chez Claude(クロードの家という意、クロード・ドビュッシーの為にあるような名前?)という森下駅から程近い、木の温かみを感じるスタジオでサロン形式に。

前からやりたいねと言っていた、作曲家や曲に関するお話や思いを語って音楽も聴いてもらうことにした。暗譜するのでやっとなのに、語る言葉も紡ぎだすのは思っていたより難しく泥縄で用意した。しかし知っていたつもりのドビュッシーのほかの面を紹介することで、知る楽しみがもし感じていただけたなら嬉しい。

ちらしに印された模様は「金色の魚」。最後の曲目の「映像」の中の「金色の魚」から想を得て友人が彫刻し押印したもの。水面から飛び上がって落ちる直前に金色に光る躍動感とドビュッシーの東洋趣味が表現されている。寒い中、家族、友人に来ていただき、今年一番幸せな一日だった。

2018年12月24日月曜日

師走のサンタ

毎年この時期になると父の写真でカレンダーをつくる。写真が唯一の趣味だった父へのプレゼントでつくりはじめた。今は見せられる訳ではないのだが、見ていてくれていると思いたいのは残されたも者の自己満足なのだろう。

子供の頃、父が必ずクリスマスと誕生日に買ってきてくれて、その度に歓声をあげてたべたTOPSのチョコレートケーキ。今日家族でいただいた。思い出の「はれのひ」のケーキも年々現代風に甘さ控えめに、大人の味になってきたように思う。


この木彫りのサンタのように、父は毎年クリスマスにはケーキと家族それぞれにプレゼントをもって意気揚々と帰って来た。きっと師走の忙しい仕事の合間を縫って、走り回って買ってきてくれていたのだろう。この時期、わくわくとした気持ちを思い出す。

2018年12月9日日曜日

ドビュッシー 小組曲 

この1週間は泥縄の週、というか、凄く贅沢な週だった。来週のコンサートに向け、友人のヴィオラ奏者の先生、私のピアノの先生、そして今日はフランス音楽講座でも聴いていただき、コメントいただいた。

このドビュッシーの小組曲は1888-1889年に作曲された。彼がまだ20歳台半ば。小舟にて、行列、メヌエット、バレエと4曲からなるが10分程度と短い。前半二曲はポール・ヴェルレーヌの「艶やかなる宴」詩集に因んでいる。初々しいメロティー、元気の良いリズムや優美で艶やかな詩を想起させるフレーズなど、くるくる変わる舞台を見ている気がする。


フィラデルフィアのアンティーク店で惹かれて、つい求めてしまった壁飾りと共に。

2018年12月2日日曜日

ゴリウォーグのケークウォーク

どの作曲家と友達になりたい?恋人は誰?と話し合ったことがあった。学生時代。その時ドビュッシーを良く知らず、話した思い出がない。だが最近友人と話して一致したのは、「友達にも恋人にもしたくないけれど、どうしても気になる存在。フォロワーに絶対なる。」

憧れと好奇心が一杯あって、なりたい自分を目指して。そしていつもある程度は手にいれる。けれど、本当に欲しいものは憧れて手を伸ばした先にある、それが分かってしまう鋭い意識がある、そんな人に思える。天才の焦燥感は凡人の自分には遠いものだが、一個人として、彼の憧れに向かってあがく姿は共感できる。

1908年の作曲。46歳、亡くなる10年前の作品。当時流行り始めてきたジャズ音楽。新しい、異国の、自分の琴線に響くものは全て貪欲に取り込んだドビュッシー。シンコペーションのリズムを強調し始まるゴリウォーグ(キャラクター)のケークウォーク(その頃流行った黒人音楽で二拍子)を創った。娘のシュシュに捧げた「Children's Corner」のアルバムの一曲だ。

好奇心から行ったことのある国、ない国、きいたことのある曲、ないフレーズ、総動員して、想像の世界を駆け巡って、愛娘にその経験を御伽噺に聞かせたのだろう。


今月のコンサートに弾く曲。練習が楽しい。リズムを厳格に。でも次ははねたりとんでみたり自由に弾いてみたり。きっと娘に聞かせた時には、ほら、これはどう?と娘に目顔で問いかけながら弾いていたのではないだろうか・・・。

2018年12月1日土曜日

千日紅

今日から師走。今年は前半骨折で動けなかった分、秋以降、いろいろな人と会う機会が増えて、慌しいが嬉しい。

一年草で、色も長続きするので、百日紅(さるすべり)を抜き去り「千日紅」と言われる。ドライフラワーとして目にする機会も多いのでは。花言葉は色褪せぬ、不朽。


師走になった途端に時間や新年までの残日数を意識するようになり、毎年のように焦燥感に駆られる。千日 紅いという名前にあやかり、悠然と年を越したいもの。