2018年9月9日日曜日

ラモー やさしい訴え フレンチ・バロック

先週の台風及び北海道地震の被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。同僚も職場もいろいろあり、客対応にも追われた週だった。

ラヴェルの「水の戯れ」の譜読みをしている。ソロ曲としては初めて弾くので音の想定が難しいことと共に左手と右手がよく交差し弾きにくい。彼はクープランへのオマージュを作曲していることから見てもクラヴサン曲の技巧を使っているのだろう。

幼い頃バッハのインヴェンションはよく弾いたが平均律は殆ど練習していなかった引け目があり、コンクールが終わったあとはフレンチ・バロックの小曲をフランス音楽講座にもっていくようにしている。というのは後付の論理で、青柳いずみこ氏のCD「やさしい訴え」を聴いて、その繊細で美しい演奏に魅了されたことが本当のきっかけ。


講座にもっていく曲をラモーにしようと思い2-3曲練習してみる。そうそう。この両手の交差。絡みあう指の間からの打鍵。私が弾くと、聴いている人には単によっぱらいの千鳥足にしか聞こえないだろうが、実はピクラヴサンとピアノの構造の違いからピアノで弾こうとすると弾きにくい。ラヴェルの「水の戯れ」にもこの技巧は使われている。

ところでこのラモー。バッハと同時代だ。ラモーは1683-1764年、バッハは1685-1750年。あの時代に81歳まで生きられたのだから長寿である。とはいえその音楽活動は大器晩成型。父はオルガニスト。11人兄弟の7番目に生まれる。子供時代は落ち着きがなかった?ようでクラスで歌を歌って邪魔をしたりもしたという。後に「オペラへの情熱はこの時からのもの」と言っていたらしい/Rameau by Wikipedia。読み書きより先に音楽の勉強をはじめたが一時は法学を志す。音楽の道に舵を切り替えイタリア留学するが短期間で帰国してしまう。ここまでの経歴は結構現代の私達でも心の動きや葛藤が想像できる気がする。音楽理論家、作曲家として活動はじめ、名声を得るのは40代から。亡くなる直前まで作曲活動を続けた。フレンチ・バロックの最後の隆盛の時を生きた訳だが、彼の死後 1789年にフランス革命が起こり貴族の文化は終焉する。


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