2020年1月31日金曜日

移行 トランジション ブリッジス

今週は通勤時間+αで学科試験用の本を一冊読んでしまおうと思っていたが、数十頁しか進まず。夜読めば数行で眠りに落ちてしまう・・・。

テキストにあるように学派別、年代別、ではなく。今回もあちらこちら、こちとらの興味の湧いたところで寄り道といったキャリアコンサルティング理論 御紹介の「つづき」。

ブリッジスの「トランジション(移行)」。これまた、さらっと読むと、さらっと読めて、当たり前じゃない、で終わって頭に残らないこと甚だしい(私だけかも)。こういう勉強の仕方、本当はダメなのだが、つい試験対策で過去問だけでもやろうというお粗末な状態の為、こういうさらっ さらっという悪いパターンです。

ブリッジズは、トランジションは古い状況から抜け出し、過渡期の混乱を経験し、そこから新しい状況へふたたび前進し始めるプロセスであると考え、終焉、中立圏、開始 という3つの様相を示す、との解説。(一日一問キャリコンドリル p.26)

これが理論?と思われるかもしれない。しかも、まじめに考えてみると、私達は何事も、始まり、途中、終わり、というプロセスでとらえていませんか?音楽だってそう。仕事だってそうだし、番組だって、映画だって、そう。それなのにこの「理論」は順番が逆なことを言っている。

だが。

前回記載の「転機」もそうだが、「転機」を「転機」と認識できるには、何かが終わって喪失感や達成感があって。喪失感を埋めるために何かを欲し。或いは達成感を経て次へチャレンジする意欲が生まれて、初めて「転機」と感じとれるのではないか。

「終わり」は実は感じるのは難しいのでは?

音楽の曲や番組、映画、であれば、形式的に始まりと終わりも分かる。

だが、明確な形式上の終わりがなく、日々連続している生活の中では、何かが終わっていても意外と気付いていない。終わりに向かっていることは更に意識を集中していないと感じとれないことが多いのでは?

「トランジション」は、だから、(終わりが)始まっていることに気付かない人が多く(自分も)、そういう時期にあると理解するだけで自分の立ち位置を客観的に眺めることができるのかもしれない。となると、話のはじめのように、クライアントがそういう時期にいるのから悩んでいるのだろうかと考えてみる視点をこの理論は提供してくれているのだろう。

これはキャリアコンサルティング理論だが、人付き合いに置き換えると、結構怖い理論だが・・・。


我が家のユーカリ。本物と、壁に映った影と。どちらが本物で、どちらが影か。どちらがはじまりで、どちらか終わりか。世の中には考え方次第でいろいろな捉え方があるのだなあ、とあらためて世界が広がる感。

2020年1月27日月曜日

転機 シュロスバーグ 

キャリア理論を復習している。その一つに、シュロスバーグの「転機」がある。

理論自体はそれだけをきくと、「それはそうだ、分かっているよ」と思うことが多く、ないがしろにしてしまうことが、自分自身は多かったが、その枠組みを一つの「定規」のように使えると、コンサルタントの道具として助けになることが自分なりにわかってきた。

このシュロスバーグの理論もそう。トランジション(転機)とは、「ある年齢になると誰でも経験すること」ではなく、「その人の人生のさまざまな時期に発生する固有のできごと」・・・人生はトランジションの連続から成り立ち、人のキャリアは、それを乗り越えるプロセスを経て形成されていくとしています。(GCDF Text1 p.173)

その人がある出来事を「転機」と考えることによってはじめて、転機はその人にとって本当の「転機」となる。

逆に言えば、そう感じるセンスがなければ、或いは余裕がなくてスルーしてしまえば、そう認識=つかまえられない。

また、この転機は「予測していた転機」「予測していなかった転機」「期待していたものが起こらなかった転機」の3つのタイプがあるという。

たとえば(私の想定)
転職の誘いをソフトな表現でもらった(凄い!良かったね!?)。

それを社交辞令と思って聞き逃していたら、その人にとってそもそも「転機」ではない。

私にはそういう話がきてしかるべきでしょ、と思って待っている人には「予測していた転機」。さて、どう答えましょう、となる。

そんなこと考えずに現職を一生懸命にやっていた人だったら、或いは適当にやっていたから声かからんだろうと思っていた人だったら、「予測していなかった転機」。

ここまで頑張っているのだから「あなたが」と言われると思っていたのに、なんらかの理由で声がかからなかったとか、、、なら「期待していなかったものが起こらなかった転機」。でしょうか。これってそもそも転機?しょっちゅうあるような・・・。

理論自体は、すぐ忘れてしまって覚えるのが難しいのだが、こう考えて行くと腑におちて、自分自身心に痛く刺さるものもある。



先日のダリアのドライ版。

生け花の時とはまた美しさがある。

理論も、知見や検査から抽出して、発表されるわけだが、それがカウンセリングに有効化されるには何年も何年も使われて納得されていくのだろう。時を経て、確かめられて、役にたつもの・・・。

2020年1月25日土曜日

エディット・ピアフを讃えて

2月のフランス音楽講座に何をもっていこうか悩み(といっても短い曲しか検討対象に入っていないので、とりあえず楽譜をもっている15の即興曲から)、15曲目の「エディット・ピアフを讃えて」にした。

プーランクを初めて聴いたのもこの曲で、YOUTUBE見ても多分この人の中で一番多く出されているであろう有名曲で、イージーリスニングのように耳に心地よい。これはクラシック曲のレッスンとしては、ハードルが高いことを意味する。皆が知っていて(間違えたらすぐわかる)、耳に心地よい(技術的に難曲ではなく聴こえる)。しかもこの耳に馴染むフレーズが何度も何度も繰り返される(淡々と弾くとあきられる)。

だが、前回の講座で指摘されたペダル(ミドルペダルを使ったら)の練習と、メロディーを唄うという命題をかざして(自分に対して)、この曲を弾くことにした(結局、好きな曲を弾きたかっただけ)。

今日は今年初のピアノレッスン。甘くならないように、楽譜指定の速度に近づけて弾きたい、という思いも空しく。

一見の譜面とは異なり、この曲は譜読みすると。バスは(距離を)跳ぶし、繰り返しが多いと思っていたフレーズも一つ一つ微妙に違って読みわけなければいけないし、ベースを譜面どおり音をのばそうと思えば音が濁るわ、散々だ。先生は受容に満ちた表情で、「どこが難しいですか?」と質問。こちらは縷々言い募るも、全く慌てず、ベーシックな確認に。メロディーとバスだけ弾いて流れを確認してテンポを決める。次に内声も加えてハーモニーの移り変わりをききニュアンスの変化を聞き取っていく。自分一人でもやってみたのに、先生と意見をやりとりしながら辿って行くと、自分一人の時よりも更に色鮮やかに曲が彩色されていくように思える。


ピアフについてはまた別の機会に。

フリージアがあうイメージではないが、今日の我が家の花は、春を待てずに高いのに母が買ってきたフリージア。分かる。その気持ち。この香りをかげば。春が。

2020年1月19日日曜日

大寒 文字どおり

明日は大寒。1年で最も寒い時。小寒から立春までの30日間の寒の内の真ん中。

昨日は雪が降るかもと言われ、雨が寒かった。ついでに私も心身共に寒かった。

昨日はキャリア・コンサルティングの協会の試験。国家資格試験は3月だから、この試験をどう考えるかはその人次第なのであるが、朝九時過ぎから100分の学科。昼は50分の論述試験。夜は30分弱の面接と口頭試問。勉強していなかった自分が悪いのだが、俄か勉強との諦めや割り切りでは整理しきれない悔しさが面接試験にはあった。初めは普通だったのに、上手く掘り下げられず堂々巡りを自覚し、最後はあがってしまい、おしまい。


同じ散るにも、こんなに美しく散れればよかったのだが・・・。

2020年1月13日月曜日

奏でられる物語

この週末は盛り沢山。土曜日はコンサート、日曜日はフランス音楽講座、今日は妹夫婦来たりて団欒の時。

コンサートは青柳いづみこ氏の「演奏活動40周年記念企画・昼の部」。「軽妙な表現の中に人の一生を描いたクープラン、旅のイメージを鮮やかに蘇らせたイベース、レニエの一説をエピグラフに記したラヴェル。それぞれの物語を通して40年の演奏生活をふりかえる。」との辞。企画の妙に更に期待を募らせる。

フルコンサート用のピアノでバロック音楽を弾くのはかなり肉体的にもハードで、技術的にはコントロールも難しく、時代考証の知見高いだけに心理的なハードルも高く感じられるだろうに、音色の美しさ、多彩さに、あっという間にき聴衆としては、プログラムが終わってしまった。

物語の趣向としては、クープランの「フランスのフォリアまたはドミノ」は「女の一生」をフォリア(舞踏会用のマント)の色とタイトルで語る面白さ、残酷さが胸に刻まれる。一方で、ラモーの曲はリュートのような音色。目を瞑るとタイムスリップし、時に森の中の青臭さや、時に城中の熱気など、とりまく空気が顔に触れていくのを感じた。その場で、同じ空気や香りをに身を置いているような気にさせられた。

ハードな昼のプログラムを終え、夜の部があるにもかかわらず、アンコールの曲が連想ゲームのように、即興のように紡がれていくのには感嘆。友人に聞けば夜の部は同じか、更にパワーアップだったというのだから、「物語」は人間の域を脱してしまって神がかりだったではないか。

https://www.asahi-hall.jp/hamarikyu/event/2020/01/event1533.html

薄っぺらい言葉で言い表すことはできないほどの切磋琢磨をされてきて、大輪の花を咲かせ続けることができるのだろう。



2020年1月10日金曜日

寒四郎

インフルエンザ流行、中国への渡航注意(流行病)、同様に中東への渡航注意(安全)など、年初から社内でも安全に関して日々アラームが鳴る。

寒暖の差が激しい。今年は1月6日が小寒。大寒だっけ?とうろ覚えを正すために調べたら「小」の方。ここから節句までが「寒の内」。そして小寒の4日目の今日は「寒四郎」だそうだ。麦の収穫を占う日だそうで、晴れれば豊作、雨や雪だと凶作だというので、今日は豊作なのだろう。


冬ながら 空より花の 散りくるは 雲のあなたは 春にやあるらむ 清原深養父

今日は雪降る日ではなかったが、白い小花が眩しく、雲のあなたは春?と思ってしまった。

2020年1月5日日曜日

冬休みの最終日

休みの最後の日は多くの人がそうだろうが、一抹の寂しさであったり、酷い時は憂鬱な気分になったりするだろう。今年は有難いことに9連休だったので、当初予定していたほどに勉強はできなかったが、心身共に休むことはできた。

キャリア・カウンセリングは資料の整理だけで終わってしまい、授業で書いたノートをみると、その時学んだ理論よりも、自分自身が気がついたことの方がまざまざと思い出されてきてしまい、なかなか試験勉強準備までいきつかない。

復習のために、自分自身しらなかった、キャリア・カウンセリングの短い歴史を振り返ってみる。

私がフランス音楽講座で親しんできたフォーレ、ドビュッシーといった人達が19世紀終わりから20世紀初頭の作曲家であることと照らし合わせると、このキャリア・カウンセリングの歴史は20世紀に入ってから。産業革命、一次大戦前後に、ボストンでパーソンズという人が移民やスラム街での活動に参加しているうちに、青少年が平均6回も転職を繰り返していることを知り、場当たり的な職探しではなく職業相談の必要性を感じ「ボストン職業相談所」を開所。職業ガイダンスを体系的に実施することになったのがはじめ。彼が書き始め(54歳で亡くなった為)弟が刊行した「職業の選択」という本には、偶然のチャンスに任せるよりも、職業を選択することに積極的に従事するならば、就職活動者は自分達のキャリアに満足し、雇用者のコストも削減されるだろう、と記している。逆に言えば20世紀初頭までは、選択できる職業も、それぞれが住む階級の中で限られていたということだろう。

その後、一次大戦前後で、心理測定テスト、知能検査の発達、大戦後は米国政府は退役軍人に職業復帰プログラムを提供し、これが職業リハビリテーション・カウンセリングのはじめ。何事も需要と供給から成り立ってきている訳だ。だから社会のその時々の環境に目配りしていないと、ただ理論だけだと暗記しにくい(これは個人的言い訳)。

その後、ミネソタ大学のウイリアムソンが「生徒へのカウンセリング方法」を執筆。また、6つのステップでカウンセリングを説明・体系化した。それは指示的カウンセリングと後に呼ばれ、ロジャーズという心理臨床家による「非指示的カウンセリング」と論争を繰り返したという。現在ではロジャーズの考え方が来談者(クライアント)中心療法(カウンセラーが指示するのではなくお互いに尊重しあう関係)としてカウンセリングの転換となったとされている。

第二次世界大戦では、軍が新兵を分類するために心理テストが推進され、また、個人の可能性を最大限に引き出すために配属カウンセリングが行われ、特にこの二点で進歩したという。

その後は、1950年の朝鮮戦争による国防教育法(心理テストによる公立学校の生徒の選抜)や職業選択に関する理論の隆盛(ギンズバーグ、ロー、スーパー)、1960年台のベトナム戦争や市民権運動の活発化や哲学から影響を受けた実存主義的アプローチ(自らの可能性や存在を意識し自己主張をしていく)と、やはり戦争や時代の流れと相互干渉しながら発達していく。

まだ芽生えてから120年という人に関する新しい研究・実践分野。昔興味をもって勉強をしたいと思ったこともあった心理学にも領域的に近く、社会人として働いてきた経験や今足下の悩みにも照合してみる楽しみがありそうだ。



2020年1月4日土曜日

アダモ 雪が降る

とタイトルを書いたが、アダモの唄うこのシャンソン、ご存知の人は少なくなっているかもしれない。だが、多分、メロディーを聴いたら、なんだか聴いたことあるかも、と思われるのでは。

年末のフランス音楽講座ではプーランクの即興曲11番と13番をもっていった。11番はフランス版「金平糖の踊り」のつもりで、前半はペダルを使わず(あくまで脳内想像では)軽やかなスタッカートでバレエ風に・後半はペダルを一瞬利かせて対比を。

13番は、唄うことを目的に練習。曲は好き、唄いたいけれど、何故うたえないのか。そんな私に、フランス音楽講座とは別に通っているピアノの先生は、楽譜に忠実に各声部での弾き分けを徹底させる。そう。この基本ができていないと、思いをぶつけてもワンワンいうだけでこぶしが聞こえない。分かっているのだが、でもその「基本」が難しい。右手でメロディーと内声を弾き分けるのだが、メロディー部分は指をたてて硬めに。内声は寝かしてやわらか目に。一つの手で二声部を弾くだけでも攣りそうなのに、音もかえて横のラインを繋げていくのは、技術がない者はやはり練習を重ねるしかない。

フランス音楽講座では、先生から「この曲はこぶしよね」と。先日シャンソニエに行かれた際の話しをしていただいた。そうだ。この曲はシャンソンだ。詩が乗る唄だ。

そこでデュオポッキーズの友人から「アダモの雪が降るに似てませんか」とのコメントが。おお。そうなのです。この13番の上がり下がるメロディーはまさに、上がり(雪が降る)、下がる(あなたはこない)にピッタリ。

先生も大笑いで同意され。
そしていかにメロディーをピアノで唄うが如く弾くことが難しいか、若い頃1フレーズを公開レッスンで1時間それだけレッスンしていただいたこともおききした。
自分自身、メロディーを、ピアニストとして(アマチュアだとしても弾いている時間は聴衆に責任がある)、聴かせられるか、という課題意識を抱えていただけに、先生ですらそれだけ努力されているのなら自分は生涯終わってもずっと頑張るしかないのだと納得。


正月のコスモクロック。今まで何度もみてきたがこんなにキラキラと輝き指輪のような時ははじめて。嬉しくて御紹介。

ピアノを弾く時も、一部でも良いので、きらきらっと光る部分を表現できたら。きかせるべきツボでこぶしをきかせられたら。

2020年1月3日金曜日

キャリア

昨年は、例年よりも多くの人との出会いと別れが会ったように感じる。多分毎年同じ位、知り合い、物理的に、或いは気持ち的に離れていく人々がいるであろうに、何故か年末年始に殊更にそう思った。

出会いは、ブログにも記載したキャリア・カウンセリングのスクーリングの先生、アドヴァイザー、そして何よりも毎週共に闘ったクラスメイト達。

別れは、会社関係が多く、一応物理的なものなので、連絡をとりあえばいいだけの話しなのだが。特に印象的だったのは職場の総合職の女性が少ない中、3人が新たな職場に旅立っていった。いろいろ事情は異なれど、それぞれ悩み、考え抜いて、最後は実行した。結果がどうであれ、それを受けとめ、自分のものにしていく強さがある人達なので、次に会う時にはまたいろいろな話ができるだろうと楽しみにしている。

「キャリアとは、個人が生涯を通じた職業選択にかかわる活動・態度と、働くことにまつわる・・・個人の生涯にわたる生き方(ライフスタイル)のプロセス(過程)」(GCDF)

自分がキャリア・カウンセリングの勉強をはじめたのは、今考えると、デュオ・ポッキーズの友人の話をきいて、自分のキャリアについて再度向き合ってみようとしたのだと思う。彼女は金融機関に長く勤め、役職的にも素晴らしい達成をしながら、円満退職の後に大学院に入りなおして新たな学びを開始した。彼女のその決断を聞き、約束された安泰・安全な残りの定年までの時間と、以前からやりたいと思っていたことを天秤にかけ、後者を選択したことに、ある意味衝撃を受けた。社会人として、総合職としてフロントランナーを共に務めた世代として、違う会社にせよ、いろいろ同じような慣習や偏見と闘ってきて、そして学んで乗り越えてきて、今この期にそういう決断をしたのか、、、と強く刺激を受けた。


陽に向かってまっすぐに顔を向けて、目指すところに向かっていつもひた走っている友人は、この花ゼラニウムのよう。そのエネルギーに触発されるばかりだ。

2020年1月2日木曜日

令和初の正月に 

思い出深い地にやはり足が向く。

今は昔・・・。

「みなとみらい」と呼ばれる桜木町は、まだ開発途中で、ひらがなの名前もなんだか薄っぺらく感じられ、駅前はぺんぺん草とコスモスが揺れていた。桜木町という良い名前がありながら、なんだかなあ、と思ったのだが、今歩くと「みなと」という土地と「みらい」と夢を託した言葉がしっくり馴染んだ土地になったと思う。名前負けならぬ、名前が都市の未来を形創るようだ。


早朝、陽が上ってきた。
今年も佳い年になりますように。