2020年5月30日土曜日

WASSHA グラホ ジェフのお悩み相談所 今日の季節の果実は枇杷

STAY HOMEということで、今迄見なかったテレビもよく見るようになった。「ながら」ではあるが。

その中で幾つか興味深かった番組。

土曜の朝は、多分一週間で一番幸せな気分で目が覚める。すきな音楽番組を聴きながらしみじみとゆったりとした気持ちを味わう。その延長線上で家事をしながら何の気なしに流していたら、面白い話になって、一旦掃除も中断して見入ってしまった。

一柳良雄が問う日本の未来▽ベンチャーが切り拓く日本の未来 東大発ベンチャー編2
ゲストは、各務茂夫氏(東京大学)、 秋田智司氏(WASSHA株式会社)
各務先生のベンチャーの意義も説得力あるものだったが、このWASSHAという会社がやっていることが面白かった。

「社会課題解決とビジネスの成功を両立させる」「ソーシャルベンチャー起業」で、お金や機械を寄付しておしまい、というチャリティではなく(それも立派なことなのだろうが)、電気供給の少ないタンザニアで、LEDランタンの貸し出しという形で、同社も、現地の貸し出し者(キオスク)も、利用者もそれぞれに利があるから事業を継続できるというもの。

こういう仕組みをつくって「便利さ」「豊かさ」がまわっていくという、まさに今迄相反するものとして語られることが多い「社会課題解決とビジネスの成功を両立させる」例がこういう発想で実現されていったのかと実に興味深かった。

岩城紀子【カンブリア宮殿】日本一美味しいを集めた「グランドフードホール」
グランドフードホール自体知らずにおり、流し見ている中で、社長がレモンタルトを試食しているのがあまりに美味しそうだったのでこちらも思わず手をとめて見てしまったパターン。

それだけならただのグルメ番組なのだが、後半で岩城さんが経営難の食品メーカーや職人に知恵を貸す場面がでてくる。それは商売に繋がるからという合理的な動機として語られなかった。「なくなったら嫌だから」「いいものを食べていると気持ちも豊かになるんじゃないかと思う。」という感情的な言葉がでてきたのに驚いた。そして「買い物は残したい商品への“投票”」というコメント。そうか。こういう言葉で表すことで、買い物に新たな意義づけ、価値が付加されるのか、とマーケティング力(りょく)の高さに賛嘆。言葉は力だ。

NHK Eテレ「ドキュランド選」 「ロボットのお悩み相談室」
「AI=人工知能を持つ小型ロボットのジェスが一般家庭に住みつき、家族のお悩み解決にあたる。夫婦関係や子どもの教育方針、はては恋愛指南まで…人間はどう反応する?」との実験風ドキュメンタリー。これも今流行りのAI凄いね番組かと思い、ながらで聴いていたが、結構このジェスに人々が質疑していくうちに、相談内容の本質が見えてきて驚いて結局最後までみてしまった。

このジェスの容姿が、所謂人間型ロボットであり、目の表情が変わるところに一つミソがあると思う。これがパソコンであれば「機械」に向かって相談事をするのは人にとって障害が高いのでは。「人間型」でかわいい顔つき、目に表情が何種類か表れることで、「準人間」として話す相手として許容範囲に入るのだと。質問が切り込みすぎて人間に対してであれば「あなたの知ったことか」と憤然と座をたつところでも、ジェス相手なら、今度は「機械だから仕方がない」と自分で納得させ顔をこわばらせながらも大人な対応をする。

私個人は、結構キャリアコンサルティングで習った相手に話しをさせる質問をきちんとジェスはインプットされていて「あなたはどう思う?」「そう聴いてどう感じた?」、感情がないと認識しているロボットにだからこそ語れる感情や本音もあるかもしれないと思った。高度なコンサルティングは今はできなくとも、感情的にならない、合理的な選択肢を提供する、幅広い知識(たとえばファイナンシャルプランナー的、社会労務士的など)を検索して伝える、など使い方次第で広がる用途だと思った。

一方で、番組では、ジェスが相談者のメールやネット履歴、SNSを検索して、そこから相談者の問題を探るという切り口が何度か使われていたが、個人情報をそのように使えることの怖さを教えるのには良いが、相談には使って欲しくないと強く拒否反応を感じた。いづれにせよ、興味深く、もうAIは何らかの形で私達と繋がることは避けられないのだと考えさせられた番組だった。

ところで、今日の季節の果実は枇杷。こちらも九州の親戚からいただいた。我が家では母が枇杷で果実酢を。妹は、てりも鮮やかなシロップ漬けをつくって。私は早速頬張って。爽やかな甘さは今の季節にぴったり。


2020年5月29日金曜日

5月終わりの金曜の夜に

とうとう5月も在宅勤務で終わった。

イギリスのビジネスパートナーと話した時、彼は3月に救急車でICUに運び込まれ翌日手術する予定が、コロナ優先となり、そのままICUで待たされた挙句に鎮痛剤をもらって帰され、まだ手術してもらえない状態が続いているという。店舗や工場は段階的に稼動始めたが、それ以外、基本ホワイトカラーは在宅勤務で、手術ができない以上、彼もずっと勤務を続けていて、手術の目処もついていない。家族はといえば、奥さんは医療関係者なので出勤続き、大学生のお子さんは来年も既にオンライン通学が決まったという。

日本は東京なども含め全ての地域で緊急事態宣言が解かれ、会社の同僚の中にはコロナ前の日常にいち早く戻るべく計画を立てている人もいるが、オフイス環境や出勤時の条件のリスクに在宅勤務継続を望む人もいる。今迄会社に行く、が当たり前の生活習慣だった人々が、「当たり前」の一言で片付けずに我が事としてどうすべきか考えざるを得ない。生活費を稼ぐことも、自分や家族をウイルスから守ることもどちらも大切で、どちらも両立させることを日々、様々な機会につきつけられる。それが「コロナ後」の生活だ。


藤は日本原産で、蔓がとても強く、古墳時代の石棺も、この藤の蔓を縄にして運んだときく。強いという藤にあやかりたいもの。

うつむけに春うちあけて藤の花 蕪村

2020年5月24日日曜日

音楽の対話

Stay Home、巣篭もり、という言葉が当たり前の枕詞に使われる昨今、人と対面することが難しい状況にあっても、それでもインターネットやメディアなど、様々なNETから私達は情報を享受できている。

人に簡単に会えない時だからこそ、流れてくる様々なコンテンツに耳をそばだてたり、心惹かれたりするのかもしれない。

BSドキュメンタリーでみた、パールマンの演奏が素晴らしかった。
イツァーク ~天才バイオリニストの歩み~

名前は知っていたが、向き合って聴いたことがなかった。子供の時に小児麻痺になって下半身不随ながら、イスラエルからアメリカに渡ってバイオリンの才能を開花させたという。ドキュメンタリーの中身も興味深かったが、キーシンとのトリオ、アルゲリッチとのデュオ。アルゲリッチが「対話している」と表現したのが正に言い得ている。ソロの「シンドラーのリスト」のメロディーは、人の心を動かす音色かく在るもの、と思わせる。

また、別の番組の話となるが、「空港ピアノ」のブリスベン版を見た。何度目かの再放送。台湾人の調律師が「人に心があるように、ピアノの魂は音だ」といったような話をしていた。この人はそう思いながらそのブリスベンの空港ピアノを調律しているのだな、と思わせる弾き方で一曲弾いていた。そうか。人の心が、ピアノの魂と対話する時に、音楽が生まれるのか、と腑に落ちた。

音楽を介しての対話は、弾く人と聴衆と。そして、弾く人と音を奏でる楽器と。


今日は久しぶりに天気良し。もみじに紅い花?ガク?知識不足の私には分からない可愛らしい生き物がてんてんと。

2020年5月23日土曜日

リラ冷え

大阪府近県も緊急事態宣言が解除され、残るは東京都と近県、及び北海道。

友人も出勤を始めたし、ロックダウンで外出も許可制だった客先のうち幾つかは工場稼動するようになった。経済活動が少しずつでも動きだすと漸く客先とのWEB会議も増えてきた。

季節ははや、入梅入り宣言の地域もでてきて、春を全身で体感する機会ないまま移り変わっていく。

近くの公園での早朝散歩で見つけたリラ。英名はライラック。仏名がリラ。和名は紫丁香花(ムラサキハシドイ)。ラフマニノフの小曲Op21-5「リラの花」を聴いて、どんな花か探して写真を見たことはあったが、実物を見た(認識した)のは初めて。

この花を、母は子供の頃よく近くに咲いていたと懐かしがる。私にはそういう近しさがない。しかしこの花には一方的な思い入れがある。

この花のイメージが私にとってはラフマニノフなのだ。彼の伝記を読んだ時、その時代という環境と、彼の思いから、ラフマニノフはアメリカに亡命せざるを得なかった。しかしそのつけは大きく、望郷の念で作曲ができなくなってしまう。実際彼は亡命後一曲も作っていないといわれる。最後まで故郷を思い起こさせるもの(鐘の音、リラの花など)に強く反応を示していた。この伝記に影響を受け、リラの花に私自身、ラフマニノフの曲を重ねあわせて、特別な感傷を抱くのだろう。

ここ2-3日、急に寒くなった。北海道ではこの時期の寒さの戻りを「リラ冷え」と表現する人もいるとのこと。榛谷美枝子氏がこれを季語に使った最初と。

リラ冷えや睡眠剤はまだ効きて 榛谷美枝子


2020年5月17日日曜日

九州の親戚から絹さやが送られてきた。いつものように郵便局のエクスパックに採れたてをぱんぱんに詰めてくれて。


筋とりしようとテーブルに広げると、あおあおとした植物の匂いがふわっと立ち昇り、一緒に紫色の花も押し花のように一緒にでてきた。

では、ついでにこちらもまだ旬と言えるか?春キャベツ。きゅうりと大根とざくざくっと切って塩もみのサラダ。


かりかり ぱりぱり しゃくしゃく。
この季節の野菜はとにかく、いきがいい。

生きるを丸ごととりこもう。

葉脈に水音立てて春キャベツ 
村さと子

2020年5月16日土曜日

キャリア・コンサルティング試験 結果

コロナで試験が実施されるか不透明だったが3月に実施され、4月に発表された。結果は、学科 合格、実技 不合格だった。

明暗を分けたものは?

10-12月の講座出席で翌年3月の最短のタイミングでの試験。1月に模擬試験を受けて、1月末に結果がでて、講座はコンサルティングの為に大切な基礎を教えてくれたが、受験対策用の勉強は全くできていないことに気がついた。それから3/8の試験まで5-6週間、これが受験用に割いた時間。時間不足が一つの要因だろう。

だが、学科は受かり、実技は不合格。

学科試験についてはこの短期間のうち7割程度の時間を費やし、受験対策に特化し、参考書は一冊だけ、あとはネットにのっていた過去問を3回分やっただけ。集中が奏功したと思う。因みに、使用した参考書は、「1日1問キャリコンドリル」一般社団法人 1級キャリアコンサルテイング技能士の会。ネット解説は「みんなで合格(みん合)」で有名なこちら。https://www.career-consultant.info/
この解説サイトの分析、丁寧な過去問解説には本当に助けていただいた。有難うございました。

一方、実技は、150点中であと3点というポジション。たかが3点、されど3点。少ない時間の中で更に割いた時間が少なかったということが敗因だが、それだけではなかったと思う。国家資格ということ、コンサルティングという精神面を扱う「実技試験」には何が必要かということをもっと考えるべきだったのだろう。実際のコンサルティングで有効かどうかが採点対象ではなく、国が現場に出ても良いという許可なのであるから、慎重に、ガイドラインに沿ったやり方、型があり、それに対する許容範囲が決められていて、その中でやりとりしなければならない。この試験自体は例えば60分のカウンセリングのうちの冒頭15分が対象なので、信頼構築+展開までが試験対象であり、目的である問題解決はその先の話で対象にならない。その範囲内について「わかっている」「私はできる」というサインを試験官に示さなければならないのだろう。

私自身の短工期作戦は、時間と自信がなかったことから、とにかくロールプレイの回数を多くしようと、講座の人達との勉強会、最後に技能士の人達との勉強会、妹に相手になってもらってのロールプレイを数回やった。それでも回数も少なく、スムーズに言葉がでなかった。そして今にして思えば決定的に選択を誤ったのは、技能士の人達との勉強会の出席で、信頼構築+展開の次の問題解決に主眼があり、手がかりを引き出す為の質疑も行った。第一段階の部分がおぼつかないうちに次の段階に手を出した為、それぞれの段階でやるべきことを咀嚼せずに混同してしまった部分があったと思う。試験の際に、クライアント役の人の目に?という表情を読み取ったことが2度程あった。

結果がでて、講座のメンバーとSNSで報告しあったところ、合格の喜びの声も、今回は学科しか受けなかったという人も、不合格をものともせず不屈なリベンジ宣言者も。おいおいまた皆で勉強会しよう、ということにしたが、合格者からは「試験に受かることを目的の実技勉強をすべき、その場合は勉強会だけではなく、試験用の採点をするプロの視点を理解するために、個人レッスンがお勧め」とのアドヴァイス。実技はやはり、採点の判断の仕方、即ち採点者が「肝」と判断する内容の理解が大切なのだろう。

リベンジは次7月の試験でと思っていたが、コロナで未実施に。学科は受かったので、次は実技試験のみ。年末の試験に向けて地道にコンサルティング自体の勉強も続け、今度は試験対策をしようと思う。なかなか実技に関する独習は、個人レッスンの広告が主体で、本当の自習はネットでも探したが見つからない。自分でいろいろ工夫してやってみるつもり。受験生は人事畑の人が多い中で、普段業務上は使わない営業の人間が、独学で実技練習どうやるか。上手くいったらご報告したいもの。

今日の写真。家の近くのビルの一角で見つけた。高い所に咲いていて見上げると空から降ってくるように見えた。木蓮?

2020年5月10日日曜日

オンライン版 フランス音楽講座 そして 母の日

今日はフランス音楽講座 オンライン版である。

短工期で先生も、オンラインで高音質を目指そうと開発された方も大変だったことでしょう。また、取りまとめをしてくださったDuo Pockeysの友人も早朝から夜遅くまで連絡いただき、最初の一歩がどれほど大変か、傍で見ていても有難かった。

思っていたよりも音質高く、先生の手元が良く見えるのも嬉しい。

面白かったのは、受講生の演奏も録音した動画なので微妙にいつもと異なるように思えた。通常であれば先生に横で聴いていただく、有難くも厳しい緊張感が壁なのではなく、今回は自分の音楽の基準との戦いになるのではないか。時間との戦いではあるが、取り直しが効く中で、どの動画を出すか。

選択肢が自分にあるのである。考えさせられた。

私の場合、結局、最後までどの版でも、幾つか間違いは散見される中で、歌い易い早いテンポで、指は追いついていないが、比較的気持ちよく弾いた版を提出した(と偉そうに書いたが、実は3版しか撮れず、どんぐり背比べ状態)。

演奏家(アマですが)の自分と、プロデューサー(他人にどう映るか、聴こえるか)の二つの耳が、オンライン講座では必要にされた気がした。メディアが異なると、判断基準もこのように変わっていくのか(変わらない部分もあるが)と感じた講座だった(他の選択の余地のある人にとっては・・・)。

これは、ビジネスでも同様に、評価基準の変更を迫る動きかもしれない。対面で会えずに、Web会議やメールでのやりとりだけだと、提案そのもののメリットデメリットがより先鋭的に評価されるようになる。たとえば私の仕事である営業は、客先との日々のコミュニケーションによる対話よりも、金銭面といった客の眼前の興味だけで判断される確率が高くなっていくかもしれない、など。


話し変わって。

今日は母の日。

Mother's love is peace.
It need not be acquired, it need not be deserved.
Erich Fromm

エーリッヒ・フロムは、母の愛は平和である、と。 得る物でも、報酬でもない。

2020年5月9日土曜日

芍薬に

芍薬を描く牡丹に似も似ずも 正岡子規


はしりの芍薬を花屋で買った。香る、香らない、いろいろな品種がある中で、上品なライチのような香りがした。花屋さんでは咲かないでしょうと言われた固い蕾までも、いきなり、ふわり、と花弁を開いた。心開いてくれない人から笑みをもらった心地がした。

芍薬は色が変わる。ということを今回はじめて認識した。艶やかな、生命力もっとも美しい紅色から、ふと目を離した隙に、殆ど象牙色に近い色になっていた。これには驚愕。


この花びらが、遠心力の限界点にとうとう花びらを落とすのだが、視覚的にはドサリ、と花弁の塊が落ちる。しかし、実際には音は全くせず、落ちる瞬間の映像は、象牙色に光るシルクのストールをはらりと肩から滑らせた、という表現が相応しい。空気が一瞬、絹一枚動いただけ、と。

あまりの優美さを惜しんで、その花びらをドライフラワーに。


そうすると、なんと、もとの花の名残の紅が、象牙色に混じり、肌色というかほんのり薄い橙色の縮緬の着物のように姿を変えて現れた。

芍薬を供へその人にあふ如し 水原秋櫻子

本当、人のように変わっていく。

2020年5月5日火曜日

元気?

というひとことで、学生時代に気分が戻ってしまう友が居る。云十年前に賛美歌を歌い、檄を飛ばし、お馬鹿な話に笑い転げ、一緒に旅もした。それから会わない時の方が長いのに、学生の時のつきあいはそんな時空もものともしない。

とはいえ、それはWeb電話が可能にしてくれたもので、技術の進歩の恩恵もある。遠くに住んだり、普段会えない人と、こんなに気楽に会えることの有難さ。嬉しさのあまり、思わず合唱までしてしまった。


尾捌きがおのおの違ふ鯉幟 山口誓子

今日は子供の日。友人の顔を見て、お互いの無事を確かめあい、空に泳ぐ鯉を見て。元気をチャージ。

2020年5月2日土曜日

GW 初日の朝

12連休という記事もあるけれど、今年の実際の休みは今日からではないでしょうか。

今日はGW初日。それだけで幸せと感じることができる。

今年は皆辛いことが年初からあり不安や危機感が募っている。が、それでも例年のとおり、この休みを指折り数え待ち、やりたいこと、やらなければいけないことをノートに認め楽しみにしてきた。とはいえ、結局、特別なことをした訳ではなく、家に居られる贅沢を噛み締めている。

テレワークになってから日課にしている早朝の散歩。勿論行ける日も、早朝から仕事の場合もあり毎日ではないが、大切にしていている。行ったことのない道、十数年もいったことのなかった公園。頭を空っぽにして、ただただ歩く。


そのひとつの公園でのひととき。
この乾いた空気感は日本ではこの時期だけだろう。

撮った写真を眺めて既視感が。

時は春、
日は朝、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀なのりいで。
蝸牛 枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。

ロバート・ブラウニング (訳 上田敏)

モンゴメリ作の「赤毛のアン」最後の方で、マシューが亡くなり、大学進学を諦め教職につくアンがこの詩をつぶやく場面があり、この写真のようなシーンを見ると思い出す。

2020年5月1日金曜日

五月晴れ

本日から五月入り。

一月の春節前あたりから日本でもコロナが取り沙汰され始め、はや3ヶ月が過ぎ、その時には想像していなかった全国緊急事態宣言。では、今から3ヶ月後はどうなっているか。夏となり、収束はしていないものの低位安定状態になり、病気への恐れは薄れてかわりに雇用不安の色が濃くなっているだろうか。

今年は、日々起きているニュースに自分なりに変化の兆しを読み、半歩でも先を読む習慣をつけようと、毎日一つ「その日のニュース」とつけてきた。何故それをとりあげたか、それが次にどういう変化を誘発するか、余裕がある時はひとことコメントしたが、今のところ全然あたっていない。

人事畑からいきなり営業畑に異動になり、初めて一緒に仕事をした技サの先輩から「脳みそしぼりきる程考えて、自分で予想すること。それが外れたらどうして違ったか分析する。これを繰り返せば人より早く問題を予測して手を打てるようになる。」とアドヴァイスされた。仕事だけでなく、世の中の変化を少しでも見出せるようになりたいものだが。

不透明な世の中の流れとは異なり、五月晴れの今日、花々は目に鮮やかで美しい。


やまぶきも菜の花も咲く小庭哉 

正岡子規