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2023年2月26日日曜日

「365人の仕事の教科書」 「正射必中」 背中を追って

思うところあってこの本(藤尾秀明著)を読み始めている。

1年かけて読むつもりはないので速読中。その中で「正射必中 ジェローム・シュシャン/ゴディバジャパン社長」の章は何度か繰り返し読んでいる。

5年間で売り上げが2倍になった。『目標はプレッシャーにならないように、5%像の予算を立てる。けれど、新商品は何にするか、どこに出店するか・・・・といった毎日枚に資やることは一所懸命ベストを尽くす。・・・弓道には「正射必中」という言葉があります。正しくいられた矢は必ず的に当たるという意味です。・・・雑念が入ると、的には当たりません。ただ、無心になるためには並々ならぬ努力が必要です。』

売り上げが2倍とは凄まじい数字をさらっと書いている。その後の言葉はさらっと聞けば当たり前の言葉だが、実行・実現は難しい。仕事上でもたとえば趣味のピアノの演奏ですら難しい。雑念が入らない状態、無心に集中できるまで仕事も芸も精神ももっていくのは難しい。

四半世紀前、人事から営業に異動になって、誰も営業の仕方を教えてくれる人がおらず、迷っていた時、自分で師を勝手に探した。以来、同じ仕事をすることは残念ながらなかったが、この人のような営業になりたいと背中を追い続けている先輩がいる。日々の営業作業に埋没する人達と一線を画して独自にマーケティングを行い、論理的に客に訴求するツールを黙々と蓄積し、客に足繫く通う。客の信頼を得たからこそそのニーズを捉えることも、また時に情に訴えて説得することもできる。上述の「正射必中」の言葉に会った時、先輩の背中が思い浮かんだ。

先輩が新たな職場に移られた後も年に2-3回はお会いしていたものだが、昨年はあいてしまい先週一年ぶりにお会いした。東北地方のシーフードが売りの美味しいイタリアンで。変わらず、相手の言葉を良く聞き、反芻しながら核心を衝いた質問をされたり。客であろうと後輩であろうと穏やかな物腰も変わらない。


夢中で背中を追ってここまできたけれど、自分は先輩から学んだことをどこまで実行できているだろう、教えていただいたことを他の人に伝えられているだろうかと自問自答している。

2022年4月30日土曜日

2022年4月23日土曜日

茉莉花

ピアノのレッスンへ。

ギリギリまで練習する泥縄ライフスタイルあらたまらず。またレッスンの時間に遅れそうになり足早に歩く。一心不乱に歩いていると、いい香り・・・。通り過ぎた路を振り返ると、そこにはアイヴォリーの花々が。そう。ジャスミンだ。

香りを形容する語彙に乏しく、ただ、心奪われるジャスミンの芳しい香りとしかいえない。

茉莉花を拾ひたる手もまた匂ふ 加藤楸邨

2022年4月3日日曜日

キャリアコンサルティングとファイナンシャルプランニング

面白そうな講座なので申し込んでみた。

キャリアコンサルタントの国家資格を更新するためには、決められた継続学習の時間が定められている。泥縄の私だが、家族の体調を見ながら、受けられそうな時期に、できれば往復の時間を節約できるWEB講座がある間に受講しておこうと、3月にこの講座を受けた。

豊富に講座の種類があるので迷うのだが、自分がコンサルティングを受ける際に、一つどうしても決断の要素として、これから生きていくのに必要な資金を担保できるかどうかだろうと思うので、この両者の視点を有意義に結びつけたいと参加した。

10時から17時の座学なので眠気を心配したが、結果的には興味深くあっという間の一日だった。1時頃まではレクチャー。そのあとは4人のグループでケースを数件議論し発表。20人のクラスなのでそれぞれのケース(介護や定年、若年での転職等)で種々の経験ある人が積極的に課題を共有し合うので、自分もどう貢献しようかない知恵を絞って、頭が筋肉痛になった感じ。

今月、GWとできるだけ早めに必要単位を取得すべく、受講を進めていくつもり(あまりにいつもの泥縄とかけ離れた目標なので、予定は予定であくまで未定、だが)。

今日は一日雨。でも葉が活き活きとした緑美しく、こういう日は嫌いじゃない。

止みさうで止まぬ一日春の雨 稲畑汀子

2022年2月20日日曜日

嵐雪

2月は家族ともども体調があまり良くなかった。

そんな中で漸く、ひと区切りが着いた気がする週末。私もひと月ぶりに早朝散歩へ。

ひと月前、一輪咲き始めた白梅に心躍った。

梅一輪 一輪ほどのあたたかさ 服部嵐雪

それが今日みてみれば、枝一杯に花咲き、蕾が先を尖らせながら待っている。

もうすぐ春がくるという予感。毎年巡ってくる四季なのに、何故こう心が躍るのか。

2022年1月23日日曜日

大寒

1月20日から2月3日、立春の前まで。一番寒い時期と言われている。

昔の知恵の通り寒さ厳しく、一日のコロナ新規感染者数も初の5万人台を超え、まん延防止措置も急に発令された。それに伴い、会社の面談、外出、会食等の外部接触との方針もまた代わり、21日は面談や会食の延期やWEB化の再調整に時間をとられた。

金曜のプライヴェートの飲み会は危険予知して、少し前に対面からWEBに変え、それに伴い参加者も東京だけではなくその他の地域の人達にも声をかけていたので、当日慌てることもなく実行できた。離れているから普段顔をあわせることもない人達と、マスクなしの生き生きとした表情を見ながら話し、笑い、飲むのは楽しい。

コロナの流行で、面談や講演会、そして以前であれば考えられなかっただろう会食までWEBでできるようになった便利さは、もう後戻りすることはできない。勿論一番いいのはリアルに会うことだが、選択肢が増えること、遠くの人や普段いろいろ制約があって会食にあまり出ない人達にも気軽に参加してもらえることのメリットも有難いことだ。


早朝散歩で見つけた。黄梅。迎春花とも言うらしい。大寒で身体が寒さで縮こまっていて、つい足早に通りすぎそうになっていたが、ふと空を見るといつの間にか咲いていた。

黄梅に動くものみな光るなり/小松崎爽青

冬来りなば春遠からじ。そう口に出してみる。

2022年1月9日日曜日

2021年読んだ本

先週は仕事始めと同時に商談、初雪の中での客先挨拶といきなり盛り沢山。

年末年始は有難いことに、対照的に、静かに過ごすことができた。掃除、整理。本棚や写真は、整理しようとすると中身を確認のため開けると、結局読んでしまったりしてなかなか片付かない。だが、こうゆったりと時間を過ごせること自体とても贅沢なことだ。

昨年、楽しみの為に読んだ本の中でベスト3を聞かれたら、どう答えるだろう。あれか、これか。数年前までであれば迷う対象がミステリー小説で8割だったろう。一昨年頃からは藤沢周平にはまっている。

1位:蝉しぐれ 藤沢周平

江戸時代の架空の藩で少年藩士が成長していく様を描いた長編。文章が簡明でいて余韻を残して想像力をかきたてる文筆力は日本人に生まれて良かったと思わせてくれる。ストーリーの底に人をあたたかく見つめる作者のまなざしが感じられ、気持ちが安らぐ。善きこと、悪しきこと、いろいろ起こるがまた明日は起きて働こうと思える、私にとってのビタミン本。

2位:天使と嘘、WHEN SHE WAS GOOD マイケル・ロボサム

このミステリーは久々に面白かった。1巻目が「天使と嘘」で、まだ2巻目が日本で出版されていなかったので"WHEN SHE WAS GOOD"を取り寄せて読んだほど。以前はよく待てないので原書で読むということはあったが、最近そこまでしようと思う対象がなかった。ストーリーは臨床心理士のサイラスと、子供の頃に異常殺人の現場で発見され、今は「嘘をみぬこことができる能力」を備えた少女イーヴィの出会いから始まる。二人の男女の心理が交互に映し出されて、ある事件の真相を解明していくという構成が、単なる謎解き以上の面白さとなっている。作者はジャーナリストやゴーストライターもしていたということから、筆力や調査力はお墨付き。写真はGoodread HPより拝借。

3位:くちずさみたくなる名詩 下重暁子

アナウンサーで文筆家でもある筆者が選んだ、タイトルどおり「くちずさみたくなる」名詩。巻末に「くちずさみ索引」があるのも秀逸。あれ、なんだっけ、と思ってひくと忘れていた題名や筆者がでてきて、そうそう、中学の授業で習った、大学の図書館で出会った、と情景が蘇る。詩や短歌、俳句、などリズムがある詩は、言葉の意味、音と共に、韻や語感を発して聞く愉しみがまた別にある。自分の気持ちや思いを、詩に託して読み上げるのは、ピアノを弾いたり、歌を歌うことと同じ。「くちずさみたくなる」ものなのだ。



2022年1月1日土曜日

いざ舟出

2022年の始まり。

いざ舟出初日いまこそ大全円 桂信子



2021年12月31日金曜日

大つごもり

昨日、今日は大掃除。もっと前からやっていれば良いものを。

暮れも押し詰まって全部やるから大仕事。分かっているけどやめられない。これが泥縄の習性なり。

自分はそれで良いが、母は気がせくのか体調があまり良くない。休んでもらいたいとYOUTUBEでクラシックのBGMをかけて少し休んで下さいと頼む。少し聞くと、このショパンは間延びしているとか、もっと歌って欲しいのに自動ピアノみたいと言う。それは3時間、4時間かけ放しの作業用BGMだからしょうがない。と言っても母は納得せず。

誰のが聴きたい?と聞くと間髪をおかず「ツィメルマン」。彼のショパン ノクターン、バラード、スケルッツォそしてシューマンの即興曲のYOUTUBEを流した途端、それまで立って働こうとしていたのに、椅子に座って聞き入って。その間、玄関と台所の掃除をしようと思っていた私も結局聞き惚れてしまった。

歌うようなアーティキュレーション、惹き込まれずにはいられない音色。天性としか思えないリズム。

一年の最後に思いもかけず、ゆっくりとした時間となった。

大つごもり 曇りがちなる 夕べかな 村山故郷

皆様にとっても良い年の瀬、年始となりますよう。

2021年12月29日水曜日

デュオポッキーズ忘年会

仕事納めの昨日。会社の忘年会はすっぽかし、友人との例年の忘年会へ。

毎月フランス音楽講座でお会いしているものの、お互い忙しく、なかなかゆっくり話をする機会がないので、結局、スポコン漫画のような汗と涙の連弾練習の後か、忘年会ぐらい。

住居も同じ区なので中間地点にある美味しいイタリアンへ行くのもここ暫くの習わし。スパークリングワインで乾杯し、新鮮な真鯛のカルパッチョ。昨今では珍しくしっかりした酸味と甘さが際立つトマトとがモッツアレラチーズと綯交ぜとなるカプレーゼ。彼女のチョイスの濃厚な雲丹のクリームパスタには熟れた果実のようなブルガリアの赤ワイン。

美食に、多種多様な話題とくれば、あっという間に時間は過ぎる。彼女の博士課程の研究の話から、来年弾きたいソロ曲、一緒に弾く連弾曲、家族の話かと思えば、私の仕事、彼女が参加しているプロジェクトや、完成間近の翻訳の話などなど。汲めども尽きぬ話の種。


いつ話をしても、想像もしていなかったことにチャレンジされている彼女。一見すると何でも簡単にこなしてしまうスーパーレディに見えるが、実は人知れず種をまき続けているからこそ、大輪の花を咲かせることができる。いつも私はその姿に一方的に刺激をいただくのみだ。

2021年12月11日土曜日

くれなゑの深染の

もみぢ遠くよりみつつ来りていま近づきぬ

斎藤茂吉

早朝散歩も寒くて行きたくない朝もあるが、こんな華やかな一瞬に出会えるのが醍醐味で続いている。

2021年10月17日日曜日

最近読んだ本

緊急事態宣言が解かれ、家の近くの図書スペースも久しぶりに解禁となった。ここは、住人が読まなくなった本を置いていき、また勝手に借りていくことができる、フリーな場所。この気儘な感じが気に入っている。

ふらっと寄ってみて、目を惹いた3冊を借りてきた。自分でも、ああ、こういう本に惹かれたんだとそれ自体が発見で面白い。

「逆境からの仕事学」姜尚中 NHK出版新書

冒頭から「仕事人生そのものである」と始まる。この人にとって、「仕事とは社会への入場チケット」だと定義する。それは、「在日である私は、両親や在日のコミュニティーによって庇護されて生きるのではなく、一般人として社会の中で生きていきたいと思っていました。」「社会の中で自分の居場所がほしいからでした。」

自分に言い聞かせるように諄々と記す言葉に共感した。私にとっても、生きる為のお金を稼ぐ手段であると同時に、「仕事の中にある社会的な使命」を果たすことで、この社会に参加していると実感したいのだ、と思い至った。なんとはなしに思っているものの、入社した時、転職を考えた時ぐらいしか再認識しないことを、あらためて考えさせられた。他にも、この不確実な世の中を生き抜いていくためには「人文知」が必要とし、新しい知識の得られる「生もの」と、古くから醸成され生き続けている「干物」を読書していくことの大切さも記されていて、もっと本を読みたくなった。

「鋼のメンタル」百田尚樹 新潮新書

映画となった「海賊と呼ばれた男」ぐらいしか読んだことがなかったが、タイトルがキャッチーで手にとった。内容的には人生の先輩達が今までにも記してきたものなのだろうが、表現が興味をそそるのだろう。「金属疲労をおこすな」では「きつい仕事にも泣き言や不平を一言も漏らさず、もくもくと仕事を続ける人が。そういう人に限ってある日突然、倒れたり、不調を訴えたり、過労死してしまったりすることが多いのです。逆に、すぐに泣きごとや不平を口にする人は、以外に倒れたりしません。」「メンタルを免振構造にせよ」では、「人生の暴風雨に対して、男らしく弱音を吐かずに立ち向かうという姿勢はかっこいいものです。でも、皆さん、そのせいで心の深いところで金属疲労を起こしたり・・・ないようにしてください。そのためにはメンタルを免振構造にすることです。ショックなことがあれば、がんと跳ね返すよりも、一旦それを受けてへこみましょう。」なんでもないと自分をだましていると、ショックが見えないところで尾をひいてしまう、というもの。カラッとした言い方が、そうだな、悩むよりそうしてみるかと思わせるあたり、放送作家出身の「相手を捉まえる」技が光っている。

「松浦弥太郎の仕事術」松浦弥太郎 朝日文庫

「自分の行いが、人の役に立つ。自分の中にある何かが、人に幸せを与える。簡単に言えば、仕事の目的とはこういうものだと思います。仕事とは個人の楽しみではなく、自部が社会とかかわっていく営みだと考えています。」「音楽でも芸術でも料理でも同じこと。・・・社会の中で人の役に立たなければ、いくら一生懸命にしたところで、ひおりよがりな自己満足に過ぎません。」「その人の後ろの『五十人』を意識する・・・どんな人の背後にも、最低五十人の人間関係があるという話です。働くうえで、常にこの意識をもつことは大切です。この意識があれば、人を立て、相手の儲けを考える重要性が、より深く理解できます。」いろいろなところで講演やエッセイが掲載され「暮らしの手帳編集長」として知っていたが、フリーランスとしての仕事が長く、編集長という組織の中で仕事をすると思ってもいなかったそうだ。基本一人で自立して仕事をすることと、大勢の人をまとめていく仕事、大きな変化の中で、一貫して大切にしてきたことを記したエッセイ。姜さんの本と通ずる価値観で、この二冊の本には、社会人としてもっと意味を考えて丁寧な仕事をしなければいけないと考えさせられた。

銀杏の実。朝の散歩で顔をあげて空を仰いで発見。

2021年10月16日土曜日

秋の風はオリーブのように苦いではないか

フランシス・ジャムというバスク地方生れの詩人が詠んだそうだ。(詩人石田瑞穂さんのHPより)

オリーブは苦いのだろうか。私達が一番よく使うオリーブ製品は多分オリーブオイル。そこから苦いというイメージはない。

今年も知人から、庭でできたのでといってオリーブの実を分けていただいた。


昨年は言われた通りにすぐ処理したが、今回は生の実を齧ってみた。ジャムの表す通り、本当に苦かった・・・。

この苦さは渋みからくるそう。その渋みは実を虫などから護るためのポリフェノール。

オリーブの薬効とされる、疾病や老化を防ぐ抗酸化作用を持ったポリフェノールではあるが、渋すぎて食べられないのでは勿体ない。さて、これから知人からあわせていただいた苛性ソーダを使って、渋抜きをしよう。

2021年10月10日日曜日

おりおりそそぐ秋の雨

と曲が始まるのが、「四季の雨」文部省唱歌

私自身知らず、今朝は晴れて強い日差しが重い雲間からレンブラントライトを注いでいたのに、ちょっと目を離したすきに、もう驟雨。その雨を見ながら母が口ずさんだのがこの曲。

春、夏、と歌ってそして秋。

おりおりそそぐ秋の雨、木の葉木の実を野に山に、色様々に染めなして、おりおりそそぐ秋の雨。


期末の忙しさでダウンしている間に、緊急事態宣言解除、岸田内閣発足、関東地方でマグニチュード5強の地震、といろいろなことが起きていた。

そんな慌ただしい中、先週は久しぶりに先輩とゆっくり話がでいる機会に恵まれた。かれこれ20年近く、営業経験ゼロの時から、彼の背中を眺め、半歩でも追いつきたいと思ってきた人だ。マーケティングや営業戦略を立案することも、そしてこれが大事なのだがそれを実行もできる方で、よく話を聞かせていただいた。最近は難関資格にもチャレンジされている由。最近金属疲労ならぬ、勤続疲労で士気が落ちていたが、先輩と話しをするだけで刺激をいただきまた頑張ろうという気になるもの。

2021年8月15日日曜日

2021年6月5日土曜日

ベートーベン ソナタ 17番第3楽章(5)

今週はきつかった。

有り難いことに、きつさの半分は引き合いの多さなのでこちらは嬉しい悲鳴である。コロナで引き合いが激減したのも中国、欧州、の順であったが、戻る速さも同じだ。

中国は5月の全人代で投資に安心感がでたのか、購買意欲が旺盛。欧州もワクチンの進行と、今年は夏のバカンスの期待で、例年の夏休み前6月頃迄商談というシーズン性が復活している予感がする。

と言う訳で全然練習もできていないし、折角取り寄せた児島新氏の「ベートーヴェン研究」もまだ読めないうちに、ピアノレッスン日。

今回は初めて暗譜で弾いてみる。とりあえず最後まではいった。

暫く考えたあと、先生の講評。たとえが面白い。一楽章と比べて、速度指定もかわらないし、音価は殆ど八分か十六分音符なので変化があまりない。同じ速度で流れていく、似たような長さのベルトコンベアーの流れを、どうやって見せ続けるか。音楽であればどう聴かせられるか。そこには、速度、音価ではない何かがなければいけない、と。色調(調性)の違い、音色(タッチや感情)の違い、を表情としてつけなければとおっしゃっているのだろう。

この曲に自分の心象風景を投影するならば。漣のような心の胸騒ぎが、アルペジオで一瞬うねるが、また心落ち着かせようとする。フレーズで大きくとる部分と、一小節単位で(調性がかわっている)感情が微妙に変わっていく。緊張を強いる繰り返しと、そのあとに何故か長調の明るいトーンが一瞬差し込むのに、またすぐに横殴りの雨のような制御し難い焦燥感。

調性の変化を楽譜を追えば感覚的にわかる位、訓練できていない私は、やはり楽譜を一から追って、音で確かめて、どう弾こうか悩むしかない。

でもこの試行錯誤が音楽の楽しみ、醍醐味なのだろう。

帰ってから母に聴いてもらうと(この曲のリクエストは彼女だし)、「気が乗らない、ねぎのような音」と評されてしまった・・・。ねぎ(最近は母は、中身がスカスカなネギに出会ってがっかりしていた)みたいなベートーヴェン。略してネギベン。

母は鋭い感性の持ち主で、かつ、私の演奏は幼い時から聴いているから、さすがに第一音で、気持ちがこもっているか即分かってしまう。平日のビジネスモードを引きずっていると、簡単割り切り直線モードなのだ。もう一度弾き直し。また弾き直し。三度目で「乗ってきたみたいけれど、粗いわね。」と。お見通しです。乗って弾くとまだまだ練習不足で技術的な粗が目立つので、速度を遅く、慎重に石橋渡っています・・・。


早朝散歩で出会った蝶。翅が白く透き通って綺麗だったので撮ってみた。

蝶白し薄暑の草の道埃 田中田士英

2021年5月16日日曜日

母の日に

週遅れになってしまった話題だが、いい詩を見つけたのでご紹介。

昨年谷川俊太郎氏が雑誌「With」に書き下ろしたものだそうだ。

自分を贈る

母の日に

花を贈るのを忘れてもいい

母の日には

あなた自身を贈ればいい

(略)

あなたが誕生した日

母はあなたに世界を贈ってくれた

この世界のどこかでずっと

母はあなたとともに生きている

(略)

妹からの花。
このほかにもいろいろ生活の助けの品のプレゼント。
椎茸の煮物、インゲン焼き。身体に良い手作りの料理も。

こんなにいろいろしなくていいのに。
と母は言うが、大切に父の遺影の前に花を飾り、料理は何度も大切にしながらいただいた。母の日に。気持ちのこもった贈り物。

こんなにいろいろしなくていいのに。
でも、多分、これは母にとっての勲章。
もし受け取ってもらえたら、それは私達の勲章でもある。

感謝の気持ちが言葉や、笑みや頷きで、他の人に伝わるものであれば、母の日にかかわらず、自分自身の気持ちの一片を、母や、他の人に伝えられれば、どんなに良いだろう。

2021年5月5日水曜日

水暮れて

GWも終わり。やろうと思っていた勉強は一切やらなかったけれど、なかなか普段できなかったこともできたし、仕事のことを一切忘れて休んだ。

今まで、正月休みも、GWも、夏休みも、輸出営業は客と休みが合わないので、結局短時間でも必ずチェックしていたが、今回は止めた。最近、仕事のことを考えると眠れなくなることが多く、切り替えが上手くできなくなってきたので、今までのやり方を変えてみることにしてみた。そうしたら眠れること。ステイ・ホームで十分リフレッシュできた。

嬉しかったこと。デュオポッキーズの友人とWEB飲み会。本当はこの時期、いつもなら連弾の曲を決め、練習弾き始めの会 兼 飲み会をするのが例年だったが、今年はぐっと堪えて。だが話は右に左に、前に後ろに逸れて、彼女の話題の多さに呼応してエキサイティング時間だった。また、高校時代の友人ともメールでお互いの近況を確認。彼女ともGWには毎年必ず会っていたものだが。ただ、彼女とのメールや葉書のやりとりは、会った時の話題とも異なり、今読んでいる本や音楽についてお互い記すことが多く、同じ人とのコミュニケーションなのに結構違う面を知ることができるのが、面白く楽しい。

近くの海辺の公園にて黄色の菖蒲を見つけた。花言葉は消息、友情、音信。

水暮れて海の鳥来る菖蒲園 山口誓子

2021年5月3日月曜日

「途上国」日本の100年

緊急事態宣言下のGWは今年で二度目。コロナの広がりから約1年半。世界各国で同時多発という未曽有の危機に、各国の対応は千差万別で、「国力」というものが如実に表れてしまっている。この場合の国力とは従来言われているGDPや資源、人口、企業数、といったものではなく、政治力・人材といったものを含めた「実行力」だと思う。

ニュースで毎日、毎時間流れているように、日本のワクチン接種率は1%未満。イスラエルの62%は特別としても、米国39%、ハンガリー39%、カナダ24%。OECD37か国の中で最下位である。(4/20時点 Our World Dataより作成の高橋浩祐氏グラフ)

因みに、日本に住む伯父伯母十数人は全員高齢者だがワクチン未接種。一方、カナダに住む伯母、40歳代の従妹夫婦と3人は既に接種済。

何故日本はこういう状態なのだろう?日本という国はずっとこういう国力だったのだろうか。考え込んでしまう。

奇しくもそんなことを考えている時、突然、大先輩より本が届けられた。「『途上国』日本の100年」開国から高度成長まで(1860年~1960年)保倉裕著 三省堂書店/創英社

「はじめに」に日本の近現代史を整理してみたいと考えた経緯が記されている。「その第一は、日本の近現代史が、一つの発展途上国の近現代かの歴史であるということを再確認しておきたかったことである。(略)日本は常に「先進国」欧米への「キャッチ・アップ」と「外的」欧米からの攻撃という焦燥感と恐怖にさいなまれていた。(略)こうした日本の近現代史に関する自己認識は、日本と、中国を含むアジア諸国との鐘胆を考える上でも、重要な視点だと思えるのである。」「これまでの日本道筋をたどり、これからの日本の進むべき方向を考えるうえで、多少でも参考になるならば、これ以上嬉しいことはない。」

GWに少しずつ読み始めようと思う。


2021年5月1日土曜日

紅玉のコンポート 「アイ・ラブ・カナダ」 「世界映画名作全史」

90歳過ぎで一人で暮らしている伯母の体調が心配だと聞いた。緊急事態宣言下ではあるが、少し遠いものの同じ都内でもあり、顔を見に行ってきた。

行ってみたら心配していたよりも元気そうでほっとした。だが、内臓系の懸念点あり、検査もあり、病院通いで疲れていた。良いニュースは漸く重い腰をあげて介護申請をしてみようという気になってくれたこと。家族に、お国に尽くしたこの世代の人なので、国や人の厄介にならないよう、幾ら勧めても「申し訳ない」と言って申請しようとしなかったのだが。独りではそうも言っていられない身の危険を感じるようになったと言う。

この伯母と伯父は、共に私が子供の頃から甥や姪を可愛がってくれた。海の家へ連れていってくれたり、伯父が講演会の為にロシアに行けば、或いは夫婦でトルコに海外旅行に行けば、お土産と共に彼の地の面白い話をしてくれた。

そんな、仲睦まじい二人だったが、伯父が亡くなり。伯母が気持ちを振り切るように突然カナダに移住したのは、多分今の私と同じ年代だったかもしれない。あの当時、55歳からリタイアビザを取得できたと言う。以降、彼女が80歳前にまた日本に戻る迄、留学の時、旅行で、出張の帰りなどに何度もカナダの自宅に寄っては話をした。伯母は住んでいる間、地元の日系の新聞にカナダでの暮らしや感じたことを投稿し、それが一冊の形になっている。私も今でも読み返すと、あの時代のカナダの一端を知る者として共感するところが多い。(「アイ・ラブ・カナダ」猪俣満子著 社会思想社 下記写真はAmazonより)

一方、ステイ・ホームとなって以前より映画を見る機会が増え、また引っ張り出して通読している本がある。「世界映画名作全史」(猪俣勝人著 社会思想社 下記写真はAmazonより) 

構成は著者がピックアップした映画毎に内容が読める辞書形式。映画名、原作、脚本、監督、音楽といった基礎情報。映画のワンシーンの写真。著者の興味からなるトピックスや個人的な思い入れ等の導入部、あらすじ、批評が記載されている。

例えば「ゴッドファーザーPARTII」(略)「何か所かビドー(父)が成長し、勢力を拡げてゆくシーンがマイケル(息子)のありようと比較されていたが、それらはすべて名もなきイタ公と見棄てられたアメリカ社会の中での精一杯おあがきとして描かれようとしていたのではないか。(略)脚本、監督のコッポラ自身イタリア人であり、父のカーミン・コッポラの胸しみるような哀しいメロディの中にも、その差別された民族の哀しさがせつせつと訴えられていることがわかる。アメリカの半分を支配したといわれる巨大なる悪の組織マフィアの活動が哀しいのではない。そんな真っ黒い心の子を生んだイタリア移民の苦しい歴史が哀しいのである。カーミン・コッポラのメロディはそれを訴えてやまない。」

伯母に会ってくるならと、母はまだ痛みが取れない身体なのに、夜遅くまで赤飯を炊き、根菜を煮しめ、林檎のコンポートを作ってもたせた。深鍋にバターを。狐色になり、幸せな香りが漂う。紅玉のスライス、色付けの為の真っ赤な皮、レモン汁、シナモン、氷砂糖、そしてラム酒。煮たあとに皮を取り出すと、林檎は薄紅色に染まり、花のような優しい色合いになる。心身共に、栄養が行き届いて元気になりますように。