新年おめでとうございます。
12月にいただいた花束に入っていた緑の一枝。クリスマスの飾りをつけ玄関に。そして今日は菊をあしらい元旦を寿いでいる。
新年おめでとうございます。
12月にいただいた花束に入っていた緑の一枝。クリスマスの飾りをつけ玄関に。そして今日は菊をあしらい元旦を寿いでいる。
職場の先輩と恒例の年末のオイスターバー。
私が教えを乞いつつ、愚痴も聞いていただきつつ、お世話になっている先輩。何故か(と言っても店を選らぶのは私なので自分の趣味が多分に入っているが)年末はオイスターバーにご一緒することが多い。
今年もお互いの近況、前回お会いした時の賭け(首相や為替の予想なだけだが)、熱中していること、家族のこと。話題は尽きることがない。
蠣よりは海苔をば老の売りもせで 松尾芭蕉
育てて市場に送り出して下さる方々の苦労に感謝をこめつつ、いただいた。
12月の夜は華やかで、そぞろ歩くだけで楽しい。
金曜に職場の人の異動の報を聞き、いろいろ考えさせられた週末。
尊敬もしているし一緒に働くのが楽しい人だったので、内々示を教えてもらった時はショックだった。職場の同僚も「ロス」に仕事が手につかないと言っていた。これほどその人の異動のニュースが悲しみを与えられるという人も珍しいだろう。
私も初めショックで金曜はいつもより早めに仕事をきりあげた。そのあと何故この人事なのか考えた。それは違う組織で更に必要とされたのだろうが、何故?そしてその人のその後のキャリアも考えられたであろうこと。これだけ同僚が惜しんでいるだけに一時的に彼らのパフォーマンスも下がるリスクがあっただろうに、それを天秤にかけても押した理由があるのだろう。
それらを考えた時、私自身もまわりの人も、今のcomfortable zone(居心地の良い領域)を出て新たな人と仕事することで刺激を受けることもある、淀みのない組織をつくるためにも必要な措置だと思い至った。
会社員なので、或いは組織で働く人は必ず定期的にある集合と離散。肯定的に捉えた者勝ちの一つの機会である。
早朝散歩で出会った白紫陽花。雨あがりだが雨の粒が名残を残している。
花言葉は「寛容」。紫陽花はアントシアニンという色素をもっているため、アルカリ性が強い土壌ではピンク色に咲くが、白紫陽花にはこの色素がないため、白色のままだそうだ。
偏見をもたず、どんな土壌(組織、環境)にあっても色づかず組せず、どちらの意見もきき良い判断・行動ができるような人が、組織で働く上で求められる人材なのだろう。
テレ東BIZの「いまからサイエンス」の再放送を聞き流していたら面白い話があった。
植物同志が情報をやりとりする?虫にかじられたらその葉でないところも傷つけられたことを感じる?防御物質までつくってしまう?ということを、理論としての想定ではなく、独自に開発したイメージング技術を使って解き明かした。これこそ文字どおり「見える化」。言葉を連ねても一見は百聞にしかず。YOUTUBEでも検索するとみられるようなので一見を。
だが、知ることは怖いことでもある。道で花を手折ったり、雑草を刈ってもこういう信号がいきかっているのかと思うと手が動かなくなるかもしれない・・・ような気がしてきた。
今日は子供の日。勢いよく空を泳ぐ鯉のぼり。
なにげなく聞き流していたNHKの番組の中で、平井さんの「最後の授業」。
場面が切り替わりいきなりICU(国際基督教大学)のキャンパスがズームアップ。
平井さんの人生の振り返りはちょうど日経の「私の履歴書」で1か月読んだばかりだったので、ちょうど寝るために電源OFFするつもりだったが。
キャンパスから平井さんの登場となり、聴衆にいくつか質問をしながら、答えにコメントをする講義形式で自然に始まった。
はじめの部分では、話していることは日経の「私の履歴書」と重なるものが多かったが、対話形式のライヴ感あり、何百回と話してきたであろう内容は腹の底から(あるいはそう信じ切ろうとしているのか)説得力あるレスポンスの仕方で、聴き惚れた。この人は、対話は数多くこなしてきたのだろう、明確に端的に自分の考えを述べている。
あなたがリーダーに求めることは?一方であなたが上司に求めることは?ギャップは何故おこる?
聴衆にも身近で切実なこんな問いかけで相手を惹き込んでいき、エンディングには「自分が自自分の人生のリーダーたれ」「らしいという伝聞ではなく自分で経験しよう」と誰にでもわかりやすい言葉でしめくくった。
ICUは今頃キャンパスは緑豊かで一番いい季節だろう。梅も多く収穫してジャムを作っている人もいるという。写真は梅の実。
1月末に体調崩しドタキャンお願いした先輩との会食。リスケ決行。
欧州出張から帰国すると、客も社内も異動多く、歓送迎会の嵐だった。だが2か月延ばしていただいたこの会食だけは再リスケはできない。まわりの人に根回しして無事漕ぎつけた。
ドタキャンを謝罪するのも柔らかく押しとどめられ、最近どう?といつもの如く好奇心と心配と綯交ぜになった問いに。四半世紀前に同じ職場に同時期に異動してから、こうやって話を聞いていただいて様々なことを乗り越えてきたことを思い出す。
話は多岐に。ここ最近は半年先の為替や政権について予想をたてあったりしている。前回の予想と今を比べ、自分の不明さや世の中の道理のなさを嘆いたり。果ては日本の債券について論じ、翌日には先輩から面白いからこのIMFレポート読んだらとLINEいただいた。何年おつきあいしても先輩の背中はなお遠い。
一緒に仕事していた時に、担当は違うのに、営業を教えてくれる人がまわりにいない私を不憫に思ったのか、丁寧に自分の考えを説明して下さる先輩の言葉を、びっしり記したメモ帳が今でも手元に残っている。今自分が後輩に時折伝える言葉は、その教えが源泉だ。自分のものだけにせず他の人と分かち合うこと位しか還元できることはない。
いただいた金沢の「佃の佃煮」の包装紙 加賀友禅。家族の体調が悪く食欲がない中、いただいた佃煮で今日はいつもより食が進んだようです。美しい包装紙、美味なお心遣い、こんな風に粋にさらりと表せるようになりたいもの。
3連休の最終日。やらなければいけないと思っていた勉強と家事を同時進行で泥縄的実行。
7:30に30分英語。朝食のあとは、電力が安い10時までに掃除機をガンガンかける。
お風呂の掃除の後、10:30からまた英語。干していた卵の殻をミルでひく。これで台所用研磨剤の出来上がり(実は頑張って棒で粉砕しようとしたが自分の肩が粉砕され断念。ネットという文明の利器で確認し、ミルを使っても良いことがわかり、10秒で実行)。
干していた煮干しとかつお節をミルでふりかけに。ごまや昆布を加えて美味しくできた。充実感あり。
その後、干していた大根の皮を取り入れて水に浸し、切干大根をつくる。ゴマ油と赤トウガラシも入れて、ちょっと中華風。痺れ系。更に充実感アップ。
早速昼食のお供にし、片づけて、14:30からまた英語。その後は新聞、ダンボールなどリサイクル系ゴミをまとめてゴミ収集場へ。あっという間に夕方。寒くなってきたから湯たんぽをわかし、これから大根の身の方で湯豆腐を準備しましょ。生姜もいっぱいすりおろしてはふはふ言いながら食べれば、それだけで身体も温まる。
と、自分で考えてやっているように見えるが、卵の殻も、煮干しの再利用も、大根の皮の活用も、母の昔からの工夫を引き継いだだけ。なんでも自分でやってきて、人の世話をずっとやいてきた人だが、もう身体がきついのだろう。今度は私が代わりにやろうとしてみた訳だが、やってみてはじめて、ものを大切にするというのはこういうことだったなとか、丁寧に生きるということはこういう感覚なのかなと思う。
今年は巳年。
だが、ネットで調べてみると、更に60年に一度の「乙巳」の年である、との解説。成長の兆しを表す「木の陰(乙)」と、発展や転換を象徴する「火の陽(巳)」が組み合わさるので、新たなエネルギー、挑戦、革新が注目されると記されている記事が多い。
翻って我が家の正月は、一言で表すと「休み」。早朝散歩、ゆっくり家族と会話、そしてよく休んでいる。やらなければいけないことは沢山残って、忘れないようメモし、メモだらけなのだが、この3日間は自分を甘やかそうと決めて。
正月の花を買いに行った時、母が好きなグロサリオ、元気が出そうなので思わず手にとった。我が家には大きすぎる花なのだが・・・。この躍動感溢れる花、私も好きで、「ダンス・ダンス」と愛称をつけている。好き勝手に伸びるエネルギッシュな様は、乙巳の幕開けにふさわしいと嬉しく眺めている。
言われるまで気がつかなかったが。まだ昭和と共に生きた年数が多いからか、こういう表現をされると100年かと感慨深い。
今年は正月に災害が起きることなく過ごせそうだ。それこそが佳い一年の始まり。能登半島地震に始まり、様々な政治的激動が起こり、ウクライナ戦争が終わることなくまたあらたな戦争と紛争に火がついた2024年。今年は、日常が日常であり続け、皆が安全な年となりますよう。
子供の頃、教会でペーパーフラワーの作り方を習ってカーネーションをつくって贈った。
話したことはないが、母にとっては「母の日」は「家族の日」だったのではないだろうか。若い頃は店ももち、海外にも行こうとしたこともあった人が、結婚して家族ができて専業主婦となり、全ての時間を献身的に家族に捧げてきた。身体もきつく、大変なことの方が多かっただろうに、母の日に幼い子供達が「ママ ありがとう」とよくわからないながらお祝いのように口にした言葉が、報いだったのかもしれない。
もう下手なカーネーションを作ったりはしないが、今日は聴いてくれるならば母の好きな曲を何曲かピアノつま弾きたいと思っている。感謝をこめて。
母の日の母の齢を延べ得るんや 清水基吉
高校卒業云十周年記念。
ということに気が付いた友人が声をかけてくれてGW初日に高校時代に仲が良かった仲間で集うことに。
学校の近くにしようかと迷いつつ、結局讃美歌も歌えるようにとホームパーティになった。当日は友人のご主人がヴィンテージもののワインを差し入れてくれたり、それぞれが好きな食事を持ち寄って心置きなく語り合う楽しい会となった。
しめは友人の定番の讃美歌を合唱して終了。
春に合う花百合 夢路よりめさめて、かぎりなき生命に 咲きいずる姿よ。
4月は毎週国内出張できつかった。今年は厳しい年になりそうだと覚悟していたものの。GWはいつもならキャリアコンサルティングやFPの勉強をする時間に充てるのだが、今年は身体を休ませ、友達と会ってリラックスして。自分を甘やかして、それでまた立ち上がれるならそれでよしと割り切った。お蔭で英気を養えた気がする。
思うところあってこの本(藤尾秀明著)を読み始めている。
1年かけて読むつもりはないので速読中。その中で「正射必中 ジェローム・シュシャン/ゴディバジャパン社長」の章は何度か繰り返し読んでいる。
5年間で売り上げが2倍になった。『目標はプレッシャーにならないように、5%像の予算を立てる。けれど、新商品は何にするか、どこに出店するか・・・・といった毎日枚に資やることは一所懸命ベストを尽くす。・・・弓道には「正射必中」という言葉があります。正しくいられた矢は必ず的に当たるという意味です。・・・雑念が入ると、的には当たりません。ただ、無心になるためには並々ならぬ努力が必要です。』
売り上げが2倍とは凄まじい数字をさらっと書いている。その後の言葉はさらっと聞けば当たり前の言葉だが、実行・実現は難しい。仕事上でもたとえば趣味のピアノの演奏ですら難しい。雑念が入らない状態、無心に集中できるまで仕事も芸も精神ももっていくのは難しい。
四半世紀前、人事から営業に異動になって、誰も営業の仕方を教えてくれる人がおらず、迷っていた時、自分で師を勝手に探した。以来、同じ仕事をすることは残念ながらなかったが、この人のような営業になりたいと背中を追い続けている先輩がいる。日々の営業作業に埋没する人達と一線を画して独自にマーケティングを行い、論理的に客に訴求するツールを黙々と蓄積し、客に足繫く通う。客の信頼を得たからこそそのニーズを捉えることも、また時に情に訴えて説得することもできる。上述の「正射必中」の言葉に会った時、先輩の背中が思い浮かんだ。
先輩が新たな職場に移られた後も年に2-3回はお会いしていたものだが、昨年はあいてしまい先週一年ぶりにお会いした。東北地方のシーフードが売りの美味しいイタリアンで。変わらず、相手の言葉を良く聞き、反芻しながら核心を衝いた質問をされたり。客であろうと後輩であろうと穏やかな物腰も変わらない。
面白そうな講座なので申し込んでみた。
キャリアコンサルタントの国家資格を更新するためには、決められた継続学習の時間が定められている。泥縄の私だが、家族の体調を見ながら、受けられそうな時期に、できれば往復の時間を節約できるWEB講座がある間に受講しておこうと、3月にこの講座を受けた。
豊富に講座の種類があるので迷うのだが、自分がコンサルティングを受ける際に、一つどうしても決断の要素として、これから生きていくのに必要な資金を担保できるかどうかだろうと思うので、この両者の視点を有意義に結びつけたいと参加した。
10時から17時の座学なので眠気を心配したが、結果的には興味深くあっという間の一日だった。1時頃まではレクチャー。そのあとは4人のグループでケースを数件議論し発表。20人のクラスなのでそれぞれのケース(介護や定年、若年での転職等)で種々の経験ある人が積極的に課題を共有し合うので、自分もどう貢献しようかない知恵を絞って、頭が筋肉痛になった感じ。
今月、GWとできるだけ早めに必要単位を取得すべく、受講を進めていくつもり(あまりにいつもの泥縄とかけ離れた目標なので、予定は予定であくまで未定、だが)。
今日は一日雨。でも葉が活き活きとした緑美しく、こういう日は嫌いじゃない。
止みさうで止まぬ一日春の雨 稲畑汀子
1月20日から2月3日、立春の前まで。一番寒い時期と言われている。
昔の知恵の通り寒さ厳しく、一日のコロナ新規感染者数も初の5万人台を超え、まん延防止措置も急に発令された。それに伴い、会社の面談、外出、会食等の外部接触との方針もまた代わり、21日は面談や会食の延期やWEB化の再調整に時間をとられた。
金曜のプライヴェートの飲み会は危険予知して、少し前に対面からWEBに変え、それに伴い参加者も東京だけではなくその他の地域の人達にも声をかけていたので、当日慌てることもなく実行できた。離れているから普段顔をあわせることもない人達と、マスクなしの生き生きとした表情を見ながら話し、笑い、飲むのは楽しい。
コロナの流行で、面談や講演会、そして以前であれば考えられなかっただろう会食までWEBでできるようになった便利さは、もう後戻りすることはできない。勿論一番いいのはリアルに会うことだが、選択肢が増えること、遠くの人や普段いろいろ制約があって会食にあまり出ない人達にも気軽に参加してもらえることのメリットも有難いことだ。
先週は仕事始めと同時に商談、初雪の中での客先挨拶といきなり盛り沢山。
年末年始は有難いことに、対照的に、静かに過ごすことができた。掃除、整理。本棚や写真は、整理しようとすると中身を確認のため開けると、結局読んでしまったりしてなかなか片付かない。だが、こうゆったりと時間を過ごせること自体とても贅沢なことだ。
昨年、楽しみの為に読んだ本の中でベスト3を聞かれたら、どう答えるだろう。あれか、これか。数年前までであれば迷う対象がミステリー小説で8割だったろう。一昨年頃からは藤沢周平にはまっている。
1位:蝉しぐれ 藤沢周平
江戸時代の架空の藩で少年藩士が成長していく様を描いた長編。文章が簡明でいて余韻を残して想像力をかきたてる文筆力は日本人に生まれて良かったと思わせてくれる。ストーリーの底に人をあたたかく見つめる作者のまなざしが感じられ、気持ちが安らぐ。善きこと、悪しきこと、いろいろ起こるがまた明日は起きて働こうと思える、私にとってのビタミン本。
2位:天使と嘘、WHEN SHE WAS GOOD マイケル・ロボサム
このミステリーは久々に面白かった。1巻目が「天使と嘘」で、まだ2巻目が日本で出版されていなかったので"WHEN SHE WAS GOOD"を取り寄せて読んだほど。以前はよく待てないので原書で読むということはあったが、最近そこまでしようと思う対象がなかった。ストーリーは臨床心理士のサイラスと、子供の頃に異常殺人の現場で発見され、今は「嘘をみぬこことができる能力」を備えた少女イーヴィの出会いから始まる。二人の男女の心理が交互に映し出されて、ある事件の真相を解明していくという構成が、単なる謎解き以上の面白さとなっている。作者はジャーナリストやゴーストライターもしていたということから、筆力や調査力はお墨付き。写真はGoodread HPより拝借。
3位:くちずさみたくなる名詩 下重暁子
アナウンサーで文筆家でもある筆者が選んだ、タイトルどおり「くちずさみたくなる」名詩。巻末に「くちずさみ索引」があるのも秀逸。あれ、なんだっけ、と思ってひくと忘れていた題名や筆者がでてきて、そうそう、中学の授業で習った、大学の図書館で出会った、と情景が蘇る。詩や短歌、俳句、などリズムがある詩は、言葉の意味、音と共に、韻や語感を発して聞く愉しみがまた別にある。自分の気持ちや思いを、詩に託して読み上げるのは、ピアノを弾いたり、歌を歌うことと同じ。「くちずさみたくなる」ものなのだ。