2018年3月25日日曜日

ドビュッシー没後100年の命日 「ドビュッシーとの散歩」 青柳いづみこ

ドビュッシー奏者第一人者の青柳いづみこ先生の本書は、生誕150年の2012年に出版された。

ドビュッシーは、自らを恃むところが大きかったと言われている・・・自らを「幸福の変質狂」と読んだように、おいしい料理を食べたときのセンセーション、かぐわしい花の香り、耳に心地よい響き、美しい女性たちの髪の感触。浮き立つような五感の歓びも爆発させた・・・文学も美術も彫刻も、全ての芸術が、「音楽の状態に憧れる」という、ウオルター・ペイターの有名な言葉の、その憧れられる音楽をつくりたいという強い願望と、つくることができるという自負。
夢はすべて実現できたいのだろうか。実現できたとしても、理解されたのだろうか。
(「エレジー あとがきにかえて」から)

2018年はドビュッシー没後100年。本日はその命日。昨日「メモリアル・コンサート」を青柳先生が浜離宮朝日ホールで開催。昼公演は「ドビュッシーが見た夢」、夜の公演は「ドビュッシーの墓に」。ロビーには沢山の自筆譜のコピーあり、企画自体も斬新な切り口で楽しみにしていたのだが、骨折で行けずじまい。青柳先生のCDと本ををもって一人追悼の日。

2018年3月24日土曜日

音を楽しむこと 「ピアノ奏法」 井上直幸

趣味でピアノをやっていると言うと「優雅ですね」「高尚ですね」といった反応が返ってくることが多い。ピアノ=クラシック=優雅、高尚 という図式らしい。そういう部分も確かにあるのかもしれないが、自分に関しては殆どの時間がこの表現から程遠い。

ピアノに関わらず音楽はその理論は「数学に通ずる」とも言われ、その歴史(欧米)はよく絵画や文学との連関で語られる芸術な訳だが、自分にとっての肌感覚ではどちらかというとスポーツに近い。「スポ根(性)マンガのよう」と表す人も。少しでも上手に弾けるよう練習し、その「少し」を達成できた時の歓びに捉われまた練習する・・・という繰り返し。

音楽と聞いて何を思うかといえば練習。週末に1-2時間しか練習時間はとれず、気持ちが仕事モードから切り替わるのに段々時間がかかるようになり、音はバリバリ戦闘モードのままで終わってしまうこともしばしば。気持ちが落ち込んでいれば自分の音も好きになれず、指の練習だけで終わってしまうことの方が多いかもしれない。

そんな時は「井上先生」の「ピアノ奏法」を読み返す。ピアノ奏法にかかわる本は世の中に沢山あるが、本書は簡明な言葉で本質をついた指摘や説明をしようという気持ちが伝わる書だ。つい最近まで知らなかった本で偉そうなことは言えないのだが、自分にとってピアノを続けてこられた原動力を思い出させてくれる。

僕がこの本で伝えたいと思っていることは、「自然で、生きた演奏」ができるようになることです・・・否定的な方向へ自分を持っていって、小さな、小さな空間でしか呼吸していない状態ではなく、いろいろなことを覚え、広い可能性の上に立って、豊かな感性で尾根額を表現する喜びを見出せる「自分」。もうひとつは、困難なことにぶつかった時ーー技術面や音楽上のことでーーそれを解決できる力を養うこと。言ってみれば、自分なりの方法、自分なりの手続きで音楽を作っていけるようになる、そのようなことのアドバイスになれば、と思っています。(井上直幸 「ピアノ奏法 音楽を表現する喜び」前書きから)

2018年3月21日水曜日

還ってくるところ ・・・ 「パリ左岸のピアノ工房」 T.E.カーハート

「これはきのう素敵な紳士から買い取ったばかりなんだ」と彼は言いながら、後ろに下がってそのピアノをつくづく眺めた。「スペイン人だが、ソルボンヌで中近東の言語を教えているんだ。彼はこのピアノで非常に古いタンゴをすごく下手に弾いていたんだよ」ちょっと間をおいてから、彼は付け加えた。「しかし、この楽器を心から楽しんでいたんだ」
その後まもなく、リュックがそんなふうに言うとき、それは最高の褒め言葉なのだとわたしは気づいた。ある人がとても個性的で、しかも音楽を演奏するのが好きなら、どんなに褒めても褒めすぎることはないのだった。(「ぴったり収まるもの」から T.E.カーハート/米・アイルランド 作 村松潔訳)

主人公のアメリカ人がカルチェ・ラタンの小さな工房に惹かれて、通いつめ、ついに「自分のピアノにめぐり合う」。ピアノを奏でる喜び、先生に習う楽しみ、様々な楽器に出会い、そして工房の若き職人リュックと会話を交わす歓びが静かに伝わってくる。大人になったからこそ表現できる音楽への憧憬に、心満たされる書。練習に没頭してしまい、時に歌う心を忘れてしまった気がする時、好きな箇所を開いて読む。私にとって、時々戻ってくる大切な場所のような本である。

骨折1ヶ月が過ぎ 車椅子のシェアライドありませんか?

3/18で骨折から2ヶ月が経ち、4回目の診断とX線検査。外果の後ろ側はつき、前はまだついていない。レントゲン写真では前側はしっかりまだ白い線が太く見える。

骨折していない右足の人差し指の激痛で、まだ三点歩行は一度に10歩程度しかできないので、通勤災害のリスクありとの会社判断で自宅勤務継続中。とはいえやはり不安で、医師にはどうにかタクシーででも出勤すべく三点歩行の解除時期を今週もまた食い下がってきいたが「あと2週間は必要、はじめから言っているでしょ」とのかわらず。はあ~と思わず深いため息をついてしまった。

今自動車に続き自転車もシェアライドが当たり前になりつつある。車椅子の貸し出しも同様に運営できないだろうか。を調べてみたがあまりそういう情報がないのと、病院で一箇所きいて電話したがウエイティングリストで待つ必要があった。これからシニアの人口が多くなることが見えてい中で、自転車のシェアライドの仕組みに車椅子のシェアも組み入れることができたら良いのだが。骨折する人も多いだろう。治れば不要になる。またシニアも通常は杖歩行でも、ちょっと旅行に行くときだけ借りたいという人もいるだろう。自分が経験してはじめて気づくこと。

2018年3月14日水曜日

処置3週間過ぎ 「歩けるようにする」お医者さんはいませんか?

4度目の診察。癒着の方向にはあるが安静との診断は先週と同じ。3月一杯は少なくとも三点歩行要。うまくいけば二ヶ月でギブスがとれるかといった見立て。ギブスがとれるまではリハビリも不可。

昨日は自転車が使えず、右足で地面けって通院する先週のスタイルができず、三点歩行の為に右足の痛みがまた悪化。外科医に訴えたが、コメントなし。このままでは出勤にはタクシー使うしかない。右足の痛み緩和は三点歩行解除まで目処がつかない。しかし外科医にとって骨折やひび割れ以外は「専門外」のようだ。「骨折を癒着させる」ことは手段であり「歩けるようにする」というのが治療の目的だと思うのだが・・・。これは患者の側の望みなだけなのだろうか。

母が買い物途上で、松葉杖をついている見知らぬ人と会話。彼女は松葉杖暦14年。膝と腰の痛みを解決する為に何度も外科手術を続けたが治らなかったという。70代のその人は知人に紹介された遠方の医師に通いとうとう「外反母趾」との診断をはじめて受けたという。病院に見放され続け生きる希望も失いかけていたが、信頼できる医師にあって人生が変わったと。医者のひとことは患者の人生を変えることも多々ある。「専門外」と明確に言うことは悪いことではない。だが、患者の訴えを「専門外」を理由に切り捨てるのはその職業につく人としてやってはいけないのではないか。

2018年3月11日日曜日

ビゼー「真珠採り」のアリアと「耳に残るは君の歌声」 クリスティナ・リッチ


ショパン マズルカ 67-4を弾くと思い出す映画がある。「耳に残るは君の歌声」とも呼ばれるビゼーのアリアが各シーンで流れる。マズルカの冒頭部分がこの曲を想起させるのだ。

映画はジョニー・デップ、クリスティーナ・リッチ主演。ロシアの貧村でユダヤ人の少女がアメリカに出稼ぎにでる父との別れからはじまる。その後、村が焼き払われた少女はイギリスへ逃亡、父譲りの歌唱力を活かす為にパリへわたりコーラスガールへ、ジプシーの青年と恋に落ち・・・。原題はThe man who cried. 

テーマ音楽は「真珠採り/ビゼー」から。セイロン島を舞台にしたオペラで、この映画で使われたのは第1幕で歌われるアリア。これを後にアルフレッド・ハウゼ楽団がタンゴに編曲し「真珠採りのタンゴ」として一世風靡した。フランスのオペラながら、物悲しいメロディーはどこかジプシー、ロマ音楽に通ずるところがありタンゴという形をとることも頷ける。そういう意味では、ポーランドの舞曲マズルカ(マゾフシェ地方の人々/マズルが踊る曲、オベルタス・マズル・クヤビアクなどがある)と祖先が近しい旋律があるのかもしれない。


2018年3月10日土曜日

「ヴァイオリン職人の探求と推理」 ポール・アダム

ライナルディは宙に手を振った(略)「さあ、次は何を弾く?スメタナがいいな。きみはどうだ、ジャンニ?」
「う-ん、自信がないな。ドヴォルジャークはどうだ?」
ライナルディはアリーギ神父を振り向いた。「神父は?」
「わたしもドヴォルジャークがいいな」
「アントニオは?」
グァスタフェステは肩をすくめた。「ドヴォルジャークでいいですよ」
「オーケイ」ライナルディは言った。「じゃあスメタナだ」

気の合う仲間の四重奏。仕事が終わってからかけつけワインを飲みながらどの曲を弾くか決めるのも楽しい。他愛のないかけあいで曲が決まる(決める?)。こんな数行のやりとりだけで彼らの今までの来し方が想像できてしまう、さりげない会話。

ヴァイオリン職人のジャンニが、有名ヴァイオリンの取引を巡り、贋作やディーラー、収集家を向こうにまわし、仲間の死を解明していく。引用したのは彼と彼のカルテット仲間のいつもの夕べのやりとり。犯人を捜していくミステリーもさることながら、その舞台となる数々の有名なヴァイオリンの表現、そしてジャンニの人柄が魅力的な一冊である。(ポール・アダム作/英国 青木悦子訳 創元社 原題 The Rainaldi Quartet)


2018年3月6日火曜日

処置15日目 再び接合の方向へ

昨日は3度目の診断。骨は離反しておらず接合の方向なので手術はしないでおきましょう、但し広範囲なのでまだ安静継続要とのこと。三点歩行解除時期を再度おききすると鼻で笑われてしまった。本人にとってはいつ出勤できるかがかかっている大切な質問なのだが。

2018年3月3日土曜日

処置13日目 骨折の標準工期?とは

医師の指示通り家で安静。家中だけだが三点歩行厳守、仕事もベッドに足をあげて血液が下に下がらないようにして。希望的観測からか、青赤紫のぶち足が少し青紫に色が薄くなった気が。

ケガに標準工期はないだろうが、ある程度近いものを頭に置いておきたい。
出血とまり炎症:負傷後10日前後
柔らかな組織が軟骨程度に再生:10~20日前後
軟骨程度から一般的な骨状に変化:20日~60日(3週間~2ヶ月)程度
三点歩行:1ヶ月程度(医師)、
ギブス除去:6週間程度(医師)
負傷部位の融合日数の目安 脛骨:7週間
負傷前の状態に戻るまで:一般的に3ヶ月~6ヶ月

ではリハビリの開始は?いろいろ考え方はあるようだが、ネットで調べてみると「負傷後数日後もしくは骨折の処置をした後から始めることが理想となります」(御所南リハビリテーションクリニック」さんのHPから)

理想はそうなのでしょうが、まずは骨の隙間がつく気配を見せてから。

2018年3月2日金曜日

処置12日目 健足が痛くて三点歩行ができない

左足の骨折で松葉杖の三点歩行(ケンケン)を医師に指示されたものの、健足であるべき右足の人差し指に激痛がはしりできない。大病院の外科の医師は骨折は見てくれたが右足の痛みは「頑張って」で終わってしまい。仕方なく別の整形外科に行って右足だけ見てもらった(自転車で右足歩きでやっと辿り着いた)。

結果は先日記したとおり2月に靴屋に行ってはじめてきいた「開張足」との診断だった。この診断さえ分かれば、ネットで検索すれば数多くの記述がある。足にある三辺のアーチの内、5本の指と垂直に存在する「横アーチ」が筋肉の衰えの為にアーチとならず指の付け根が歩くたびに地面にあたり痛むのだという。

昨年痛みを解決する為に会社近くの整形外科や靴屋で診ていただいた時にわかっていたら、歩行の修正や筋肉をつけるエクソサイズをしていたのだが。専門家に聞いて分からなかったのも納得いかないものの、自分の身体の声にもっと耳を傾けて、よく見てネットで調べていたら発見も早く、三点歩行の妨げにならなかったかもしれないと反省。これだけ情報が氾濫しているにもかかわらず今まで聞いたことがない症状、自分の身体のことは自分が向き合ってよくみなければいけない、と今更ながら痛感した。「とりあえず」と医師のおっしゃるとおり(抜本的な治療には時間がかかるので)インソールを工夫して痛みを軽減する工夫をすることに。この痛みのまま三点歩行で通勤できるのか・・・。(下記図はネット掲載されていたものを、分かり易い為、使わせていただきました。)



2018年3月1日木曜日

ショパンとサンド NHK BSプレミアム 「ザ・プロファイラー」

この番組は岡田准一さんが司会者なので一度見てみようと思っていたが機会がなく、今回ショパンが題材だったこともありチャンネルを合わせた。ショパンの伝記や書簡などについては何冊か本を読んでいたのでその一生の凡その流れは知っていたつもりだが、あらためて彼が生まれた地、過ごした地、手稿の映像を曲と共に見ていくことができイメージが広がった。

また、サンドがショパンの為に馬の毛でつくった防音室、ショパンがジョルジュ・サンドの髪の毛を晩年の手帳にはさんでいた話や、スコットランド人の姉妹の弟子に誘われ、体調が悪い中イギリス演奏旅行をして更に悪化させていたことなどは初めて知った。最後ポーランドの姉に頼んでパリに来てもらって看取られてなくなったという。

あまり音楽家の中では話題にされない「どうして年上の女性(サンド)と・・・」といった幾つかの設問に、いろんなジャンルの出演者が自分なりに、ある人は生活感溢れる言葉で、ある人は自分の体験に基づき想像するのも面白い。エチュード「雨だれ」誕生のエピソードに三輪さんが「恐怖」(結核による死への恐怖、誰もいないところで亡くなる恐怖)と一言で表現され、共感。39歳で生涯を閉じた彼は、最期の時に何を思ったことだろう。