2021年12月31日金曜日

大つごもり

昨日、今日は大掃除。もっと前からやっていれば良いものを。

暮れも押し詰まって全部やるから大仕事。分かっているけどやめられない。これが泥縄の習性なり。

自分はそれで良いが、母は気がせくのか体調があまり良くない。休んでもらいたいとYOUTUBEでクラシックのBGMをかけて少し休んで下さいと頼む。少し聞くと、このショパンは間延びしているとか、もっと歌って欲しいのに自動ピアノみたいと言う。それは3時間、4時間かけ放しの作業用BGMだからしょうがない。と言っても母は納得せず。

誰のが聴きたい?と聞くと間髪をおかず「ツィメルマン」。彼のショパン ノクターン、バラード、スケルッツォそしてシューマンの即興曲のYOUTUBEを流した途端、それまで立って働こうとしていたのに、椅子に座って聞き入って。その間、玄関と台所の掃除をしようと思っていた私も結局聞き惚れてしまった。

歌うようなアーティキュレーション、惹き込まれずにはいられない音色。天性としか思えないリズム。

一年の最後に思いもかけず、ゆっくりとした時間となった。

大つごもり 曇りがちなる 夕べかな 村山故郷

皆様にとっても良い年の瀬、年始となりますよう。

2021年12月30日木曜日

ACC取得

ACCとはアスリートキャリアコーディネーターのこと。

キャリアカウンシルからの養成講座の情報を得て応募してみた。

動機としては、キャリアコンサルタントの資格をとったが、副業許可のない会社に勤めているのでまだ実稼働していないので、せめて勉強だけでも進めようという軽い思いつきからだった。

会社には競技採用の人も多くいるし、同期でもその経歴を誇りとしながらも悩みもあるということを聞いていたので、遠い世界の話ではない。実際にケーススタディを予習して臨み、受講生達と議論してみるうちに、これはアスリートだけの問題ではなく、たとえばピアニストや音楽家の世界も近い課題を抱えているのではと思うようになった。

アスリートキャリアの課題はいろいろ、種目によっても、立場によっても異なるだろうが、概括すれば若い頃から、たとえば野球なら野球、この世界で良い選手になりたい、長じればプロになりたいと、アスリート一直線にその夢を一途に追っていることが多い。プロになろうとする位の実力ともなれば、それ以外よそ見をしている間も余裕もない。換言すれば別の将来設計の選択肢を思い描くこともなく邁進してきている。だが、選手生命は短く、一般の人が学校を終えて会社に就職して若手として修業を積んでいる頃に実力を発揮していたり、或いはそろそろ第二の人生を考えなければならなくなる。そう、第二の人生が20代や30代できてしまうのだ。

欧米などでは、大学で第二の人生に向けてのキャリア教育を充実させている団体も多いらしい。コーチや関係者として競技界に身を置くにせよ、一般企業に就職、或いは起業するにせよ、広い目で選択肢をみて、そして次のキャリアを考える意識と時間が必要だ。

自分にとっては、かつてピアニストになりたいと思いながら将来のキャリアとして不安に思い二度(小学生と大学生)断念したことを思い出す。ピアニストを目指した人のキャリアがピアニストや音楽の教師だけでなく、他の音楽関係の仕事が多岐に広がっていたり、ピアニストも専業だけではなく、もっといえば音楽大学だけでなく、「生活していける」キャリアが開けていると、もっと音楽に携われる人が増えるのではないか。そしてそういう教育や考える機会が若い時からあったら。

アスリートをサポートする機運や組織が多く生まれてきている中、同じような課題を抱える業界はほかにもあるだろう、ACCでの取り組みは業界を限らず対象を広げられる取り組みなのではないか。そんなことを考えさせられた研修の機会だった。


2021年12月29日水曜日

デュオポッキーズ忘年会

仕事納めの昨日。会社の忘年会はすっぽかし、友人との例年の忘年会へ。

毎月フランス音楽講座でお会いしているものの、お互い忙しく、なかなかゆっくり話をする機会がないので、結局、スポコン漫画のような汗と涙の連弾練習の後か、忘年会ぐらい。

住居も同じ区なので中間地点にある美味しいイタリアンへ行くのもここ暫くの習わし。スパークリングワインで乾杯し、新鮮な真鯛のカルパッチョ。昨今では珍しくしっかりした酸味と甘さが際立つトマトとがモッツアレラチーズと綯交ぜとなるカプレーゼ。彼女のチョイスの濃厚な雲丹のクリームパスタには熟れた果実のようなブルガリアの赤ワイン。

美食に、多種多様な話題とくれば、あっという間に時間は過ぎる。彼女の博士課程の研究の話から、来年弾きたいソロ曲、一緒に弾く連弾曲、家族の話かと思えば、私の仕事、彼女が参加しているプロジェクトや、完成間近の翻訳の話などなど。汲めども尽きぬ話の種。


いつ話をしても、想像もしていなかったことにチャレンジされている彼女。一見すると何でも簡単にこなしてしまうスーパーレディに見えるが、実は人知れず種をまき続けているからこそ、大輪の花を咲かせることができる。いつも私はその姿に一方的に刺激をいただくのみだ。

2021年12月26日日曜日

花の時間

中学・高校生時代はフランス文学をよく読んだ。

中学生の想像力ではよくわからないながら、それでも実年齢よりも大人になりたくて、ただ読んだ。マルタン・デュ・ガールの「チボー家の人々」、ギュスターヴ・フローベールの「ボヴァリー夫人」、ロマン・ロラン「魅せられたる魂」。

高校になってサン=テグジュペリの「夜間飛行」「人間の土地」の透徹した個人主義の感触に惹かれ、何度も繰り返し読んだ。夢中になったのは、堀口大学の名訳も相俟っていたかもしれない。「愛するとはみつめあうことではなく一緒に同じ方向を見ること」。これもよく引用される有名な言葉だ。あの頃最先端の職業であったパイロットで、44歳で二次大戦中に地中海上空で消息を絶ったという人生も、ある意味謎めいていて好奇心を掻き立てられた。

という印象だったが、今般出版された青柳いづみこ氏の「花を聴く 花を読む」には、サン=テグジュペリが実は彼の作品「星の王子様」にでてくる我儘な「薔薇」に似たところがあるという記述があり驚いた。彼の「薔薇」に擬せられた妻コンスエンロが書いた「バラの回想」を読むとそういう一面が見えてきたそうだ。

冒頭の「薔薇」の章から一気に惹き込まれ、勿体ないことにその日のうちに読破してしまった。ちなみに、「薔薇」をタイトルに関する曲は結構少ないそう。好きな作曲家であるヴィラ=ロボスが「カーネーションはバラと喧嘩した」という面白い曲があるそうなので早速きいてみよう。一気に読み終わったが、これから本に記された「花」の音楽をネットで探して聴きながら読むつもり。知らない知識、聴いたことのない曲が一杯詰まった、ひと足早い「音楽の福袋」だ。(写真はAMAZONより借用)

同時に刊行されたCDが、こちら、「花のアルバム」。本にでてくる曲も入っている。フランス音楽の大家なので、クープランの「ケシ」、タイユフェールの「フランスの花々」が入っているのは想像していた路線だが、八村義夫の「彼岸花の幻想」のように日本人作曲家の手による4曲も全て初めて聴く曲で興味深い。

多彩なタッチで、花の質感や、時には香りのような空気感まで表現できるピアニストだからこその選曲だ。


写真はHMVより借用。画は本、CD共に渡邊未帆氏。

2021年12月25日土曜日

この時期の思い出

背筋が伸びるような冷たい空気。落ち葉を燃やす臭い。ヘンデルの「ハレルヤ」の調べ。

中学・高校6年間一貫教育の女子高で、12月になると「ハレルヤ」を全校生徒で練習しクリスマスの礼拝で歌った。記憶力の良い時期に6年も歌うので、今でもピアノ伴奏が始まれば、多分多くの元生徒達は歌えるのではないだろうか。

大学の友人からもらった絵本。"First Christmas"という360度見開きになる精緻な美しい切り絵で、30年以上経つが毎年ピアノの上に飾ってみる。何度も引越しをし、なくなったものも多いのに、何故かこれは今でもそばに。


Jan Pie'nkowski作 きたむらまさお訳
朝の光の中でみても、夜ろうそくの灯ゆらめく中で眺めても、陰影が美しい。これだけの長い月日が経っても鮮烈な白い紙の色が、キリスト降誕のよろこびと清らかさをあますところなく表現している。

2021年12月18日土曜日

フランス音楽講座 マスネ 「静かな水」「流れる水」

12月のフランス音楽講座。

マスネの2つの即興曲をもっていった。

"Eau  dormante" "Eau courante"。PTNAでタイトルを検索すると「濁った水」「流れる水」とあったので、このタイトルでノミネートしてもっていった。

だが、"Eau  dormante"は、ネット翻訳してみると、仏和だと「濁った」とでるのだが、英和だと"still water"。「流れる水」との対比からいっても「流れない水」「静かな水」の方がしっくりくる。

譜面は簡単だ。舟唄の伴奏形のような左手に、右手のメロディは一小節にテヌートの二音だけ。透明感のある不思議な音の連なりだ。

ペダルが難しかった。一小節ずっとペダルを踏んでいると左手の二度でかなり濁ってえぐい感じになる。「濁った水」ならそれでもいいが、哀切感のあるメロディとはあわない。だからといって二度を弾いたあとでペダルを踏みかえるとと綺麗になりすぎてタイトルとニュアンスがあわない。結局試行錯誤して、バスで深く踏み、二度のあとのB(左手の頂点部分)で半分だけペダルを浮かして音を減らす。自分なりに工夫したつもりだが、実現はあまりしていなかったようで先生にはその点を指摘された。やろうとしたことは当たっていたが、効果がでていなければ失敗。この微妙なペダルの調整、苦手だ。

「流れる水」の方はテンポが速い。漸く聴けるようなテンポにできたのが前日だったので、弾くことで精いっぱい。左手のメロディを歌いながら、右手は軽いタッチで素早く流れるように弾く。弾き方やダイナミクスは特に直されることはなかったが、こちらもペダルが課題。「流れる水」なのでこちらは本当に濁ってはいけない。左手、右手、足でのペダルと超忙しく、耳で聴いてそれを瞬時に調整するまでいかない。まあ、練習あるのみなのだろう。

対照的な二曲、水シリーズのコンサートの曲目に使えそう。あまりポピュラーではない曲を聴いて、新しい曲に出会えた喜びを感じるのも音楽の一つの楽しみだ。ここ暫くはそういう曲を探してみようと思う。

2021年12月11日土曜日

くれなゑの深染の

もみぢ遠くよりみつつ来りていま近づきぬ

斎藤茂吉

早朝散歩も寒くて行きたくない朝もあるが、こんな華やかな一瞬に出会えるのが醍醐味で続いている。

2021年12月5日日曜日

フランス音楽講座 マスネ 黒い蝶 白い蝶

先月のフランス音楽講座。

受講生が多く、それぞれコンサートの前の準備等で大曲も多く活況。そんな中、私はマスネの小品2曲をもっていった。

フランス音楽講座には、先生がドビュッシーを特に専門にされていらっしゃるのだが、自分は殆ど弾いたことがなく臆してもっていかず、基礎から勉強しようとフレンチ・バロックをもっていっていた時期がある。それから、暗黙のうちに「フランス音楽」に準じてみていただく人が多いショパン、子供の頃に弾いて好きだったフォーレ、そして漸くドビュッシーを練習してもっていくようになった。自分では無理かと思っていたラヴェルの「水の戯れ」、自分にとっては新しい境地でプーランクも何曲か弾いた。

今年は、今まで弾いたことがないフランスの作曲家を選ぼうと思い、フランス人の作曲家をいくつか挙げてピアノ曲を調べ、フィーリングがあったマスネに白羽の矢をたてた。

マスネと聞くとパブロフの犬のように「タイスの瞑想曲」と結びつく。だが恥ずかしながらほかにはあまり知らない。マスネは1842-1912年の生涯で、作曲をグノーに師事し、主にオペラや歌曲を作曲した。裕福だったが6歳で父の事業が破産、それでも神童惜しまれなんと11歳でパリ音楽院に入学。カフェでピアノを、劇場でティンパニを演奏してアルバイトとし学校に通ったという。

今回練習した「黒い蝶」「白い蝶」は短いながらも、それぞれの曲のキャラクターが明確で、優れた作家の短編のような凝縮感が楽しめる。

「黒い蝶」譜面は難しくないのだが、フランス独特のノアールな感じを、でも重くならないで出すのはとても難しい。3拍子だが、正確に3つ拍子を刻むと「子供のためのマスネ」となってしまう。agitato(激しく、急き込んで、苛立って)という指示と、ワルツでつかわれれば優美な印象の3拍子でどう表現するのか。弾くたびに異なる弾き方を試したくなるができる面白い曲だ。  (写真は楽譜、IMPLSEよりダウンロード)

「白い蝶」の方は対照的に白い蝶がふわふわと舞っているような、空気感が出せるかがキーだ。柔らかさ、時に方向感覚が分からなくなるような非現実感、羽根が漂うような無重力に近い軽さ。こちらは8分の9拍子と、大きく分類すればこちらも3拍子。8分音符、16分音符と音価が短い音が連なり、飛行の軌跡が見えるようだ。「白い蝶」も結構「空気感」を出すのが難しく、拍から少し外して高みへの浮遊、上からの落下などを表現してみた。パターンはある程度決まっていて同じに弾くと「繰り返し」感がでてしまうので、タッチを変えて硬・柔・重・軽・楽・悲といった色を思い浮かべて弾いてみた。

短い二曲だが、弾き込まないとなかなか「フランス曲」ぽくならず、大人のテイストにするには結構手強い曲である。

2021年12月4日土曜日

秋には光になって 冬はダイヤのように 千の風になって

日常は徐々にコロナ前に戻っているのだろうか。

商談も季節性を取り戻し、クリスマス前に忙しい。アメリカ・メキシコと朝7時に。ドイツとは夜8時前に。今週のWEB会議商談はそれぞれ不規則な時間帯だった。

日本の客とは、そろそろと様子を見ながら忘年会を遠慮がちに提案。同僚や仕事関係者の異動歓送会も「有志」で行われるようになってきた。

先月はイギリスのビジネスパートナーが来日し2年ぶりに対面。仕事がご縁で、仕事絡みから解放された今でも一年に一度お会いする知人とも無事懇親会を実現。近況を報告しあった。

しかし日常がコロナ前に戻ることはないだろう。罹患した人も、結果的にはしなかった人も、経験したことがなくなることはない。せめてこの経験から、次の災害の予測精度を高くしたり、政治や個人レベルでの対策実行を迅速化したり、より円滑に情報共有したり、次に活かせる知恵を身につけたいもの。


私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

「千の風になって」 新井満 訳詞・作曲

歌詞も、メロディーも、とても好きな曲だ。
時々父の写真に向かって口ずさむ。
父は秋川雅史さんの歌唱が好きでよく聴いていた。

今日、訳詞・作曲された新井満さんの訃報をお聞きした。ご冥福をお祈りします。