2018年8月30日木曜日

夏休み 宿題 空中菜園のトマト 麗夏

8月ももうあと僅か。電車で何の気なしに車内吊をみていると、夏休みとなると子供の宿題用にいろいろなイベントがPRされていた。これも一種の夏の風物詩。

夏休みの宿題。好きな人はあまりいまい。対応は、多分大別して、1)最初にやる 2)最後にやる 3)適宜やる 4)やらない、に分かれよう。4)やらないで許されることはあまりないので1)~3)が現実解。この1)~3)、日頃の性格が如実にでると思う。私は1)だった。嫌いなものは先に食べる、と同じ論理である。そして何等かの理由で最初にできないと今度は最後までやらず、いきなり2)となる。夏休みの最終日まで借金を抱えた気分で、登校前夜にやる羽目になる。

朝顔の観察日記ですら初日完了。日付を毎日ふり、一週間ごとに想像で開花・枯れさせた絵を描き、各週ごと平準化した成長記録を適当に書くと、あとはその間を埋めていく。天気だけは最後の日に自分が覚えている日の天気を書き、あとは適当。それでも何も言われなかったので、先生は見ていないのだろうと勝手に納得していた。

その宿題から云十年。今年は母がプチトマトの苗を3本育てたので、朝顔の日記ならぬ、トマトの観察が日課となった。私達の計画(妄想)では毎日たわわにトマトが数十個は生り、昼に夜に食卓を賑わすはずだった。が、この「麗夏」はその名の通り立派な美しいトマトに育つのだが1週間で1個位だった。眺めに眺め、待ちに待ち、漸く採取し、お供えとし、最後に個を分け合っていただいた。青臭い、野菜らしい香りがした。昔ながらのトマトの味だった。


2018年8月29日水曜日

向日葵 Sun and Moon Flowers レスリー ラヴェル

リビングに学生時代のみたラファエル前派の展覧会の中で一番好きだったた英画家レスリーが描く「Sun and Moon Flowers」(画像は「オールポスターズ」HPより借用)を飾っている。生花の生命力も、この絵の静謐さもいづれも向日葵の魅力だ。


1890年に描かれた作品。時期としては、丁度今年弾いたフォーレの舟唄1番(1881年)と来年弾きたいと考えているラヴェルの水の戯れ(1901年)の丁度間に描かれたとも言える。

ここ数年間、ドビュッシーの「水の反映」と共にいつか弾きたい曲リストの筆頭を飾ってきた。好きな曲という動機ではなく、フランス音楽の代表作のひとつにチャレンジしようというもの。昨年今年と「水の反映」を弾いたので、次は、という訳だが、難しさに加えてラヴェルの曲を殆ど弾いたことがないという引け目が二の足を踏んでいる理由。

難易度が高い、精密に楽譜で弾き方を指定するので窮屈、といったイメージが強く、自分には縁遠い人、と思っていた。初めて彼の曲を弾いたのは2-3年前に友人と「マ・メール・ロワ」を連弾した時。譜読みは楽だった。しかし美しく弾くのは思ったよりも難しかった。間やニュアンスを上手く表せないとと薄っぺらに聞こえ、やりすぎると厭らしく響く。シンプルで美しいメロディーは、不思議と頭の中でリフレインする。名曲のもつ曲の力、なのだろう。

曲を知る前に、ラヴェルその人にお近づきになろうか。
スイス人で実業家の父と、バスク人の母との間に1875年生まれる。父の影響で6歳でピアノ、12歳で作曲を学び、パリ音楽院に在籍。ここまでみると順風満帆なエリートと見えるが、1900年から5年にわたりローマ大賞に応募するもついに大賞を得られなかったという意外な過去が。1898年に国民音楽協会で作曲家デビューを果たすが1909年には同協会と決別し、新しい音楽の創造を目指し独立音楽協会を旗揚げ。時代は第一次世界大戦となり、ラヴェルはパイロット志願するが果たせずトラック輸送兵として従軍。この大戦中の1917年に母が世を去り、この後創作意欲は減衰したように見え、この後、作曲家としてよりも演奏家としての活動が公的には増えていく。特に1928年に初渡米でのコンサートは成功し、ラヴェル自身も米国の新しい音楽に刺激を受けたと言う。一方、水面下で病気が進行しており、1927年から記憶障害や言語症に悩まされ、1932年のパリでの交通事故で加速する。最後弟や友人の勧めで外科医の手術を受けるが治らず、1937年に62歳で逝去。

「水の戯れ」は冒頭記したとおり1901年、彼が26歳の時の作品。パリ音楽院で作曲を師事していたフォーレに捧げられた。

2018年8月25日土曜日

スタインウェイ 向日葵

紀尾井ホールのスタインウェイは楽器もホールも一流で、夢にみるコンビネーションだ。よく響き、家で練習するのに慣れているよりももっとペダルを細かく踏み、濁らないように調整すべきだったと反省。あがってそんな余裕ももてないと分かっているのであれば、常日頃のペダルを更にもっと細かく制御しておく必要があるのだろう。音は美しく、一曲目はあがって暗譜落ちをしてしまったが、二曲目はかえって俗念を捨てたからか音の響きを楽しむことができた。美しさは楽しめたが、力強い部分、響きにのせるということはまだできなかった。ホールに比して音量は小さかったことだろう。こればかりは、家のピアノだけではなくホールで弾く機会をつくって自分の耳と身体で確かめていくしかあるまい。

スタインウェイは1853年にドイツのシュタインヴェークがニューヨークに渡り、名前もスタインウエィへ、そしてメーカーとしても開花した。工場は米独両国にある。他の欧州メーカーと異なり、宮廷で響かせる前提ではなく米国の音響まだ乏しかった時代に音を響かせることを主眼に新しい技術を次々と投入。同時にマーケティングの意識も高く、その頃のメディアとしては大人数にPRできる展示会に積極的に取り組み、1867年のパリ万博では金賞受賞。またスターピアニストに弾いてもらう、コンサートを後援するということも行っており、営業戦略も時代の先駆者だったとえよう。

技術戦略も明確だ。革新的な技術は特許をとり、その先進性で自社を守ってきた。これも会社経営の教科書に書かれた現代企業の手本そのもの。音を響かせる、その為の技術は、たとえばグランドピアノで弦を交差して張る交差弦。楽器全体を音を伝導する為に、金属のサウンドベルも設けた。

華やかな音は、製販両輪の知恵と努力の成せる業。


コンクールの時に妹からもらった向日葵。飾るだけで太陽が家にきたようだ。眩しい、圧倒的な強い生命力。存在感。花を見ながら、スタインウェイはそういった強い力をもっているとあらためて思った。

2018年8月18日土曜日

送り トルコ桔梗 感謝

今週は太陽暦のお盆。また父の好きなピンクの花、それに似合う優美な白いトルコ桔梗を飾る。横浜に住んでいた頃によく散歩に行っていた大桟橋で買ってきた船の置物。父はよく働いてきた。忙しく殆ど旅行など楽しむ余裕もなく、退職して時間ができた頃には相次ぐ病気で行きたくても行けなかった。憧れからか、よくその大桟橋で船の写真を撮っていた。


トルコ桔梗。リンドウ科ユーストマ属。ギリシャ語でeus(良い)+stoma(口)。形がトルコ人のターバンのような形ということでトルコ桔梗と言われるが、原産はトルコではなくアメリカ。花言葉はすがすがしい美しさ、希望。英語ではappreciationを表すという。感謝の気持ちをこめて、送りの時。

2018年8月12日日曜日

上か下か? ヒペリカム

お盆直前の金曜日。多分職場は、休みに早めに入る人が多いか、休み前に自分の宿題をためないように振りまくり最後の戦いの時か、いづれかだろう。ブーメランのように返ってくる仕事を振り切って、デュオ・ポッキーズ 連弾仲間とのお疲れ様会に駆け込んだ。

コンクールが終わった今がお互いに次の曲目を選び練習はじめるまでの、贅沢な迷いの時だ。弾きたいと思っても手が届かない憧れの曲、他の人が弾いて素敵だった曲を思い浮かべ、音楽談義にもいつも以上に花が咲く。

その友人に先週いただいた花束。このヒペリカムもいただいたが花瓶に入らず、別にして飾っている。学名はHypericum、オトギリソウ科。ギリシャ語でhyper(上に)+eikon(像)が語源という説と、hypo(下に)+erice(草むら)という説とがある。まるで逆な説というのも面白い。前者の説としては、聖ヨハネ祭の前夜、世界中から魔女達がブロッケン山に集まり宴会をしている間、十字架の上にこの花(像の上)に置いておくと魔除けになるという。8月の誕生花でもあり、花言葉は「きらめき」。

煌めく音を一音でも多く紡ぎだすことができるようになりたい。また練習を始めよう。そんな元気を見る者に授けてくれる、生きる力が凝縮したような紅い実。




2018年8月7日火曜日

庭からの贈り物 紀尾井ホール 音の花束

友人から花束をいただいた。鮮やかなガーベラ、カーネーション、野薔薇、それから彼女の家に咲いていたレモンユーカリ、ローズゼラニウム、赤い珊瑚のような実にローズマリー、アイビー。いろいろな種類の草花がそれぞれ精一杯咲き誇っていて、生の美しさに目が離せない。この花束を創られたセンスに脱帽。


先週はアマコンが紀尾井ホールで行われた。一次から本選まで様々な個性が様々な曲で競い合い、弾く側の緊張感、集中力、普段触れることもできないピアノを奏でる歓びと共に、まわりのコンテスタントの演奏を聴く楽しみも味わうことができた。いただいた花束のように、華やかな音、匂いたつようなフレーズ、可憐な装飾音、生命力弾けるスタッカート。音の花束のようだった。

2018年8月5日日曜日

杉並公会堂 ベーゼンドルファー スプレーシフォンブルー

先週は杉並公会堂で憧れのベーゼンドルファーを弾く機会に恵まれた。

毎年応募しているアマチュアピアノコンクールがあり、一次、二次がここで行われるからだ。アマチュアであろうとなかろうとコンクールに出る以上しっかり育てようという気概が講評に表れていること、家族が応援してくれてきた幸せな記憶があること、そして普通触ることができないベーゼンドルファーを弾くことができる、が毎年参加している理由。

ベーゼンドルファーは、1828年ウィーンで創業。ウィーンの音と称される、豊かな中低音部、表情豊かなピアニッシモがよく特徴として挙げられる。リストが弾いても壊れない「耐久性」が有名でもあるが、標準の88鍵の下にさらに弦を張った97鍵のピアノとしても知られる。

初めて弾いた時は、知識もなく弾いたので、ふと気づくと最低音よりも低いところに黒鍵が並んでいるのにぎょっとしてそれだけであがってしまったものだった。何度目かにドビュッシーの「雨の庭」を弾いた時、その第一音が鳴った時、何と美しい音なのだろうかと思った。その時に受けた感動は、今でも忘れられない。このエクステンドベースの追加により弦の響板が広がり、共鳴する弦が増え、中低音の豊かな響きにつながる。ブゾーニがバッハのオルガン曲を編曲する時にベーゼンドルファーに相談したことが始まりだという。

今はヤマハの子会社となった同社だが、ベーゼンドルファーはベーゼンドルファーであり続ける。185年の間に5万台、年に250台しか製造されておらず、標準製造工期は62週間、最終調整は8週間。工業製品というより芸術品(同社HP)。

さて。そんな芸術品に触れ、音を奏でることのできた時間は幸せだった。悲しいかな、存分に歓びを感じるだけの余裕はまだまだもてないのだが。

コンクールのあと、妹からお疲れ様ともらったスプレーシフォンブルーとカーネーション。家族の嬉しい記憶がまた一葉増えた。