武蔵野の樹木の下にも父は居る。家の至る所に若い時から晩年までの姿が見えるが、明るい秋の日差しの中、子供達が走り回る公園もまた、お気に入りの居場所だと思う。祥月でもあり、花を供えに行った。老いも若きも、散歩しながらゆったりと園を巡り、花を供えていく。穏やかで静かな時間が流れている。長くこの地を見守ってきたであろう大木が並んでいる。ふと見上げると父が好きな薄紅色の花が輝いている。
ーーー秋が かうして かへって来た
さうして 秋がまた たたずむ と
ゆるしを乞ふ人のやうに・・・・・・
やがて忘れなかったことのかたみに
しかし かたみなく 過ぎて行くであらう
秋は・・・さうして・・・ふたたびある夕ぐれにーーー
(立原道造 「やがて秋・・・」から)
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