2019年12月24日火曜日

家族集うとき

クリスマスはキリスト教にとって大きな意味のあるもので、キリスト教の近くにいた時間が長かったので、何か商業主義にのるだけの風潮には気持ちの抵抗がある。でも、単純に、素直に、家族や友人、恋人や親しい人々が集う時と捉えるれば、それもまたひとつの良い機会だなとも思う。


母の創ったリース。何十年も同じ土台だが、毎年何か新しいものが加わっている。今年は取っ手に新しい紅いリボン(いただきもののお菓子の飾り?)とか。玄関にこのリースが飾られると歳甲斐もなくウキウキとしてくる。

今日は妹夫婦から、足温器のプレゼントをもらった。母の体調を慮ってだろう。

たのしみは 家族集うて 贈り物 開けて 笑って 確かめ合うとき

2019年12月22日日曜日

冬至 そして音 楽しむとき

冬至のこの日。南瓜を食して、この季節の健やかなることを願う。

音の喜びもまた心の健やかさのひとつのバロメーター。

先週は友人のコンサートに参加。川口でベーゼンドルファー・インペリアルを弾く機会に恵まれた。とても佳い音楽会だった。仲間よし、ピアノよし、ホールよし。これ以上何を望めよう。

今年は本当に自分の体力と種々のスケジュールとの闘いに思えた。無事にプライヴェートは今週末で主なところは終わり本当に安堵。ホッ。


2019年12月21日土曜日

超える

咲き切って薔薇の容(かたち)を超えけるも

中村草田男


先週御紹介の妹からの贈り物は、ドライフラワーとなり、凝縮されたエッセンスだけに姿を変えた。有り様の違いはあるものの、いづれも美しいと感じられ。

2019年12月15日日曜日

3ヶ月ぶりの

休みだ。本当の。

昨日でキャリアコンサルティングの講座は終わり。コンサートでフランス音楽を弾く目標も同様に昨日終わった。忘年会は会社関係だけにして時間を創って最後の受講の宿題、そしてちょっとだけピアノの練習もした。仕事だって頑張った。欧米客がクリスマス休暇に入る前にできることはやった。アジアはもう一度話ができるかと種まきをした。


冬薔薇(ふゆそうび)
たのしみは 妹飾るる冬薔薇 蕾開くか 蕾開いて! 朝 占うとき 

2019年12月7日土曜日

一葉

冷たい雨の日だった。雪が降ると言われた位の真冬日。雨に濡れる常緑樹の上に、一枚紅葉が。

その写真に献じて、今日のタイトルは紅の「一葉」。

と書いたところで、この「一葉」という言葉、結構いろいろな意味がある。「一葉の写真」と数えることもあれば、一艘の小舟を指すことも。「アルバムの一葉」という数え方のタイトルに訳されたシャブリエの曲もあれば、また俳諧では桐の葉を言うとのこと。人名でいえば樋口一葉が挙がるだろう。


あなかちに枯れるてもなし桐一葉 正岡子規

2019年11月30日土曜日

キャリア・カウンセリング 実技で考えさせられたこと

今週はまた急激に寒くなった。職場は風邪で休む人だらけ。私も先週までまた懲りずにひいていたので、他人事ではない。

学びの生活の方は、今週はキャリア・カウンセリングの振替授業と正規のそれと二日あるので、疲労困憊。特に実技のクラスは先週末に続いて二週連続。体力も気力も酷使した。先週は特にプロの先生にクライアント役をしていただいているので、手強く、率直で、痛かった。

その痛み収まらぬうちに今週の実技のクラスはクラスメート同士のロールプレイ。設定も受講者各人が作ったもの。ある程度内容を自分なりに理解しているケースでないと、話のつじつまが合わなくなったり、感情がわからないと困るので、受講者が自分自身と、幾つか知っている人達のケースを綯い交ぜにして作成することが多い。

若い人から60代の人まで年齢層が広い為、ケース設定も様々で思いがけなかったり、分からなかったり、多岐に渉る。そんな中で、今回私は、今年になって急に会社が定年延長を打ち出し、あと数年頑張ろうと自分に鞭打ってきた企業戦士が、急にゴールのテープが遠のいて、ショックを受け、途方にくれどうしてよいかわからなくなってしまったというケースの方と一緒にロールプレイをした。

授業なのでケースとして役をこなす一方、個人的には自分もまた同じような境遇にあった!と思い、どうやってこのニュースというか衝撃的な制度改訂を自分は乗り越えたのだろうとつらつらと考えてみた。

そういえば。昨年骨折で一ヶ月会社を休んだのだが、そうなる直前に、業務上オーバーキャパになっていて、心身共に疲弊しきっていたことを思い出してきた。骨折した時は精神的なことは忘却の彼方に押しやり、単に運動神経ないなと思ってまわりにもそういっていたのだが・・・。そして、物理的に骨折で会社に行けなくなった一ヶ月間、仕事しつつも、長く勤めた企業と、自分という個人との距離感を種々考えていた。そしてある割り切りに至っていたのだと気付いた。

ケーススタディといった、他人の事例を実技したり分析しているつもりが、ふと気がつくと鏡の中の自分を覗き込んでいた、といったところ。
興味深くもあり・・・でも、思いもかけないところで自分の心の深淵に向き合わされてしまったような・・・薄ら寒くなるような思い(自己認識)もしてしまった授業だった。


この写真は妹からもらった竜胆、どんどん茎をきって小さくなった。だが身体一杯に咲いていて、その生命力が美しかった。

竜胆の美しさを映像的に再認識させてくれる文がある;

「ああ、りんだうの花が咲いている。もうすっかり秋だねえ。」カムパネルラが、窓の外を指さして云いました。
線路のへりになったみじかい芝草の中に、月長石ででも刻まれたような、すばらしい紫のりんだうの花が咲いていました。

宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」から

2019年11月29日金曜日

気になるプーランク

2019年は実は(と言っても自分が知らなかっただけ)プーランクの生誕120年だった。2019年1月7日にプーランクお誕生日おめでとう!と書いていた人のブログを読んで気付いた訳。

フランス音楽講座で受講生が「ナゼルの夜会」を弾いたり、青柳いずみこ氏が「小象ババールの物語」をとりあげたりされたので、その自由な作風に興味をもったものの、今年1月7日時点では全く自分が弾くことは想定していなかった。

本当は弾きたいなという思いもあったが、それはいつかもてる自分の時間の為にとっておき、コンクールの曲は別にと思っていた。

だが、弾きたいと思った曲を練習し、アマチュアなんだからコンクールにもっていってもいいじゃない!と思うようになった。心境変化である。

コンクールに対する自分の気持ちが変化した(コンクールで受け容れられる曲を弾くべしと思ってきたが自分の弾きたい曲を弾いて、アマには分からないコンクール用の曲じゃないじゃないと評価落とされてもいいじゃないという変化)。それに、プーランクの曲は弾いてみると弾きにくく(自分にとって予想したような音にいかない)、とても短い即興曲を練習しているのにもかかわらず仕上がらず、「得体の知れないもの」としてもっと知りたくなったから。

そういう訳で、「好きなメロディが時々ある」だけではなく、「気になるプーランク」として、追っかけをしてみようかなと思っている。


我が家の花、ちょっと趣向を変えて横貌を撮ってみた。

正面からみると、絢爛。香りも艶やかに、座を支配するが如く美しく咲き誇るオリエンタルリリーだが、このアングルからだと意外と華やかというよりも柔らかく、しなやか。

百合の横貌。人と同様、いつもと違う表情は、思いもかけぬ邂逅なだけに、印象深く心に刻まれる。

2019年11月24日日曜日

収穫感謝祭 勤労感謝の日

11月第四木曜日は米国の方の感謝祭。今年はそのあとのBlack Fridayが、消費税10%後のセール口実の好機として脚光を浴びているが、やはり、自然の恵みや、働く人への感謝の日という方が、個人的には祝う気持ちが盛り上がる。


今年は親戚が育てて送ってくれた生姜が、我が家の感謝祭のメイン。

個人的には感謝の時だが、仕事上は、欧米客向けの営業はあと2週間、クリスマス休暇前が勝負。いつもこの時期は最後のかきいれどき。仕事のチームは発破がかかる時期。

ふと、いつの間にか20年そうやって、その地域、文化、国の客毎にスケジュールをたてて臨んできたなと思った。後輩に教える時には、因果を伝えて理由がわかり忘れないよう伝えるのだが、それらを自分の身体のリズムにするにはそれなりの時間がかかったな、と思う。多分、それには、スケジューラーにインプットしたり、アラームを鳴らすようにするだけでは培えない反射神経が、客と会った時の会話や、商談の成否だったり、経験という色付けで培われたからなのだろう。

2019年11月10日日曜日

立冬に

思い立って父のご機嫌伺いに、横浜の海へ。家族と共に。とても佳い日だった。


菊の香や月夜ながらに冬に入る 

正岡子規

2019年11月4日月曜日

モデリング 緒方貞子さん 

国連難民高等弁務官の緒方貞子氏逝去の報があった。

均等法すぐに社会人となった私には、社会が「総合職」という言葉をつくった頃の女性先輩というモデルは殆ど居ない。居ないが、モデルというにはおこがましいが、人として尊敬している人がいて、その中に緒方さんがいらっしゃる。

私が通った学校の准教授をされたこともあり、授業で言及されたこともあり、何冊か読んだ。しかし、心に刻まれたのは、カナダに留学した時に何度か、「日本人?」「それ、どこにあるの?」と言われることばかりだった中、政治学のクラスメートからは、「Sadako Ogataが活躍しているね」と言われた。(ちなみに、ピアノ演奏法のクラスメートからは「Mitsuko Uchidaと同じようにモーツアルト得意なの?」と聞かれた。) 世界でも知られているのだ、こんな素晴らしい方々が、同じ日本人なんだ。と、誇らしかった。

今週のキャリアコンサルティングの授業は理論の勉強で、バンデューラの社会的学習理論、モデリング(観察学習)もあった。「他者の行動を観察し、意識的に模倣すること(モデリング)だけでも学習が成立する」との理論だ。人が人に影響を与える、というのはこういう時を言うのだな、と経験として分かってはいたが、理論として理解したのだった。その時に、緒方さんの顔が思い浮かび、個人的には接点がないのに、尚、その行動が人々に影響を与えるという、行動の重みを噛み締めた。

日本のあらゆる若い世代に、『何でもみてやろう』『何でもしてやろう』という姿勢を、意識的に持ってもらいたいと思います。緒方貞子

もう「若い世代」ではないが、メッセージは「Ex-若い世代」を十分鼓舞してくれる。



薄紅の菊を求めた。あまりにも美しい薄紅色に魅せられて、普段、菊は買わないのに。でも写真を撮って気付いた。心惹かれたのは、花びらの美しい色と共に、中心部の生命力ある黄色であったことを。

2019年11月3日日曜日

カーテンを 洗って 洗って 洗った

10月から12月は土曜日がスクーリングだから、週休1日。出張が入ったらゼロ。

そんな中で、今週末は三連休。何時にも増して貴重です。

カーテンを洗うのは結構重労働。いつも年末の最後に迫られてやるが、今年は今日を逃がしていつやるのか!。選択の余地なく、そしてこの快晴、カーテンを洗って、洗って、洗った。


宿題をやろうと思っていた日。頭を動かさず、でも身体を一杯使った!

竜胆の子供達の写真。力一杯咲いている、妹にもらった竜胆はもう2週間経つのに、それぞれ元気。パワーをおすそわけ。

2019年11月2日土曜日

神帰月 祥月


出雲に行っていた神様たちが帰ってくる?11月。
早いものでもう11月。
私にとっては祥月。


ほんとうに出会った者に別れはこない
あなたはまだそこにいる
目をみはり私をみつめ くり返し私に語りかける
あなたとの思い出が私を生かす
早すぎたあなたの死すら私を生かす
初めてあなたを見た日からこんなに時が過ぎた今も
谷川俊太郎

2019年11月1日金曜日

アイスランド

友人が突然「行ってきた!良かったよ!」と。

アイスランドに行ってきた?

北欧は、いつか行こうと思ってとっていた。仕事でデンマークとスウエーデンは駆け足でいったが、いつもの如く空港と工場の往復だけだった。どんなところ?と聞く前に、どん!と分厚いチョコレートをお土産にいただいた。

包み紙はインパクトのある火山?溶岩?だ。


アイスランド?
折角だから土産「話」の方もとねだって、アイスランド冒険談を食事をしながら聞くことに。

きけば、北海道と四国をあわせた位の国土に35万人が住んでいるだけ。同じ島国、火山が多く存在し温泉も。と聞くと親近感も湧く。だが、現金比率は1%と、日本との違いも目だつ。金融国家だったが世界金融危機でアイスランド・クローナが暴落し、これが瓢箪から独楽で、「漁業とアルミの輸出に有利に働いた(Wikipedia)」とのこと。旅行した彼女に拠ると、物価も高いし、人も少ないし、何をして食べているんだろう?と心配したが、結構IT企業が入ってきているらしいとのこと。夜6時頃にはしまってしまうレストランで隣り合わせた人達(外資系ITの人達が出張できていた)と話をした情報。

写真を見せてもらうと、滝に滝に滝に奇岩。荒々しい自然しかないかと思うのだが、それがかえって私達の日常にないもので、原風景を思い出したような気がしたと。最後までオーロラは見られなかったけれど、また行きたいと熱く語っていた。

心をかきたてられる旅先候補に出会ってしまった気分。




2019年10月27日日曜日

頭で分かっても

週1スクーリングのキャリア・コンサルティングの授業。仕事で使っている人と使っていない人の差はスタートからあったが、更にそこに勉強している人、していない人の違いもでてきている・・・。

今週はまた実技。実技が多いのは有難い、理論の勉強は自分でやれるが、実技は相手や観察者がいないとできない。「関係構築」から「問題把握」にステージが広がるものの、土台がまだできていないので、頭では理解しても、それを実践にすぐ適用できなくて、非常にもどかしい。受講者が皆声をそろえて言うように、社会人として、先輩として、人事として、上司として、できるだけ短期間に立ち上がってもらえるよう、どうやってわかり易く、目的のスキルや課題解決能力を得られるよう手助けするか。それを云十年やってきて、「カウンセリングは相手に話させる、考えさせるため」質問形をしない、話をきく、といわれても・・・。話が堂々巡りして焦ってしまうだけ・・・と。理論を勉強して、自分がどのプロセスにいることがわかっても、それでもなお。

講師も同級生も議論を戦わせる。年齢も性別も違うのだが、はじめ意識していただろうに、今は 何故? どうして? 何が?と(学費のもとを取るためにも)必死に理解度を高めようとする。散々な感じの自分も含め、必死な人達とぶつかりあうのは、結構楽しい。なりふり構わず、答えを求める。納得感を求める。それが学問なのだと思う。


平日必死に働き、また週末も必死に勉強したつもり。疲れた脳にふと金木犀が甘やかな香りを漂わせる。

夜霧とも木犀の香の行方とも

中村汀女

2019年10月22日火曜日

薔薇の子供たち

今日は即位の礼正殿の儀で祝日。

写真は皇居近くの三菱一号館の庭にて。父が好きな場所で、今でも時々漫ろ歩く。薔薇の蕾が初々しく思わずシャッターをきる。花の子供時代である蕾は、時に「未来への希望」と重ね合わせて喩えられる。明日へ希望が持てる世の中であることを願って。


同じ薔薇の蕾といっても、イギリスの詩には少し辛口の詩がある。

Gather ye rosebuds while ye may,
Old time is still a-flying;

薔薇の蕾は集められるときに集めなさい
時は過ぎ去るものだから

Robert Herrick


2019年10月20日日曜日

理論の勉強

週末のスクーリングはキャリア・カウンセリングの理論の勉強。

米国で20世紀に発達した理論を駆け足に初期の頃のそれを勉強。一日で半世紀分勉強したので、誰がどの理論だったかはにわかには暗記し難いが、それらが産業革命、一次・二次大戦と時代の要請に応えて、仕事の需給の両方のニーズから発達してきたことがよくわかる。本質的なところは今も十分通じるし、科学的にある程度実験を通じて検証され理論としての役割を担っているが、それが20世紀の米国社会のニーズが起点になっていることが、現在の日本人にはピンとこない点だったりする。それもまた、昔異文化間コミュニケーション論を勉強した身としては、面白い。

前回の実技のコースはその晩、或いは数日間、いろいろ考えさせられて、目が冴えて眠れないことがあった。これは仕事で悩んでいる時などの「眠れない」ではなく、刺激を受けて興奮しているといった感覚なので不快ではないのだが、それでも寝不足という結果は変わらず少し困った。今回、前回授業の振り返り時に、同様に「どのように心を収めたらよいのかと思った」という感想を話してくれたクラスメートが居て共感した。今週のクラスの理論は興味深かったが、自身の心に衝撃を与えるものではなく、お陰で眠れそうだ、、、


母の庭には、妹がもってきてくれた、紫、ワイン、白のトリコロールの竜胆。

あしもとのりんだう一つ二つひらく 山頭火

2019年10月19日土曜日

青柳いづみこ氏 フォルテピアノ らららクラシック ハノン

続けて音楽の話し。最近で印象に残っている音楽のプログラムを。


まずは青柳いづみこ氏の「フォルテピアノ 脱力と音色」
(写真は同氏のオフィシャルHPより借用)
汐留ベヒシュタインにて。
フォルテピアノで弾くとこういう音なのか!と論より証拠、百聞は一見にしかず。
曲はその楽器の為につくられたのだと納得させられたコンサートだった。
私が弾いたことがあるラモーも、こんなに繊細な音で弾くことができるんだ!と当たり前にして自分一人痛い発見。
https://ondine-i.net/concerts/4632

らららクラシック 嫌いじゃないぜハノン。
嫌いだったハノンをこんなに楽しんで、愛でて弾く人がいるとは。
開眼である。
リズム練習や調整を変えて弾く練習は子供の頃に練習したが。いろいろ本当に楽しげに工夫して弾かれるのを見て、こちらもその気にさせられ、早速番組終了後に、強弱いれたり、速度を変えたり、ずらして弾いてみたり、今迄しなかった遊びを仕掛けてみた。怖くて近寄らなかったおじさんがふっと笑いかけてくれたような、子供の頃解けなかった難問がすっと解けたような、わだかまりがいつの間にかなくなった気持ちの軽やかさが後に残った。
http://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2019-09-20&ch=31&eid=29463&f=2285

音楽交差点 民族楽器
今日放送(再放送)。インド打楽器 タブラ、日本 胡弓、スウエーデン ニッケルハルパ、ベトナム トルル、ケルト アイリッシュフルート。
聞きなれない音色、音階の楽器もあるが、自分のものにされている方が弾くと、耳慣れない楽器なのに魂が一瞬で惹き込まれる。邂逅の機会を提供する、といえる番組。
https://www.tv-tokyo.co.jp/broad_bstvtokyo/program/detail/201910/23729_201910190800.html

音楽はいいなあ。

2019年10月18日金曜日

プーランク

1899-1963年。第一次、第二次世界大戦、戦後の冷戦時代も経験した世代だ。裕福な製薬会社創設者の父をもち、「フランス6人組」の一人。実業家の父の反対でパリ音楽院に進学しないにもかかわらずだ。ピアノ曲、管弦楽、室内楽、宗教曲、バレエ曲と曲風も幅広い。伝記など読んでいないの詳細はまだ分からないものの、ここまでの印象では、恵まれた環境を悪びれず、物怖じせずに自分と自分の才能の為に活かし、開花させた人のように思え興味深い。どうしても天才作曲家は夭逝、貧困、毀誉褒貶、時代から理解されずに死後に評価、等苦労物語が美談として語られることが多い中、等身大の人物として身近に感じる。

レパートリーの広さといえば、この人はオペラも作曲しており、「ティレジアスの乳房」「カルメル派修道女の対話」など。オペラを書きたくて長く構想を温めながらついに描ききらなかったドビュッシーの話をしっているだけに、つい比較してみてしまう。何事もそつなく何でもできてしまう人のように思えてしまう。これだけ予見をかきたてておいて、やはり伝記を何冊か読んでみよう。

9月に体調を壊していた際、友人からお見舞いをいただいた。学生時代の懐かしいトラピスト修道院のワッフルクッキーや、北海道十勝カルメル会修道院のチョコレート(写真)。この絵は、私の中の心象風景のひとつにとても近い。最近、プーランクの楽譜の近くに置いて、練習しながら時々眺めている。プーランクは今は即興曲11番と13番を練習中。コケティッシュだったり、感情的になったり、祈りの一瞬が表れたり。


体調も復活し、漸く三度目の正直でその友人と楽しい飲み会。山形料理のお店で、話して、話して、話して、そして美味しい日本酒と肴で乾杯。

2019年10月14日月曜日

台風一過

台風一過。先月の千葉の被害も生々しいままに、また数十年に一度といわれた19号が東日本を直撃、大きな被害をもたらした。被害に遭われた皆さまには、お見舞い申し上げます。

私自身も親戚も巻き込まれたが私達は幸いにも無事だった。同僚や会社の工場の状態を確かめ、客対応などに追われた週末だった。

そういう時期に、カナダに住む叔母・従妹達が来日していた。結果的には難なく過せたが、かなり驚いていた。カナダは私自身も留学したことがあるが、人の少ない大きな国だ。それがこの、人の多い小さな国 日本で、いきなり数十年に一度と言われる台風に遭った。驚き、未経験の怖さを感じたことだろう。彼らは今日、カナダの感謝祭の日に帰って行った(カナダはアメリカと異なり10月第2月曜日)。

私にとっては、そういう週末ながら、昨晩友人に久しぶりに会えたことが休みらしいといえば休みらしいイベント。DUO POCKYs の彼女とは、夏のコンクール以降会えておらず、彼女の夏のウィーンでのピアノ講習や帰国後の長崎等での大学院の研修の話を聞き、いつものことながら、触発された。ドイツ土産にいただいたプレッツエルの形をした、グローブやシナモンのミニリース。写真では届けられないが、はっきりとハーブの香り高い。気持ちが和らぐ。こんな小さな工芸品にも、自然の豊かさを感じた。



自然の恐ろしさと豊穣。私達の対し方が大きく影響しているのだろうが。あまりにも激しく異なる側面をみてしまった週末だった。

2019年10月7日月曜日

寄り添う

週末だというのに、こんなに貸会議室が満杯とは思わなかった。自分が知っている世界がいかに狭いか思い知った。

キャリア・コンサルタントの講習を受けに週末貸し会議室に行くと、IT系、財務系、人事系、あらゆる講習会が開催されていて、フロア全室満員。老若男女が学んでいた。今迄土日も結局働かざるを得ない身には、こういう人達も居るんだ!と羨むと同時に開眼した気が。

通っている講習会は理論も実技の勉強もあるが、実技がかなり痛い。「面談は関係構築から」と言われると、当たり前ではないかと思う訳だが、実際自分がやってみろと言われると180度変わる。

日々仕事で「効率良く仕事を進める」ことを是として云十年、それこそ日々努力してきたのだからそういう効率最大限人間になっている。ケースを見せられれば、短時間で(営業だから、数分で)まず問題の想定、課題設定、解決策3策、Max(望ましい)、正攻法(落としどころ)、Min(リスク対策)を考えて提言できるように武装する。あたりをつけたところで、その根拠・数字を探して、次数時間でまずプレゼンできる状態に。万一数日与えられれば更に深堀りする。それが日常。

しかし、カウンセリング/コンサルティングでは、そういう道筋を思い描いたとしても、まずは相手に寄り添って、相手の話したいことを聴く準備をする。

これが、言葉にすると当たり前なのだが、難しい。問題解決を急ぐあまり選択肢を示してしまったり、解決したいと思うあまり質問しすぎたり。沈黙が怖くてとにかく口を開いて横道にそれるような話にもっていってしまったり。

「相手のことを思って」という大義名分で結構自分の意見、評価押し付けているのだとわかったことは、受講生一様に自己反省。だが次は上手く行くかと思いきや、慮りすぎて言葉が出なくなる場面も。

コミュニケーションは、幼子が歩き始めるように、何度も試行錯誤しなければいけないものかも。そう、立って歩きたいと思い続けていたらできるものかも。

「自分が聞きたいことを聴くのではなく、相手がどう思っているか、何を話したいか、寄り添って考えてみては?」

社会人になって、いつも戦って生き残ることしか頭になく、「寄り添う」という言葉を聞いて胸を衝かれた。(一体どういう会社生活だ?と思う方も中にはいらっしゃるかもしれませんが?それが会社生活?なのです)



2019年10月4日金曜日

いろいろな引き出し

学生時代、「人によって引き出しを変えて見せなければいけない時がくるよ」と言われた。その場の文脈としては、率直な発言を是としてた自分に対し、好意と心配をもって言われたと思う。今になれば、有難い言葉だと分かるが、その時は当たり前のことを改めて言われた意味がよくわかっていなかった。要は、単純な率直さそのものが悪いわけではないが、社会にでたらいつも真っ正直にぶつかっていられないぞ、相対する人に会う対仕方を身につけろというアドヴァイスだったのだろう。

この言葉は心に残り、時々ふと自分に問うている。果たして自分は引き出しを増やせただろうか。

引き出し。その人が使った「いろいろな人への対し方(例えば話題の振り方)」という意味もあるだろうし、「知見」「知恵」「工夫」として使われることも、個人の多面性(話題の豊富さ)ということにも使われる。

前回のキャリア・コンサルティングの講座の中で「人生の役割」として、働く、学ぶ、楽しむ、家族、市民、その他 という分類で、現在の自分と3-5年後の自分を点数化してみる、という時間があった。自分の優先順位づけを知る、そして理想とする自分を想像してみる、人生のステージによってその優先順位も変化することに気づく為の検討。私自身の図を見てみると、現在仕事9、家族1、それ以外はほぼ0といったいびつな姿だった。バランスよくすることが目的ではなく、自分が良いと思う方向を考え、どうしたら実現できるかと考える基礎資料なのだが、それにしても私の目の前に描かれた図はあまりにもバランスが悪すぎる。これでは引き出し(多面性)は増えてないな、、、と納得。

個人の次なる(3-5年)での目標は、学ぶ、楽しむ時間を増やし、地域で何かボランティアするとっかかりをつけるというもの。

人のカウンセリングするより、自分のことを知って唖然・呆然とする、というキャリア・コンサルティングの講座となりそう。


本日の、母の空中庭園のワンカット。父の好きなトルコ桔梗。やわやわとした優しさと、華やかな色合いがお気に入り。


2019年9月29日日曜日

長月のおわりに

9月は長患いの長月だった。月がかわることで自分(体調)も良くなって欲しいもの。

仕事上は期末として期初からやっていたことの結果を問われる時期。一方プライヴェートでは新しく始めたことも。長患いは計算外で始まる前に計画してしまっていたので今更取り返しもつかずやり始めているが新しい勉強を2つ始めた。1つは通信教育で1つはスクーリング。どちらも時間も気力もとるので辛いが、新しい知識を得る喜びは大きい。

スクーリングの方は、キャリア・カウンセリング。今迄の人事と営業の経験を活かせるかとチャレンジしてみることに。スクーリングは終日1日×3か月を、通常の業務にプラスするのはかなり厳しい。しかし、行ってみると他の受講者の目的意識に刺激を受けたり、知らないことを知る楽しみに、疲れと贅沢な時間をもらったという心持 半々だ。

今は体調悪く、仕事も通常にもどれば通学できないのではと不安が勝っているが、勉強してみようと思えるだけ環境が恵まれていることもわかっているので、あとはやってみるしかない。


珍しい、真紅の蘭を。暑くて、でももうすぐ秋を感じさせる色。

2019年9月23日月曜日

お彼岸

夏風邪をひいた。夏風邪は長引くと思い早めに医者に行って服薬したのに熱と咳が収まらず3週間、休んだり、テレワーク、フレックス。定義はどうあれ、休みつつ仕事しつつ休んだ。40度の熱があっても休んだことのないのが身上なのに、と情けない。だが、ふと、骨折の時と同じように身体からのメッセージととらえなければいけないのかなと思った。


今年はお彼岸に墓参にも行かれなかった。

2019年9月1日日曜日

八月の終わりに ピアノレッスン プーランク

今週出張もなくなったので、今日は急なお願いをしてピアノのレッスンを先生にお願いした。9月のフランス音楽講座にもっていく曲をみていただくため。練習をはじめたのは昨日なのだが、、、。

プーランク 15の即興曲の6番と8番。フランス音楽講座で他の人が弾くのを何度も聴き、弾きたいと思いながら手を出しかねていた。好きな曲はメロディックな曲と、皮肉の効いたでも技術的には難しそうな曲なので、前者はイージーリスニング、イージプレーと思われるのではないかと思い、後者は難しい割にそう受け取ってもらえないとの勝手想定。だが、弾きたい曲を弾けばいいじゃない!と開き直ることにした(自分に?、誰も気にしていないでしょう)。

プーランクは1899-1963年仏作曲家。現代音楽家といってよい時代に生きた人だが、分かりやすく、調性で作曲をし続け。所謂現代曲の作曲家とも交流し理解を示しつつ、わが道をいく人だったようだ。Wikipediaでは、クロード・ロスタンの評を引用している。「ガキ大将と聖職者が同居している」と。

作曲家に個人的にも興味が湧くが、掘り下げるのは、まずは曲の練習をしてからでしょう。


今日で8月も終わり。夏休みも1日とっただけで終わり。ちょとさびしい気がする・・・が、この災害の多い夏、親族も仕事の同僚も九州に居るので、月が変わりもう災害もさようならと言いたい。


2019年8月30日金曜日

夏休み

今日は夏休み。とうとう一日もぎとった。

何もしない日にしようと思い、計画もたてなかった。仕事も、勉強も、趣味もなし。そんな贅沢な一日。

とはいえ、結局朝からホボテレワーク状態。

それでもやっぱり嬉しい夏休み。

この夏のピアノコンクールの日々を振り返り、練習時間がやはりどうしても足りないこと反省。曲は二年かけてつくるべし。人より練習時間が少ないなら期間を多く取らざるを得ない。そして公私のオン/オフを、形だけではなく、心を本当に切り替えて、ピアノを弾く時には仕事を完全にシャットアウトする。音楽に集中し、音楽のことのみ考える。それが音楽を楽しみ敬う為の、最低限のルールだと自省。


妹からのプレゼント。ご褒美と思っていいのかなと愛でる。

2019年8月12日月曜日

精霊がたずねてくる夜に

この暑さなのに、「お盆」は秋の季語だという。立秋も過ぎ、暦の上では秋というが、実態感が伴わないことこの上ない。

盂蘭盆の 出わびて仰ぐ 雲や星 飯田蛇笏

今晩は雲や星、そして月がくっきりと見え、この句がふさわしい。家族の精霊が訪ねてきやすいように明るい夜だ。


叔母が創ってくれた陶器の水差しに薄紅の小花と木苺の葉を添えて。帰ってきてねと開く天空への窓。


2019年8月5日月曜日

中野坂上 ベーゼンドルファー ピアノの音

中野坂上のハーモニーホールでベーゼンドルファーを弾く機会に恵まれた。

ただ、自分が想像したよりも大きな音で響いたのに驚き、はじめの一音で緊張してしまった。即興で新しい楽器、新しいホールに楽しむこと、ができるほど心の余裕がなかったのだろう。

コンクールや音楽会は、普段仕事が殆どの生活の時間を占めている世界と、完全に異なる世界。どちらも自分にとって現実で、どちらも違う意味で自分にとっては大切だ。コンクールはアマチュア向けで、それによって収入が変わるわけではない。しかも趣味の領域だ。何があっても別に世界が変わるわけではない、はず。だが、実際には個人の世界では大切な部分なので、いろいろと考えたり感じるところがある。

その試行錯誤が楽しいから、続けている。自分自身でのトライ&エラー、先生やまわりの人との話し合い。家族からのシンプルにして厳しいひと刺しも・・・。それも、弾いて、自分としては頑張ってやってみているから、反応を求められるのだと思う。


ピアノは家族からの贈り物。宝物だ。

2019年7月21日日曜日

銀座 ヤマハ ベーゼンドルファー

今日は銀座のでベーゼンドルファーを弾く機会に恵まれた。ヤマハホールというからてっきりキラキラのヤマハのピアノと思い込んで行ったら、なんとベーゼンドルファーだった。弾く時に気がつき驚愕。確認をしようとも思わなかった私の情報戦負け。

先に他の方々の 演奏を聴き、結構響く人と、ソフトペダルを踏んだ人は柔らかすぎるように聴こえていた。が、美しいフォルムと、豊かな響きに、「弾いてみたい」という思いがでてきた。最近は自信のなさが先にたつ思いが、今回は「このピアノと対話したい」と思えたのが自分としては嬉しかった。

実際には間違いがかなりあったが、自分なりには踏みとどまりその範囲に置いてはうまくまとめた。勿論聴く人が聴いたら間違いは分かったろうが、いつもの緊張からくる震えもなく、ピアノの音色を楽しみながら弾けたことがとても嬉しかった。コンクールとしては失格だが、幸せな時を過ごすことができた。

コンクールの幸せ。それは素晴らしいピアノに触れ、その音をその場で聴くことができること。


今年は梅雨が長い。コンクールが終わってもまだ梅雨明け宣言がない。梅を干す日がなかった(母が。私ではない。) だがこの漬ける前の黄金の色、成熟の時が楽しみだ。

2019年7月7日日曜日

雨の花

今日はポッキーズの友人と連弾。
ドビュッシーの小組曲。
小舟にて、は少しゆっくりめに。優美さを出したい。
バレエ、はバレリーナの友人のステップ、空気感を表現したい。
いつものとおり短時間の練習しかできなかったが、この本番の浮遊感がたまらない。


帰り道、気がついたら雨が降っていた。
しとしとと梅雨らしい午後。まるで花のように雨が草木を飾っていた。


2019年6月15日土曜日

荏原スクエア/スタインウエイ 中野/ベーゼンドルファー

ゴールデンウイーク前からの大きな商談二件が決まらず、心身ともに休まらないままきている。 頭がなかなか仕事モードから音楽に切り替らない。

練習量もとみに少なく、コンクールで一曲目に弾く予定のフォーレの舟歌12番は漸く譜読みが終わった状態。 今月中の暗譜は絶望的。

 こんな状態とは本人も家族も想定しておらず、荏原スクエアのスタインウエイを弾く機会を家族が抽選申し込みしていてくれて、また中野ベーゼンドルファー社のスタジオ借りを例年のように一度だけだが申し込んでおり、まだそんな状態ではないのだが・・・会社帰りに行ってきた。

こんな特別な機会は私には望めない。仕事関係者には時間外とはいえ1時間携帯をオフにすると伝え。 荏原スクエアのホールは初めて弾いたが、響きが美しい。

華やかなスタインウエイの音色が、放物線を描いて放たれていくようだ。スタインウエイも、音も鍵盤も軽すぎず、重すぎず。ピアノ、ホールともども、ピアニストを助けてくれるようだ。 

しかし、はじめ弾いた時は、家で弾いているように、音が閉じていた。

防音室などないので消音で技術的な練習、土日に普通に弾くが流石に窓も閉めて気を使う。響かせることを意識することはなく、上手く(間違いなく・・・私の苦手な)、歌えることを目標に練習する訳で、思いっきり響かせる機会はまずない。冒頭部分と、響かせたい部分だけ取り出して弾いてみる。だが音はポトリと落ちる。時間が勿体ないが、冒頭部分を右手、左手で分けて弾いてみる。それでもポトリ。目を瞑って弾く。尚更ボトリと湿り気を帯びて落ちた気がした。

ポーンッ と放物線を描く第一音が欲しい。腕を使って。響くが音がキツい。指の腹を使って、腕を使って・・・。 

冒頭の部分で響きを確かめていたらそれだけで30分経っていた。慌てて通しで弾いて録音をし、あとで確かめることに。 

次は水の戯れ。美しい音がするに違いないと思って弾いたのに、こちらもマンション練習の音が。フォーレの柔らかな陰影に富んだ音とまた違う、硬質な、煌びやかな音が欲しいのに。

だがこちらは冒頭練習はあきらめて、中間部のフォルテ部分を鳴らす練習をした。

ホールのあの隅まで音が届いて欲しい。左手で、腕を使って、アーチを描いてあの隅へ音が届くように。

結局隅まではまだ届かなかった気がするが、腕の力を抜いて弾けた時、何度か音がホールに響いた。

あの感覚を忘れずにいられるだろうか。 

中野のベーゼンドルファー社のピアノは、初めてベーゼンドルファーを弾いた時の混乱と感動を、毎回思い出させてくれる。美しく豊かな音。これぞ欧州(と括ってしまってはいけないのだが)、墺国の音なのだろう。ドビュッシーの「雨の庭」を初めてベーゼンドルファーで一頁だけ弾き、その美しさに感動した。コンクール本番の場だったが、上手く弾きたいという自意識を忘れさせる程の音の美しさだった。 

ところが、今回、その美しさを感じられなかった。

自分の弾き方がこのピアノを弾く迄になってなかったのだろう。また、仕事から音楽への集中に切り替えも上手くできていなかったこともあるだろう。

ピアノは嘘をつかない。ベーゼンドルファーで弾いたら、あの雨の庭の感動が再び味わえる期待を勝手にしてきた訳だが、思いいれをもって練習し、その瞬間 その音楽のことだけを考えないとピアノは応えてくれない。

ここでも同じように、シンプルなフレーズを何度も美しい音と思えるまで練習した。全くもって技術的には進歩なし。自分が音楽に没頭すること。その大切さを、あらためて教えてもらった(ああ、勿体ない、、、もっともっと違う練習に使えたはずなのに・・・)。 

どのピアノもそれぞれに働きがあり、意義があり、音楽を奏でる素晴らしい楽器だ。だが、今回「非日常」のピアノだからこそ、強制的につきつけられて向き合うことができた課題がある。機会に感謝。

2019年6月2日日曜日

紫花

紫花の咲く我が家のベランダ庭園。 生命の象徴のように葉も花も咲き誇る。とうとう6月。初夏だ。 この花は、昨年骨折中に叔母が庭からひと房もって見舞いにきてくれた。水耕栽培して鉢に移した。 今春、一輪、二輪、と咲くのを愛でているうちにあっという間に咲き始めた。
週末は、連弾の練習、ソロの練習、従弟家族と妹来訪、とプライヴェート楽しい時間だった。

2019年5月26日日曜日

黄小菊

ベランダの黄色い小菊が元気一杯に咲いてくれた。早春にこれから暖かくなる季節の兆しが欲しくて、葉がツンツン元気で、蕾の一杯ついた鉢を求めた。それ以来、突風にも、雹にも、氷雨にも巻けず黄色い小さな蕾が毎日毎日花開いた。

大きさは小さくとも、黄金色のエネルギーを発散しているかのよう。ギリシア語のchrysos(黄金)とanthemon(花)が英名。


2019年5月19日日曜日

美しき五月に

暗雲たちこめ雨も降ったが、これぞ五月という青空も一瞬垣間見えた週末だった。

見られる時はチャンネルをあわせる数少ない番組。音楽の交差点をみていたら、カウンターテナーの藤木さんが、シューマンの「美しき五月」を歌ってくれ、惹き込まれて聴いた。

https://www.tv-tokyo.co.jp/broad_bstvtokyo/program/detail/201905/23729_201905180800.html

この他、「Pray Not, Amen」 作詞 サラ・オレイン 作曲 加藤昌則 という曲も初公開というが、詩と曲と歌声と三拍子そろっており、聞き惚れた。


五月の庭にて。

2019年5月11日土曜日

紅の花水木

ゴールデンウイーク中も、世界は休みではないので、日々メールで商売は続く。とはいえ、出勤しなくてもいいのは、ゴールデンな日々である。

その休みが終わるときは常と同様ブルーになるが、身体は休まったので、連休に感謝。


舞姫の出で来る如し花水木 中杉隆世(ホトトギス)

2019年5月5日日曜日

端午 タンゴ TANGO

洒落のつもりで今日UPするのではなく、たまたまなのだが。今日の話題はTANGO。



両親が好きで、父はお風呂で、母は気が向くと、タンゴを歌っていた。昭和時代に日本に入ってきたタンゴの曲、殆ど知っているといえるかもしれない。両親のタンゴ好きに加えて、ピアソラの曲が好きで、ピアノで時々弾くが、いつかはタンゴらしい楽器 ピアソラが弾いたバンドネオンを試してみたいもの。

夢はバンドネオン。でも、悪魔の楽器と言われるほど、ボタンの並びに規則性がなく、学ぶのが難しいらしい。

連休中にはじめて、小松亮太のバンドネオンのコンサートを聴いた。全て良かったが、特にピアソラは良かった。

いつかバンドネオンを弾きたい。これが夢だ。


2019年5月3日金曜日

ドビュッシー 「小組曲」 シャンパンでお祝い

連弾のスポコン猛練習は連休の行事。今年はドビュッシーの「小組曲」。去年コンサートで友人と弾いたとはいえ、あの時は短工期だったので、あらためて練習ことはじめ。

2時間びっしり、秘密の特訓である。冷や汗も、練習の汗もかき。加えて、練習の間に、友人がパンを焼いていただき、その香りでうっとり・・・、いやいや、練習、練習。

連弾のパートナーにして、社会人の尊敬する先輩でもあり、今までも多くの影響を受けてきているに加え、今回、活躍された職場を離れ、大学院に進学の道を選ばれた。お忙しいと遠慮し、GWに話が聴けるだろうと待っていたので、今回は特に、連弾練習に加え、その決断に至るまで、或いはその後の話をお聴きするのが楽しみだった。

話をおききし、またもや、自分には届かないなあ、と嘆息するのみ。


新たな門出にシャンパンでお祝いを。

とはいえ、全て友人のお手製で、私は歓声をあげるばかり。新鮮なホワイトマッシュルームと真っ赤なパプリカのサラダ、薄紅の海老と緑眩しいアヴォガドサラダ、数種類のアスパラにとろりと半熟卵のソ^ス、ジューシーなスティームチキン、

おもてなしいただいてしまいましたが、御祝の気持ちはこの泡の如く、何時までも立ち昇るばかり。

2019年5月1日水曜日

令和 調和 調律

今日から元号が令和。元号として、或いは文字として、様々な解釈が紹介されているが、私自身は「和」という字が好き。

音楽に引き寄せてみれば、ハーモニー「調和」だろうか。

昨日は20年来お願いしている調律師さんにきてもらって一年に一度の調律をしてもらった。隈なく音、和音をならして、響きを確かめていく。私にはできない技で、ただただ息を詰めてみているだけ。だが、段々と音の響きがよくなっていくのだけは分かる。ぽーんと和音を鳴らして、違う音が互いに並んで、一音一音では違う音の響きをつくっていく。

同じ音でなくともいい。違う音が違う色の音をつくり、それが連なって想像もしなかった音楽が生まれていく。そういう時代の幕開けであって欲しい。


2019年4月30日火曜日

平成 「ガラスの天井に挑む女たち」「OPTION B 逆境、レジリエンス、そして喜び」

今日が最後の平成の日ということで、暫く前からマスコミは平成を振り返る企画が目白押し。この企画を自分にあてはめたら?

私は平成元年入社なので、平成の今日までの間、社会人として生きてきた時間と言い換えられる。バブリーと言われた入社時の空気も、そのあとその時代のツケをを払う為に合理化の嵐となった時もその台風の目に居た。400人入った同期もすぐに辞めた人も、分社化して別会社になった人も、そして私も含めて残った人も多数居る。思えば、女性「でも」「使える」と思わせたくて、男性に伍して働き、それ以上の成果を出すことがずっと眼前の目標で、所謂「24時間働けますか」にYESと有言実行することが生き様だった。

昨日の日経に「平成を変えた女性管理職 元年入社の執行役員が対談」の記事があった。
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO44249860W9A420C1000000/

「平成の30年間で女性の働き方は大きく変わった。就業者に占める女性の割合は4割を声、勤続年数は2.5年延びた。しかし管理職比率は13%程度と、海外に比べ著しく低い。」からはじまり、野村證券の鳥海氏と三菱ケミカルの花房氏という二人の執行役員の対談に続く。

「仕事を続けてこられた原動力は何でしょう。」同じ問いを受けたら、自分の場合はどう答えるか。400人の同期の中、女性は7人。同じグループに残ったのは自分を入れて3人、他の人は転職したり、身体を壊したり、道は違えどわが道を行っている。自分にとってこの道がわが道になっているのは、結局今の営業の仕事が面白いから、しか理由はない。辞めようと思ったこと、辞めなければ瞑れる、ステップアップの為の転職、など幾つか分かれ道があったが、結局選び取ってきたことになる。

だが、満足している訳ではないし、戦って勝ち取ってきたつもりのものが、本当に「伍して働いてきた」ことが良かったかどうかは疑問だとも最近思っている。鳥海氏が記事で「いま役員になっている女性は男性化してうまくやってきたからで、発想は男性とあまり変わらない。男性化していない人は途中で淘汰されているのが現状。本当に変えるなら、そういった女性が入ってこないと。」と話しているとおり、今、漸く「多様化」の必要が言われる時代になって、「男性化している女性」としてが「均一化」に組み込まれている自分が見える。

一生懸命働いてきたこと、自分なりに成果を出してきたことは肯定しつつ、この一時代が終わったこの機に、今迄自分に課してきた枷を意識的に取っ払って「新しい働き方」「多様性を受け容れる、或いは多様性に寄与する」ことを考えていきたいと思うこの頃。もう、そういうことを考えてもよい年齢になったはず。変化のより早くなるこれから、柔軟性とそれを可能にする受容が私にとって必要な技術なのだろうと思う。

ビジネスウーマンが書いた本で、今でも何度か読み返す本をご紹介。

入社の頃読んだ懐かしい本;
幸田シャーミン「ハーバード・ウーマン・ガラスの天井に挑む女たち」扶桑社
幸田氏がハーバード留学でインタビューした女性達の語る「ガラスの天井なんかに封じ込められない」という思い。悔しい思いをした時によく読んだ思い出がある。ただ、自分自身の体験も含め、その当時は「最大限の努力をすれば、人は自分を男女という分類ではなく個人としてみてくれるようになる」と考え、或いは思い込もうとしていた。実際、今もその思いは変わらないが、少なくとも平成の時代は上述のように「男性化」しないと淘汰される側にまわるということも同様に理解している。そしてその法則は当の男性に対しても同様に適用されることも。

最近読んだ本で;
シェリル・サンドバーグ 「LEAN IN 女性、仕事、リーダーへの意欲」「OPTION B 逆境、レジリエンス、そして喜び」
フェイスブックCOOのメッセージ。自分にはかけ離れた、何でももっているポジティブな人というイメージがあって、正直「LEAN IN」の方は一回読んでそこで終わった。「OPTION B」は「レジリエンス 回復する力」との副題に惹かれて手にとった。相変わらず恵まれた人、というイメージもあるが、それでも夫に先立たれ、這い上がる気持ちも起きない、というところから回復しようと自分の力を信じて育てるその強さに、何度か読み返してはエネルギーを分けてもらってきた。

さて、次の元号の時代は、振り返った時どういう時代と言われるのか、或いは自分も振り返る機会があるのか・・・。楽しみに思いたい。


2019年4月29日月曜日

金の橘 金の時

さあ10連休。待ちに待ちに待ったこの休み!
連休最初は、OBとの再会、高校時代の友達とのオイスター・ランチ。

横浜で美味しいオイスターをスパークリングワインでおしゃべりに興じる。気置けなく、何年会わずとも会ったらすぐに心は(身体は無理だが)すぐに高校時代に戻る。

友人がつくってくれた金柑の甘煮。金柑は中国原産。金橘とも記す。その中国語読みでKumquat, Cumquqt。


長崎の土鈴と共に。


2019年4月20日土曜日

ラヴェル 水の戯れ

先週はフランス音楽講座に1時間だけ参加。時間が足りず聴講だけかとあきらめていたが、15分だけ先生にみていただいた。

全体的には「優しすぎる(音、弾き方)」、あとは個別に弾き方のアドヴァイス。最初に「優しすぎる」と言われた瞬間に、「ばれた」と「ドビュッシーを弾く時の音のままなのだろう」と思った。

本当は、リストを弾くように(但し私は先生に習ってリストをまだ弾いたことがない)カッチリ弾く練習をある程度できてから、ラヴェルらしい音を探そうと思っていたのだが、思ったよりも譜読みに時間がかかってしまい「カッチリ」弾くところまで至らずにもっていってしまったので、音の幅を出すのにソフトめにシフトせざるを得なかった。自分が最近慣れていた弾き方で取り繕っていた、はああ。多分、先生は第一音で判じたのでしょう。

「リストが、属九の和音をそのままアルペジオにしているのに対して、「水のたわむれ」では、基音となるホ音やイ音の上に、調整感の気迫な長九、長七のアルペジオが浮かび、オルゴールのような不思議な効果をあげている。リストの水がキリスト教の聖なる水なら、ラヴェルの水は神秘的な異教の水といったところか。」/「水の音楽」 みすず書房 青柳いづみこ

今日は最初の4小節だけ練習。でも納得せず。


水辺に行った。といっても海辺。潮の香りがした。風が強く白波が立った。戯れ、という感じはなく、でも耳をすませて目を瞑ると力強い水のリズムを感じた。繰り返しの音形を変えて弾こうと頭で考えていたけれど、ザブン、ピシャン!という音形は際限なく続き、一度も同じではなく、ただ続いていく。

自然に弾けるまで、無心に弾けるまで、やっぱり練習あるのみかな・・・。

2019年4月14日日曜日

桜草

エープリルフールもマスコミで話題にならない位、新年度、新学期、新元号、新紙幣(ついでに五輪相の急遽新旧交代も)と新しい話題が矢継ぎ早の4月。今年の年度変わりは、仕事上も新会社、新組織、上層部の新旧交代と、いろいろ目白押し。気持ちも尖りがちだが、近しい人が病に倒れたり、自分も風邪でダウンしたり、思わぬ落とし穴に遭遇すると、なにげない日常の生活を送れることに感謝しなければ・・・とも思う。慌しく、めまぐるしく、そして考えさせられる春だ。

今年は常になく、「桜開花」が待たれ報じられた。ソメイヨシノもいいが、桜もそれぞれの種が美しい。同じ「桜」を冠する「桜草」も種が違うが、今美しく咲き誇っている。


英語名はprimrose。prime roleということで最初に咲く、ということかきたと言われる。そういう意味では、待たれて、待たれて、咲く花、ということで桜草と和名がなったのかもしれない。新年度、「新しい」が「希望」「期待」「未知」に繋がる季節にふさわしい花。

2019年3月23日土曜日

希望

桜開花がニュースを騒がした今週、週末の今日は冷たい雨が。水仙が雨に打たれて咲いていた。


桜もいいが、水仙の清冽な白も、心引き締められる思いがする。よくギリシア神話の「ナルシス」からくるNarcissusという学名が引き合いに出されるが、「希望」の象徴でもある。

何も彼も水仙の水も新しき 正岡子規



2019年3月17日日曜日

沈丁花 香りあるダフネ

馥郁たる沈丁花の香りに包まれて・・・。云十年前の在校生総代として卒業生を送った時の挨拶。この冒頭のフレーズは母の文で、その言葉を得ていろいろと立ち昇る思い出を語ることができた。

この3月は期末ということだけでなく、組織改正や人事異動、ビジネス上の話もありきつい。ふと家の下に咲いていた花の香りに意識が仕事から現に戻った。現とは今ここにいる自分と沈丁花。ギリシア神話のダフネに因む花の名。


2019年3月3日日曜日

弥生 雛祭り

昨年の2月は骨折し3月は寝たきり。同僚に迷惑かけまいと仕事ばかりし、身体が動かず家族に迷惑かけた自分を悔いていた。梅も見られず、見る余裕もなく。

それでも時間は経ち、今はまた以前のとおり早歩き。でも、去年骨折の時に、普段会社で話さない人達が「大丈夫?」「どうしたの?」と声をかけてくれた。通勤電車では誰も席を譲ってくれず怖い思いもした。通っていた病院では立ち行かなくなり、松葉杖で必死にリハビリの病院も探した。怪我のお陰で思いもかけぬ掛け声に勇気付けられ、憤りもし、気がつかなかった制度の落とし穴もみた。自分と同じ思いをしている人には声をかけよう、一緒に制度を変えようと思った。

今年は梅も見られたし、雛祭りの飾りも。健やかなることを感謝。雛飾りも、娘の健やかなるを祈る親心から生まれたのだろう。その祈りどおりになりますように。






2019年3月2日土曜日

B Barda / 「アンリ・バルダ 神秘のピアニスト」/ クロッカス / 春先の・・・

前回アシュケナージについて書いた。次はB?と思うとBで始まるピアニストは結構いる。アシュケナージと同様に指揮者でも大成した人ならバレンボイム?

この人のショパンのバラード1番、印象強い。自分が怖いもの知らずに1番を弾いたことがあるが、その時幾つかのピアニストの演奏を聴いた中の一人。硬派で自分の確固とした曲への想いがあり好きな演奏だった。が、テンポも速く、まあ、私が取り入れられる部分は殆どなく、憧れのみ残った。

青柳いづみこ氏の「アンリ・バルダ 神秘のピアニスト」という本。何度も読んだ。私にとって憧れという言葉でしか言い表せない「天井人」を、友人として、ピアニストとして、作家として、人間バルダとして表現している。

今、ラヴェルの「水の戯れ」を練習している中、「その日の圧巻は、ラヴェル「鏡」のレッスンだった。・・・夜蛾そのものの描写ではなく、それを眺める詩人や作曲家の同情心が滲み出ている、というのがバルダの解釈だ。」はラヴェルへのアプローチの参考、という平板な言葉ではなく、好奇心を搔き立てられる。ライヴ、行ってみたかった・・・。

今日は久しぶりの晴れ。春らしい陽射に、冷たい空気。ピアノレッスンに行こうと家を出た途端、クロッカスと目があった。crocus(「糸」のギリシャ後)、vernus(春咲きの)が学名。




2019年2月24日日曜日

煌めく日

昨日は「デュオ ポッキーズ」の友人のコンサートだった。汐留メディアアネックスで燦燦と陽が降り注ぐ中、ブルーシフォンドレスで颯爽と演奏。

業種異なり、フランス音楽講座がなければ多分知り合わなかった縁だが、話してみると働く環境の厳しさは同様で、いつの間にか公私に渉って相談してしまうほど。


シフォンドレスが美しかった。彼女のお客様を迎える声も煌めいている。

美しさ。それだけでは人は動かない。しかし情熱があれ人は心を動かされる。

2019年2月17日日曜日

アッシャー家の崩壊/青柳いづみこ氏 FISCHER/Elisabeth Joye

2月。既に今年2回素晴らしい音楽を聴いた。

1月の青柳いづみこ氏の「アッシャー家の崩壊」。
ドビュッシー没後100年と言われた昨年。彼が死の直前まで夢見た自作のオペラ。未完の作を市川景之氏の補筆で演奏。壁に和訳も映写され、言葉の意味合い、音楽で成し遂げたかったことを聴衆に感じ取らせてくれる素晴らしい機会だった。
ドビュッシーのピアノ曲は漸く数曲弾いてきた訳だが、彼は「言葉」にもこだわっていた。フランス語がわかれば、このオペラや歌曲も楽しめるだろうに。「もっと」ドビュッシーを知りたいと思わせられた音楽会だった。

2月は青柳いづみこ氏の友人という、ハープシコード奏者 Elisabeth Joye氏の演奏を聴くこともできた。


(DVD写真 amazonより "Johann Caspar Ferdinand Fischer / Elisabeth Joye)

鍵盤楽器は打楽器だ!という風に弾く人も中にはいるが、彼女は雅な宮廷音楽だ。華やかなパッセージを弾いたかと思うと、ふと内省的な、ためらいの間が、心に沁みる。私が虜になった、青柳いづみこ氏の「やさしい訴え」と通じる音楽への思いを感じる。

2019年2月11日月曜日

ラモー ミューズの語らい 雪の日

この日曜はフランス音楽講座。前日にピアノの先生にみていただき、一旦装飾音を外して曲の流れをやフレーズを確認していった。先生には申し訳ないが、コンクールの曲以外はフランス音楽講座の2-3週間前に決めて急ぎ練習し、音楽講座の前日にもっていって、その場で見ていただくので、先生は全く曲の知識がない中で指導せざるを得ない。だが、先生は装飾音などは確認済みのものとして任せ、フレージングをメインにチェックしてくださる。三声、四声になった時の弾き分け、音の範囲の広がりから感情の高まりを読み取る術など、バロック、近代曲など時代にかかわらず普遍的なアドヴァイスをいただく。読みこんだつもりの楽譜がまだまだ多くのことを語ってくれることを教えられる。こういう語らいがとても楽しい。

今回は、フランス音楽講座にもっていったのは、ラモーの「ミューズの語らい」。ラモーの解説と首っ引きで調べたつもりの装飾音だが、スラーから入るものは間違った弾き方をしてしまった。八文音符の鎌足はまだ感じがつかめず使わなかったら指摘いただいた。バロックは今と弾き方がかなり違うし、楽器自体、チェンバロとピアノとでは異なる。難しい。だが、それでも長く弾き継がれているのには訳がある。バッハを聴くと心が落ち着くのと同じように、この曲も弾いていると心が凪いでいく。

日曜は天気が良かったが、土曜、今日祝日と雪が降った。寒かったが、子供の時、雪が降ったら外に飛び出していって雪に触れたのを思い出した。


あすしらぬ こともをかしや 雪つもる    飯田蛇笏

2019年2月3日日曜日

A Ashkenazy / アシュケナージ 作曲者の意図を表現したい 春告草

先週の「らららクラシック」ではラフマニノフがとりあげられていて、「超一流の作曲家にしてピアニストにして指揮者」と紹介していた。それをみながら何の脈絡かアシュケナージのことを連想した。作曲家ではないがラフマニノフと同様、モスクワ音楽院をでた、超一流のピアニストにして指揮者だ。曲の勉強をする時は彼の演奏で模範を知ってから、そのあと他のピアニストを聴く人も多いのでは?

模範。ひとことでそう印すが、誰もが思う「模範」とはどうやってつくられるのだろう?否、つくるのだろう?



https://xecutives.net/vladimir-ashkenazy-about-his-life-his-own-musical-gift-and-his-spiritual-comprehension-of-musics-significance-beyond-words/

Xecutives.netとのインタビュー記事にアシュケナージらしい表現があった(英文、上記写真は同ネットより借用)。

作曲家が言おうとしていることを理解しようとしなければいけない。
どうやって考えそして感じ始めるか。
粗い言い方かもしれないがこう表すしかない。
考え、そして感じる、両方なのだ。
もちろん、あなたは頭を使って全てを組織的にまとめなければならない。
また、ある作曲家について、彼が伝えたいと思っていること、
あなたが何故そう感じるのかつきつめなければいけない。
そして時にはそれを言葉で表すこと。
でもそれは絶対不可能だ!

右脳と左脳をとことんまで酷使して、様々な面から作曲家に迫ろうとする姿がうかがえる。この好奇心が彼をピアニストに留まらず指揮者とならしめたのだろう。

さて。ネットサーフインしていた訳は。先週はアメリカもフランスも、日本も大雪。出張の予定がなくなった。行っていたら酷い目に会っていたが、なくなって助かった。そんな寒波にもかかわらず今日は暖かい。明日以降は更に。立春だ。少し遠回りをしてお目当てを探しに行った。


春告草。梅の別称。気持ちも綻ぶ。春を待つ気持ちが。