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2022年10月23日日曜日

天才ピアニスト・ブーニン 9年の空白を超えて

NHKのドキュメンタリー 見るつもりがなかったのに全部見てしまった。

金曜の遅い時間だったので、心身ともに疲労の身には辛く、見ないつもりでいたのに、さわりだけとチャンネルをまわし、結局呆然と立ったまま1時間半聴いてしまっていた。

ショパンコンクールで華々しく日本でも名前が売れるようになったが、その時の演奏はあまり印象に残っていなかった。華麗なる円舞曲34-3の高速演奏は意表を衝いて、ライブで聴けば興奮させられたかもしれないが、ラジオを通して聴いた自分にはあまり響くものがなかった。同じショパンコンクールの演奏で、ラジオで聴いたツィメルマンには第一音から惹き込まれてしまったのと対照的だった。だから、特に興味をもってチャンネルをあわせることも、CDを買うこともなく過ぎていた。

今回NHKの予告編のタイトルで「9年の空白」とあり、何の空白?と少し気になったので見る気になったのだが、60歳に近いブーニンの痩せた姿に驚いた。左手が動かなくなり、次には足の骨折でペダルも踏めなくなるところを大手術と過酷なリハビリで歩けるようになったということも知らなかった。ドキュメンタリーの中で、もはや2時間のコンサートを全うできるコンサートピアニストではないと言っていた。それを認めるのはこの天才ピアニストには、長い時間と葛藤があったのだろう。

昨年「再会」としてコンサートを日本で開いたそうだ。自分が初めてのコンサートで弾いた、そして息子にもレッスンした曲を、左手と足が不自由な彼が身を削りながら練習していく。八ヶ岳のコンサートの模様が少し流れたが、思いを込めたとても印象的な演奏だった。コンサートピアニストではないと本人は言っているが、「かつての天才ブーニンが思い描くコンサート」ではないかもしれないが、艱難辛苦を経たピアニストが聴衆に語りかけ、琴線に触れる音を奏でる心に残るコンサートだったのではないかと思った。


2021年12月31日金曜日

大つごもり

昨日、今日は大掃除。もっと前からやっていれば良いものを。

暮れも押し詰まって全部やるから大仕事。分かっているけどやめられない。これが泥縄の習性なり。

自分はそれで良いが、母は気がせくのか体調があまり良くない。休んでもらいたいとYOUTUBEでクラシックのBGMをかけて少し休んで下さいと頼む。少し聞くと、このショパンは間延びしているとか、もっと歌って欲しいのに自動ピアノみたいと言う。それは3時間、4時間かけ放しの作業用BGMだからしょうがない。と言っても母は納得せず。

誰のが聴きたい?と聞くと間髪をおかず「ツィメルマン」。彼のショパン ノクターン、バラード、スケルッツォそしてシューマンの即興曲のYOUTUBEを流した途端、それまで立って働こうとしていたのに、椅子に座って聞き入って。その間、玄関と台所の掃除をしようと思っていた私も結局聞き惚れてしまった。

歌うようなアーティキュレーション、惹き込まれずにはいられない音色。天性としか思えないリズム。

一年の最後に思いもかけず、ゆっくりとした時間となった。

大つごもり 曇りがちなる 夕べかな 村山故郷

皆様にとっても良い年の瀬、年始となりますよう。

2021年10月31日日曜日

ショパンと映画

ショパン・コンクールに触発されて、思い出した映画がある。

「戦場のピアニスト」

第75回アカデミー賞で監督賞、脚本賞、主演男優賞の3部門を受賞た作品。ショパンの夜想曲20番が印象的に流れる。実在のユダヤ人ピアニスト(シュピルマン)の実話であり、それだけに現実味があり心に重く残る。ドイツ軍将校に命じられて、この曲を弾く。それまで逃げて生き延びることにのみ心を向けていたピアニストが、弾き始めた途端にこの曲を奏でたいという衝動に突き動かされる場面は忘れることができない。そしてこの夜想曲20番以外に、この場面に合う曲は考えられない。耳について離れない曲だ。

映画の主人公のシュピルマンの方は、その演奏や人生について、この映画公開後は脚光を浴びることが多くなった。

Szpilman この人の弾く夜想曲20番(YOUTUBE)。

戦場のピアニストを救った将校 一方、公開後すぐには脚光を浴びることがなかった、このドイツ人将校の方も本になったようだ。読んでみたい。


「グリーン・ブック」
こちらは、第91回アカデミー賞で作品賞・助演男優賞・脚本賞の3部門を受賞。黒人のエリートピアニストと白人のナイトクラブの運転手が共に人種偏見の強いアメリカ南部を演奏旅行するという設定。このピアニス(ドン・シャーリー)とも実在の人物で2歳からピアノを始め、ロシアのレニングラード音楽院で学び、18歳ではボストン・ポップス・オーケストラでデビュー。この他、音楽や典礼芸術、心理学の博士号を取得、8ヵ国に堪能だったともいわれ、作品中では「ドク(ター)」と呼ばれた。
作中、ショパンの曲は、演奏旅行中の場末のバーで弾いた「木枯らし」のエチュード。黒人であるが故に、個人の技量で判断されない悔しさを直接間接に受けた彼が弾く。ショパンのエチュードの中でもとびきり難しいこの曲を難なく弾く孤独な姿。だが、弾く喜び、聴衆の興奮、といったことの感じられない、木枯らしのような心象風景と結びついた曲想だ。

「天使にショパンの歌声を」
最後は、こちらもエチュード、別名「別れの曲」を使ったこの作品。
ケベック映画賞受賞6部門の作品。優れた音楽教師で寄宿舎のシスターと、寄宿舎の女子生徒たちの物語。経営難で音楽学校が閉鎖されそうになり、シスターと生徒が立ち上がる。反抗心旺盛の女子生徒が、最後にコンクールで弾く曲がこの曲。

結局、現実は厳しく、生徒たちの頑張りむなしく音楽学校は閉鎖されてしまう。この女子生徒はコンクールに挑戦することで新たな舞台に旅立つ。別れの曲の、少し懐古的で美しいメロディが、この映画の締めくくりに彩りを添える。(写真はKADOKAWAのHPより借用)


2021年10月30日土曜日

第18回ショパン・コンクール

2位反田氏、4位小林氏と日本人が二人入賞。日本国中が速報に沸いた。

経済紙の代名詞の日経ですら、お!と思うタイトル。現地でコンクールを取材していた青柳いづみこ氏に電話インタビューし、彼女の表現を見出しに使った。

演歌のようなショパン

急なインタビューに青柳氏からそのままでてきた言葉のようだが、キャッチーなタイトルでマスコミとしては成功だったのでは。ショパン・コンクールといういかにもクラシックの世界と、日本人には親しみやすい演歌というジャンルのミスマッチが多くの人の目を奪った。きっと琴線に触れた演奏だったのだろうとの期待感で、多くの人がYOUTUBEに向かったのではないだろうか。

こんなに楽しく弾いていいんだ!

実際、青柳いづみこ氏のHPを拝見すると、右側に表示されるTwitterで、今回のコンクールの経緯が、多角的に速報されていて、臨場感いっぱい。あとでゆっくりまた戻って読ませていただくつもりだが、そのレポートの中でも、心わくわくしたのはこの記事。

>>元気が出たショパン・コンクール

>>ピアノって、こんなに楽しく弾いていいんだ!
>>審査員までもが耳を洗われた(との談話が)マルティン・ガルシア・ガルシア。


いつかはゆっくり本選のはじめからYOUTUBEで自分の耳を便りにコンテスタントの音楽をききたいものだが、今はまだなかなか時間がとれない。今回は、青柳いづみこ氏の記事に沿ってきいてみようと思う。

ところで、ショパン・コンクールの裏事情。以前テレビで、本選に残る方々に選んでもらうピアノメーカーの熾烈な戦いをレポートする番組を観て、メーカーの営業としてはとても興味をもった。一度アマチュアコンクールで「次に弾くピアノを選んでもいいですよ」と言われたことがあったのだが、限られた時間 種々のピアノを弾いて試すか、これというピアノを絞って最終判断するか迷ったものだ。人によっては至福の表情を浮かべいろいろなピアノを試弾する人も、はじめから決めたピアノで自分の曲の感触を確かめる人もいて様々だった。私は余裕なく、後者。でも今考えるといろいろなピアノを試弾しておけばよかったかも。今回の優勝者はイタリアのFazioliを使ったそうだ。netでみると、メーカー指定を途中で変えてもいいとか悪いとか、ルールに混乱があったようだ。これは、コンテスタントにとっては大きな条件変更で、ええ!!!という人もいただろう。それだけピアニストにとっては「自分」の弾き方、技量も大切だが、「ハード」とも言えるピアノや響きを司るホールも大切。ホールは変えられないから、「自分」以外はこの「ハード」の選択も深く考えるところがあったろう。何故今年はFazioliだったのか。これを探るのも今回の楽しみの一つ。






2018年9月16日日曜日

ピリオド楽器によるショパンコンクール第一回 Naruhiko Kawaguchi

この9月にピリオド楽器によるショパンコンクール第一回が行われた。ピリオド楽器とは「the period」ということで、作曲された頃に使われていた様式の楽器、その頃弾かれていた楽器。ということでショパンが作曲していた頃の楽器を使ってショパンを弾くコンクール。ショパンコンクールがこれだけ有名になり、マーケティング的には二匹目の泥鰌を狙って切り口だけ変えたのではないか、とうがった見方をしてしまったが、結果はさあどうだろう?

今回の結果は
http://iccpi.eu/en/news/id/136

Thomasz Ritterが一位。二位にNaruhiko Kawaguchiというオランダ在住の日本人が入った。おめでとうございます。この方以外の入賞者は皆ポーランド人。そういう審査にしてしまったのか、ピリオド楽器をそもそも練習する機会が多いのがポーランド人なのか。にわとりと卵の議論となりそうだ。また、ただピリオド楽器を弾くだけで良いのか、弾き方の様式はその当時のものにどこまで対応するのかもこれから深化させていく余地があり。

ピリオド楽器、ピアノに関してはモダンピアノに対しフォルテピアノという言い方もするらしい。18世紀初頭 強弱を出せるチェンバロの一種という売りでピアノ誕生。19世紀にかけて5オクターヴ、6オクターヴと音域も広がり、工房で職人の技を競い合った。19から20世紀にかけ、フランスではエラール、プレイエル、ドイツでベヒシュタイン、ブリュートナー黄金時代を迎える。一方で産業革命後の大量生産の波はピアノ製造にも影響を与え、20世紀はスタインウェイが一大勢力となる。

強弱を出せるチェンバロから出発したピアノの進化とピアノが作曲された時代を結びつけて弾く、聴く楽しみは確かにある。そもそもマーケティングは需要を創出することも含め、人の望みをすくいとることでもあるのだから。このコンクール、クラシックピアノ界に一石を投じることはできるのか?長い眼で見守りたい(といっても次は5年後だし)。


さて、妹がもってきれくれた今日咲いているのはスプレーバラ3色。グラデーションが美しい。ペンシルヴェニア州に以前出張で行った時にアンティークショップで求めた祈る少女の人形と共に。



2018年3月1日木曜日

ショパンとサンド NHK BSプレミアム 「ザ・プロファイラー」

この番組は岡田准一さんが司会者なので一度見てみようと思っていたが機会がなく、今回ショパンが題材だったこともありチャンネルを合わせた。ショパンの伝記や書簡などについては何冊か本を読んでいたのでその一生の凡その流れは知っていたつもりだが、あらためて彼が生まれた地、過ごした地、手稿の映像を曲と共に見ていくことができイメージが広がった。

また、サンドがショパンの為に馬の毛でつくった防音室、ショパンがジョルジュ・サンドの髪の毛を晩年の手帳にはさんでいた話や、スコットランド人の姉妹の弟子に誘われ、体調が悪い中イギリス演奏旅行をして更に悪化させていたことなどは初めて知った。最後ポーランドの姉に頼んでパリに来てもらって看取られてなくなったという。

あまり音楽家の中では話題にされない「どうして年上の女性(サンド)と・・・」といった幾つかの設問に、いろんなジャンルの出演者が自分なりに、ある人は生活感溢れる言葉で、ある人は自分の体験に基づき想像するのも面白い。エチュード「雨だれ」誕生のエピソードに三輪さんが「恐怖」(結核による死への恐怖、誰もいないところで亡くなる恐怖)と一言で表現され、共感。39歳で生涯を閉じた彼は、最期の時に何を思ったことだろう。

2018年2月5日月曜日

ショパン マズルカ Op.67-4 <1846年という年には>

この曲が作曲された1846年。ショパンは36歳で亡くなる3年前だった。ジョルジュ・サンドとの間の軋轢は修復ができない状態になっていたという。サンドとの関係含め、サンドの子供のモーリス、ソランジュとの感情のもつれは戻らず翌年にはサンドと別れている。

この時代はどういう時代だったのだろう?同時代の作曲者として、シューマン(36歳)、リストは1歳下で(35歳)ヨーロッパ各地へ演奏旅行で脂の乗り切っていた。同時代の文学で言えばA・デュマの「モンテ・クリスト伯」が、翌年にはE・ブロンテの「嵐が丘」、C・ブロンテの「ジェーン・エア」の時代。絵画ではイギリスで「ラファエル前派」運動(例えばロセッティも一員)の志が形作られた頃。政治的に見るとアメリカ大陸では米墨戦争、日本においてはビドル提督率いる米国軍が浦賀水道に来航し通商を迫られていた。

こう並べてみると、音楽は、その時代の文学や絵画、政治よりも、時代を超えて受け止められる要素が強い気がする。それがいい悪いという話ではなく。例えばショパンのマズルカが、今でも私達のまわりにふと流れて聞こえてきても違和感がない。この普遍性がまた音楽の魅力でもある。

2018年2月3日土曜日

ショパン マズルカ Op67-4

学生時代ショパンを練習したことがなかった。美しい調べに憧れたが先生は「ショパンはいつでも自分で練習するでしょうから今はモーツアルトやベートーベンを練習しましょう」と。そのうちに社会人となり、ピアノをやめ、ショパンは聴くだけの遠い存在のままだった。そしてピアノを再開した。ショパンを弾いてみた。すぐに感情移入し、弾きながら心が揺すぶられる体験。だが一方、自分の思いばかりが空回りしている感覚がつきまとい、気持ちとは別に弾き心地が悪い。

中でもマズルカは、ショパンの作品群の中でも民族色濃く、生涯に渡り作曲され続けたことから彼の核と言われることもある舞曲。日本人には(或いはもしかしたら今の若いポーランドの人にとっても?)感覚的につかみにくいリズムで、私にとって敬遠する分野だ。

それなのに、そのショパンのマズルカを昨年末から練習はじめた。この曲で4曲目。有名な曲で一度は耳にしたことがあるだろう、冒頭から心を鷲掴みにするイ短調のメロディー。中間部は同名長調であるイ長調に転調して漣光る小川の水面のよう。そしてまた印象的な冒頭のモティーフに戻る。冒頭の流れるような長くしなやかなイ短調のメロディーと、水の煌めきの如く細かに変わるイ長調の対比を弾き分けたいものだが・・・。まだ練習中。