2020年12月29日火曜日

さあ、休みだ!

休みの初日。いい響きだ。時間も気持ちも余裕がある。何事にも鷹揚になる。実に佳い日だ。

ということで、朝から散歩にいき、朝日に家族の健康を願い、帰宅したら元気にカーテン全部洗い、粗大ゴミも含め全てのゴミを捨て、買い物に行き、力果てて微睡。

たのしみは 休み初日に指折りて やりたいことを数えるとき allamente



2020年12月27日日曜日

キャリア・コンサルタント 第15回実技試験(2)

面接試験について、と前述のブログでは記したが、その前に第15回が今までと異なる点をおさえておきたい。

それは、論述試験での失敗となって現れた。

前回の試験で論述試験は良かったので、苦手な面接試験を点数的に助けるため、過去問や受講時のケースを使って、主訴、見立て、展開を時間内に記す練習を何度かして臨んだ。

実際の試験は設問の形式が若干変わったもののそれ位の話は臨機応変に対応できる。驚いて焦ったのは問題として出されたのが今まで出されたことのない種類のケースだったからだ。企業の管理職が、部下は退職、仕事の負荷は増え、上司からはマネジメント能力を責められてやってられないぜというケース。従来の出題は、学生の就活、転職、正規社員への転換、子育て両立、介護両立、早期退職といったある程度決まった出来事での悩みのケースだったのだが、今回は企業内でよくある中間管理職の悩みを正面から取り上げていたからだ。

試験後、勉強会メンバーもLINEで口々に驚きの声をあげていた。何故変わったのか。

その理由をnetで探してみると、ズバリの回答となるような答えはなかった、更に調べてみると、CCA協議会のHPに掲載されていた「出題範囲」の変更が答えだと思うに至った。今年度は今までのそれと大幅に記述が変わっており、2.相談家庭に必要な技能 (3)-3仕事理解への支援-企業分野 が初めて項目として挙げられていた。「仕事上の期待や要請、責任についての理解に基づき・・・職務や役割の理解を深めるための支援をする。」

国家資格である以上、国として目指す方向性が試験には色濃く反映される。コンサルティングにより、よりよく働いてもらいたいと想定するケースの中に、今まであまり踏み込んでいなかった企業内での人材活用が対象として入ってきたことになる。よく参考書にも使われる木村周氏が「キャリア・ナウ」に「個人と組織の共生」の立場に立った(略)ファシリテーター(略)の役割が求められている、と記しているのも見つかった。この違いを試験前に理解していれば、上述のケースもある程度想定できていたかもしれない。

前回までの試験との違いの理由は分かったが、論述試験については時すでに遅し、である。目立った失敗もしなかったようだが、この個人と組織の共生という視点を認識しているというシグナル(例えばPM理論/組織におけるリーダーシップ理論への言及など)を送ることができなかった。(試験結果が後日送付されたが、自己評価どおり、前回よりも論述の点数が下がった。)

幸いにも面接試験の前に気が付いたので、今までとの差異はすべて書き出して注意点とした。詳細は略すが、一点だけ特に大切と感じた点は;(1)-2カウンセリングの項で、傾聴と対話を通して相談者の問題を「相談者と合意、共有することができること」。これも今までと異なる点だ。相談者が言ったキーワードや問題意識、悩み、価値観を意図をもって伝え返しし、「共有」すなわち相手にも自分はこんなこと思っていたんだ、こう感じていたんだ、と認識してもらう必要があると明文化されている。伝え返し、共有、ができなかったらそれを口頭試問で伝えて努力はしていることを示さなければならない。

面接前に気が付いただけセーフすれすれか・・・。と思ったが、実際の面接試験はそんな甘くなかった。


早朝散歩。海辺ぎりぎり歩いても飛び立ちもしない水鳥。寒い中、リラックスして楽しんでいるように見える。

2020年12月26日土曜日

予定のない日は贅沢な日

朝起きて、今日の予定や、やらなければいけないことを思い浮かべなくていい日は、贅沢な日。それだけで自由気儘な気がしてきて、目覚めがいい。

久しぶりに早朝散歩をし、勢いにのって年末の大掃除の一部として、天井や壁まで。首や肩が痛くなるが、それでもまあ勢いは止まらない。買い物にいって。疲れてきたが、まだまだ。年賀状の整理も始めた。新しいPCで始めてのソフトを使うが、それもクリアし、いよいよ印刷へ。

十年近くつかっているプリンターはフイーダーが調子悪く、何度やっても印刷できない。とうとう、ベッドと机の狭い隙間に体を押し込んで中腰になりながら人間フィーダーをやることに。数十分この姿勢は日ごろ鍛えてない私にはきつい。首、肩の次は腰とふくらはぎだ。プルプルいいながらも頑張った。

だが、あと数枚残すところでインクが切れた。THE END。

予定のない日は贅沢な日。身体は疲れたが、何に追われることなく気儘にやって気儘に終わる。


親戚からいただいた柿が音符のよう。連なっているところはアルペジオか。

2020年12月25日金曜日

天使と共に

徒然なるままに。今日という日に、思ったままに思ったことを。

昨日とうとう東京のコロナ新規感染者が888人という数字になった。ニュース報道ではそれでも人出が多かったという話で持ち切りで、私自身昼間客先挨拶に伺った日比谷は、夜にはクリスマスマーケットで行列だったという。

友人から、別名天使園とも言われる厳律で知られるトラピスチヌ修道院のチョコレートをいただいた。平和を願うというメッセージカードが添えられていた。文通の返信に天使の絵を郵便で送った。平らかで安らかな来年を祈念して。

母は9月末に私のアマチュアコンクール本選を聴きにきてくれた後、体調を崩し、11月に漸く回復かと思ったが、抵抗力が悪化していてひどい帯状疱疹に悩まされ続けている。心配するもののコロナや風邪やよくわからないがウィルスを移すリスクが怖くて見舞いにこられない妹からは毎日メールが届く。今日は少し体調がいいのか母も返信を書こうとしているようだ。

やすかれ、わがこころよ、主イエスはともにいます、いたみも苦しみをも おおしくし忍び耐えよ。

きれぎれに讃美歌がか細く聞こえてくるのでどうしたかと慌てて駆けつけてみると、歌いながらメールの返信に讃美歌の詩を書いていた。

天使と共に祈ろう。安かれ、と。友人にも、母にも、皆さんにも少しでも平安な日々となるように。


2020年12月20日日曜日

キャリア・コンサルタント 第15回実技試験

やった!とうとう合格。

合格の暁には飛び上がりたい程の喜びだろうと想像していたのに、ネットで番号を確認した時には、初めは茫然。それから10回は番号を確認しなおし。再度茫然。最後は狐につままれた感じで思わず座り込んでしまった・・・。それだけ想定外だったからだ。

前回3月の第14回試験では、学科は合格、実技試験はあと3点での不合格だった。あと3点といえども、実技試験を構成する論述はある程度独学の目途があったが、面接試験の方はどうしたらよいかわからず途方にくれていた。再チャレンジで受かることがあれば、面接対策について記そうと思っていたので、まだ記憶が定かのうちに記しておく。

内容に踏み込む前に、模擬面接を何回かしてくれた妹と、直前勉強会でアドヴァイスしてくらたメンバーに感謝の気持ちをお伝えしておきたい。

さて、論述も面接もどちらもコンサルティングの段階の対象が多少異なるだけで、問われていることは重複してくる。

論述は、ケースを読み、クライアントの訴え(主訴)、コンサルタントの見立て(主訴以外の問題点)、今後の展開について述べる。面接は、クライアントの設定(名前、年齢や簡単な略歴)を書いた紙を見せられて実際に15分の面談を行った上で5分の口頭試問を受ける。所謂カウンセリングの冒頭の15分の対話の中で、最初に行うことはクライアントがコンサルタントに悩みを話しても良いと思えるほどの信頼関係の構築を行いつつ、クライアントの訴えに耳を傾け、同時にコンサルタントの見立てを考えていく。口頭試問ではその二点に加え、自分ができたこと、今後の改善点、次の展開について聞かれる。

このように論述試験と面接試験ともに、対象としているコンサルティングにおけるステージが重複している部分多いので、試験対策も重複すると思っている。ただ、面接はケース設定はあるものの、対話はライブでどういう話の流れになるかはクライアントとコンサルタントの相互作用であり、そのライブでの会話とコンサルタントとしての見立ての検討が平行して行われるのでより難しい(と実践慣れしていない私は感じている)。

面接対策、そしてそもそも第15回試験が今までと異なる部分を次のブログで共有したい。

支えてくれた家族への御礼と自分へのご褒美に深紅のシクラメンを買った。

2020年12月19日土曜日

オリーブ

同僚よりひと月ほど前にいただきもの。今年はオリーブがよくできたので、と摘みたてのオリーブを自分で塩漬けできるように渋抜きの苛性ソーダとともにいただいた。

私はうまく渋抜きできずに緑と紫と宝石箱のように個々に色が変わる結果となってしまったが、オリーブの味は堪能できる。漸く味も馴染み、大切に2-3粒ずつ毎日いただいている。

また、塩漬け用とともに、ご自身が漬けたオリーブの瓶もいただいた。大きさにして10cmほどの小瓶に力強い緑の美しい実が。ローズマリー、タイム、ガーリックと塩で漬けたとのこと。


北の国から来たつぐいみが赤い秋をついばむ音が聞こえるではないか。それに、秋の風はオリーブのように苦いではないか。

フランシス・ジャム 作 / 手塚伸一 訳

ジャムはフランスの抒情詩人。1868-1938年というので、ドビュッシーより長生きしているものの1962年のドビュッシーとは同世代。マラルメやジッドに認められるが、パリに拠点を置かず山野を好んだらしい。ドビュッシーとは住む世界が違ったのだろう。

オリーブのように苦い風。印象的な表現。

とはいえ、我が家のオリーブは、いただいた瓶詰めも自分で塩漬けしたものも、苦いどころかまろやか。豊穣な自然をぎゅっと凝縮したような実を味わえる幸せ。

2020年12月18日金曜日

さしのべて

師走の営業日も残すところわずか。

しかし例年と異なり、欧米の客は本来今週はもうクリスマス休暇に入っているのに、コロナ下でクリスマスの気分がしないのか、テレワークの延長か、有り難いことに商談が続いている。商談が続くということはクレームなども止まることなく、いつもより更に忙しい年の瀬だ。

常にワーストケースも想定しているけれど、コロナだけではなくビジネスも、環境は日々更に悪くなるようで、正気を保つことが難しい。

つい、俯いて歩いていたが。ふと、視線を上げてみれば、いっせいに葉っぱがこちらを向いている。

そうだ。独りではない。手をさしのべてくれているではないか(ただし、職場以外・・・)。

黄なる葉の 日含みやすき 紅葉かな 原石鼎

2020年12月13日日曜日

ショパン ノクターン 第11番

12月のフランス音楽講座の日。先生は昨日昼・夜のコンサートだったのでお疲れだろう、もしかしたら聴く耳も厳しくなるか・・・と戦きながらの参加。

今日はショパン ノクターン 第11番をみていただいた。ノクターンが続くのもどうかと思いワルツを考えていた。だが、ワルツの浮遊感を表現するのに苦手意識をもっていて、途中まで譜読みしていたのをやっぱり止めて、自由に弾ける(と勝手にに解釈している)ノクターンにした。結果的には、同じ受講生でデュオポッキーズの友がワルツをもっていらしたので重ならなくて本当によかった・・・。


譜面がやさしげに見えたことと、結局弾きたかったからこのノクターンを選んだ。

とはいうものの。
まずは装飾音の入れ方から躓いた。譜面に指示あるように二段目の一拍目に右の装飾音も左バスも同時に弾く古典的な入れ方で、エキエル版の記載ではその後も同様に入れると書いているが、それで全部弾こうとすると息苦しくなる。YOUTUBEでアシュケナージやポリーニをきくと、譜面の指示以外は皆 拍の前に自由に弾いている。ピアノの先生とあれやこれや調べて相談し、あきらかに前打音の装飾の時は拍どおりにすることにした。この解釈は問題なかったようだ。

案に相違して。或いは気づかれずにいければと思った希望的観測は外れ。
講座では実際には第一小節で止められた。アーフタクトの第一音でいきなり音を小さくしなくてはいけない、と。弦楽器ならわかるがピアノで?自分なりに音価より長く弾くく中で圧力を弱め対応したつもりなのに、最初のだめだし。私がやった試みは良いものの効果がないのだろう。もっと。効果をだせ。

溜息のように。上から下に落ちていく音型。先生が弾くとそう聴こえる。何度もやり直し。この最初の部分が曲の個性を決める大切な小節だからだろう(でも、一番難しい・・・)。音価を少し長めに、鍵盤にかける圧力を思いきり軽くし、そのあとに続くフレーズを小さくすることでどうにか第一関門突破。

ここを抜けてしまえば。中間部のコラールのような部分は、祈り。讃美歌でいえば頌栄。
子供の時だったら間が難しかった。今はイメージがある。パイプオルガンのような音色になるようにソフトペダルを踏む。
あめつちこぞりてかしこみたたえよ。この部分に実はぴったりだ。

そしてまた溜息に戻る。

美しい曲だ。だが、溜息を心の憂さと吐くのではなく、美しく鳴らすのは。とても難しい。

2020年12月6日日曜日

銀杏

 春は桜が咲く道を選んで歩いたもの。今の時期は銀杏の木を探して空を仰いで立ち尽くす。


銀杏はなんと2憶年も前からあるのだそうだ。一時期減少し中国の山間部のみに残っていたのが、朝鮮、日本に渡り、日本の出島にきていたオランダ人が興味をもったことから欧州に渡って人気がでたとのこと。銀杏のginkgo(英語、フランス語、ドイツ語)は「銀杏」の読みからきているということも驚き。


But as though to time alone: the golden and green

Leaves litter the lawn today, that yesterday

Had spread aloft their fluttering fans of light.

時のみにあわせるように

金と緑の葉は 今日 芝の上に散乱している

昨日は光の扇のようにはためていたのに

 ネメロフ(米・詩人)

2020年12月5日土曜日

最後の一葉

 先週は数か月ぶりに朝の散歩を復活。今週は行かれず、思うようにはいかないものだが。それでも朝の空気は引き締まって、初冬の張りつめた雰囲気で身体を包み込む。

よくいっていた公園に久しぶりにいくと、あれだけ茂っていたあおあおとした蔦が既に紅葉し、実は種を宿していた。


蔦の種類が違うのだろうが、落ちんばかりの蔦を見ると思い出すが、子供の頃読んだ、オー・ヘンリーの「最後の一葉」。

芸術家の住むアパートで肺を患う女性画家が、窓から外を見て、葉がすべて落ちたら自分は死ぬ時だと思う。それを知った同じアパートの老画家が、雨の中「最後の一葉」を壁に描く。落ちない葉をみて女性画家は生きる縁とし生き延びるが、絵を描いた画家は雨にうたれたことが原因で亡くなってしまう。このタイトルの「最後の一葉」は亡くなった老画家の傑作だったという結びで終わる。

彼の行為は自己犠牲だったとも、傑作を描くといいつつ描けない芸術家の苦しみを描いたとも、いろいろな解釈があるようだ。シンプルで美しい英語のストーリーは様々な余韻を読者に与えるのだろう。四季、美しい色を纏った蔦の最後の色は、朝から内省に誘う。

2020年11月29日日曜日

ショパン ノクターン 第21番

 久しぶりのフランス音楽講座出席。今日弾いたのは、ショパン ノクターン 第21番 遺作。作曲年代は諸説あるそうで、若い時期との解釈もあったようだが、自筆譜の五線紙の種類から推定して晩年のものだという評価が今は主流になっているらしい。

民謡のような単純な旋律が繰り返し、短時間で終わる。強弱記号も殆ど記載がない。指使いにもこだわりぬいたショパンらしくなく指定もない。若かりし日かと言われればそう捉えることもできなくもない。

だが、これが最晩年のものだとすると。しかも推敲版もないようだ。ショパンといえば、推敲や即興で多くの版が存在することで有名だ。疲れて推敲もできなかったのか。もうどうでもいいと思ったのか。自分の心境にはこのままがいいのだと敢えてそのままにしたのか。譜面も、作曲時の状況も、後世に残っている情報が他の曲に比べて少なく、解釈によって弾き方も大きく異なるのではないか。


講座では、デュオポッキーズの友人がジョン・ノイマイヤー振り付けでローザンヌバレエコンクールで踊られていると皆に共有してもらった。画像をみると優美で、ショパンはバレエの為に作曲したのではないかと思うくらいだ。先生からはバレエ音楽でのピアノ伴奏の難しさの話まで発展したコメントもあり、様々な観点で鑑賞できた幸せなひとときだった。

2020年11月23日月曜日

調律

 絶対音感が数少ない自慢できる能力だったのに、突発性難聴を患ってから、微妙に、そして半音、今は全音ずれて聞こえるようになった。以前は調律があっていないと気持ち悪くなったものだが、今は鈍感になったのか耳が悪いのか、気が付かないことが多くなった。

家族に「音が悪い」と言われてはじめて気が付き、調律をお願いした。前回から1年半経っていた。20年近くお願いしている調律師さんは元気いっぱいできてくれて安心した。だが、彼女曰く、コロナ禍で来てほしくないという人が多く、仕事は激減したという。ワクチンできるまで調音しないのでしょうかねえ・・・と笑っていたが、本心は笑うどころではないのだろう。

今年は毎年うけているアマチュアコンクールも実行されるかわからず、また、7月から仕事が純増して練習できなかったのですっかり忘れていたが、夏にやはり実行しますと連絡がきた。悩んだが、その時自分が弾きたくて練習していた曲で出ようと思い応募した。コンクール用の曲と思って選曲しなかったのは初めでだ。技術的にそれほど難しくはないショパン ノクターン第19番、プーランク 15の即興曲第12番等を弾くことにした。

杉並公会堂のベーゼンドルファー、紀尾井ホールのスタインウエイ。私が弾きたかったノクターンはピアノに助けられて美しい音だった(自分の技量は別)。一次は淡々と弾いてその音に驚きもう一度ベーゼンで弾きたいと願った。二次は緊張して音の美しさに気づく余裕がなかった。本選では冒頭に弾いた前奏曲で暗譜落ちをしたので、入選は望めないと欲を捨て去った途端、ピアノの音がちゃんと聞こえてきた。メロディーを歌うこと。本当はヴァイオリンのようにずっと繋げたいけれどそんなにピアノだから音がのびない。人が歌うように、息が続く限りはのばして、息つぎの時に間が空くように。そして、美しい単旋律は、聞こえたらそれだけで耳をひきつけられるような。

自分の理想と自分の技量は違ったけれど、でも今年は終わったあと、好きな曲を弾けた満足感が残った。


友人にいただいた花束。もう二か月近く美しい造形を魅せてくれている。調律したてのピアノの上で、喜んでくれているような。



2020年11月22日日曜日

星につなげ

数か月ぶりに先輩にお会いできた。同じ職場に同じ頃に配属され、20年、その仕事振りをそばで拝見してきた。幸せなことだ。

Hitch your wagon to a star. R.W.Emerson

中学生の時に英語の格言とかで習った覚えがある。その時の和訳は

汝の馬車を星につなげ

より高いところを目指しなさいという意味だと教えられた。

私にとっては、見習いたいけれど、どれだけ年月をかけてもかなわない、遠い星という意味でぴったりの言葉だ。

母に頂きもの。その包み紙自体の美しさに目を瞠った。デザイン、紙質、色合い。

季節にあったシンプルでそぎ落とした絵柄。いやはや、仕事だけでなく審美眼もかないません。

2020年11月21日土曜日

ルドゥーテの絵葉書

 またWEB飲み会しよう!と言いつつ、一か月超体調を崩していたので、友人からのお誘いにも一二行の返信をするのがやっとだった。すると程なく彼女から手紙が。ローランサンの美しい切手が貼られた封筒を開けると、フランスの宮廷画家ルドゥーテの美術展のちらしと美しい薔薇の絵葉書が一枚。時空を超えたお花見のおすそ分けと。

何か言う訳でもないのに見舞いの気持ち感じられ、心嬉しく、枕元に置き眺めた。仕事をしては横になることが多い一か月だったが、生命力のおすそ分けをいただき、ようよう治癒したような気がする。

恥ずかしながらこの宮廷画家の名前もしらず、しげしげと見ると、茎や葉に生えた細かな棘さえ柔らかに見えて実は痛そうで、リアリティに驚かされた。マリー・アントワネットやナポレン皇妃ジョセフィーヌの知遇を得て、植物図譜を描いたという。有名な音楽家の人生と重ねれば、モーツアルトの3つ下、ブラームス幼少の頃にまでかかる感じか。宮廷音楽も華やかなりし頃に描かれた職人気質の高度な技の芸術品。

2020年11月6日金曜日

祥月

 夢見る人よ、

おそらくはすべてみな、

眠れるならむ。

百田宗治 「夢見る人よ」から




2020年9月27日日曜日

デュオポッキーズの友人から花束をいただいた。


薄がすっきり立って、最早 秋の風情。

2020年8月23日日曜日

夏の恵み

 連日の猛暑、雷、被害ばかりが思い浮かぶが、一方で私達は日々夏の恵みも受けている。忘れがちだが。

妹が友人からもらった北海道のとうもろこし。おすそわけ。

2020年8月10日月曜日

パソコン買い替え

 三連休最後の日、妹夫婦につきあってもらい、パソコン買い替えに。今迄人任せだったが、今回はざっくりだが欲しいスペックを決めて、乗り込んだ。

購入までは良いのだが、帰ってからのセッティングに自信なく、こちらも妹夫婦につきあってもらってどうにか大まかなところまで目処をつけてもらった。

仕事では、会社がセッティングしてくれたのを使うだけなので、上げ膳下げ膳状態だが、プライベートではそういう訳にもいかず苦手意識をもっていたが、今回はなんだか自分の心持ちが変わったようで、選ぶのも楽しかったし、妹夫婦にアドヴァイスや手ほどき受けるのも嬉しく、あっという間の一日だった。

心持が変わったのは、ITパスポートを1ヶ月でとれたことが妙な自信になって、人の営みの範囲内の話なので、調べればどうにかなるんじゃないかと構えるところがなくなったからかもしれない。タイプで論文を書いていたのが、PCでフォーマット指示すればワープロとして使える便利さを知った大学時代。数週間徹夜もしながら試算していたのが、LOTUSでマクロを組めば一瞬でまわせることを知り愕然とした若手時代。物事には表裏あり、便利さと危険が背中あわせにありつつも、圧倒的な便利さが人々の支持を受け、普通の家電になったパーソナルコンピューター。「普通」になる前のあのわくわく感を思い出せば、苦手意識を何時の間に纏ってしまっていたのか、と思った。

暑い日に似つかわしくない、やさしい色の薔薇。ピンク好きの父の前に飾っている。

2020年8月9日日曜日

海辺にて

早朝散歩の海辺にて。

今年はお盆の帰省も、夏休みの旅も難しく。本当は今迄行けなかったところに家族を連れていきたかったが、諦める。健康が一番だから。

いろいろ制限されているが、コロナ下で友人が絵葉書で送ってくれた。添えられた言葉どおり、四季は巡り、私達は自然と共に生きている。

夏は強い陽射で私達にエネルギーを日々注いでいる。


2020年8月1日土曜日

文月の薔薇

暴風 大雨 コロナ第二波 と、悪いニュースばかりが紙面賑わした文月も終わる今週、豊穣の葡萄酒のような色合いの薔薇、凛々しい白トルコ桔梗の花束が届いた。


たのしみは 目を閉じて 両手の芳香 胸いっぱい吸い込むとき allamente

2020年7月25日土曜日

贈り物

四連休だしちょっと会おうか。

ということで、連休初日の海の日、高校時代の友人とZOOMでおしゃべり。GW以来だからたった二ヶ月だが、いろいろお互いにあった。

ホロヴィッツのラフマニノフ ピアノ協奏曲NO.3にはまっている話。
昔、ラジオで聴いたツイメルマンのショパン ピアノ協奏曲No.2の素晴らしさ。
かと思えば、料理の話。
ハーブの話から弾んで、彼女の家では市民農園に参加はじめた由。

いいなあ、と思わず歓声を挙げた私に、翌日、その農園で収穫した「きたあかり」を送ってくれた。


こぶりながら、形良し、色良し、香りはまさしくお芋の中のお芋だ。

友人が住む方向に御礼のお辞儀をして、ベランダの一番風の通る特等席に置いた。

さあ、明日は、食欲のない家族に、胃に優しい粉ふき芋?それともしっとり冷やしたポテトサラダ?土の香りする贈り物を身体に取り込んだら、きっと元気になれる。

2020年7月19日日曜日

茗荷

ずっと雨が続き。梅雨寒、湿気、暑さ、病院では冷房寒。普通でも体調を崩すだろう。

食欲なくなるこの季節、妹が茗荷、大葉、おくら、生姜、胡瓜を細く刻んでもってきてくれた。母もこれには喜んで、お粥の共にして楽しんだ。

この常備薬の美味しさに開眼し、母が茗荷を甘酢につけた。さっとゆがくくと色が濃くなる。甘酢につけるとみるみる照りがでる。


なんて色っぽい・・・。

2020年7月18日土曜日

面影

買い物にでた時、ふと目を上げると、前の公園で花壇を見ているのか年配の男性の背中が見えた。その人が煙草を吸い終わってマイ灰皿にしまい杖をついて歩み去る時、少し横顔が見えた。夏なのにニット帽を被り、チョッキを着て。顔立ちは違うだろうに、それだけで父に面影が似ている気がして、思わず佇んで見送った。

江戸っ子で、自分なりの美学があって、お洒落だった。ルックスはマッチョマンなのに、実は(言葉にしては言わなかったが)、亡くなる少し前にピンクの花が好きだと知った。

七月の新盆も過ぎ。

早朝散歩の公園には美しい蓮がすっくと咲いている。


ふいと来て見しうれしさや蓮の花 正岡子規

2020年7月12日日曜日

薄紅に

俯き加減な横貌。
白く透き通った花びらに、うっすら薄紅がさしている。
今は滅多に使われない言葉になってしまったが、乙女の如き初々しさというのだろうか。或いはそこから少し大人びてきた頃の憂いを含んだ美しさと言おうか。


紫陽花に 雫あつめて 朝日かな 加賀千代女

2020年7月5日日曜日

ITパスポート試験

熊本県、鹿児島県中心に九州南部で大雨による甚大な被害が発生している。被災された皆様にこころからお悔やみとお見舞いを申し上げます。親戚が九州に居るので、他人事ではない

東京では、コロナ感染者がまた3ケタ継続の状態となっている。生きていく為に、働き続ける為に、外出自粛ではない方法で乗り切ろうと、Withコロナ、としてコロナと共生し、自衛しながら生きていく手段ということが喧伝されている。

自衛と言ってなかなか政策の話まで踏み切らない候補者が多い中、都知事選も今日実施されている。今迄になく、自分の生死を握る知事を選ぶという意識をもって期日前投票に行った。雨の中でも多くの人が投票に来ていたのは、同じような思いをもつ人が多いせいか。

昔々政治学を勉強した身としては、今のような時代にリーダーシップを発揮して、より良い方向に多くの人を引っ張っていくのが政治家だろうという強い思いをもつ一方、家族や自分の身を守るのは自分しかいないと追い込まれた気持ちにもなる。

自衛。直接コロナと関係する訳ではないが、在宅勤務の間に自分の身になることをしたいと思い、突然だがITパスポートをとることにした。人を病気にするウイルスも、今や仕事にプライヴェートに欠かせないIT機器を襲うウイルスも同じ。身を護る為にどうしたらいいのか、何が起こっているのか分かり、ある程度動き方を判断できるようになりたいと思ったからだ。

義務感からやり始めたものの、何だかワクワクした。英語がわかったら世界が拡がる、音楽の成り立ちがわかったらもっと音楽を聴くのが、弾くのが楽しくなる、という経験をしたので、はじめの知識がないところを我慢すれば、理解できる喜びがあるかもという楽天的な期待感もあった。

分野は、ストラテジ、マネジメント、テクノロジー。100問120分。6割以上が合格。思い立ったが吉日で申し込んだ。だが、仕事もあるし、通院もあるし、最低限でどれだけできるか自分への挑戦と位置づけた。マネジメントとストラテジは会社に勤めて云十年、自分の知識と常識からの推測を当てにして勉強しないことにした。テクノロジーは勉強しないと。ゼロからの出発だろう。

ネットで一番評判の良い本を取り寄せ。ITパスポート最速合格術
この本を3回読んで、過去問といて、24時間で最速で合格しましょうというもの。
本のとおり3回読んで、過去問を3回分解いた。試験を受けた。結果後判定では8割ということなので(試験後すぐ結果は分かる)多分合格できただろう。

そのかわり24時間を3週間でやろうとしても、1日1時間はやはり仕事が忙しくとれない。毎日、ということにこだわらずとれる時間に集中してやった。

知らない言葉が多い、或いは良く聞く言葉でも自分で定義を語れない言葉はもっと多く、勉強したのはきつかった。けれど楽しかった。

ERP CRM TQM BPM ISO VPN 業務上も使うのでわかる。だが、IEEE SOA J-SCIP NoSQL  SOA  TPM ISMS DFD 全くわからない。

まず、それが何か、何故必要か、私達にどうかかわりあるか、上述の参考書、或いはネットで調べる。ああ、そうか。と思うものも、???というものも。

資格としては、財務の人が簿記の資格など言及しないのと同様、技術系の人は口にしないのかもしれない。だが、私にとっては、自分が何をできるのかの証明の資格とは別に、自分が何に興味があるかを示す、もっといえば私を知らない人と話をする糸口になればいいと思うようになったら、何だか資格っていいネタかも、と見方が変わったので。

知らなかったことを知ったのが楽しく、もしかしたらこの資格の知識をきっかけに雑談のとっかかりや話の拡がりになることがあったら、もっと嬉しい。


今日の写真。
線香花火のような蕾。早く梅雨も豪雨も止んで欲しい。小さなお祓い。夏を待つ。

2020年7月4日土曜日

変わらぬ紫陽花

七変化とも言われる紫陽花だが、何故色が変わるのか、

これは小学生の頃、酸性、アルカリ性という定義を習った時に、土壌の酸性度によって決まると習った人が多いはず。

だが、それは土壌の酸性に何が反応して青くなるのか、アルカリ性に反応すると赤くなるのか、忘れていた。

答えは、紫陽花の色素に含まれる「アルミニウム」だそうだ。

散歩の途中で出会った白い紫陽花。子供の頃はあまり見た記憶がないのだが、最近、花屋でもみかけることが多くなった気がする。ではこれは?色は変わっていく?

ネットでみると、白い紫陽花は、もともと色素を持たない品種であるため、何色にも染まらないとのこと。


象牙色に浮きあがった姿は、季節を感じさせる青や、華やかな紅でもなく、何の色にも染まらない凜とした佇まいで、目を釘付けにさせる。

夏もなほ 心はつきぬ あぢさゐの よひらの露に つきもすみけり
藤原俊成

2020年6月30日火曜日

水無月の終わりに

早いもので、今日で2020年の前半もおしまい。

皆さんにも、いろいろあった半年だったろう。そして私もまた。

今日は午後から急に激しい雨風が吹きつけ。今月中にやろうと思っていてできていなかった仕事を昼休みに急いでしたばかりだったのに。伸びきったレモンユーカリの枝を新芽を中心に切り、それを土に植え替える作業。もしかしたら強風に飛んでいってしまったかも。

水無月の限りを風の吹く夜かな
蘭更 「半化坊句集」


ローランサンの絵のような色合い。夢みるような紫陽花。今宵、散ってしまうだろうか。

2020年6月21日日曜日

父の日に


晩年 時折写真を撮りたがった父と一緒に行った場所。狭いが都会の真ん中なのに緑があって、360度違う風景が撮れるので創造の意欲が掻き立てられたようだ。

東京駅近くの三菱一号館。

たのしみは 父の手踊る写真機に 家族の気持ち浮き立つ時
allamente


2020年6月14日日曜日

その音を その時に その場で 共に経験すること

今日は私にとっては4ヶ月ぶりの、対面でのフランス音楽講座。

先生から今迄の活動や、欠席の方々の消息などをきいて一息ついての開始。

オンラインはオンラインの良さがあるものの、対面はやはり格別。それぞれのメリットを感じつつも、やはり音楽は、その音を その時に その場で 共に経験することの素晴らしさを再確認。

素晴らしいピアニストである先生や、それぞれ音楽活動をされている受講生を前に弾く瞬間の、背筋が凍るような、心臓がバクバクする緊張感。それでも素晴らしい聴衆が前に居るという興奮。自分の準備、技量を踏まえた客観的、プラグマティックな最後の振り返り。そして弾き始めてしまえば、その曲に、そして曲への思いに捉われてしまう。


前回のオンラインでは「弾き方」を主に言葉で、表現に工夫を凝らしながら説明された先生は、今回は対面を意識されたのか「音」にこだわられた。何度か弾きなおしを言われ、そのたびの自分の中での評価、先生の評価、先生の演奏、自分の演奏。音、音、音。

メロディーの中の小さな盛り上がりの音。に過ぎないといってしまえばそれだけだが、次に進む時の感情を示す音。ためらいから思い移るのか、メロディーとして確固として歌うのか。気持ちは決まっても、自分の技量がその音を出せない。5回ほど繰り返して弾いてみる。一つとして同じ音はなく、先生が満足する音はない。

今日弾いた曲はショパンのノクターン 遺作ホ短調。ネットで、17歳の時の曲だという研究もある。17歳でどうしてこのような曲を創り出せるのだろう。何を思ってその曲を記したのだろう。

写真の植物のように柔らかで、優美な弧を描き、わかわかしく、そして感情が露わな気がする。

2020年6月7日日曜日

岩の花

海辺の公園を早朝歩くとき、週末気持ちに余裕があると、浜辺の端に岩場があるのでそこを通って帰る。苦手なバランス感覚が少しでも養えればと思って始めたのだが、子供の時に独り遊びで、この石の上を通って歩こうとかしていたのを思い出して、年をこんなに経てもやっていることはあまり変わらないなと思う。


激しい雨風が吹いた翌日でも、花びら一枚も落ちていないのでは?と思うような花に岩場で出会った。分類によっては多分「雑草」となるのだろう。名前を知らないので、勝手に岩鷺の花と名づけて会えば挨拶をしている。生命力の強さに惹かれる。


2020年5月30日土曜日

WASSHA グラホ ジェフのお悩み相談所 今日の季節の果実は枇杷

STAY HOMEということで、今迄見なかったテレビもよく見るようになった。「ながら」ではあるが。

その中で幾つか興味深かった番組。

土曜の朝は、多分一週間で一番幸せな気分で目が覚める。すきな音楽番組を聴きながらしみじみとゆったりとした気持ちを味わう。その延長線上で家事をしながら何の気なしに流していたら、面白い話になって、一旦掃除も中断して見入ってしまった。

一柳良雄が問う日本の未来▽ベンチャーが切り拓く日本の未来 東大発ベンチャー編2
ゲストは、各務茂夫氏(東京大学)、 秋田智司氏(WASSHA株式会社)
各務先生のベンチャーの意義も説得力あるものだったが、このWASSHAという会社がやっていることが面白かった。

「社会課題解決とビジネスの成功を両立させる」「ソーシャルベンチャー起業」で、お金や機械を寄付しておしまい、というチャリティではなく(それも立派なことなのだろうが)、電気供給の少ないタンザニアで、LEDランタンの貸し出しという形で、同社も、現地の貸し出し者(キオスク)も、利用者もそれぞれに利があるから事業を継続できるというもの。

こういう仕組みをつくって「便利さ」「豊かさ」がまわっていくという、まさに今迄相反するものとして語られることが多い「社会課題解決とビジネスの成功を両立させる」例がこういう発想で実現されていったのかと実に興味深かった。

岩城紀子【カンブリア宮殿】日本一美味しいを集めた「グランドフードホール」
グランドフードホール自体知らずにおり、流し見ている中で、社長がレモンタルトを試食しているのがあまりに美味しそうだったのでこちらも思わず手をとめて見てしまったパターン。

それだけならただのグルメ番組なのだが、後半で岩城さんが経営難の食品メーカーや職人に知恵を貸す場面がでてくる。それは商売に繋がるからという合理的な動機として語られなかった。「なくなったら嫌だから」「いいものを食べていると気持ちも豊かになるんじゃないかと思う。」という感情的な言葉がでてきたのに驚いた。そして「買い物は残したい商品への“投票”」というコメント。そうか。こういう言葉で表すことで、買い物に新たな意義づけ、価値が付加されるのか、とマーケティング力(りょく)の高さに賛嘆。言葉は力だ。

NHK Eテレ「ドキュランド選」 「ロボットのお悩み相談室」
「AI=人工知能を持つ小型ロボットのジェスが一般家庭に住みつき、家族のお悩み解決にあたる。夫婦関係や子どもの教育方針、はては恋愛指南まで…人間はどう反応する?」との実験風ドキュメンタリー。これも今流行りのAI凄いね番組かと思い、ながらで聴いていたが、結構このジェスに人々が質疑していくうちに、相談内容の本質が見えてきて驚いて結局最後までみてしまった。

このジェスの容姿が、所謂人間型ロボットであり、目の表情が変わるところに一つミソがあると思う。これがパソコンであれば「機械」に向かって相談事をするのは人にとって障害が高いのでは。「人間型」でかわいい顔つき、目に表情が何種類か表れることで、「準人間」として話す相手として許容範囲に入るのだと。質問が切り込みすぎて人間に対してであれば「あなたの知ったことか」と憤然と座をたつところでも、ジェス相手なら、今度は「機械だから仕方がない」と自分で納得させ顔をこわばらせながらも大人な対応をする。

私個人は、結構キャリアコンサルティングで習った相手に話しをさせる質問をきちんとジェスはインプットされていて「あなたはどう思う?」「そう聴いてどう感じた?」、感情がないと認識しているロボットにだからこそ語れる感情や本音もあるかもしれないと思った。高度なコンサルティングは今はできなくとも、感情的にならない、合理的な選択肢を提供する、幅広い知識(たとえばファイナンシャルプランナー的、社会労務士的など)を検索して伝える、など使い方次第で広がる用途だと思った。

一方で、番組では、ジェスが相談者のメールやネット履歴、SNSを検索して、そこから相談者の問題を探るという切り口が何度か使われていたが、個人情報をそのように使えることの怖さを教えるのには良いが、相談には使って欲しくないと強く拒否反応を感じた。いづれにせよ、興味深く、もうAIは何らかの形で私達と繋がることは避けられないのだと考えさせられた番組だった。

ところで、今日の季節の果実は枇杷。こちらも九州の親戚からいただいた。我が家では母が枇杷で果実酢を。妹は、てりも鮮やかなシロップ漬けをつくって。私は早速頬張って。爽やかな甘さは今の季節にぴったり。


2020年5月29日金曜日

5月終わりの金曜の夜に

とうとう5月も在宅勤務で終わった。

イギリスのビジネスパートナーと話した時、彼は3月に救急車でICUに運び込まれ翌日手術する予定が、コロナ優先となり、そのままICUで待たされた挙句に鎮痛剤をもらって帰され、まだ手術してもらえない状態が続いているという。店舗や工場は段階的に稼動始めたが、それ以外、基本ホワイトカラーは在宅勤務で、手術ができない以上、彼もずっと勤務を続けていて、手術の目処もついていない。家族はといえば、奥さんは医療関係者なので出勤続き、大学生のお子さんは来年も既にオンライン通学が決まったという。

日本は東京なども含め全ての地域で緊急事態宣言が解かれ、会社の同僚の中にはコロナ前の日常にいち早く戻るべく計画を立てている人もいるが、オフイス環境や出勤時の条件のリスクに在宅勤務継続を望む人もいる。今迄会社に行く、が当たり前の生活習慣だった人々が、「当たり前」の一言で片付けずに我が事としてどうすべきか考えざるを得ない。生活費を稼ぐことも、自分や家族をウイルスから守ることもどちらも大切で、どちらも両立させることを日々、様々な機会につきつけられる。それが「コロナ後」の生活だ。


藤は日本原産で、蔓がとても強く、古墳時代の石棺も、この藤の蔓を縄にして運んだときく。強いという藤にあやかりたいもの。

うつむけに春うちあけて藤の花 蕪村

2020年5月24日日曜日

音楽の対話

Stay Home、巣篭もり、という言葉が当たり前の枕詞に使われる昨今、人と対面することが難しい状況にあっても、それでもインターネットやメディアなど、様々なNETから私達は情報を享受できている。

人に簡単に会えない時だからこそ、流れてくる様々なコンテンツに耳をそばだてたり、心惹かれたりするのかもしれない。

BSドキュメンタリーでみた、パールマンの演奏が素晴らしかった。
イツァーク ~天才バイオリニストの歩み~

名前は知っていたが、向き合って聴いたことがなかった。子供の時に小児麻痺になって下半身不随ながら、イスラエルからアメリカに渡ってバイオリンの才能を開花させたという。ドキュメンタリーの中身も興味深かったが、キーシンとのトリオ、アルゲリッチとのデュオ。アルゲリッチが「対話している」と表現したのが正に言い得ている。ソロの「シンドラーのリスト」のメロディーは、人の心を動かす音色かく在るもの、と思わせる。

また、別の番組の話となるが、「空港ピアノ」のブリスベン版を見た。何度目かの再放送。台湾人の調律師が「人に心があるように、ピアノの魂は音だ」といったような話をしていた。この人はそう思いながらそのブリスベンの空港ピアノを調律しているのだな、と思わせる弾き方で一曲弾いていた。そうか。人の心が、ピアノの魂と対話する時に、音楽が生まれるのか、と腑に落ちた。

音楽を介しての対話は、弾く人と聴衆と。そして、弾く人と音を奏でる楽器と。


今日は久しぶりに天気良し。もみじに紅い花?ガク?知識不足の私には分からない可愛らしい生き物がてんてんと。

2020年5月23日土曜日

リラ冷え

大阪府近県も緊急事態宣言が解除され、残るは東京都と近県、及び北海道。

友人も出勤を始めたし、ロックダウンで外出も許可制だった客先のうち幾つかは工場稼動するようになった。経済活動が少しずつでも動きだすと漸く客先とのWEB会議も増えてきた。

季節ははや、入梅入り宣言の地域もでてきて、春を全身で体感する機会ないまま移り変わっていく。

近くの公園での早朝散歩で見つけたリラ。英名はライラック。仏名がリラ。和名は紫丁香花(ムラサキハシドイ)。ラフマニノフの小曲Op21-5「リラの花」を聴いて、どんな花か探して写真を見たことはあったが、実物を見た(認識した)のは初めて。

この花を、母は子供の頃よく近くに咲いていたと懐かしがる。私にはそういう近しさがない。しかしこの花には一方的な思い入れがある。

この花のイメージが私にとってはラフマニノフなのだ。彼の伝記を読んだ時、その時代という環境と、彼の思いから、ラフマニノフはアメリカに亡命せざるを得なかった。しかしそのつけは大きく、望郷の念で作曲ができなくなってしまう。実際彼は亡命後一曲も作っていないといわれる。最後まで故郷を思い起こさせるもの(鐘の音、リラの花など)に強く反応を示していた。この伝記に影響を受け、リラの花に私自身、ラフマニノフの曲を重ねあわせて、特別な感傷を抱くのだろう。

ここ2-3日、急に寒くなった。北海道ではこの時期の寒さの戻りを「リラ冷え」と表現する人もいるとのこと。榛谷美枝子氏がこれを季語に使った最初と。

リラ冷えや睡眠剤はまだ効きて 榛谷美枝子


2020年5月17日日曜日

九州の親戚から絹さやが送られてきた。いつものように郵便局のエクスパックに採れたてをぱんぱんに詰めてくれて。


筋とりしようとテーブルに広げると、あおあおとした植物の匂いがふわっと立ち昇り、一緒に紫色の花も押し花のように一緒にでてきた。

では、ついでにこちらもまだ旬と言えるか?春キャベツ。きゅうりと大根とざくざくっと切って塩もみのサラダ。


かりかり ぱりぱり しゃくしゃく。
この季節の野菜はとにかく、いきがいい。

生きるを丸ごととりこもう。

葉脈に水音立てて春キャベツ 
村さと子

2020年5月16日土曜日

キャリア・コンサルティング試験 結果

コロナで試験が実施されるか不透明だったが3月に実施され、4月に発表された。結果は、学科 合格、実技 不合格だった。

明暗を分けたものは?

10-12月の講座出席で翌年3月の最短のタイミングでの試験。1月に模擬試験を受けて、1月末に結果がでて、講座はコンサルティングの為に大切な基礎を教えてくれたが、受験対策用の勉強は全くできていないことに気がついた。それから3/8の試験まで5-6週間、これが受験用に割いた時間。時間不足が一つの要因だろう。

だが、学科は受かり、実技は不合格。

学科試験についてはこの短期間のうち7割程度の時間を費やし、受験対策に特化し、参考書は一冊だけ、あとはネットにのっていた過去問を3回分やっただけ。集中が奏功したと思う。因みに、使用した参考書は、「1日1問キャリコンドリル」一般社団法人 1級キャリアコンサルテイング技能士の会。ネット解説は「みんなで合格(みん合)」で有名なこちら。https://www.career-consultant.info/
この解説サイトの分析、丁寧な過去問解説には本当に助けていただいた。有難うございました。

一方、実技は、150点中であと3点というポジション。たかが3点、されど3点。少ない時間の中で更に割いた時間が少なかったということが敗因だが、それだけではなかったと思う。国家資格ということ、コンサルティングという精神面を扱う「実技試験」には何が必要かということをもっと考えるべきだったのだろう。実際のコンサルティングで有効かどうかが採点対象ではなく、国が現場に出ても良いという許可なのであるから、慎重に、ガイドラインに沿ったやり方、型があり、それに対する許容範囲が決められていて、その中でやりとりしなければならない。この試験自体は例えば60分のカウンセリングのうちの冒頭15分が対象なので、信頼構築+展開までが試験対象であり、目的である問題解決はその先の話で対象にならない。その範囲内について「わかっている」「私はできる」というサインを試験官に示さなければならないのだろう。

私自身の短工期作戦は、時間と自信がなかったことから、とにかくロールプレイの回数を多くしようと、講座の人達との勉強会、最後に技能士の人達との勉強会、妹に相手になってもらってのロールプレイを数回やった。それでも回数も少なく、スムーズに言葉がでなかった。そして今にして思えば決定的に選択を誤ったのは、技能士の人達との勉強会の出席で、信頼構築+展開の次の問題解決に主眼があり、手がかりを引き出す為の質疑も行った。第一段階の部分がおぼつかないうちに次の段階に手を出した為、それぞれの段階でやるべきことを咀嚼せずに混同してしまった部分があったと思う。試験の際に、クライアント役の人の目に?という表情を読み取ったことが2度程あった。

結果がでて、講座のメンバーとSNSで報告しあったところ、合格の喜びの声も、今回は学科しか受けなかったという人も、不合格をものともせず不屈なリベンジ宣言者も。おいおいまた皆で勉強会しよう、ということにしたが、合格者からは「試験に受かることを目的の実技勉強をすべき、その場合は勉強会だけではなく、試験用の採点をするプロの視点を理解するために、個人レッスンがお勧め」とのアドヴァイス。実技はやはり、採点の判断の仕方、即ち採点者が「肝」と判断する内容の理解が大切なのだろう。

リベンジは次7月の試験でと思っていたが、コロナで未実施に。学科は受かったので、次は実技試験のみ。年末の試験に向けて地道にコンサルティング自体の勉強も続け、今度は試験対策をしようと思う。なかなか実技に関する独習は、個人レッスンの広告が主体で、本当の自習はネットでも探したが見つからない。自分でいろいろ工夫してやってみるつもり。受験生は人事畑の人が多い中で、普段業務上は使わない営業の人間が、独学で実技練習どうやるか。上手くいったらご報告したいもの。

今日の写真。家の近くのビルの一角で見つけた。高い所に咲いていて見上げると空から降ってくるように見えた。木蓮?

2020年5月10日日曜日

オンライン版 フランス音楽講座 そして 母の日

今日はフランス音楽講座 オンライン版である。

短工期で先生も、オンラインで高音質を目指そうと開発された方も大変だったことでしょう。また、取りまとめをしてくださったDuo Pockeysの友人も早朝から夜遅くまで連絡いただき、最初の一歩がどれほど大変か、傍で見ていても有難かった。

思っていたよりも音質高く、先生の手元が良く見えるのも嬉しい。

面白かったのは、受講生の演奏も録音した動画なので微妙にいつもと異なるように思えた。通常であれば先生に横で聴いていただく、有難くも厳しい緊張感が壁なのではなく、今回は自分の音楽の基準との戦いになるのではないか。時間との戦いではあるが、取り直しが効く中で、どの動画を出すか。

選択肢が自分にあるのである。考えさせられた。

私の場合、結局、最後までどの版でも、幾つか間違いは散見される中で、歌い易い早いテンポで、指は追いついていないが、比較的気持ちよく弾いた版を提出した(と偉そうに書いたが、実は3版しか撮れず、どんぐり背比べ状態)。

演奏家(アマですが)の自分と、プロデューサー(他人にどう映るか、聴こえるか)の二つの耳が、オンライン講座では必要にされた気がした。メディアが異なると、判断基準もこのように変わっていくのか(変わらない部分もあるが)と感じた講座だった(他の選択の余地のある人にとっては・・・)。

これは、ビジネスでも同様に、評価基準の変更を迫る動きかもしれない。対面で会えずに、Web会議やメールでのやりとりだけだと、提案そのもののメリットデメリットがより先鋭的に評価されるようになる。たとえば私の仕事である営業は、客先との日々のコミュニケーションによる対話よりも、金銭面といった客の眼前の興味だけで判断される確率が高くなっていくかもしれない、など。


話し変わって。

今日は母の日。

Mother's love is peace.
It need not be acquired, it need not be deserved.
Erich Fromm

エーリッヒ・フロムは、母の愛は平和である、と。 得る物でも、報酬でもない。

2020年5月9日土曜日

芍薬に

芍薬を描く牡丹に似も似ずも 正岡子規


はしりの芍薬を花屋で買った。香る、香らない、いろいろな品種がある中で、上品なライチのような香りがした。花屋さんでは咲かないでしょうと言われた固い蕾までも、いきなり、ふわり、と花弁を開いた。心開いてくれない人から笑みをもらった心地がした。

芍薬は色が変わる。ということを今回はじめて認識した。艶やかな、生命力もっとも美しい紅色から、ふと目を離した隙に、殆ど象牙色に近い色になっていた。これには驚愕。


この花びらが、遠心力の限界点にとうとう花びらを落とすのだが、視覚的にはドサリ、と花弁の塊が落ちる。しかし、実際には音は全くせず、落ちる瞬間の映像は、象牙色に光るシルクのストールをはらりと肩から滑らせた、という表現が相応しい。空気が一瞬、絹一枚動いただけ、と。

あまりの優美さを惜しんで、その花びらをドライフラワーに。


そうすると、なんと、もとの花の名残の紅が、象牙色に混じり、肌色というかほんのり薄い橙色の縮緬の着物のように姿を変えて現れた。

芍薬を供へその人にあふ如し 水原秋櫻子

本当、人のように変わっていく。

2020年5月5日火曜日

元気?

というひとことで、学生時代に気分が戻ってしまう友が居る。云十年前に賛美歌を歌い、檄を飛ばし、お馬鹿な話に笑い転げ、一緒に旅もした。それから会わない時の方が長いのに、学生の時のつきあいはそんな時空もものともしない。

とはいえ、それはWeb電話が可能にしてくれたもので、技術の進歩の恩恵もある。遠くに住んだり、普段会えない人と、こんなに気楽に会えることの有難さ。嬉しさのあまり、思わず合唱までしてしまった。


尾捌きがおのおの違ふ鯉幟 山口誓子

今日は子供の日。友人の顔を見て、お互いの無事を確かめあい、空に泳ぐ鯉を見て。元気をチャージ。

2020年5月2日土曜日

GW 初日の朝

12連休という記事もあるけれど、今年の実際の休みは今日からではないでしょうか。

今日はGW初日。それだけで幸せと感じることができる。

今年は皆辛いことが年初からあり不安や危機感が募っている。が、それでも例年のとおり、この休みを指折り数え待ち、やりたいこと、やらなければいけないことをノートに認め楽しみにしてきた。とはいえ、結局、特別なことをした訳ではなく、家に居られる贅沢を噛み締めている。

テレワークになってから日課にしている早朝の散歩。勿論行ける日も、早朝から仕事の場合もあり毎日ではないが、大切にしていている。行ったことのない道、十数年もいったことのなかった公園。頭を空っぽにして、ただただ歩く。


そのひとつの公園でのひととき。
この乾いた空気感は日本ではこの時期だけだろう。

撮った写真を眺めて既視感が。

時は春、
日は朝、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀なのりいで。
蝸牛 枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。

ロバート・ブラウニング (訳 上田敏)

モンゴメリ作の「赤毛のアン」最後の方で、マシューが亡くなり、大学進学を諦め教職につくアンがこの詩をつぶやく場面があり、この写真のようなシーンを見ると思い出す。

2020年5月1日金曜日

五月晴れ

本日から五月入り。

一月の春節前あたりから日本でもコロナが取り沙汰され始め、はや3ヶ月が過ぎ、その時には想像していなかった全国緊急事態宣言。では、今から3ヶ月後はどうなっているか。夏となり、収束はしていないものの低位安定状態になり、病気への恐れは薄れてかわりに雇用不安の色が濃くなっているだろうか。

今年は、日々起きているニュースに自分なりに変化の兆しを読み、半歩でも先を読む習慣をつけようと、毎日一つ「その日のニュース」とつけてきた。何故それをとりあげたか、それが次にどういう変化を誘発するか、余裕がある時はひとことコメントしたが、今のところ全然あたっていない。

人事畑からいきなり営業畑に異動になり、初めて一緒に仕事をした技サの先輩から「脳みそしぼりきる程考えて、自分で予想すること。それが外れたらどうして違ったか分析する。これを繰り返せば人より早く問題を予測して手を打てるようになる。」とアドヴァイスされた。仕事だけでなく、世の中の変化を少しでも見出せるようになりたいものだが。

不透明な世の中の流れとは異なり、五月晴れの今日、花々は目に鮮やかで美しい。


やまぶきも菜の花も咲く小庭哉 

正岡子規

2020年4月29日水曜日

甍のうへ

あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかのあしおと空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり

三好達治


高校時代の教科書に載っていた詩。
今でも花びらが風に舞う情景を見ると思い出す。

4月は三好達治の祥月。

2020年4月26日日曜日

枝垂れ桜

先週は一部の都府県から全国に拡大して緊急事態宣言がでた為、今迄通常勤務だった会社の各工場も急にテレワークに入り、様々な手続きや対応に時間がかかるようになった。工場の現場は休めないものの、品質管理や生産工程を見ている人達はテレワークの対象に。従来工場関係者はテレワークする業務設計をしてきていないことから、突然様々な運用ルールを決めなければいけない。固定的な取り決めの多い各種システムに関わる部分は柔軟な対応に限界もあって、一つ取り決めを決めても幾つもの「また」がでてくる。

といった不便さは多々あるが、勤務形態の多様性は本来選択肢としてあった方が良い。日本は遅れていたので、ここはこの機会を肯定的に捉えて、早く使いこなしたいもの。

プライヴェートで参加している月1回のフランス音楽講座、先週、動画で有志の講習があった。講座敢行予定であったが昨今の状況を踏まえ急遽動画方式に変更され、短工期で仕切られた先生の進取の気性に頭が下がる。常の講座と比べるとライブ感はやや薄れるものの、丁寧な解説、なにより先生が弾いてみられる時間がいつもより長めなのが嬉しい。。受講生、先生ともに、演奏される手もよく見えて、非常に恵まれた機会となった。これも、逆境を「工夫」で逆手にとった例。

デュオ・ポッキーズの友人は動画参加され、先生にしっかり指導を受け。私達にも公開してもらったので、ドビュッシーの「水の反映」を堪能させていただいた。


水面に波紋が広がり、それがだんだん収まっていく様が目に浮かぶような演奏。

円形や放物線を精密に描く噴水型の西洋の水と異なり、この枝垂れ桜のように、しなやかに、柔らかに、自ずと形が現れ消える。そんな演奏はドビュッシーに相応しい。

2020年4月18日土曜日

緊急事態宣言の週末 ユスルナールの靴

数都市ではなく全国に発せられたのが今週だが、その週末。関東は暴風雨、竜巻、そして地震もあった。ここ数年で台風や大雨、地震の被害に遭われた人は、過去の記憶と今のコロナとでより心細い思いをした方も多かったろう。「家に居るように」というのが合言葉になっているが、「家」が安全な場所であり続けますように。


この「家」のミニチュアが可愛い磁石は昨年、デュオ・ポッキーズの友人にオーストリア土産にいただいたもの。彼女はハードに働いて、でも出来る人ならではの切り替えの早さを発揮し、よく旅行に行かれる。時々夏休みを利用してウィーンでピアノのレッスンを受けに行って、その時の土産話もしてくれる。この夏までに、そういう日が戻ってきて欲しいもの。

私はテレワークの今週、通常勤務より通勤がない分疲れていないと思っていたが、寝ても寝ても起きれず、寝てばかりとなってしまった。今は、身体の抵抗力を保持するのが大切かなと自分を甘やかせて読書。

以前、尊敬する人が三人いると、緒方貞子さん逝去の際に記した。もう一人が、須賀敦子さんだ。残念ながら彼女が亡くなられてから知った。プライヴェートでイタリア旅行に行こうと思って、イタリアに関する本を乱読していたときに「ユスルナールの靴」に出会った。

「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。」という文で始まる。イタリア在住、イタリア文学研究や日本文学の翻訳家。ミラノで夫ベッピーノと暮らし、友人、家族との関わり、イタリア文学について記す。知識不足でイタリア文学については分からない部分も多々あるが、その静謐な筆致を辿りたくて時折開く。

「トリエステの坂道」の本を頼りに歩きたくて、トリエステの町に滞在したこともあった。ミラノに行く時には「ミラノ 霧の風景」、ヴェネティアのゲットを訪れる「地図のない道」も。

最後に手にとるのは「こうちゃん」。酒井駒子さんの画と共に心に沁みゆく絵本。雨がトントンと音を降ってくる午後、一杯に本を広げて気持ちの赴くまま読む贅沢さ。本当に有難い時間だ。

画像はAmazonから

2020年4月17日金曜日

花便り

今週も漸く終わり。

コロナの影響は日常生活だけではなく仕事にも大きく及んできており、特に今週は海外客先工場のシャットダウンやロックダウンで受け入れ不可、出荷延期の要請や、今まで日本ではなかった客先の急な休業に出荷許可の為の書類も得られず出荷できないといった物流関係の問題が多かった。危ないと思い頻繁に窓口とは連絡をとっていたものの、窓口の人も想定していなかったスピード判断だったりして、従来業務以外の火消しに追われた。

そんな中、はらりと、友人から絵葉書が。こんな時だけれど自然は美しい、身体を労わってねと簡単なメッセージ。普段メールやチャットで音信を確かめることが多い中で、彼女らしい字と美しい花のカードに、何だか心衝かれた気がした。筆跡や絵葉書の絵がその人自身を表していて、彼女と相対しているように思える。


絵は「Fukurokujyu」Kinoshita Katsuhiro & Suda Hiroyuki

机に飾って眺めている。