休みの初日。いい響きだ。時間も気持ちも余裕がある。何事にも鷹揚になる。実に佳い日だ。
ということで、朝から散歩にいき、朝日に家族の健康を願い、帰宅したら元気にカーテン全部洗い、粗大ゴミも含め全てのゴミを捨て、買い物に行き、力果てて微睡。
たのしみは 休み初日に指折りて やりたいことを数えるとき allamente
休みの初日。いい響きだ。時間も気持ちも余裕がある。何事にも鷹揚になる。実に佳い日だ。
ということで、朝から散歩にいき、朝日に家族の健康を願い、帰宅したら元気にカーテン全部洗い、粗大ゴミも含め全てのゴミを捨て、買い物に行き、力果てて微睡。
たのしみは 休み初日に指折りて やりたいことを数えるとき allamente
面接試験について、と前述のブログでは記したが、その前に第15回が今までと異なる点をおさえておきたい。
それは、論述試験での失敗となって現れた。
前回の試験で論述試験は良かったので、苦手な面接試験を点数的に助けるため、過去問や受講時のケースを使って、主訴、見立て、展開を時間内に記す練習を何度かして臨んだ。
実際の試験は設問の形式が若干変わったもののそれ位の話は臨機応変に対応できる。驚いて焦ったのは問題として出されたのが今まで出されたことのない種類のケースだったからだ。企業の管理職が、部下は退職、仕事の負荷は増え、上司からはマネジメント能力を責められてやってられないぜというケース。従来の出題は、学生の就活、転職、正規社員への転換、子育て両立、介護両立、早期退職といったある程度決まった出来事での悩みのケースだったのだが、今回は企業内でよくある中間管理職の悩みを正面から取り上げていたからだ。
試験後、勉強会メンバーもLINEで口々に驚きの声をあげていた。何故変わったのか。
その理由をnetで探してみると、ズバリの回答となるような答えはなかった、更に調べてみると、CCA協議会のHPに掲載されていた「出題範囲」の変更が答えだと思うに至った。今年度は今までのそれと大幅に記述が変わっており、2.相談家庭に必要な技能 (3)-3仕事理解への支援-企業分野 が初めて項目として挙げられていた。「仕事上の期待や要請、責任についての理解に基づき・・・職務や役割の理解を深めるための支援をする。」
国家資格である以上、国として目指す方向性が試験には色濃く反映される。コンサルティングにより、よりよく働いてもらいたいと想定するケースの中に、今まであまり踏み込んでいなかった企業内での人材活用が対象として入ってきたことになる。よく参考書にも使われる木村周氏が「キャリア・ナウ」に「個人と組織の共生」の立場に立った(略)ファシリテーター(略)の役割が求められている、と記しているのも見つかった。この違いを試験前に理解していれば、上述のケースもある程度想定できていたかもしれない。
前回までの試験との違いの理由は分かったが、論述試験については時すでに遅し、である。目立った失敗もしなかったようだが、この個人と組織の共生という視点を認識しているというシグナル(例えばPM理論/組織におけるリーダーシップ理論への言及など)を送ることができなかった。(試験結果が後日送付されたが、自己評価どおり、前回よりも論述の点数が下がった。)
幸いにも面接試験の前に気が付いたので、今までとの差異はすべて書き出して注意点とした。詳細は略すが、一点だけ特に大切と感じた点は;(1)-2カウンセリングの項で、傾聴と対話を通して相談者の問題を「相談者と合意、共有することができること」。これも今までと異なる点だ。相談者が言ったキーワードや問題意識、悩み、価値観を意図をもって伝え返しし、「共有」すなわち相手にも自分はこんなこと思っていたんだ、こう感じていたんだ、と認識してもらう必要があると明文化されている。伝え返し、共有、ができなかったらそれを口頭試問で伝えて努力はしていることを示さなければならない。
面接前に気が付いただけセーフすれすれか・・・。と思ったが、実際の面接試験はそんな甘くなかった。
早朝散歩。海辺ぎりぎり歩いても飛び立ちもしない水鳥。寒い中、リラックスして楽しんでいるように見える。
朝起きて、今日の予定や、やらなければいけないことを思い浮かべなくていい日は、贅沢な日。それだけで自由気儘な気がしてきて、目覚めがいい。
久しぶりに早朝散歩をし、勢いにのって年末の大掃除の一部として、天井や壁まで。首や肩が痛くなるが、それでもまあ勢いは止まらない。買い物にいって。疲れてきたが、まだまだ。年賀状の整理も始めた。新しいPCで始めてのソフトを使うが、それもクリアし、いよいよ印刷へ。
十年近くつかっているプリンターはフイーダーが調子悪く、何度やっても印刷できない。とうとう、ベッドと机の狭い隙間に体を押し込んで中腰になりながら人間フィーダーをやることに。数十分この姿勢は日ごろ鍛えてない私にはきつい。首、肩の次は腰とふくらはぎだ。プルプルいいながらも頑張った。
だが、あと数枚残すところでインクが切れた。THE END。
予定のない日は贅沢な日。身体は疲れたが、何に追われることなく気儘にやって気儘に終わる。
親戚からいただいた柿が音符のよう。連なっているところはアルペジオか。
徒然なるままに。今日という日に、思ったままに思ったことを。
昨日とうとう東京のコロナ新規感染者が888人という数字になった。ニュース報道ではそれでも人出が多かったという話で持ち切りで、私自身昼間客先挨拶に伺った日比谷は、夜にはクリスマスマーケットで行列だったという。
友人から、別名天使園とも言われる厳律で知られるトラピスチヌ修道院のチョコレートをいただいた。平和を願うというメッセージカードが添えられていた。文通の返信に天使の絵を郵便で送った。平らかで安らかな来年を祈念して。
母は9月末に私のアマチュアコンクール本選を聴きにきてくれた後、体調を崩し、11月に漸く回復かと思ったが、抵抗力が悪化していてひどい帯状疱疹に悩まされ続けている。心配するもののコロナや風邪やよくわからないがウィルスを移すリスクが怖くて見舞いにこられない妹からは毎日メールが届く。今日は少し体調がいいのか母も返信を書こうとしているようだ。
やすかれ、わがこころよ、主イエスはともにいます、いたみも苦しみをも おおしくし忍び耐えよ。
きれぎれに讃美歌がか細く聞こえてくるのでどうしたかと慌てて駆けつけてみると、歌いながらメールの返信に讃美歌の詩を書いていた。
天使と共に祈ろう。安かれ、と。友人にも、母にも、皆さんにも少しでも平安な日々となるように。
やった!とうとう合格。
合格の暁には飛び上がりたい程の喜びだろうと想像していたのに、ネットで番号を確認した時には、初めは茫然。それから10回は番号を確認しなおし。再度茫然。最後は狐につままれた感じで思わず座り込んでしまった・・・。それだけ想定外だったからだ。
前回3月の第14回試験では、学科は合格、実技試験はあと3点での不合格だった。あと3点といえども、実技試験を構成する論述はある程度独学の目途があったが、面接試験の方はどうしたらよいかわからず途方にくれていた。再チャレンジで受かることがあれば、面接対策について記そうと思っていたので、まだ記憶が定かのうちに記しておく。
内容に踏み込む前に、模擬面接を何回かしてくれた妹と、直前勉強会でアドヴァイスしてくらたメンバーに感謝の気持ちをお伝えしておきたい。
さて、論述も面接もどちらもコンサルティングの段階の対象が多少異なるだけで、問われていることは重複してくる。
論述は、ケースを読み、クライアントの訴え(主訴)、コンサルタントの見立て(主訴以外の問題点)、今後の展開について述べる。面接は、クライアントの設定(名前、年齢や簡単な略歴)を書いた紙を見せられて実際に15分の面談を行った上で5分の口頭試問を受ける。所謂カウンセリングの冒頭の15分の対話の中で、最初に行うことはクライアントがコンサルタントに悩みを話しても良いと思えるほどの信頼関係の構築を行いつつ、クライアントの訴えに耳を傾け、同時にコンサルタントの見立てを考えていく。口頭試問ではその二点に加え、自分ができたこと、今後の改善点、次の展開について聞かれる。
このように論述試験と面接試験ともに、対象としているコンサルティングにおけるステージが重複している部分多いので、試験対策も重複すると思っている。ただ、面接はケース設定はあるものの、対話はライブでどういう話の流れになるかはクライアントとコンサルタントの相互作用であり、そのライブでの会話とコンサルタントとしての見立ての検討が平行して行われるのでより難しい(と実践慣れしていない私は感じている)。
面接対策、そしてそもそも第15回試験が今までと異なる部分を次のブログで共有したい。
支えてくれた家族への御礼と自分へのご褒美に深紅のシクラメンを買った。
同僚よりひと月ほど前にいただきもの。今年はオリーブがよくできたので、と摘みたてのオリーブを自分で塩漬けできるように渋抜きの苛性ソーダとともにいただいた。
私はうまく渋抜きできずに緑と紫と宝石箱のように個々に色が変わる結果となってしまったが、オリーブの味は堪能できる。漸く味も馴染み、大切に2-3粒ずつ毎日いただいている。
また、塩漬け用とともに、ご自身が漬けたオリーブの瓶もいただいた。大きさにして10cmほどの小瓶に力強い緑の美しい実が。ローズマリー、タイム、ガーリックと塩で漬けたとのこと。
北の国から来たつぐいみが赤い秋をついばむ音が聞こえるではないか。それに、秋の風はオリーブのように苦いではないか。
フランシス・ジャム 作 / 手塚伸一 訳
ジャムはフランスの抒情詩人。1868-1938年というので、ドビュッシーより長生きしているものの1962年のドビュッシーとは同世代。マラルメやジッドに認められるが、パリに拠点を置かず山野を好んだらしい。ドビュッシーとは住む世界が違ったのだろう。
オリーブのように苦い風。印象的な表現。
とはいえ、我が家のオリーブは、いただいた瓶詰めも自分で塩漬けしたものも、苦いどころかまろやか。豊穣な自然をぎゅっと凝縮したような実を味わえる幸せ。
師走の営業日も残すところわずか。
しかし例年と異なり、欧米の客は本来今週はもうクリスマス休暇に入っているのに、コロナ下でクリスマスの気分がしないのか、テレワークの延長か、有り難いことに商談が続いている。商談が続くということはクレームなども止まることなく、いつもより更に忙しい年の瀬だ。
常にワーストケースも想定しているけれど、コロナだけではなくビジネスも、環境は日々更に悪くなるようで、正気を保つことが難しい。
つい、俯いて歩いていたが。ふと、視線を上げてみれば、いっせいに葉っぱがこちらを向いている。
そうだ。独りではない。手をさしのべてくれているではないか(ただし、職場以外・・・)。
黄なる葉の 日含みやすき 紅葉かな 原石鼎
12月のフランス音楽講座の日。先生は昨日昼・夜のコンサートだったのでお疲れだろう、もしかしたら聴く耳も厳しくなるか・・・と戦きながらの参加。
今日はショパン ノクターン 第11番をみていただいた。ノクターンが続くのもどうかと思いワルツを考えていた。だが、ワルツの浮遊感を表現するのに苦手意識をもっていて、途中まで譜読みしていたのをやっぱり止めて、自由に弾ける(と勝手にに解釈している)ノクターンにした。結果的には、同じ受講生でデュオポッキーズの友がワルツをもっていらしたので重ならなくて本当によかった・・・。
春は桜が咲く道を選んで歩いたもの。今の時期は銀杏の木を探して空を仰いで立ち尽くす。
銀杏はなんと2憶年も前からあるのだそうだ。一時期減少し中国の山間部のみに残っていたのが、朝鮮、日本に渡り、日本の出島にきていたオランダ人が興味をもったことから欧州に渡って人気がでたとのこと。銀杏のginkgo(英語、フランス語、ドイツ語)は「銀杏」の読みからきているということも驚き。
But as though to time alone: the golden and green
Leaves litter the lawn today, that yesterday
Had spread aloft their fluttering fans of light.
時のみにあわせるように
金と緑の葉は 今日 芝の上に散乱している
昨日は光の扇のようにはためていたのに
ネメロフ(米・詩人)
先週は数か月ぶりに朝の散歩を復活。今週は行かれず、思うようにはいかないものだが。それでも朝の空気は引き締まって、初冬の張りつめた雰囲気で身体を包み込む。
よくいっていた公園に久しぶりにいくと、あれだけ茂っていたあおあおとした蔦が既に紅葉し、実は種を宿していた。
蔦の種類が違うのだろうが、落ちんばかりの蔦を見ると思い出すが、子供の頃読んだ、オー・ヘンリーの「最後の一葉」。
芸術家の住むアパートで肺を患う女性画家が、窓から外を見て、葉がすべて落ちたら自分は死ぬ時だと思う。それを知った同じアパートの老画家が、雨の中「最後の一葉」を壁に描く。落ちない葉をみて女性画家は生きる縁とし生き延びるが、絵を描いた画家は雨にうたれたことが原因で亡くなってしまう。このタイトルの「最後の一葉」は亡くなった老画家の傑作だったという結びで終わる。
彼の行為は自己犠牲だったとも、傑作を描くといいつつ描けない芸術家の苦しみを描いたとも、いろいろな解釈があるようだ。シンプルで美しい英語のストーリーは様々な余韻を読者に与えるのだろう。四季、美しい色を纏った蔦の最後の色は、朝から内省に誘う。
久しぶりのフランス音楽講座出席。今日弾いたのは、ショパン ノクターン 第21番 遺作。作曲年代は諸説あるそうで、若い時期との解釈もあったようだが、自筆譜の五線紙の種類から推定して晩年のものだという評価が今は主流になっているらしい。
民謡のような単純な旋律が繰り返し、短時間で終わる。強弱記号も殆ど記載がない。指使いにもこだわりぬいたショパンらしくなく指定もない。若かりし日かと言われればそう捉えることもできなくもない。
だが、これが最晩年のものだとすると。しかも推敲版もないようだ。ショパンといえば、推敲や即興で多くの版が存在することで有名だ。疲れて推敲もできなかったのか。もうどうでもいいと思ったのか。自分の心境にはこのままがいいのだと敢えてそのままにしたのか。譜面も、作曲時の状況も、後世に残っている情報が他の曲に比べて少なく、解釈によって弾き方も大きく異なるのではないか。
講座では、デュオポッキーズの友人がジョン・ノイマイヤー振り付けでローザンヌバレエコンクールで踊られていると皆に共有してもらった。画像をみると優美で、ショパンはバレエの為に作曲したのではないかと思うくらいだ。先生からはバレエ音楽でのピアノ伴奏の難しさの話まで発展したコメントもあり、様々な観点で鑑賞できた幸せなひとときだった。
絶対音感が数少ない自慢できる能力だったのに、突発性難聴を患ってから、微妙に、そして半音、今は全音ずれて聞こえるようになった。以前は調律があっていないと気持ち悪くなったものだが、今は鈍感になったのか耳が悪いのか、気が付かないことが多くなった。
家族に「音が悪い」と言われてはじめて気が付き、調律をお願いした。前回から1年半経っていた。20年近くお願いしている調律師さんは元気いっぱいできてくれて安心した。だが、彼女曰く、コロナ禍で来てほしくないという人が多く、仕事は激減したという。ワクチンできるまで調音しないのでしょうかねえ・・・と笑っていたが、本心は笑うどころではないのだろう。
今年は毎年うけているアマチュアコンクールも実行されるかわからず、また、7月から仕事が純増して練習できなかったのですっかり忘れていたが、夏にやはり実行しますと連絡がきた。悩んだが、その時自分が弾きたくて練習していた曲で出ようと思い応募した。コンクール用の曲と思って選曲しなかったのは初めでだ。技術的にそれほど難しくはないショパン ノクターン第19番、プーランク 15の即興曲第12番等を弾くことにした。
杉並公会堂のベーゼンドルファー、紀尾井ホールのスタインウエイ。私が弾きたかったノクターンはピアノに助けられて美しい音だった(自分の技量は別)。一次は淡々と弾いてその音に驚きもう一度ベーゼンで弾きたいと願った。二次は緊張して音の美しさに気づく余裕がなかった。本選では冒頭に弾いた前奏曲で暗譜落ちをしたので、入選は望めないと欲を捨て去った途端、ピアノの音がちゃんと聞こえてきた。メロディーを歌うこと。本当はヴァイオリンのようにずっと繋げたいけれどそんなにピアノだから音がのびない。人が歌うように、息が続く限りはのばして、息つぎの時に間が空くように。そして、美しい単旋律は、聞こえたらそれだけで耳をひきつけられるような。
自分の理想と自分の技量は違ったけれど、でも今年は終わったあと、好きな曲を弾けた満足感が残った。
数か月ぶりに先輩にお会いできた。同じ職場に同じ頃に配属され、20年、その仕事振りをそばで拝見してきた。幸せなことだ。
Hitch your wagon to a star. R.W.Emerson
中学生の時に英語の格言とかで習った覚えがある。その時の和訳は
汝の馬車を星につなげ
より高いところを目指しなさいという意味だと教えられた。
私にとっては、見習いたいけれど、どれだけ年月をかけてもかなわない、遠い星という意味でぴったりの言葉だ。
母に頂きもの。その包み紙自体の美しさに目を瞠った。デザイン、紙質、色合い。
季節にあったシンプルでそぎ落とした絵柄。いやはや、仕事だけでなく審美眼もかないません。
またWEB飲み会しよう!と言いつつ、一か月超体調を崩していたので、友人からのお誘いにも一二行の返信をするのがやっとだった。すると程なく彼女から手紙が。ローランサンの美しい切手が貼られた封筒を開けると、フランスの宮廷画家ルドゥーテの美術展のちらしと美しい薔薇の絵葉書が一枚。時空を超えたお花見のおすそ分けと。
何か言う訳でもないのに見舞いの気持ち感じられ、心嬉しく、枕元に置き眺めた。仕事をしては横になることが多い一か月だったが、生命力のおすそ分けをいただき、ようよう治癒したような気がする。
恥ずかしながらこの宮廷画家の名前もしらず、しげしげと見ると、茎や葉に生えた細かな棘さえ柔らかに見えて実は痛そうで、リアリティに驚かされた。マリー・アントワネットやナポレン皇妃ジョセフィーヌの知遇を得て、植物図譜を描いたという。有名な音楽家の人生と重ねれば、モーツアルトの3つ下、ブラームス幼少の頃にまでかかる感じか。宮廷音楽も華やかなりし頃に描かれた職人気質の高度な技の芸術品。
三連休最後の日、妹夫婦につきあってもらい、パソコン買い替えに。今迄人任せだったが、今回はざっくりだが欲しいスペックを決めて、乗り込んだ。
購入までは良いのだが、帰ってからのセッティングに自信なく、こちらも妹夫婦につきあってもらってどうにか大まかなところまで目処をつけてもらった。
仕事では、会社がセッティングしてくれたのを使うだけなので、上げ膳下げ膳状態だが、プライベートではそういう訳にもいかず苦手意識をもっていたが、今回はなんだか自分の心持ちが変わったようで、選ぶのも楽しかったし、妹夫婦にアドヴァイスや手ほどき受けるのも嬉しく、あっという間の一日だった。
心持が変わったのは、ITパスポートを1ヶ月でとれたことが妙な自信になって、人の営みの範囲内の話なので、調べればどうにかなるんじゃないかと構えるところがなくなったからかもしれない。タイプで論文を書いていたのが、PCでフォーマット指示すればワープロとして使える便利さを知った大学時代。数週間徹夜もしながら試算していたのが、LOTUSでマクロを組めば一瞬でまわせることを知り愕然とした若手時代。物事には表裏あり、便利さと危険が背中あわせにありつつも、圧倒的な便利さが人々の支持を受け、普通の家電になったパーソナルコンピューター。「普通」になる前のあのわくわく感を思い出せば、苦手意識を何時の間に纏ってしまっていたのか、と思った。
暑い日に似つかわしくない、やさしい色の薔薇。ピンク好きの父の前に飾っている。
早朝散歩の海辺にて。
今年はお盆の帰省も、夏休みの旅も難しく。本当は今迄行けなかったところに家族を連れていきたかったが、諦める。健康が一番だから。
いろいろ制限されているが、コロナ下で友人が絵葉書で送ってくれた。添えられた言葉どおり、四季は巡り、私達は自然と共に生きている。
夏は強い陽射で私達にエネルギーを日々注いでいる。