2019年2月3日日曜日

A Ashkenazy / アシュケナージ 作曲者の意図を表現したい 春告草

先週の「らららクラシック」ではラフマニノフがとりあげられていて、「超一流の作曲家にしてピアニストにして指揮者」と紹介していた。それをみながら何の脈絡かアシュケナージのことを連想した。作曲家ではないがラフマニノフと同様、モスクワ音楽院をでた、超一流のピアニストにして指揮者だ。曲の勉強をする時は彼の演奏で模範を知ってから、そのあと他のピアニストを聴く人も多いのでは?

模範。ひとことでそう印すが、誰もが思う「模範」とはどうやってつくられるのだろう?否、つくるのだろう?



https://xecutives.net/vladimir-ashkenazy-about-his-life-his-own-musical-gift-and-his-spiritual-comprehension-of-musics-significance-beyond-words/

Xecutives.netとのインタビュー記事にアシュケナージらしい表現があった(英文、上記写真は同ネットより借用)。

作曲家が言おうとしていることを理解しようとしなければいけない。
どうやって考えそして感じ始めるか。
粗い言い方かもしれないがこう表すしかない。
考え、そして感じる、両方なのだ。
もちろん、あなたは頭を使って全てを組織的にまとめなければならない。
また、ある作曲家について、彼が伝えたいと思っていること、
あなたが何故そう感じるのかつきつめなければいけない。
そして時にはそれを言葉で表すこと。
でもそれは絶対不可能だ!

右脳と左脳をとことんまで酷使して、様々な面から作曲家に迫ろうとする姿がうかがえる。この好奇心が彼をピアニストに留まらず指揮者とならしめたのだろう。

さて。ネットサーフインしていた訳は。先週はアメリカもフランスも、日本も大雪。出張の予定がなくなった。行っていたら酷い目に会っていたが、なくなって助かった。そんな寒波にもかかわらず今日は暖かい。明日以降は更に。立春だ。少し遠回りをしてお目当てを探しに行った。


春告草。梅の別称。気持ちも綻ぶ。春を待つ気持ちが。

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