1899-1963年。第一次、第二次世界大戦、戦後の冷戦時代も経験した世代だ。裕福な製薬会社創設者の父をもち、「フランス6人組」の一人。実業家の父の反対でパリ音楽院に進学しないにもかかわらずだ。ピアノ曲、管弦楽、室内楽、宗教曲、バレエ曲と曲風も幅広い。伝記など読んでいないの詳細はまだ分からないものの、ここまでの印象では、恵まれた環境を悪びれず、物怖じせずに自分と自分の才能の為に活かし、開花させた人のように思え興味深い。どうしても天才作曲家は夭逝、貧困、毀誉褒貶、時代から理解されずに死後に評価、等苦労物語が美談として語られることが多い中、等身大の人物として身近に感じる。
レパートリーの広さといえば、この人はオペラも作曲しており、「ティレジアスの乳房」「カルメル派修道女の対話」など。オペラを書きたくて長く構想を温めながらついに描ききらなかったドビュッシーの話をしっているだけに、つい比較してみてしまう。何事もそつなく何でもできてしまう人のように思えてしまう。これだけ予見をかきたてておいて、やはり伝記を何冊か読んでみよう。
9月に体調を壊していた際、友人からお見舞いをいただいた。学生時代の懐かしいトラピスト修道院のワッフルクッキーや、北海道十勝カルメル会修道院のチョコレート(写真)。この絵は、私の中の心象風景のひとつにとても近い。最近、プーランクの楽譜の近くに置いて、練習しながら時々眺めている。プーランクは今は即興曲11番と13番を練習中。コケティッシュだったり、感情的になったり、祈りの一瞬が表れたり。
体調も復活し、漸く三度目の正直でその友人と楽しい飲み会。山形料理のお店で、話して、話して、話して、そして美味しい日本酒と肴で乾杯。
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