ベートーヴェンが32歳の時のだ。
今、「ベートーヴェン」平野昭/新潮文庫 を読み返している。年譜が巻末についているので便利だ。
この1802年という年は、ハイリゲンシュタットに滞在し、後に「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれる、二人の弟に宛てた自殺まで思い詰めたことが記されている。平野氏によると1798年頃には親友に難聴の兆候を打ち明けていたという。この、音楽家にとって致命的な打撃ゆえこの地で引きこもっていた時期だ。
音が聞こえなくなるという恐怖と、それを認めざるを得なくなった時、どのような気持ちだったか。自分と比べるのもおこがましいが、ストレス性の突発性難聴になり、医者からは良くなることはなく悪化を防ぐためにストレスレスになるよう努力するしかないと言われた。聞こえにくさもさることながら、音が微妙に上がって聞こえるようになり、今や完全に1度高く聞こえるようになってしまった。私ですら受け容れがたい気持ちだったのに、音楽家にとってどのような思いだったか想像するに難くない。
そんな苦しみや救いを求める心を投影したかのように思えてしまうテンペストだが、一方でその作風には野心的な点がいろいろある。
平野昭氏の本 「ベートーヴェン」音楽之友社 に対し、紀伊国屋が書評を出している。
https://booklog.kinokuniya.co.jp/imaiakira/archives/2012/11/post_79.html
1802年はまだ旧式のピアノを使っており、1803年にエラール社の新しいピアノを入手している。ベートーヴェンは貪欲に新しいピアノを取り入れていて、生涯に10数種類のピアノをもったと言われるが、テンペストを作曲した1802年には古い(膝で押し上げるペダルの)ピアノだったはずなのに、新式のピアノでのペダル(足で踏む)の指示になっているという。一楽章の型破りな冒頭、レスタティーヴォ(話すような独唱、独白)という表現指示を施したり、独創性はかえって増したようにさえ見える。
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