2021年6月5日土曜日

ベートーベン ソナタ 17番第3楽章(5)

今週はきつかった。

有り難いことに、きつさの半分は引き合いの多さなのでこちらは嬉しい悲鳴である。コロナで引き合いが激減したのも中国、欧州、の順であったが、戻る速さも同じだ。

中国は5月の全人代で投資に安心感がでたのか、購買意欲が旺盛。欧州もワクチンの進行と、今年は夏のバカンスの期待で、例年の夏休み前6月頃迄商談というシーズン性が復活している予感がする。

と言う訳で全然練習もできていないし、折角取り寄せた児島新氏の「ベートーヴェン研究」もまだ読めないうちに、ピアノレッスン日。

今回は初めて暗譜で弾いてみる。とりあえず最後まではいった。

暫く考えたあと、先生の講評。たとえが面白い。一楽章と比べて、速度指定もかわらないし、音価は殆ど八分か十六分音符なので変化があまりない。同じ速度で流れていく、似たような長さのベルトコンベアーの流れを、どうやって見せ続けるか。音楽であればどう聴かせられるか。そこには、速度、音価ではない何かがなければいけない、と。色調(調性)の違い、音色(タッチや感情)の違い、を表情としてつけなければとおっしゃっているのだろう。

この曲に自分の心象風景を投影するならば。漣のような心の胸騒ぎが、アルペジオで一瞬うねるが、また心落ち着かせようとする。フレーズで大きくとる部分と、一小節単位で(調性がかわっている)感情が微妙に変わっていく。緊張を強いる繰り返しと、そのあとに何故か長調の明るいトーンが一瞬差し込むのに、またすぐに横殴りの雨のような制御し難い焦燥感。

調性の変化を楽譜を追えば感覚的にわかる位、訓練できていない私は、やはり楽譜を一から追って、音で確かめて、どう弾こうか悩むしかない。

でもこの試行錯誤が音楽の楽しみ、醍醐味なのだろう。

帰ってから母に聴いてもらうと(この曲のリクエストは彼女だし)、「気が乗らない、ねぎのような音」と評されてしまった・・・。ねぎ(最近は母は、中身がスカスカなネギに出会ってがっかりしていた)みたいなベートーヴェン。略してネギベン。

母は鋭い感性の持ち主で、かつ、私の演奏は幼い時から聴いているから、さすがに第一音で、気持ちがこもっているか即分かってしまう。平日のビジネスモードを引きずっていると、簡単割り切り直線モードなのだ。もう一度弾き直し。また弾き直し。三度目で「乗ってきたみたいけれど、粗いわね。」と。お見通しです。乗って弾くとまだまだ練習不足で技術的な粗が目立つので、速度を遅く、慎重に石橋渡っています・・・。


早朝散歩で出会った蝶。翅が白く透き通って綺麗だったので撮ってみた。

蝶白し薄暑の草の道埃 田中田士英

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