趣味でピアノをやっていると言うと「優雅ですね」「高尚ですね」といった反応が返ってくることが多い。ピアノ=クラシック=優雅、高尚 という図式らしい。そういう部分も確かにあるのかもしれないが、自分に関しては殆どの時間がこの表現から程遠い。
ピアノに関わらず音楽はその理論は「数学に通ずる」とも言われ、その歴史(欧米)はよく絵画や文学との連関で語られる芸術な訳だが、自分にとっての肌感覚ではどちらかというとスポーツに近い。「スポ根(性)マンガのよう」と表す人も。少しでも上手に弾けるよう練習し、その「少し」を達成できた時の歓びに捉われまた練習する・・・という繰り返し。
音楽と聞いて何を思うかといえば練習。週末に1-2時間しか練習時間はとれず、気持ちが仕事モードから切り替わるのに段々時間がかかるようになり、音はバリバリ戦闘モードのままで終わってしまうこともしばしば。気持ちが落ち込んでいれば自分の音も好きになれず、指の練習だけで終わってしまうことの方が多いかもしれない。
そんな時は「井上先生」の「ピアノ奏法」を読み返す。ピアノ奏法にかかわる本は世の中に沢山あるが、本書は簡明な言葉で本質をついた指摘や説明をしようという気持ちが伝わる書だ。つい最近まで知らなかった本で偉そうなことは言えないのだが、自分にとってピアノを続けてこられた原動力を思い出させてくれる。
僕がこの本で伝えたいと思っていることは、「自然で、生きた演奏」ができるようになることです・・・否定的な方向へ自分を持っていって、小さな、小さな空間でしか呼吸していない状態ではなく、いろいろなことを覚え、広い可能性の上に立って、豊かな感性で尾根額を表現する喜びを見出せる「自分」。もうひとつは、困難なことにぶつかった時ーー技術面や音楽上のことでーーそれを解決できる力を養うこと。言ってみれば、自分なりの方法、自分なりの手続きで音楽を作っていけるようになる、そのようなことのアドバイスになれば、と思っています。(井上直幸 「ピアノ奏法 音楽を表現する喜び」前書きから)
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