同世代で、同じ時代に共に仕事に邁進してきたという同士にも似た共感をもつ彼女だが、安住せずに会社を早退され新しい世界に跳び込み、その成果を着々と出している姿をみるのは、いつも眩しい。
初春の花と言われるのだが、家の近くに美しく咲いているので・・・。万作 あるいは満作という。まず咲く ということで名前がつけられたときくが、赤の色の華やかさからも、漢字の名前からいっても、友人の論文にぴったり。万或いは満、いづれも人として満点という意味だろう。素晴らしい。
同世代で、同じ時代に共に仕事に邁進してきたという同士にも似た共感をもつ彼女だが、安住せずに会社を早退され新しい世界に跳び込み、その成果を着々と出している姿をみるのは、いつも眩しい。
初春の花と言われるのだが、家の近くに美しく咲いているので・・・。万作 あるいは満作という。まず咲く ということで名前がつけられたときくが、赤の色の華やかさからも、漢字の名前からいっても、友人の論文にぴったり。万或いは満、いづれも人として満点という意味だろう。素晴らしい。
この曲は前にも記したが、高校二年生の時に初めて弾き、40歳を超えピアノを再開してから一度日墺アマチュアコンクール(通称アマコン)にもっていったこともある。
奥深い曲で、その時々で感じることも、弾き方も、発見もいろいろある気がする。母が特に好きな曲なので、自分の体力の衰えも考え合わせ、今年で最後になるかもしれないと再度チャンレンジすることにした。
若い時の癖や、体力がないことをカバーする為の指使いに慣れてしまっているのを、今一度見直すところから始めているので、なかなか譜読みが進まない。自分の中で弾きたい像ができていて、そしてベートーベンの弾き方(フランスもののように軽いタッチや脱力を上手く使う、ことと一線を画す)に慣れるために、3楽章から練習を始めた。
今日はピアノの先生にみていただく再チャンレンジ1回目のレッスン。時間がなく2ページしか練習していかなかったので、まずはその中で弾きにくいところはどこですか?と。物理的な難しさと、弾き方の難しさと分けて伝えた上で、弾き方が難しい冒頭の二段をみていただくことに。アーフタクトではじまりスタカートで切れる一節。左は一音目ではなく二音目が延びる変則的な伴奏。16分休符をはさみ追われるように掛け合う右と左。たたみかける3回の繰り返しのあとに繰り出される和声の変化。どうすればこれらの特徴が示すストーリーを語れるか。結局この二段をいろいろ先生と対話して一時間のレッスンが時間超過で終わった。
自分よりも知識も表現手法の経験も優れている人に、強制されるでもなく、付き従う訳でもなく、自由に対話しながら曲を一緒に仕上げていくという時間は素晴らしい。子供の時から、ピアノの先生には良い先生にあたり触発されてきた。今や先生の年齢の遥か上になってしまったので先生の言葉も年齢をいくばくか加味して丁寧に話していただくが、それでも音楽に関しての知見は先生の方が多く、優れていて、いろいろな見方や知識を教えていただくと、目から鱗が落ちたり、一緒に創っていく喜びに触れたり。音楽の楽しみの大きなひとつだ。
フランス音楽講座にショパンのワルツ2曲で臨んだ。
舞踏系は苦手意識あるが、小曲で、技術的に時間が少なくともある程度に仕上げて講座にもっていけるように・・・と効率指向の選曲。
13番はショパンが若い頃の作品。まだパリに行く前、ポーランド時代の作曲だ。若さの溌剌とした勢いもあるが、(A)二声のメロディ、(B)舞踏のリズムが明確な華やかさ、(Trio)ヴァイオリンとチェロの二重奏曲、と言えるようなそれぞれ特徴的なワルツで構成されている。優美なメロディとめりはりの効いた場面転換を思わせる進行は、パリのサロンで十分に聴衆を魅了しただろう。
対照的に、19番はショパンが亡くなった後に発行された遺作。書かれた時期も晩年とされていて、素朴なポーランドの踊りらしいメロディが繰り返されるシンプルなつくりだ。あまりの簡明さ故か、華やかさが少ないせいか、弾かれる機会が他のワルツに比べて少ないように見受けられるが、このややぶっきらぼうとも言える素朴さは、晩年で修正する気力もなかったのか、はたまたこれが彼の脳裏を駆け巡っていた旋律で、複雑に書き直す意味を感じなかったのか。いづれいせよ、遺作という言葉がもつプライヴェートな感触を強く受ける。一度聴いたら忘れられない、つい口づさんでしまうメロディ。音域が非常に広く、舞台の端から端まで使った踊りのような、二次元ではなく空間を感じさせるつくり。13番と対比させるとやはり年月で培った巧みさが、意識せずに土台にされている感を受ける。
若書きの溌剌さも、晩年の、何か結集したかのような、凝縮したような簡明さも、共に心に残るショパンのワルツだ。
日本の企業の多くは年度末。最終売上が決まるラストスパートで走り回っている人も多いだろう。かくいう私も営業のはしくれ、最後のあがき真っ只中。週末は疲れてダウン。
わさわさと三月すごす木瓜の花 松崎鉄之介
散歩で出会った赤、桃、白色、色とりどりの花が一本?の木についた木瓜の花。木瓜と言えば、冬の寒い時から咲いてくれた早咲きの花々には、もうすぐ春の予感がして心慰められたものだが、この写真の木はかなり大きく、今月になって急に華やかに咲き出しで春を謳歌するオブジェのようだ。
前回記してから時間が経ってしまい、もう第16回目の試験が3月初旬に開催されたので、なんだか間の抜けたタイミングになってしまった。が、年度を跨がぬうちに、とりあえず最後まで記して置こう。
実際の面接は、面接前にクライアント役の方とドアの前で会い、紙1枚にその方の名前、年齢、職歴が記された紙を渡される。どこまでディスクローズしていいのかわからないので概要だけ紹介するが、40歳台の女性で卒業後に一度正規社員として就職するが数年後に退職し、それからは派遣社員として十数回転職を続けている。そろそろ正規社員になることも考えているが・・・という来談経緯。
冒頭のお話しで正規社員になることを考えていることは分かったのでそこから話を聞いていく。しかしどの応答も短かく、正規社員になることを考えているきっかけや、何に悩んで前に進めないのかが見えない。沈黙には耐えられるようになってきたので、せかさないようにして話してくれるのを待つのだが、15分の面談なのにもう10分を過ぎても答えが紋切り型で、感情は疎か情報も出してもらえない。そろそろ焦ってきて、正規社員になることを思いとどまらせることがあるのか、何がストッパーとなって話せないのか、ついこちらの想定からの質問をしてしまい、ますます焦る。奈落の底に吸い込まれていくような、あの「落ちていく」のがスローモーションで分かる感覚に襲われる。
もうどうにも話の接ぎ穂がなくなり、最後の2-3分のところで、最初に就職した時の話を聞いた。その時、はじめてクライアントの方の目の中に何か感情がよぎり、「あの時、一生懸命働いたのに。」と短いながら、初めて気持ちが表れた言葉を紡いでくれた。そのあとを促すと「残業が多くて身体を壊して、そのあとは。」と言葉を切られた。学校を出てすぐに就職して、頑張って働いたのに、身体を壊し。そして、この年齢は、そうだ、就職氷河期時代と言われ、政府も再就職の対策を打ってサポートにあたっている!その後は上手くいかずに正規社員になれずにきたという設定なのだ。この人はどう思っているのだろう。その後のキャリアをどう感じているのだろう。
と、漸くとっかかりをつかめたと思った瞬間、チャイムが鳴って試験が終わってしまった。
ということで、今まで一度も(講座や勉強会でも)ケーススタディも模擬面接もしたことがない、もっと言うなら就職氷河期世代なので、会社の後輩としても人数が極端に少なくあまり職場にいない世代の方のケースに「あたって」しまった。何もできず、もう、これで不合格決定。
そして、「あたってしまった」と思った瞬間に、実際のコンサルテイングなら「あたってしまった」クライアントの方は大迷惑だ、来なければ良かったと後悔するだろうと気付いた。私は、こう無意識に感じてしまうこと自体、まだこの資格に値しないのだろ。
面接後はすぐに口頭試問である。もう不合格決定だし、自分が情けないしで、言葉が出ない。深呼吸してゆっくりと考えながら話した。率直に自分の失敗した点を伝え、このまま面接を続ける場合、最初の職場での出来事と感じたことを、クライアントが話したいだけ話してもらったら、多分やりたいことは彼女の心の中にもう既にあって、封じ込めていただけだから、それを聴きたいといった内容を伝えた。
酷い面接であったにもかかわらず、結果的には一回目よりも全体的に(要素毎に評価が点数化される)点数が上がっていた。自分の目が信じられなかったというのは初回に記したとおり。
敢えて、この点数から何を評価されたのか推測してみる。3点か。短い答えしかしてくれない難しいケースは必ずあるらしいが、「何か語ってくれるはずだ」とあきらめずに(できずに質問してしまった時もあったが)寄り添う態度を崩さなかったこと。初めの職場での出来事が彼女の仕事への考え方に大きな影響を与えたことに最後の最後気づいたことと、それを口頭試問で今後の展開に絡めて話せたこと。3点目はその展開についての口頭試問で、ジョブカードを使ってこういうことを聴き、彼女と共に彼女の特長を表現できるようにしたいと話したこと。
ジョブカードとは厚生労働省が推奨しているキャリアシート等のフォーマット。講座では一通り教わったが実は政府の型どおりのフォーマットでしょうと思い込み、それ以上掘り下げなかった。二回目に実技試験を受ける一週間前に取り出して読んでみると、いろいろな世代が使えるように工夫されており、なんというか、キャリア形成の役に立つようツールを揃えようという意図がよく見える内容であり、非常に感銘を受けた。これは使えると(実践でも対試験でも)思い、いろんなケースで使うことを想定してみた。具体的に、彼女のケースでこうやってジョブカードを使いたいと言えたことも、道具を使いこなそうとしているとみなされたのかもしれない。
資格取得の勉強に関しては、多くの方のHPを参考にさせていただいた。学科は通常の勉強の仕方で良いのだが、実技はライブで相手によって変わること、また相手に信頼感をもってもらった上で相手の中にあるものを引き出せているかを評価されるので、どんな風に勉強すればよいのか、どうすれば評価されるのかわからず、自分がやっている勉強方法で良いのか迷いの連続だった。その為、同じような悩みを抱えている方々のHPは非常に参考になった。ささやかな恩返しのつもりで失敗も含め自分の経験を記してみようと思った訳だが、分かり易い表現ができたかは心もとない。
先週から今週にかけては、会社で大きな組織改正やら異動があり、非定常業務に忙殺された。別れと新たな出会いの季節と言うと響きがいいが、実務的には業務運営やシステム関連の見直しなど、いろいろ決めなければいけないことがでてきて、年度末の業務とあわせ時間をとられてしまい、一旦いろいろな思いは心の片隅にやってとにかくお仕事、お仕事。
カリカリとした日々が過ぎ、漸く週末に突入。
この二週間できなかったから、久しぶりの散歩にでる。疲れた目をふと空に向ければ、木蓮の花。象牙色の濃淡が墨絵のようだ。
木蓮は地球上で最古の木の花と言われているそうで、なんと1億年以上も前から在るとのこと。蘭に似ているから木蘭とも、蓮に似ているから木蓮とも書く。
木蓮に夢の様なる小雨哉 夏目漱石
今日はフランス音楽講座を受講してきた。
ドビュッシーの「ロマンティックなワルツ」をみていただいた。
若書きの曲と言われある意味成熟していないというトーンで語られるが、私は好きだ。分かりやすいメロディーながら、和声はもう既にドビュッシーの特徴がでていて、くるくる変わる明暗はまるで舞台。ドラマや映画音楽のようだ。
個人的には、この曲ではその舞台音楽のような効果を出したいと思って練習。盛り上がってクレッシェンドしていたのに急に(subit)ピアノに落とす、歌っていたメロディが突然途切れて「天女の羽衣」のようなアルペジオがかかったり。急な音の切り替えは、頭の中で鳴る音楽を切り替えと共に、実際に弾く指を含む身体の即座のコントロールが必要。「車は急には止まれない」と同じで速度や遠心力がかかった音楽を急に止めたり変えるのは難しいのだ。そのかわり、上手くできたら効果は抜群。
講座では、この曲は、「ロドリーグとシメーヌ」(ドビュッシーの未完のオペラ)のモチーフが使われていると教えていただいた。
このオペラの話自体は、分かり易くたとえれば、フランス版ロミオとジュリエット的な物語である。ただ、少し最後の結末が違う。ロメオもといロドリーグは、ジュリエットもといシメーヌの父を刺殺。シメーヌは王に公平な裁きを、裁判を求めるが、王はロドリーグが居ない為、急がずに去る。そこにロドリーグが戻ってきて、父を刺し殺した剣で自分を殺してくれとシメーヌに嘆願するが、まだロドリーグを愛しているシメーヌは決断せずに去ってしまう。ロドリーグは狂乱するも家族に諫められ、シメーヌへの愛とともに戦場へ向かう。同じストーリー設定なのに結末が違うだけで印象が変わる。結構、この現実路線がフランスらしい?と面白い。
今は盛りと咲く家の近くの雪柳(?)。清純と表現されるジュリエットやシメーヌの印象さながら。誰も歩いていない大雪のあとのように、目が痛くなるほど真っ白で。眩しくて、そして美しい。