2020年12月25日金曜日

天使と共に

徒然なるままに。今日という日に、思ったままに思ったことを。

昨日とうとう東京のコロナ新規感染者が888人という数字になった。ニュース報道ではそれでも人出が多かったという話で持ち切りで、私自身昼間客先挨拶に伺った日比谷は、夜にはクリスマスマーケットで行列だったという。

友人から、別名天使園とも言われる厳律で知られるトラピスチヌ修道院のチョコレートをいただいた。平和を願うというメッセージカードが添えられていた。文通の返信に天使の絵を郵便で送った。平らかで安らかな来年を祈念して。

母は9月末に私のアマチュアコンクール本選を聴きにきてくれた後、体調を崩し、11月に漸く回復かと思ったが、抵抗力が悪化していてひどい帯状疱疹に悩まされ続けている。心配するもののコロナや風邪やよくわからないがウィルスを移すリスクが怖くて見舞いにこられない妹からは毎日メールが届く。今日は少し体調がいいのか母も返信を書こうとしているようだ。

やすかれ、わがこころよ、主イエスはともにいます、いたみも苦しみをも おおしくし忍び耐えよ。

きれぎれに讃美歌がか細く聞こえてくるのでどうしたかと慌てて駆けつけてみると、歌いながらメールの返信に讃美歌の詩を書いていた。

天使と共に祈ろう。安かれ、と。友人にも、母にも、皆さんにも少しでも平安な日々となるように。


2020年12月20日日曜日

キャリア・コンサルタント 第15回実技試験

やった!とうとう合格。

合格の暁には飛び上がりたい程の喜びだろうと想像していたのに、ネットで番号を確認した時には、初めは茫然。それから10回は番号を確認しなおし。再度茫然。最後は狐につままれた感じで思わず座り込んでしまった・・・。それだけ想定外だったからだ。

前回3月の第14回試験では、学科は合格、実技試験はあと3点での不合格だった。あと3点といえども、実技試験を構成する論述はある程度独学の目途があったが、面接試験の方はどうしたらよいかわからず途方にくれていた。再チャレンジで受かることがあれば、面接対策について記そうと思っていたので、まだ記憶が定かのうちに記しておく。

内容に踏み込む前に、模擬面接を何回かしてくれた妹と、直前勉強会でアドヴァイスしてくらたメンバーに感謝の気持ちをお伝えしておきたい。

さて、論述も面接もどちらもコンサルティングの段階の対象が多少異なるだけで、問われていることは重複してくる。

論述は、ケースを読み、クライアントの訴え(主訴)、コンサルタントの見立て(主訴以外の問題点)、今後の展開について述べる。面接は、クライアントの設定(名前、年齢や簡単な略歴)を書いた紙を見せられて実際に15分の面談を行った上で5分の口頭試問を受ける。所謂カウンセリングの冒頭の15分の対話の中で、最初に行うことはクライアントがコンサルタントに悩みを話しても良いと思えるほどの信頼関係の構築を行いつつ、クライアントの訴えに耳を傾け、同時にコンサルタントの見立てを考えていく。口頭試問ではその二点に加え、自分ができたこと、今後の改善点、次の展開について聞かれる。

このように論述試験と面接試験ともに、対象としているコンサルティングにおけるステージが重複している部分多いので、試験対策も重複すると思っている。ただ、面接はケース設定はあるものの、対話はライブでどういう話の流れになるかはクライアントとコンサルタントの相互作用であり、そのライブでの会話とコンサルタントとしての見立ての検討が平行して行われるのでより難しい(と実践慣れしていない私は感じている)。

面接対策、そしてそもそも第15回試験が今までと異なる部分を次のブログで共有したい。

支えてくれた家族への御礼と自分へのご褒美に深紅のシクラメンを買った。

2020年12月19日土曜日

オリーブ

同僚よりひと月ほど前にいただきもの。今年はオリーブがよくできたので、と摘みたてのオリーブを自分で塩漬けできるように渋抜きの苛性ソーダとともにいただいた。

私はうまく渋抜きできずに緑と紫と宝石箱のように個々に色が変わる結果となってしまったが、オリーブの味は堪能できる。漸く味も馴染み、大切に2-3粒ずつ毎日いただいている。

また、塩漬け用とともに、ご自身が漬けたオリーブの瓶もいただいた。大きさにして10cmほどの小瓶に力強い緑の美しい実が。ローズマリー、タイム、ガーリックと塩で漬けたとのこと。


北の国から来たつぐいみが赤い秋をついばむ音が聞こえるではないか。それに、秋の風はオリーブのように苦いではないか。

フランシス・ジャム 作 / 手塚伸一 訳

ジャムはフランスの抒情詩人。1868-1938年というので、ドビュッシーより長生きしているものの1962年のドビュッシーとは同世代。マラルメやジッドに認められるが、パリに拠点を置かず山野を好んだらしい。ドビュッシーとは住む世界が違ったのだろう。

オリーブのように苦い風。印象的な表現。

とはいえ、我が家のオリーブは、いただいた瓶詰めも自分で塩漬けしたものも、苦いどころかまろやか。豊穣な自然をぎゅっと凝縮したような実を味わえる幸せ。

2020年12月18日金曜日

さしのべて

師走の営業日も残すところわずか。

しかし例年と異なり、欧米の客は本来今週はもうクリスマス休暇に入っているのに、コロナ下でクリスマスの気分がしないのか、テレワークの延長か、有り難いことに商談が続いている。商談が続くということはクレームなども止まることなく、いつもより更に忙しい年の瀬だ。

常にワーストケースも想定しているけれど、コロナだけではなくビジネスも、環境は日々更に悪くなるようで、正気を保つことが難しい。

つい、俯いて歩いていたが。ふと、視線を上げてみれば、いっせいに葉っぱがこちらを向いている。

そうだ。独りではない。手をさしのべてくれているではないか(ただし、職場以外・・・)。

黄なる葉の 日含みやすき 紅葉かな 原石鼎

2020年12月13日日曜日

ショパン ノクターン 第11番

12月のフランス音楽講座の日。先生は昨日昼・夜のコンサートだったのでお疲れだろう、もしかしたら聴く耳も厳しくなるか・・・と戦きながらの参加。

今日はショパン ノクターン 第11番をみていただいた。ノクターンが続くのもどうかと思いワルツを考えていた。だが、ワルツの浮遊感を表現するのに苦手意識をもっていて、途中まで譜読みしていたのをやっぱり止めて、自由に弾ける(と勝手にに解釈している)ノクターンにした。結果的には、同じ受講生でデュオポッキーズの友がワルツをもっていらしたので重ならなくて本当によかった・・・。


譜面がやさしげに見えたことと、結局弾きたかったからこのノクターンを選んだ。

とはいうものの。
まずは装飾音の入れ方から躓いた。譜面に指示あるように二段目の一拍目に右の装飾音も左バスも同時に弾く古典的な入れ方で、エキエル版の記載ではその後も同様に入れると書いているが、それで全部弾こうとすると息苦しくなる。YOUTUBEでアシュケナージやポリーニをきくと、譜面の指示以外は皆 拍の前に自由に弾いている。ピアノの先生とあれやこれや調べて相談し、あきらかに前打音の装飾の時は拍どおりにすることにした。この解釈は問題なかったようだ。

案に相違して。或いは気づかれずにいければと思った希望的観測は外れ。
講座では実際には第一小節で止められた。アーフタクトの第一音でいきなり音を小さくしなくてはいけない、と。弦楽器ならわかるがピアノで?自分なりに音価より長く弾くく中で圧力を弱め対応したつもりなのに、最初のだめだし。私がやった試みは良いものの効果がないのだろう。もっと。効果をだせ。

溜息のように。上から下に落ちていく音型。先生が弾くとそう聴こえる。何度もやり直し。この最初の部分が曲の個性を決める大切な小節だからだろう(でも、一番難しい・・・)。音価を少し長めに、鍵盤にかける圧力を思いきり軽くし、そのあとに続くフレーズを小さくすることでどうにか第一関門突破。

ここを抜けてしまえば。中間部のコラールのような部分は、祈り。讃美歌でいえば頌栄。
子供の時だったら間が難しかった。今はイメージがある。パイプオルガンのような音色になるようにソフトペダルを踏む。
あめつちこぞりてかしこみたたえよ。この部分に実はぴったりだ。

そしてまた溜息に戻る。

美しい曲だ。だが、溜息を心の憂さと吐くのではなく、美しく鳴らすのは。とても難しい。

2020年12月6日日曜日

銀杏

 春は桜が咲く道を選んで歩いたもの。今の時期は銀杏の木を探して空を仰いで立ち尽くす。


銀杏はなんと2憶年も前からあるのだそうだ。一時期減少し中国の山間部のみに残っていたのが、朝鮮、日本に渡り、日本の出島にきていたオランダ人が興味をもったことから欧州に渡って人気がでたとのこと。銀杏のginkgo(英語、フランス語、ドイツ語)は「銀杏」の読みからきているということも驚き。


But as though to time alone: the golden and green

Leaves litter the lawn today, that yesterday

Had spread aloft their fluttering fans of light.

時のみにあわせるように

金と緑の葉は 今日 芝の上に散乱している

昨日は光の扇のようにはためていたのに

 ネメロフ(米・詩人)

2020年12月5日土曜日

最後の一葉

 先週は数か月ぶりに朝の散歩を復活。今週は行かれず、思うようにはいかないものだが。それでも朝の空気は引き締まって、初冬の張りつめた雰囲気で身体を包み込む。

よくいっていた公園に久しぶりにいくと、あれだけ茂っていたあおあおとした蔦が既に紅葉し、実は種を宿していた。


蔦の種類が違うのだろうが、落ちんばかりの蔦を見ると思い出すが、子供の頃読んだ、オー・ヘンリーの「最後の一葉」。

芸術家の住むアパートで肺を患う女性画家が、窓から外を見て、葉がすべて落ちたら自分は死ぬ時だと思う。それを知った同じアパートの老画家が、雨の中「最後の一葉」を壁に描く。落ちない葉をみて女性画家は生きる縁とし生き延びるが、絵を描いた画家は雨にうたれたことが原因で亡くなってしまう。このタイトルの「最後の一葉」は亡くなった老画家の傑作だったという結びで終わる。

彼の行為は自己犠牲だったとも、傑作を描くといいつつ描けない芸術家の苦しみを描いたとも、いろいろな解釈があるようだ。シンプルで美しい英語のストーリーは様々な余韻を読者に与えるのだろう。四季、美しい色を纏った蔦の最後の色は、朝から内省に誘う。