先週末は北海道は-36度だったという。岐阜・名古屋も今日は初雪と。立春も過ぎたのに。
ふと脳裏に映ったのは先週妹がもってきてくれた花。雪のように見える。
冬から春に咲く花。和名は紫羅欄花(アラセイトウ)。蕾などの繊毛から「羅沙」転じてきたという。また英語名は「茎」からストックと。
いかにも父が好みそうな柔らかな花びら、仄かに薄桃色だ。
沖波に暾(ひ)のあたりたる紫羅欄花(あらせいとう)
斉藤すみれ
2020年2月10日月曜日
2020年2月9日日曜日
枯葉
今日は月次のフランス音楽講座。プーランクの即興曲15番「エディット・ピアフを讃えて」をもっていった。
シャンソン「枯葉」を想起させるメインテーマが何度も繰り返される。これを飽きさせずにきかせられることと、ペダルを濁らせずに楽譜どおりにバスをのばすことが、自分自身の課題。先生に指摘されたこともやはりペダル、そして内声をハーフタッチにしてメロディと弾き分けることだった。
ああ私はあなたを忘れはしない
私たちが友人でいた幸せな日々を
あの頃、今日よりも人生は美しく
そして、太陽は明るかった
枯葉がシャベルに集められる
あなたは私が忘れていないことを知っている
枯葉がシャベルに集められる
想い出と公開とともに
そして、北風がそれらを運び去る
忘却の冷たい夜へ
あなたは私が忘れていないことを知っている
あなたが私に歌ってくれた歌を
「枯葉 フランス語 意訳 magictrain.bizさんのHPより」
シャンソンは詩の語りから入る場合もあるが、プーランクはこの人らしくカプリッチョで。それもとても早いテンポでいきなりはいっていく。語りから入るのではなく、即興的に、ふと手が動いて枯葉らしいメロディーから入ってしまったように聴こえる。始めは拍どおり8分の9で。それが8分の6になったり。ふらふらしながら第一の流れを終えると、そこから「かれはよー」とアーフタクトから入って「よー」に気持ちを込めてのばすお馴染みのメロディーのパターンとなる。でもここでこぶしをきかせてしまっては、演歌になってしまう。いやいやプーランクだ。「よー」と気持ちを込めた音を響かせながら、すぐにTempo subitoでするりと湿っぽさをすり抜けて鼻歌のような何気なさで運んでいく。
この按配が難しい。この速さでは本当は私の技術では弾けないが、無理やりテンポを指示に近づけて練習をし、歌うときは落として、それでどうにかじめじめ感は免れた。ペダルはまだまだ。ペダルよー と詠嘆するばかり。
シャンソン「枯葉」を想起させるメインテーマが何度も繰り返される。これを飽きさせずにきかせられることと、ペダルを濁らせずに楽譜どおりにバスをのばすことが、自分自身の課題。先生に指摘されたこともやはりペダル、そして内声をハーフタッチにしてメロディと弾き分けることだった。
ああ私はあなたを忘れはしない
私たちが友人でいた幸せな日々を
あの頃、今日よりも人生は美しく
そして、太陽は明るかった
枯葉がシャベルに集められる
あなたは私が忘れていないことを知っている
枯葉がシャベルに集められる
想い出と公開とともに
そして、北風がそれらを運び去る
忘却の冷たい夜へ
あなたは私が忘れていないことを知っている
あなたが私に歌ってくれた歌を
「枯葉 フランス語 意訳 magictrain.bizさんのHPより」
シャンソンは詩の語りから入る場合もあるが、プーランクはこの人らしくカプリッチョで。それもとても早いテンポでいきなりはいっていく。語りから入るのではなく、即興的に、ふと手が動いて枯葉らしいメロディーから入ってしまったように聴こえる。始めは拍どおり8分の9で。それが8分の6になったり。ふらふらしながら第一の流れを終えると、そこから「かれはよー」とアーフタクトから入って「よー」に気持ちを込めてのばすお馴染みのメロディーのパターンとなる。でもここでこぶしをきかせてしまっては、演歌になってしまう。いやいやプーランクだ。「よー」と気持ちを込めた音を響かせながら、すぐにTempo subitoでするりと湿っぽさをすり抜けて鼻歌のような何気なさで運んでいく。
この按配が難しい。この速さでは本当は私の技術では弾けないが、無理やりテンポを指示に近づけて練習をし、歌うときは落として、それでどうにかじめじめ感は免れた。ペダルはまだまだ。ペダルよー と詠嘆するばかり。
2020年2月2日日曜日
カウンセリング実技勉強会
この週末含め、2月は毎週、キャリアコンサルティングの勉強会。週1に絞ったものの、学科と違ってカウンセリングの実技は相手がいないと出来ないし、日常業務では使ってないし、仕事上の会話や時間軸とかけ離れているので、練習するしかこれまで積み上げてきた自分から離れられない。
今日のロールプレイもきつかった。9:30から18:30。
改善しようと思うと、そういう自意識に縛られ言葉がでなくなる。気にかけないようにすると、井戸端会議の会話になってしまう。職業としてのカウンセリングは、当たり前だが、人を相手にするだけ無限に選択肢があり、難しい・・・。
今日のロールプレイもきつかった。9:30から18:30。
改善しようと思うと、そういう自意識に縛られ言葉がでなくなる。気にかけないようにすると、井戸端会議の会話になってしまう。職業としてのカウンセリングは、当たり前だが、人を相手にするだけ無限に選択肢があり、難しい・・・。
2020年2月1日土曜日
プーランク ピアフ すずめ
プーランクとピアフの接点は直接にはないという。それもそうだろう、製薬会社を営む富裕層の生まれでクラシック音楽の作曲家であるプーランクと、ピアフ。音楽、がなかったら直接どころか、間接的な接点もなかったろう。
ピアフ(パリジャンの俗語で「雀」/Wikipedia)のニックネームで知られる彼女は、身長147cmの小柄で、ドイツ軍に処刑された看護婦イーディス(Edith)に因んで名づけられた少女。母はイタリア系のシンガー、父はアルジェリア系の大道芸人。働く若い二人の変わりに世話をしたのは父方で売春宿を営む祖母。独り立ちしたのは16歳で、そのときには恋人の子供を身ごもるが、子供は二歳で小児性髄膜炎で逝去。
プーランクの「エディット・ピアフを讃えて」の即興曲は1932年に作曲されている。ピアフがナイトクラブのオーナーに見出されて歌うようになるのは1935年だから、その前のどこか酒場かどこか流していたピアフの唄をきいたのだろうか。
1932年に作曲されたこの曲、この年はナチス党がドイツで大勝した年だという。プーランクは、即興的に弾いたこの曲、どこまでピアフを意識し、その意識は彼女の何から想起したのだろう・・・。
ピアフの大恋愛はプロボクサーのセルダンとのものだが、セルダンは1949年に飛行機事故死。彼女が「早く会いたい」と言ったことで当初予定の船から飛行機に切り替えて、そして事故に遭った。
プーランクのこの曲が作曲されたのは1932年だったが、なんだかその後のピアフの苦しみを予見しているように思えてしまう。
この曲の「枯葉」の冒頭のイメージ、中間の一瞬の幸せな長調のフレーズ、最後に短調から宗教音楽の赦しのようなフレーズのあとに絡みつく不安定な左手の音の流れと、不意に聞こえる短調の和音。
但し。それを踏まえたうえで、ピアフが、プーランクが、この曲を「悲愴」「演歌のこぶし」で弾いて欲しかったかは別だと思う。二人とも、ふっと息を吐きながら斜めを見て、自分の素の感情を別の表現に置き換えたような気がする。
実際のピアフを聴く機会はなかった。
想像の中の彼女は、スカーレット。だが、多分、人によっていろいろな思いを持って欲しかったのだろう。
ピアフ(パリジャンの俗語で「雀」/Wikipedia)のニックネームで知られる彼女は、身長147cmの小柄で、ドイツ軍に処刑された看護婦イーディス(Edith)に因んで名づけられた少女。母はイタリア系のシンガー、父はアルジェリア系の大道芸人。働く若い二人の変わりに世話をしたのは父方で売春宿を営む祖母。独り立ちしたのは16歳で、そのときには恋人の子供を身ごもるが、子供は二歳で小児性髄膜炎で逝去。
プーランクの「エディット・ピアフを讃えて」の即興曲は1932年に作曲されている。ピアフがナイトクラブのオーナーに見出されて歌うようになるのは1935年だから、その前のどこか酒場かどこか流していたピアフの唄をきいたのだろうか。
1932年に作曲されたこの曲、この年はナチス党がドイツで大勝した年だという。プーランクは、即興的に弾いたこの曲、どこまでピアフを意識し、その意識は彼女の何から想起したのだろう・・・。
ピアフの大恋愛はプロボクサーのセルダンとのものだが、セルダンは1949年に飛行機事故死。彼女が「早く会いたい」と言ったことで当初予定の船から飛行機に切り替えて、そして事故に遭った。
プーランクのこの曲が作曲されたのは1932年だったが、なんだかその後のピアフの苦しみを予見しているように思えてしまう。
この曲の「枯葉」の冒頭のイメージ、中間の一瞬の幸せな長調のフレーズ、最後に短調から宗教音楽の赦しのようなフレーズのあとに絡みつく不安定な左手の音の流れと、不意に聞こえる短調の和音。
但し。それを踏まえたうえで、ピアフが、プーランクが、この曲を「悲愴」「演歌のこぶし」で弾いて欲しかったかは別だと思う。二人とも、ふっと息を吐きながら斜めを見て、自分の素の感情を別の表現に置き換えたような気がする。
実際のピアフを聴く機会はなかった。
想像の中の彼女は、スカーレット。だが、多分、人によっていろいろな思いを持って欲しかったのだろう。
2020年1月31日金曜日
移行 トランジション ブリッジス
今週は通勤時間+αで学科試験用の本を一冊読んでしまおうと思っていたが、数十頁しか進まず。夜読めば数行で眠りに落ちてしまう・・・。
テキストにあるように学派別、年代別、ではなく。今回もあちらこちら、こちとらの興味の湧いたところで寄り道といったキャリアコンサルティング理論 御紹介の「つづき」。
ブリッジスの「トランジション(移行)」。これまた、さらっと読むと、さらっと読めて、当たり前じゃない、で終わって頭に残らないこと甚だしい(私だけかも)。こういう勉強の仕方、本当はダメなのだが、つい試験対策で過去問だけでもやろうというお粗末な状態の為、こういうさらっ さらっという悪いパターンです。
ブリッジズは、トランジションは古い状況から抜け出し、過渡期の混乱を経験し、そこから新しい状況へふたたび前進し始めるプロセスであると考え、終焉、中立圏、開始 という3つの様相を示す、との解説。(一日一問キャリコンドリル p.26)
これが理論?と思われるかもしれない。しかも、まじめに考えてみると、私達は何事も、始まり、途中、終わり、というプロセスでとらえていませんか?音楽だってそう。仕事だってそうだし、番組だって、映画だって、そう。それなのにこの「理論」は順番が逆なことを言っている。
だが。
前回記載の「転機」もそうだが、「転機」を「転機」と認識できるには、何かが終わって喪失感や達成感があって。喪失感を埋めるために何かを欲し。或いは達成感を経て次へチャレンジする意欲が生まれて、初めて「転機」と感じとれるのではないか。
「終わり」は実は感じるのは難しいのでは?
音楽の曲や番組、映画、であれば、形式的に始まりと終わりも分かる。
だが、明確な形式上の終わりがなく、日々連続している生活の中では、何かが終わっていても意外と気付いていない。終わりに向かっていることは更に意識を集中していないと感じとれないことが多いのでは?
「トランジション」は、だから、(終わりが)始まっていることに気付かない人が多く(自分も)、そういう時期にあると理解するだけで自分の立ち位置を客観的に眺めることができるのかもしれない。となると、話のはじめのように、クライアントがそういう時期にいるのから悩んでいるのだろうかと考えてみる視点をこの理論は提供してくれているのだろう。
これはキャリアコンサルティング理論だが、人付き合いに置き換えると、結構怖い理論だが・・・。
我が家のユーカリ。本物と、壁に映った影と。どちらが本物で、どちらが影か。どちらがはじまりで、どちらか終わりか。世の中には考え方次第でいろいろな捉え方があるのだなあ、とあらためて世界が広がる感。
テキストにあるように学派別、年代別、ではなく。今回もあちらこちら、こちとらの興味の湧いたところで寄り道といったキャリアコンサルティング理論 御紹介の「つづき」。
ブリッジスの「トランジション(移行)」。これまた、さらっと読むと、さらっと読めて、当たり前じゃない、で終わって頭に残らないこと甚だしい(私だけかも)。こういう勉強の仕方、本当はダメなのだが、つい試験対策で過去問だけでもやろうというお粗末な状態の為、こういうさらっ さらっという悪いパターンです。
ブリッジズは、トランジションは古い状況から抜け出し、過渡期の混乱を経験し、そこから新しい状況へふたたび前進し始めるプロセスであると考え、終焉、中立圏、開始 という3つの様相を示す、との解説。(一日一問キャリコンドリル p.26)
これが理論?と思われるかもしれない。しかも、まじめに考えてみると、私達は何事も、始まり、途中、終わり、というプロセスでとらえていませんか?音楽だってそう。仕事だってそうだし、番組だって、映画だって、そう。それなのにこの「理論」は順番が逆なことを言っている。
だが。
前回記載の「転機」もそうだが、「転機」を「転機」と認識できるには、何かが終わって喪失感や達成感があって。喪失感を埋めるために何かを欲し。或いは達成感を経て次へチャレンジする意欲が生まれて、初めて「転機」と感じとれるのではないか。
「終わり」は実は感じるのは難しいのでは?
音楽の曲や番組、映画、であれば、形式的に始まりと終わりも分かる。
だが、明確な形式上の終わりがなく、日々連続している生活の中では、何かが終わっていても意外と気付いていない。終わりに向かっていることは更に意識を集中していないと感じとれないことが多いのでは?
「トランジション」は、だから、(終わりが)始まっていることに気付かない人が多く(自分も)、そういう時期にあると理解するだけで自分の立ち位置を客観的に眺めることができるのかもしれない。となると、話のはじめのように、クライアントがそういう時期にいるのから悩んでいるのだろうかと考えてみる視点をこの理論は提供してくれているのだろう。
これはキャリアコンサルティング理論だが、人付き合いに置き換えると、結構怖い理論だが・・・。
我が家のユーカリ。本物と、壁に映った影と。どちらが本物で、どちらが影か。どちらがはじまりで、どちらか終わりか。世の中には考え方次第でいろいろな捉え方があるのだなあ、とあらためて世界が広がる感。
2020年1月27日月曜日
転機 シュロスバーグ
キャリア理論を復習している。その一つに、シュロスバーグの「転機」がある。
理論自体はそれだけをきくと、「それはそうだ、分かっているよ」と思うことが多く、ないがしろにしてしまうことが、自分自身は多かったが、その枠組みを一つの「定規」のように使えると、コンサルタントの道具として助けになることが自分なりにわかってきた。
このシュロスバーグの理論もそう。トランジション(転機)とは、「ある年齢になると誰でも経験すること」ではなく、「その人の人生のさまざまな時期に発生する固有のできごと」・・・人生はトランジションの連続から成り立ち、人のキャリアは、それを乗り越えるプロセスを経て形成されていくとしています。(GCDF Text1 p.173)
その人がある出来事を「転機」と考えることによってはじめて、転機はその人にとって本当の「転機」となる。
逆に言えば、そう感じるセンスがなければ、或いは余裕がなくてスルーしてしまえば、そう認識=つかまえられない。
また、この転機は「予測していた転機」「予測していなかった転機」「期待していたものが起こらなかった転機」の3つのタイプがあるという。
たとえば(私の想定)
転職の誘いをソフトな表現でもらった(凄い!良かったね!?)。
それを社交辞令と思って聞き逃していたら、その人にとってそもそも「転機」ではない。
私にはそういう話がきてしかるべきでしょ、と思って待っている人には「予測していた転機」。さて、どう答えましょう、となる。
そんなこと考えずに現職を一生懸命にやっていた人だったら、或いは適当にやっていたから声かからんだろうと思っていた人だったら、「予測していなかった転機」。
ここまで頑張っているのだから「あなたが」と言われると思っていたのに、なんらかの理由で声がかからなかったとか、、、なら「期待していなかったものが起こらなかった転機」。でしょうか。これってそもそも転機?しょっちゅうあるような・・・。
理論自体は、すぐ忘れてしまって覚えるのが難しいのだが、こう考えて行くと腑におちて、自分自身心に痛く刺さるものもある。
先日のダリアのドライ版。
生け花の時とはまた美しさがある。
理論も、知見や検査から抽出して、発表されるわけだが、それがカウンセリングに有効化されるには何年も何年も使われて納得されていくのだろう。時を経て、確かめられて、役にたつもの・・・。
理論自体はそれだけをきくと、「それはそうだ、分かっているよ」と思うことが多く、ないがしろにしてしまうことが、自分自身は多かったが、その枠組みを一つの「定規」のように使えると、コンサルタントの道具として助けになることが自分なりにわかってきた。
このシュロスバーグの理論もそう。トランジション(転機)とは、「ある年齢になると誰でも経験すること」ではなく、「その人の人生のさまざまな時期に発生する固有のできごと」・・・人生はトランジションの連続から成り立ち、人のキャリアは、それを乗り越えるプロセスを経て形成されていくとしています。(GCDF Text1 p.173)
その人がある出来事を「転機」と考えることによってはじめて、転機はその人にとって本当の「転機」となる。
逆に言えば、そう感じるセンスがなければ、或いは余裕がなくてスルーしてしまえば、そう認識=つかまえられない。
また、この転機は「予測していた転機」「予測していなかった転機」「期待していたものが起こらなかった転機」の3つのタイプがあるという。
たとえば(私の想定)
転職の誘いをソフトな表現でもらった(凄い!良かったね!?)。
それを社交辞令と思って聞き逃していたら、その人にとってそもそも「転機」ではない。
私にはそういう話がきてしかるべきでしょ、と思って待っている人には「予測していた転機」。さて、どう答えましょう、となる。
そんなこと考えずに現職を一生懸命にやっていた人だったら、或いは適当にやっていたから声かからんだろうと思っていた人だったら、「予測していなかった転機」。
ここまで頑張っているのだから「あなたが」と言われると思っていたのに、なんらかの理由で声がかからなかったとか、、、なら「期待していなかったものが起こらなかった転機」。でしょうか。これってそもそも転機?しょっちゅうあるような・・・。
理論自体は、すぐ忘れてしまって覚えるのが難しいのだが、こう考えて行くと腑におちて、自分自身心に痛く刺さるものもある。
先日のダリアのドライ版。
生け花の時とはまた美しさがある。
理論も、知見や検査から抽出して、発表されるわけだが、それがカウンセリングに有効化されるには何年も何年も使われて納得されていくのだろう。時を経て、確かめられて、役にたつもの・・・。
2020年1月25日土曜日
エディット・ピアフを讃えて
2月のフランス音楽講座に何をもっていこうか悩み(といっても短い曲しか検討対象に入っていないので、とりあえず楽譜をもっている15の即興曲から)、15曲目の「エディット・ピアフを讃えて」にした。
プーランクを初めて聴いたのもこの曲で、YOUTUBE見ても多分この人の中で一番多く出されているであろう有名曲で、イージーリスニングのように耳に心地よい。これはクラシック曲のレッスンとしては、ハードルが高いことを意味する。皆が知っていて(間違えたらすぐわかる)、耳に心地よい(技術的に難曲ではなく聴こえる)。しかもこの耳に馴染むフレーズが何度も何度も繰り返される(淡々と弾くとあきられる)。
だが、前回の講座で指摘されたペダル(ミドルペダルを使ったら)の練習と、メロディーを唄うという命題をかざして(自分に対して)、この曲を弾くことにした(結局、好きな曲を弾きたかっただけ)。
今日は今年初のピアノレッスン。甘くならないように、楽譜指定の速度に近づけて弾きたい、という思いも空しく。
一見の譜面とは異なり、この曲は譜読みすると。バスは(距離を)跳ぶし、繰り返しが多いと思っていたフレーズも一つ一つ微妙に違って読みわけなければいけないし、ベースを譜面どおり音をのばそうと思えば音が濁るわ、散々だ。先生は受容に満ちた表情で、「どこが難しいですか?」と質問。こちらは縷々言い募るも、全く慌てず、ベーシックな確認に。メロディーとバスだけ弾いて流れを確認してテンポを決める。次に内声も加えてハーモニーの移り変わりをききニュアンスの変化を聞き取っていく。自分一人でもやってみたのに、先生と意見をやりとりしながら辿って行くと、自分一人の時よりも更に色鮮やかに曲が彩色されていくように思える。
ピアフについてはまた別の機会に。
フリージアがあうイメージではないが、今日の我が家の花は、春を待てずに高いのに母が買ってきたフリージア。分かる。その気持ち。この香りをかげば。春が。
プーランクを初めて聴いたのもこの曲で、YOUTUBE見ても多分この人の中で一番多く出されているであろう有名曲で、イージーリスニングのように耳に心地よい。これはクラシック曲のレッスンとしては、ハードルが高いことを意味する。皆が知っていて(間違えたらすぐわかる)、耳に心地よい(技術的に難曲ではなく聴こえる)。しかもこの耳に馴染むフレーズが何度も何度も繰り返される(淡々と弾くとあきられる)。
だが、前回の講座で指摘されたペダル(ミドルペダルを使ったら)の練習と、メロディーを唄うという命題をかざして(自分に対して)、この曲を弾くことにした(結局、好きな曲を弾きたかっただけ)。
今日は今年初のピアノレッスン。甘くならないように、楽譜指定の速度に近づけて弾きたい、という思いも空しく。
一見の譜面とは異なり、この曲は譜読みすると。バスは(距離を)跳ぶし、繰り返しが多いと思っていたフレーズも一つ一つ微妙に違って読みわけなければいけないし、ベースを譜面どおり音をのばそうと思えば音が濁るわ、散々だ。先生は受容に満ちた表情で、「どこが難しいですか?」と質問。こちらは縷々言い募るも、全く慌てず、ベーシックな確認に。メロディーとバスだけ弾いて流れを確認してテンポを決める。次に内声も加えてハーモニーの移り変わりをききニュアンスの変化を聞き取っていく。自分一人でもやってみたのに、先生と意見をやりとりしながら辿って行くと、自分一人の時よりも更に色鮮やかに曲が彩色されていくように思える。
ピアフについてはまた別の機会に。
フリージアがあうイメージではないが、今日の我が家の花は、春を待てずに高いのに母が買ってきたフリージア。分かる。その気持ち。この香りをかげば。春が。
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