何も彼も忘却にあり木瓜の花
飯岡良一
昨晩、今日とキャリア・カウンセリングの勉強会。
勉強しても覚えられない理論、練習してないからなお身につかないカウンセリング・スキル。自分の「惚(ぼ)け」ぶりに空を仰ぎ見て嘆くしかない。
写真の方は、そちらのボケではなく、「木瓜」。愛らしく、この句に引き合うのは違うとわかっているのだが。また、この句は本来の意味は厳しいものだと思うのだが。ただ、今の自分の心境はこの句がとても近しく感じられ、思わず引用。
今の季節によく見るが、子供の頃は梅と勘違いしていた。netでしらべてみると、薔薇科。学名はChaenomeles(ボケ属、chaino裂ける+melonリンゴ)speciosa美しい。分かるような分からないような。
漢字の「木瓜」は実が瓜に似ているからということで分かりやすいが。
花言葉。こちらも結構いろいろかけ離れている、一目ぼれ、熱情、早熟、平凡、退屈、指導者、妖精の輝き・・・。「指導者」が織田信長の家紋からきている、というのは一致しているがあとはよくわからない。
話はそれるが。伊集院さんが病気療養で、日経の朝の小説「ミチクサ先生」が中断となる。ご回復を祈る。夏目漱石と正岡子規の交流が楽しみで、久しぶりに連載小説を楽しみにしていたのだが残念だ。この二人も実は木瓜について語っている。
初旅や 木瓜もうれしき 物の数
正岡子規
夏目漱石は「草枕」に木瓜を描いている。
「木瓜は面白い花である。枝は頑固で、かつて曲がった事がない。そんなら真直かと云うと、けっして真直でもない。ただ真直な短い枝に、真直な短い枝が、ある角度で衝突して、斜に構えつつ全体が出来上がっている。そこへ、紅だか白だか要領を得ぬ花が安閑と咲く。やわらかい葉さえちらちら着ける。評して見ると木瓜は花のうちで、愚かにして悟ったものであろう。世間には拙を守ると云う人がある。この人が来世に生れ変わるときっと木瓜になる。余も木瓜になりたい。」
この花は、どこにでもある、(だから見ると)ほっとする、という図式で語られることの多いのに夏目漱石は「面白い」「頑固」「曲がったことがない」が「真直な訳でもない」「斜に構え」という形から「拙を守る」と表現している。見方が違う、そしてそれを文章にできる技術も違う、と文豪の才に納得。
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