2019年2月24日日曜日

煌めく日

昨日は「デュオ ポッキーズ」の友人のコンサートだった。汐留メディアアネックスで燦燦と陽が降り注ぐ中、ブルーシフォンドレスで颯爽と演奏。

業種異なり、フランス音楽講座がなければ多分知り合わなかった縁だが、話してみると働く環境の厳しさは同様で、いつの間にか公私に渉って相談してしまうほど。


シフォンドレスが美しかった。彼女のお客様を迎える声も煌めいている。

美しさ。それだけでは人は動かない。しかし情熱があれ人は心を動かされる。

2019年2月17日日曜日

アッシャー家の崩壊/青柳いづみこ氏 FISCHER/Elisabeth Joye

2月。既に今年2回素晴らしい音楽を聴いた。

1月の青柳いづみこ氏の「アッシャー家の崩壊」。
ドビュッシー没後100年と言われた昨年。彼が死の直前まで夢見た自作のオペラ。未完の作を市川景之氏の補筆で演奏。壁に和訳も映写され、言葉の意味合い、音楽で成し遂げたかったことを聴衆に感じ取らせてくれる素晴らしい機会だった。
ドビュッシーのピアノ曲は漸く数曲弾いてきた訳だが、彼は「言葉」にもこだわっていた。フランス語がわかれば、このオペラや歌曲も楽しめるだろうに。「もっと」ドビュッシーを知りたいと思わせられた音楽会だった。

2月は青柳いづみこ氏の友人という、ハープシコード奏者 Elisabeth Joye氏の演奏を聴くこともできた。


(DVD写真 amazonより "Johann Caspar Ferdinand Fischer / Elisabeth Joye)

鍵盤楽器は打楽器だ!という風に弾く人も中にはいるが、彼女は雅な宮廷音楽だ。華やかなパッセージを弾いたかと思うと、ふと内省的な、ためらいの間が、心に沁みる。私が虜になった、青柳いづみこ氏の「やさしい訴え」と通じる音楽への思いを感じる。

2019年2月11日月曜日

ラモー ミューズの語らい 雪の日

この日曜はフランス音楽講座。前日にピアノの先生にみていただき、一旦装飾音を外して曲の流れをやフレーズを確認していった。先生には申し訳ないが、コンクールの曲以外はフランス音楽講座の2-3週間前に決めて急ぎ練習し、音楽講座の前日にもっていって、その場で見ていただくので、先生は全く曲の知識がない中で指導せざるを得ない。だが、先生は装飾音などは確認済みのものとして任せ、フレージングをメインにチェックしてくださる。三声、四声になった時の弾き分け、音の範囲の広がりから感情の高まりを読み取る術など、バロック、近代曲など時代にかかわらず普遍的なアドヴァイスをいただく。読みこんだつもりの楽譜がまだまだ多くのことを語ってくれることを教えられる。こういう語らいがとても楽しい。

今回は、フランス音楽講座にもっていったのは、ラモーの「ミューズの語らい」。ラモーの解説と首っ引きで調べたつもりの装飾音だが、スラーから入るものは間違った弾き方をしてしまった。八文音符の鎌足はまだ感じがつかめず使わなかったら指摘いただいた。バロックは今と弾き方がかなり違うし、楽器自体、チェンバロとピアノとでは異なる。難しい。だが、それでも長く弾き継がれているのには訳がある。バッハを聴くと心が落ち着くのと同じように、この曲も弾いていると心が凪いでいく。

日曜は天気が良かったが、土曜、今日祝日と雪が降った。寒かったが、子供の時、雪が降ったら外に飛び出していって雪に触れたのを思い出した。


あすしらぬ こともをかしや 雪つもる    飯田蛇笏

2019年2月3日日曜日

A Ashkenazy / アシュケナージ 作曲者の意図を表現したい 春告草

先週の「らららクラシック」ではラフマニノフがとりあげられていて、「超一流の作曲家にしてピアニストにして指揮者」と紹介していた。それをみながら何の脈絡かアシュケナージのことを連想した。作曲家ではないがラフマニノフと同様、モスクワ音楽院をでた、超一流のピアニストにして指揮者だ。曲の勉強をする時は彼の演奏で模範を知ってから、そのあと他のピアニストを聴く人も多いのでは?

模範。ひとことでそう印すが、誰もが思う「模範」とはどうやってつくられるのだろう?否、つくるのだろう?



https://xecutives.net/vladimir-ashkenazy-about-his-life-his-own-musical-gift-and-his-spiritual-comprehension-of-musics-significance-beyond-words/

Xecutives.netとのインタビュー記事にアシュケナージらしい表現があった(英文、上記写真は同ネットより借用)。

作曲家が言おうとしていることを理解しようとしなければいけない。
どうやって考えそして感じ始めるか。
粗い言い方かもしれないがこう表すしかない。
考え、そして感じる、両方なのだ。
もちろん、あなたは頭を使って全てを組織的にまとめなければならない。
また、ある作曲家について、彼が伝えたいと思っていること、
あなたが何故そう感じるのかつきつめなければいけない。
そして時にはそれを言葉で表すこと。
でもそれは絶対不可能だ!

右脳と左脳をとことんまで酷使して、様々な面から作曲家に迫ろうとする姿がうかがえる。この好奇心が彼をピアニストに留まらず指揮者とならしめたのだろう。

さて。ネットサーフインしていた訳は。先週はアメリカもフランスも、日本も大雪。出張の予定がなくなった。行っていたら酷い目に会っていたが、なくなって助かった。そんな寒波にもかかわらず今日は暖かい。明日以降は更に。立春だ。少し遠回りをしてお目当てを探しに行った。


春告草。梅の別称。気持ちも綻ぶ。春を待つ気持ちが。

2019年2月2日土曜日

クープラン Les Timbres チューリップ

前回のフランス音楽講座はクープランのLes Timbresをもっていった。「切手」。ラヴェルもバロック音楽の影響を得ているのでベース部分の理解の為にと思い練習した。

クープランは1668年から1733年。オルガニストの父が教えていたと思われるが10歳の時には亡くなる。国王のオルガニストが教育を引き受け、彼も教会のオルガニストを経由して国王のオルガニストとなる。

結構タイトルが、今の私達のイメージのクラシックと離れているものがあって面白い。Sarabande La prude「貞淑」 La dilligente「勤勉」 La flateuse「おべっか」 La dangereuse「危険」。


本命のラヴェルの水の戯れ。まだ譜読みが終わらない。繰り返しなのに一音だけ違う。繰り返しなのに一音だけ音価が違う。ラヴェルが好きな。クープランのロンドも同様に繰り返しがある。繰り返し。どういう意義で織り込んだのか。違う風に弾くか、同じに弾くか。繰り返しの意味は?

妹が父が好きなチューリップをもってきてくれた。活き活きとした美しい花。ふと気づくとラヴェルの楽譜にかかっている。