昨年に続き今年も、五感が鈍ったかのように、夏の風物詩を感じないまま7月が過ぎてゆく。
夏休みに入り、いかにもプールにいく準備万端の子供達、一方で夏期講習に通い始める子供達。神輿の興奮さめやらぬ祭り人、浴衣姿を楽しむ観客。花火に興奮すして走り回る子供達、花火を理由に夕闇寄り添い歩く人達。
一輪の 花となりたる 揚花火 山口誓子
昨年に続き今年も、五感が鈍ったかのように、夏の風物詩を感じないまま7月が過ぎてゆく。
夏休みに入り、いかにもプールにいく準備万端の子供達、一方で夏期講習に通い始める子供達。神輿の興奮さめやらぬ祭り人、浴衣姿を楽しむ観客。花火に興奮すして走り回る子供達、花火を理由に夕闇寄り添い歩く人達。
一輪の 花となりたる 揚花火 山口誓子
今日は五輪開会式の日であり、スポーツの日。四連休だ!連休は嬉しいが、週3日に仕事が集中し、疲れ果ててダウン。商談が心配でスマホで会社の緊急の相談がないのを確認し、あとはただただ、ひたすら睡眠。
先日はピアノの先生にお誘いいただき、川崎シンフォニーホールといっても市民交流会だが、スタインウエイでテンペストの1楽章を弾く機会をいただいた。小規模だが、規模にあったピアノでとても音響が良く、気持ちよく演奏することができた。ただ、思わぬところで暗譜落ちをし、前半は落ち込み。思い切った後半は音楽に没頭でき、コントロールしながらも感情を込めて弾くことができたと思う。私自身が音楽を聴くときはプラス思考なので、良い部分が良ければ加点するが、コンクール等点数や順位を分かり易い基準で明らかにしないといけない場は基本的には減点主義だろうから、こういう出来ではマイナス甚だしい状態と言える。はあ。なかなか演奏レベルが安定しない。
ソロ以外に嬉しい企画は、希望者は先生と連弾もできるので、お願いした。本当はクラシック音楽が順当なのだろうが、私のお願いした曲はピアソラの「デカリッシモ」。なんと本番の2週間前に楽譜を送り、2回30分程度あわせただけ。でも、とても楽しかった。今年はDuo Pockeysの連弾は見送ることになったので、合わせる楽しみを味わう機会なくとても寂しかった。今回はたった2回の練習と本番だったが、人と合わせて音を創り出す楽しみをあらためて味わった。
東京では新盆が終わった。店頭にはまだほおづきや菊が並ぶ。
墓参りに行こうと思っていたが、今日は疲れ切って動けなかった。
いきなりの夏空に、つい先日までは梅雨だ、ゲリラ豪雨だ、と言っていたのに、見えるのは入道雲。聞こえるのはやかましい程の蝉の声。こういう夏の日、そういえば父は会社は土曜日が半ドンだったのに結局残業で夜に帰宅していた。それでも普段よりはずっと早い時間帯に帰れるから、実に嬉しそうな顔をして、汗をふきふき、声も高らかにただいま!と言って玄関に入る。働いて働いて、週末を迎える気持ち、今ならよくわかるのだが。あの頃はただ、父の弾む声に、今日は土曜日なのだなと感じた。
水を浴び、着替えたら、母が急ぎすいかを出す。父は真剣な顔で塩を少量降振って、生き返ったようだと言う。時には、子供達にちょっとしたお土産があることも。舟和の芋ようかんだったり、コロンバンのワッフルやアップルパイだったり。
まだ夜の帳が下りる前、夏だから夕焼けが消えきるかどうかという時。熱い日差しの名残も去り、ふっと風が通る頃。菓子箱をあけて歓声をあげる子供達を満足気に眺める父。数十年も前なのに、夏の夕べの風が通り過ぎるとき、家族が集まった時の幸せの記憶が蘇る。
友人から、市民農園に通ってつくったというじゃがいもをいただいた。ころころと、大地の栄養を吸い尽くしたかのようになんだか元気のいい姿だ。友人が育てる間注いだ時間と労力の結果がここにある、自然の力と友の気持ちをおすそ分けいただいた。
自治体のホールでスタインウエイを演奏させてもらった。
時間は短時間だったが、思いきり弾くことができて楽しかった。
自宅はマンションなので、マンション規約よりも厳しく律した時間内で練習するようにしているが、それでもやはり遠慮して弾く。思ったように、ホールで響くような音を出す練習はできない。部分練習は消音にしているので、リアルな音でのペダルの調整もできていない。
だから、今日はホールで弾けるのだから、音が響くような腕の使い方、ホールにあった(響きすぎる?響かなすぎる?)ソフトペダルとダンパーペダルの踏み方。ペダルを外した時の生の音が乾きすぎていないか、もっと指を押し付けて圧着した感じがでた方がいいか。いろいろ試したいと思っていたのだが、そんなこと忘れて楽しんで弾いた。
これは山胞子?アイヴォリーの色が美しい。ピアノは以前は象牙でつくられていたので白鍵はこういう色だった。少し黄なりのやさしい色。
父の日に。
私が好きな曲。アルゼンチンのタンゴ作曲家 ピアソラが作った父Nonino(愛称)のための曲。
ピアソラ(1921-1992年)は1954年フランスでクラシック音楽を勉強するが、先生からあなた自身の音楽(タンゴ)に励めと言われる。その言葉を彼はどう受け取ったのだろう。クラシック音楽界ではこれ以上学んでも芽が出ないと思ったか、自分のルーツを個性にしようと腹を括ったか。翌年の1955年にはブエノスアイレス八重奏団を結成。しかしタンゴの破壊者と位置付けられ、1955年に居を移しニューヨークへ、1959年にはプエルトルコ巡業に。そのさなか父の死の報を受ける。お金もなくすぐに帰ることもできない。
オリンピック予定開始日まであと一か月近くとなる今、緊急事態宣言が解かれた。世論は開催のリスクより命の安全を取りたいという声多いように思えるが。ここにきて誰が正式に開始を宣言するでもなく、開催の方向に潮目が動いていることを感じる。
海外の客と、以前は対面(出張)か電話会議だったのが、今やWEB会議が定例化している。ice breakの雑談にオリンピックの話がでることはなく、まだ海外旅行は無理だが国内旅行ができるようになり少し遅い夏休みを楽しみにしているといった欧州客が多い。一方、まだまだ大変なのがインドの客だ。需要をいち早く政府主導で戻しそのままトップランナーである中国の客と話すと、国毎の状態の違いを痛感する。
今日は朝から梅雨らしい天気。以前もっていた雨靴が、骨折以来痛くて履けず、そのままで適当にしていた(要は履きやすい撥水加工のウオーキングシューズでずぶ濡れと乾燥を繰り返していた)。しかし、とうとう思い切ってショート丈の軽量雨靴を買った。シンプルなデザインと材料で安価。でも、お蔭で雨でも歩くのが楽しくなった。水たまりも怖くない!
早速、初めての雨靴でスタスタと。バスにも乗らず30分ほど早歩きでピアノレッスンへ。3楽章の目途がたたないので1楽章の練習まで手が回らなかったが、流石にまずいでしょう。今日は1楽章をみていただく。
先生にはテンポと拍の意識をもっと研ぎ澄ますように、また、ある部分は音価一杯に密度濃い、圧のかかった音を出す必要があることの指摘を受けた。
3楽章は、ある意味速度一定のベルトコンベアーのように、速度はあまり振らさない中での音色やハーモニーによる変化できかせる難しさがあることは前に指摘をうけたとおり。1楽章はベートーヴェンによる速度の指示がかなり多くある。加えてフェルマータ(休み、停止)もあり、芯となる速度を体得しておかないと、演奏者に思いがあっても、聴衆にはずれずれの気持ち悪さが先にたつのだろう。
また、音の軽さはフランス音楽を弾きなれた癖(本当は使い分けられなければいけないのでフランス音楽のせいではなく自分のコントロールの問題)、逆に音量の大きさを意識しすぎて(フォルテ記号)真上から強く打鍵しすぎて、深い音色や圧のかかった緊張感のある音価を実現できなかったりしている。単音ではできるが、テンポの中で実現するのはまだまだ難しい。
でも、ピアノのレッスンは楽しい。気が付かなかったことを気づかせてもらったり、できなかったことが遅々としてでもできたり。仕事や人間関係ではなかなかシンプルに前進は見えないし、期待すべき対象でもないけれど、ピアノは自分が時間と労力を注げば、ある程度の前進はある。音楽の喜びと共にやり甲斐も感じられる。こういうところが音楽「療法」といったような活用の仕方に繋がっているのかもしれない。
ピアノの先生のレッスンを土曜日に、フランス音楽講座を日曜に受講した。
講座では、スタッカートの解釈が前回の宿題だった。調べるために、児玉新氏の「ベートーヴェン研究」/春秋社とベーレンライター版の楽譜を取り寄せ、にわか勉強をして臨んだ。
結論としては、3楽章冒頭のメロディーのスタッカート(に見える縦線)は「句読点」の意味あいだろうと仮位置づけし、そのあとのスタッカートはそれぞれ文脈?で判断することに。ただ、今までの「スタッカート(短く切る)」を指が覚えており、句読点の弾き方にはすぐには変えられず。そのまま講座に臨んだ。
講座では、解釈は問題なく、しかし音の出し方のご指摘が多かった。速さとペダリング(濁らないように踏みかえる)にかまけて、指のコントロールが疎かになり、音が硬かったり、音価一杯おさえられていなかったり。細かいといえばそうだが、そのまま音色の違いに繋がるのだろう。
スタカートについては、ご指摘いただかなければ調べもしなかった。何故こんなところで縦線(即ち鋭いスタカート?)とは初めて弾いた高校生から思っていたのに、疑問もなくベートーヴェンが書いた(鋭いスタカートと理解)どおりに弾くしかないと判断していた。
窓 あるいは扉、が次々と開き、そしてまだまだ奥に自分の知らない世界があることを見せつけられた講座だった。それは、自分の力が及ばない悔しさではなく、知らないことがいっぱいあるわくわく感。知らないことを責めるのではなく、知らなければ教える、ご自分が知らなければ一緒に発見する楽しみを味わおうと待ち構えていらっしゃる先生の好奇心のお蔭だ。
早朝散歩していた時にであった白い鳥。跳んだり泳いだり、気持ちよさげに縦横無尽に波際を遊んでいた。(何という鳥かな・・・)