2021年6月19日土曜日

ベートーベン ソナタ 17番第1楽章(1)

オリンピック予定開始日まであと一か月近くとなる今、緊急事態宣言が解かれた。世論は開催のリスクより命の安全を取りたいという声多いように思えるが。ここにきて誰が正式に開始を宣言するでもなく、開催の方向に潮目が動いていることを感じる。

海外の客と、以前は対面(出張)か電話会議だったのが、今やWEB会議が定例化している。ice breakの雑談にオリンピックの話がでることはなく、まだ海外旅行は無理だが国内旅行ができるようになり少し遅い夏休みを楽しみにしているといった欧州客が多い。一方、まだまだ大変なのがインドの客だ。需要をいち早く政府主導で戻しそのままトップランナーである中国の客と話すと、国毎の状態の違いを痛感する。

今日は朝から梅雨らしい天気。以前もっていた雨靴が、骨折以来痛くて履けず、そのままで適当にしていた(要は履きやすい撥水加工のウオーキングシューズでずぶ濡れと乾燥を繰り返していた)。しかし、とうとう思い切ってショート丈の軽量雨靴を買った。シンプルなデザインと材料で安価。でも、お蔭で雨でも歩くのが楽しくなった。水たまりも怖くない!

早速、初めての雨靴でスタスタと。バスにも乗らず30分ほど早歩きでピアノレッスンへ。3楽章の目途がたたないので1楽章の練習まで手が回らなかったが、流石にまずいでしょう。今日は1楽章をみていただく。

先生にはテンポと拍の意識をもっと研ぎ澄ますように、また、ある部分は音価一杯に密度濃い、圧のかかった音を出す必要があることの指摘を受けた。

3楽章は、ある意味速度一定のベルトコンベアーのように、速度はあまり振らさない中での音色やハーモニーによる変化できかせる難しさがあることは前に指摘をうけたとおり。1楽章はベートーヴェンによる速度の指示がかなり多くある。加えてフェルマータ(休み、停止)もあり、芯となる速度を体得しておかないと、演奏者に思いがあっても、聴衆にはずれずれの気持ち悪さが先にたつのだろう。

また、音の軽さはフランス音楽を弾きなれた癖(本当は使い分けられなければいけないのでフランス音楽のせいではなく自分のコントロールの問題)、逆に音量の大きさを意識しすぎて(フォルテ記号)真上から強く打鍵しすぎて、深い音色や圧のかかった緊張感のある音価を実現できなかったりしている。単音ではできるが、テンポの中で実現するのはまだまだ難しい。

でも、ピアノのレッスンは楽しい。気が付かなかったことを気づかせてもらったり、できなかったことが遅々としてでもできたり。仕事や人間関係ではなかなかシンプルに前進は見えないし、期待すべき対象でもないけれど、ピアノは自分が時間と労力を注げば、ある程度の前進はある。音楽の喜びと共にやり甲斐も感じられる。こういうところが音楽「療法」といったような活用の仕方に繋がっているのかもしれない。

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