さあ10連休。待ちに待ちに待ったこの休み!
連休最初は、OBとの再会、高校時代の友達とのオイスター・ランチ。
横浜で美味しいオイスターをスパークリングワインでおしゃべりに興じる。気置けなく、何年会わずとも会ったらすぐに心は(身体は無理だが)すぐに高校時代に戻る。
友人がつくってくれた金柑の甘煮。金柑は中国原産。金橘とも記す。その中国語読みでKumquat, Cumquqt。
長崎の土鈴と共に。
2019年4月29日月曜日
2019年4月20日土曜日
ラヴェル 水の戯れ
先週はフランス音楽講座に1時間だけ参加。時間が足りず聴講だけかとあきらめていたが、15分だけ先生にみていただいた。
全体的には「優しすぎる(音、弾き方)」、あとは個別に弾き方のアドヴァイス。最初に「優しすぎる」と言われた瞬間に、「ばれた」と「ドビュッシーを弾く時の音のままなのだろう」と思った。
本当は、リストを弾くように(但し私は先生に習ってリストをまだ弾いたことがない)カッチリ弾く練習をある程度できてから、ラヴェルらしい音を探そうと思っていたのだが、思ったよりも譜読みに時間がかかってしまい「カッチリ」弾くところまで至らずにもっていってしまったので、音の幅を出すのにソフトめにシフトせざるを得なかった。自分が最近慣れていた弾き方で取り繕っていた、はああ。多分、先生は第一音で判じたのでしょう。
「リストが、属九の和音をそのままアルペジオにしているのに対して、「水のたわむれ」では、基音となるホ音やイ音の上に、調整感の気迫な長九、長七のアルペジオが浮かび、オルゴールのような不思議な効果をあげている。リストの水がキリスト教の聖なる水なら、ラヴェルの水は神秘的な異教の水といったところか。」/「水の音楽」 みすず書房 青柳いづみこ
今日は最初の4小節だけ練習。でも納得せず。
水辺に行った。といっても海辺。潮の香りがした。風が強く白波が立った。戯れ、という感じはなく、でも耳をすませて目を瞑ると力強い水のリズムを感じた。繰り返しの音形を変えて弾こうと頭で考えていたけれど、ザブン、ピシャン!という音形は際限なく続き、一度も同じではなく、ただ続いていく。
自然に弾けるまで、無心に弾けるまで、やっぱり練習あるのみかな・・・。
全体的には「優しすぎる(音、弾き方)」、あとは個別に弾き方のアドヴァイス。最初に「優しすぎる」と言われた瞬間に、「ばれた」と「ドビュッシーを弾く時の音のままなのだろう」と思った。
本当は、リストを弾くように(但し私は先生に習ってリストをまだ弾いたことがない)カッチリ弾く練習をある程度できてから、ラヴェルらしい音を探そうと思っていたのだが、思ったよりも譜読みに時間がかかってしまい「カッチリ」弾くところまで至らずにもっていってしまったので、音の幅を出すのにソフトめにシフトせざるを得なかった。自分が最近慣れていた弾き方で取り繕っていた、はああ。多分、先生は第一音で判じたのでしょう。
「リストが、属九の和音をそのままアルペジオにしているのに対して、「水のたわむれ」では、基音となるホ音やイ音の上に、調整感の気迫な長九、長七のアルペジオが浮かび、オルゴールのような不思議な効果をあげている。リストの水がキリスト教の聖なる水なら、ラヴェルの水は神秘的な異教の水といったところか。」/「水の音楽」 みすず書房 青柳いづみこ
今日は最初の4小節だけ練習。でも納得せず。
水辺に行った。といっても海辺。潮の香りがした。風が強く白波が立った。戯れ、という感じはなく、でも耳をすませて目を瞑ると力強い水のリズムを感じた。繰り返しの音形を変えて弾こうと頭で考えていたけれど、ザブン、ピシャン!という音形は際限なく続き、一度も同じではなく、ただ続いていく。
自然に弾けるまで、無心に弾けるまで、やっぱり練習あるのみかな・・・。
2019年4月14日日曜日
桜草
エープリルフールもマスコミで話題にならない位、新年度、新学期、新元号、新紙幣(ついでに五輪相の急遽新旧交代も)と新しい話題が矢継ぎ早の4月。今年の年度変わりは、仕事上も新会社、新組織、上層部の新旧交代と、いろいろ目白押し。気持ちも尖りがちだが、近しい人が病に倒れたり、自分も風邪でダウンしたり、思わぬ落とし穴に遭遇すると、なにげない日常の生活を送れることに感謝しなければ・・・とも思う。慌しく、めまぐるしく、そして考えさせられる春だ。
今年は常になく、「桜開花」が待たれ報じられた。ソメイヨシノもいいが、桜もそれぞれの種が美しい。同じ「桜」を冠する「桜草」も種が違うが、今美しく咲き誇っている。
英語名はprimrose。prime roleということで最初に咲く、ということかきたと言われる。そういう意味では、待たれて、待たれて、咲く花、ということで桜草と和名がなったのかもしれない。新年度、「新しい」が「希望」「期待」「未知」に繋がる季節にふさわしい花。
今年は常になく、「桜開花」が待たれ報じられた。ソメイヨシノもいいが、桜もそれぞれの種が美しい。同じ「桜」を冠する「桜草」も種が違うが、今美しく咲き誇っている。
英語名はprimrose。prime roleということで最初に咲く、ということかきたと言われる。そういう意味では、待たれて、待たれて、咲く花、ということで桜草と和名がなったのかもしれない。新年度、「新しい」が「希望」「期待」「未知」に繋がる季節にふさわしい花。
2019年3月23日土曜日
希望
桜開花がニュースを騒がした今週、週末の今日は冷たい雨が。水仙が雨に打たれて咲いていた。
桜もいいが、水仙の清冽な白も、心引き締められる思いがする。よくギリシア神話の「ナルシス」からくるNarcissusという学名が引き合いに出されるが、「希望」の象徴でもある。
何も彼も水仙の水も新しき 正岡子規
桜もいいが、水仙の清冽な白も、心引き締められる思いがする。よくギリシア神話の「ナルシス」からくるNarcissusという学名が引き合いに出されるが、「希望」の象徴でもある。
何も彼も水仙の水も新しき 正岡子規
2019年3月17日日曜日
沈丁花 香りあるダフネ
馥郁たる沈丁花の香りに包まれて・・・。云十年前の在校生総代として卒業生を送った時の挨拶。この冒頭のフレーズは母の文で、その言葉を得ていろいろと立ち昇る思い出を語ることができた。
この3月は期末ということだけでなく、組織改正や人事異動、ビジネス上の話もありきつい。ふと家の下に咲いていた花の香りに意識が仕事から現に戻った。現とは今ここにいる自分と沈丁花。ギリシア神話のダフネに因む花の名。
この3月は期末ということだけでなく、組織改正や人事異動、ビジネス上の話もありきつい。ふと家の下に咲いていた花の香りに意識が仕事から現に戻った。現とは今ここにいる自分と沈丁花。ギリシア神話のダフネに因む花の名。
2019年3月3日日曜日
弥生 雛祭り
昨年の2月は骨折し3月は寝たきり。同僚に迷惑かけまいと仕事ばかりし、身体が動かず家族に迷惑かけた自分を悔いていた。梅も見られず、見る余裕もなく。
それでも時間は経ち、今はまた以前のとおり早歩き。でも、去年骨折の時に、普段会社で話さない人達が「大丈夫?」「どうしたの?」と声をかけてくれた。通勤電車では誰も席を譲ってくれず怖い思いもした。通っていた病院では立ち行かなくなり、松葉杖で必死にリハビリの病院も探した。怪我のお陰で思いもかけぬ掛け声に勇気付けられ、憤りもし、気がつかなかった制度の落とし穴もみた。自分と同じ思いをしている人には声をかけよう、一緒に制度を変えようと思った。
今年は梅も見られたし、雛祭りの飾りも。健やかなることを感謝。雛飾りも、娘の健やかなるを祈る親心から生まれたのだろう。その祈りどおりになりますように。
それでも時間は経ち、今はまた以前のとおり早歩き。でも、去年骨折の時に、普段会社で話さない人達が「大丈夫?」「どうしたの?」と声をかけてくれた。通勤電車では誰も席を譲ってくれず怖い思いもした。通っていた病院では立ち行かなくなり、松葉杖で必死にリハビリの病院も探した。怪我のお陰で思いもかけぬ掛け声に勇気付けられ、憤りもし、気がつかなかった制度の落とし穴もみた。自分と同じ思いをしている人には声をかけよう、一緒に制度を変えようと思った。
今年は梅も見られたし、雛祭りの飾りも。健やかなることを感謝。雛飾りも、娘の健やかなるを祈る親心から生まれたのだろう。その祈りどおりになりますように。
2019年3月2日土曜日
B Barda / 「アンリ・バルダ 神秘のピアニスト」/ クロッカス / 春先の・・・
前回アシュケナージについて書いた。次はB?と思うとBで始まるピアニストは結構いる。アシュケナージと同様に指揮者でも大成した人ならバレンボイム?
この人のショパンのバラード1番、印象強い。自分が怖いもの知らずに1番を弾いたことがあるが、その時幾つかのピアニストの演奏を聴いた中の一人。硬派で自分の確固とした曲への想いがあり好きな演奏だった。が、テンポも速く、まあ、私が取り入れられる部分は殆どなく、憧れのみ残った。
青柳いづみこ氏の「アンリ・バルダ 神秘のピアニスト」という本。何度も読んだ。私にとって憧れという言葉でしか言い表せない「天井人」を、友人として、ピアニストとして、作家として、人間バルダとして表現している。
今、ラヴェルの「水の戯れ」を練習している中、「その日の圧巻は、ラヴェル「鏡」のレッスンだった。・・・夜蛾そのものの描写ではなく、それを眺める詩人や作曲家の同情心が滲み出ている、というのがバルダの解釈だ。」はラヴェルへのアプローチの参考、という平板な言葉ではなく、好奇心を搔き立てられる。ライヴ、行ってみたかった・・・。
今日は久しぶりの晴れ。春らしい陽射に、冷たい空気。ピアノレッスンに行こうと家を出た途端、クロッカスと目があった。crocus(「糸」のギリシャ後)、vernus(春咲きの)が学名。
この人のショパンのバラード1番、印象強い。自分が怖いもの知らずに1番を弾いたことがあるが、その時幾つかのピアニストの演奏を聴いた中の一人。硬派で自分の確固とした曲への想いがあり好きな演奏だった。が、テンポも速く、まあ、私が取り入れられる部分は殆どなく、憧れのみ残った。
青柳いづみこ氏の「アンリ・バルダ 神秘のピアニスト」という本。何度も読んだ。私にとって憧れという言葉でしか言い表せない「天井人」を、友人として、ピアニストとして、作家として、人間バルダとして表現している。
今、ラヴェルの「水の戯れ」を練習している中、「その日の圧巻は、ラヴェル「鏡」のレッスンだった。・・・夜蛾そのものの描写ではなく、それを眺める詩人や作曲家の同情心が滲み出ている、というのがバルダの解釈だ。」はラヴェルへのアプローチの参考、という平板な言葉ではなく、好奇心を搔き立てられる。ライヴ、行ってみたかった・・・。
今日は久しぶりの晴れ。春らしい陽射に、冷たい空気。ピアノレッスンに行こうと家を出た途端、クロッカスと目があった。crocus(「糸」のギリシャ後)、vernus(春咲きの)が学名。
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