2018年4月28日土曜日

「愛と哀しみのボレロ」 ラヴェルからクロード・ルルーシュへ

バレエのヌレエフ、指揮者のカラヤン、歌手のエディット・ピアフそして楽団を率いたグレン・ミラーといった実在の芸術家をモデルとし、1930~60年代の仏・独・露・米を舞台にした大河ドラマ。クロード・ルルーシュ監督の作品で1981年に公開。

母に連れていってもらって小学生の頃映画館で見た。上映時間も長く、2世代4家族を追うのもわかりにくい部分もあったが、それでも今でもなお強く印象に残っている。特にモーリス・ベジャール振り付けでジョルジュ・ドン演じるヌレエフが舞うボレロは、芸術とはこういうものかと子供ながらに衝撃的と言うしかない記憶だ。このボレロに相対するように、絡み合うようにアコーディオンで奏でられる映画音楽も素晴らしい。

ボレロはバレリーナ、イダ・ルビンシュタインの依頼でラヴェルが1928年に作曲。1928年と言えば、彼が米国公演で大成功を収め、ジャズやブルースに触れて大いに触発された年。一方で、53歳にして記憶障害や言語障害にも苦しめられた年でもあった。

作曲後50余年後に、同じフランス人監督の映画のモティーフとして使われたラヴェルのボレロ。1928年から1981年へ。

2018年4月21日土曜日

骨折から2ヶ月経って 

とうとう2ヶ月経った。まだ腫れて、松葉杖とテーピングをしているものの、歩けることは本当に有難いことだ。薬を飲んでも、塗布しても、マッサージしても腫れがひかないことは気になる。医師の指示とは異なるが、今日はーピングをはずして歩く練習をしてみた。すると、踵から足をおろす「ペタペタ歩き」しかできなくなっていた。骨折足を使っていなかったので、指の筋肉が落ち、加えて腫れて痛くて、本来踵をついて親指に重心移動をさせる歩き方ができなくなっていた。痛みを伴うが、今後松葉杖なしになった時に骨折した踝部への負担を軽減する為に、今から少しでも足の筋肉を元に戻すべく、重心移動でゆっくり歩く練習。

こんかい骨折するまでは、足が痛かったら整形外科にいき見てもらう、靴屋にいって靴をさがすということをしていたが、本当の意味で自分の足と向き合うことがなかった。今は毎晩腫れあがった骨折足、開張足の健足を見ては様子を見ながらマッサージをする。どうしたら良くなるか足に相談しながら血流をよくしたり、指が自立して動くよう運動してみる。少し上手くなると嬉しい。自分の身体のことは、自分が一番分かる、或いは分かろうとしなければいけないのだなあとしみじみ思う。

チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲ニ長調 「オーケストラ!」 アレクセイ・グシコフ

パリのシャトレ座の清掃員が実は30年前はロシア・ボリショイ交響楽団の天才指揮者で、ある経緯から偽のオーケストラを結成する。仲間が集まり、何故彼がボリショイから追放されたのか過去が明らかになる。

全編に流れてくるのが、この有名なチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。主人公アンドレイの愛した妻がヴァイオリニストで、再会を果たす娘も同様にこの曲を奏でる。フランス映画らしく「これが人生さ」とさらっとした描き方と、チャイコフスキーといういかにもロシアン・クラシックの叙情的な曲想、感情をかきたてる豊かな響きが絶妙にマッチしている。この音楽がアンドレイの音楽への情熱、家族への愛、義憤、望郷の気持ち、その時々様々な心の機微を彩る。原題はConcert。


2018年4月11日水曜日

骨折7週間目 

病院で7回目の受診。松葉杖にも慣れ時差通勤で安全確保しつつ今週から電車通勤に。まだ腫れはひかずロキソニンと痛み止めは3週間目に。しかしそれでもとにかく歩けることが嬉しい。心身共に支えてくれた家族に感謝。自宅勤務に協力してくれた職場の人達に感謝。

2018年4月8日日曜日

ドビュッシーの「夢」が流れる物語 「いつか、きっと」 イザベル・ユベール

「南仏ニースの中年街娼のロードムービー」という紹介文が多い。彼女が娘と共に元締めから逃げる場面から始まる。

南仏の映像と音楽、そして女優イザベル・ユペールの存在が光る。

冒頭部分は自堕落な感じにもとれる曲からはじまり、逃亡しているうちに以前の家族を捨ててきた記憶が蘇り、今共に逃亡中の娘への愛情を少しずつ感じられるようになる場面にはドビュッシーの「夢」が効果的に流れる。自分に向き合って生きていこうとするラストは洒脱な小気味の良いジャジーなピアノ。

イザベル・ユペールは、街娼として厚化粧とピチピチした服で武装していた突っ張った表情から、逃亡中の疲弊を隠すことすらやめた自尊心がなくなってしまった姿、思い出すようになった昔の結婚していた時の母親らしい表情、最後昔の恋人に背を向けて現実に向かおうとする時の落ち着いた瞳、疲れた老婆のような表情がふっと笑った時の一瞬少女のような無邪気さの落差。演技をしていると感じさせない魅力があった。

原題は 約束された人生(net翻訳です) La Vie Promise

2018年4月7日土曜日

骨折6週間目 1/3荷重 いざ出勤 

月曜日の受診で、骨折部は約7割癒着にて、漸く1/3加重歩行の許可がでた。ただ、足の腫れが酷く、飲み薬に加え塗り薬もつけてとにかく腫れをひかせることに。ギプスが一因かということでやめてテープ固定へ。三点歩行時にかかる荷重で痛んで歩けなかった健足もどうにか耐えられる状態に。産業医の「安定的に出勤するに足る安全が確保できる」との判断で今週から漸く出勤可となった。自宅勤務状態が解けて本当に安堵した。

「1/3荷重歩行」とはどうやって1/3がわかるのか?と思っていたが、リハビリでは体重計に乗って体重の1/3の感覚をつかむというものだった。本当?と思ったが、まあ自分の身体の声を聞きながら自分で調節していくしかないのでしょう。1/3だと荷重をのせないよう、小幅で、骨折足に健足をそろえるワンー・ツーステップなので非常に歩みが遅い。急ぐ時には短距離しかできないが三転歩行で速度を上げざるを得ないので、結果的には混合で歩いている。会社はエレベーターが6台あるので、ボタンを押して開いても、そこに着くまでに閉まってしまうことが殆ど。そういう場合は三点歩行で身体を揺すり遠心力で距離を稼ぐ。

オフイスでは他にも気づく。健常な時には何でもない、椅子と椅子の合間も、松葉杖で、特に三点歩行で縫っていくには椅子の足に杖をひっかけないよう注意がいる。コピーをしても松葉杖で手がふさがっているので書類用の鞄を肩に下げたりして保管してから机に戻らなければいけない。ガリバー旅行記ではないけれど、視線・視野・行動範囲はその時の自分の物理的状態に束縛されるものだと身をもって実感している。



2018年4月1日日曜日

骨折後5週間目 こんなに腫れたままで良いのでしょうか

5週間目が終わろうとしている。2/18の骨折で、2月逃げ月、3月去り月、今日は4月1日。

5週目の診断は、骨は順調に癒着の方向だが、何故か骨折足の踝から下の腫れが酷く、原因不明なるもロキソニンと痛み止めを1週間分処方された。問題なければ翌週より骨折足の1/3負荷をかけていきましょうと。会社の産業医と相談し漸く三点歩行から解放されるのであればその時点から出勤許可できるでしょうとのこと。丁度年休も全て使い尽くしたところ。是が非でも足の腫れをひかせて骨折足での部分歩行を成功させねば。

仕事しながらも足をあげ、ギブスははずせるものになったので毎日夜はずしてマッサージし、薬も飲んで、氷で冷やして。それで6日だがまだ腫れが引かない。一難去ってまた一難。