2022年6月26日日曜日

中野ハーモニーホール


このホールにはベーゼンドルファーがある。

このピアノでビゼーの連弾を楽しんできた。練習の時より速度をあげてブランコや回転木馬のスピード感に重きを置いて演奏。曲のキャラクターを今までより際立たせられていたら嬉しい。

直前には3年ぶりに連弾相手の友人が師事する先生にも見ていただき、一流のオーケストラの団員らしいダイナミクスや音の色彩に関してとことんご指導もいただいた。百分の一でも実行できるようになりたい。

練習の帰り、友人の家に咲いていたという紫陽花をいただいた。この暑さにも負けず、鮮やかな色で涼を運んでくれる。

2022年6月12日日曜日

連弾と紫陽花と

地元の楽器店でのコンサートに参加。

コロナになってから自粛していたが今年は参加してみることに。聴衆の前に、やはり緊張。だが、始まってしまえば弾くしかない。ビゼーの子供の遊びから三曲、楽しむことに専念。

その後は友人が近くの寺に紫陽花が咲いていると導かれて、思いがけない散歩。


緑深い巨木の下にひっそりと色とりどりの紫陽花が咲き乱れ息を呑む景色だった。中でもこの白い色は夕方の樹木の陰でひんやりとした質感が印象的だった。


2022年6月4日土曜日

連弾特訓再び

 そろそろ本番も近づき。

友人宅で再度猛特訓。だいぶテンポも上げられるようになり雰囲気も出てきた。細かいところを見ていく。スタカートの切り方を合わせたりフレーズを確かめたり。

終わったらまたお楽しみの時間。友人の心尽くしの和食。今回は幾つもお祝い事もありシャンパンフルボトルで。会話もいつ果てることもない。


友人から数年前に分けていただいたローズゼラニウム。今や縦横無尽に咲き乱れている。私達の連弾も時をかけ、会話や練習を重ねてそれを肥やしに深まるといいなと願う。




2022年5月21日土曜日

食欲が進むなら

何でもしたい。

いえ、自分のことでは全くなく・・・。でも、誰でも家族が食欲がない時にはそう思うでしょう。

GWにデュオ・ポッキーズの友人宅で美味しい低温発酵の自家製フォッカッチャを御馳走になり、あまりに美味しいので母に食べさせたいとつくってみた。あまりこねなくて良いようで、自分にもできるのではないかと、つい夢見てしまった。友人が見せてくれたとおり、くるみもたっぷり入れ、ついでに庭のローズマリーも載せて、たっぷりのオリーブオイルをかけて焼いたら、とても美味しかった。だが、母には堅すぎて残念ながら少ししか食べられず。

そこで火がついた。保存料が入っているパンよりずっと美味しいねという言葉を頼りに、十年位つくっていなかった万頭(中華のまんとう)をつくった。500gだけしか作らなかったが、全身汗だくで、涼しい日だったのにサウナ状態。途中で鉢巻をし、まるで恰好だけはランナー。手には粉が粘って離れない。泣きそうになりながら、意地と新しいイースで、きれいに膨らみ、真っ白でほかほか、「THE 万頭」ができた。味噌をつけるとたまらない。母も1個完食してくれた。

ここまできたら、実力はないのに何とかなるさの自信だけはついてしまい。次も行ってしまえ。

今日は梅雨の先駆けか、じめじめした天気。こんな日は野菜で元気になりたい。白い大根、緑のキュウリ、赤いラディッシュでピクルス作り。明日のお楽しみ。かりっ、しゃくっ、ぽりっと気持ちいい音。酢の爽やかさと柔らかさが食欲を運んでくれることを期待して。


2022年5月15日日曜日

対面が戻りつつある

GW明けの週。

ただでさえ、休みを取り戻そうと皆が一斉に仕事を投げ合う中を、自分も急いで投げ返すか競争のような週なのに、久しぶりに海外客の来日対応あり、海外のビジネスパートナーの来社あり、出張していた関係先との懇親会あり。WEB会議ではなくリアル会議や飲み会が立て続けで、過密スケジュールと対面の刺激で疲れ果て、金曜の夜は倒れ込んで泥のように眠った。

私自身はこの3年振り返り、テレワークの有難味を痛感している。人に会うのも、会議をするのも、距離や会議室を気にすることなくすぐに設定・実行できる。特に海外の客や、複数の工場・部門にまたがっての会議でその恩恵は大きい。

一方、初対面の人がWEB会議でうちとける、相手の顔色を読めるまでになるには、対面の時よりもはるかに長い時間がかかるというのも実感だ。お互いできるだけ分かり易く説明するように気を付けるようになったし、顔出しの会議ならジェスチャーを大きくし、コミュニケーションの質を補おうとしてきて、改善できていると思う。だが、目の中に動いた何かの表情、無意識にでている身体のサインなど、それを捉えることで話を深堀りしてきた対面での打ち合わせは何と情報が多かったことかとあらためて意義も見えてきた。

入社した時の上司と食事をする機会があった。2年ぶりだろうか。年齢の差にかかわらず誰に対しても丁寧な言葉遣い、気の使い方をなさる方で、初めてお会いした時から理想の社会人像である。茶目っ気もおありで、時折目の奥がきらっとする時は何か面


白いことを思いつかれた時。指を組んで前に乗り出す時は真剣な話をなさる時。懐かしい仕草や表情に、ああ、やっぱり対面してお話しできる醍醐味がここにある、と思った。

2022年5月14日土曜日

フランス音楽講座 ドビュッシー 「ノクターン」

月に一度のフランス音楽講座。

今回はドビュッシーの「ノクターン」をもっていった。まだドビュッシー若かりし時の作曲なので、長いフレーズでメロディーが歌い易い。うっとりとさせる和音は彼の音楽学校の先生でもあったフォーレのこれまた初期の作品を想起させるものだし、徐々に盛り上がってくるところは、ドビュッシーが若い頃傾倒したと言われるワーグナー的な部分も。

自分探しをしていろいろと寄り道をしてきた時期とみるか、資金繰りの為にお金を出してもらい易い音楽を作ったと考えるべきか。そのどちらでもあるのだろう。だが、どちらであってもそんなことはどうでもよく、誰にでも美しく聞こえ、自分が若い頃、「憧れ」という感情を豊かにもっていた頃を思い出す、やさしい曲であることに変わりはない。


2022年5月8日日曜日

呼ばれる

今日は母の日。

友人からLINEでお互いの母の無事を確かめる便りをいただいた。彼女は高校時代からのつきあい。お互いの母達も顔見知りだ。

暫く前の日経に井上荒野氏のエッセイが確か夕刊に掲載された。「呼ばれる」というタイトルだったような。

はじめにご主人が食事をつくってくれるという垂涎もののネタから入る。それだけなら単なる夫自慢の話なのだが、そのあとに続く文脈がその浅はかな想定を裏切る。

食事をつくってくれる人がいて、食事ですよと自分を呼んでくれるその声掛けは、子供の頃であれば母の声であることが多い。

誰かのために食事をつくり、その人を呼ぶ。それはとても自然で、いつも呼んでくれると思い込んでいて。でもいつまでも得られる声ではなく、懐かしくとも一度失われたら戻らない声。

今日は母の日。