今日は母の日。
友人からLINEでお互いの母の無事を確かめる便りをいただいた。彼女は高校時代からのつきあい。お互いの母達も顔見知りだ。
暫く前の日経に井上荒野氏のエッセイが確か夕刊に掲載された。「呼ばれる」というタイトルだったような。
はじめにご主人が食事をつくってくれるという垂涎もののネタから入る。それだけなら単なる夫自慢の話なのだが、そのあとに続く文脈がその浅はかな想定を裏切る。
食事をつくってくれる人がいて、食事ですよと自分を呼んでくれるその声掛けは、子供の頃であれば母の声であることが多い。
誰かのために食事をつくり、その人を呼ぶ。それはとても自然で、いつも呼んでくれると思い込んでいて。でもいつまでも得られる声ではなく、懐かしくとも一度失われたら戻らない声。
今日は母の日。
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