2019年5月26日日曜日

黄小菊

ベランダの黄色い小菊が元気一杯に咲いてくれた。早春にこれから暖かくなる季節の兆しが欲しくて、葉がツンツン元気で、蕾の一杯ついた鉢を求めた。それ以来、突風にも、雹にも、氷雨にも巻けず黄色い小さな蕾が毎日毎日花開いた。

大きさは小さくとも、黄金色のエネルギーを発散しているかのよう。ギリシア語のchrysos(黄金)とanthemon(花)が英名。


2019年5月19日日曜日

美しき五月に

暗雲たちこめ雨も降ったが、これぞ五月という青空も一瞬垣間見えた週末だった。

見られる時はチャンネルをあわせる数少ない番組。音楽の交差点をみていたら、カウンターテナーの藤木さんが、シューマンの「美しき五月」を歌ってくれ、惹き込まれて聴いた。

https://www.tv-tokyo.co.jp/broad_bstvtokyo/program/detail/201905/23729_201905180800.html

この他、「Pray Not, Amen」 作詞 サラ・オレイン 作曲 加藤昌則 という曲も初公開というが、詩と曲と歌声と三拍子そろっており、聞き惚れた。


五月の庭にて。

2019年5月11日土曜日

紅の花水木

ゴールデンウイーク中も、世界は休みではないので、日々メールで商売は続く。とはいえ、出勤しなくてもいいのは、ゴールデンな日々である。

その休みが終わるときは常と同様ブルーになるが、身体は休まったので、連休に感謝。


舞姫の出で来る如し花水木 中杉隆世(ホトトギス)

2019年5月5日日曜日

端午 タンゴ TANGO

洒落のつもりで今日UPするのではなく、たまたまなのだが。今日の話題はTANGO。



両親が好きで、父はお風呂で、母は気が向くと、タンゴを歌っていた。昭和時代に日本に入ってきたタンゴの曲、殆ど知っているといえるかもしれない。両親のタンゴ好きに加えて、ピアソラの曲が好きで、ピアノで時々弾くが、いつかはタンゴらしい楽器 ピアソラが弾いたバンドネオンを試してみたいもの。

夢はバンドネオン。でも、悪魔の楽器と言われるほど、ボタンの並びに規則性がなく、学ぶのが難しいらしい。

連休中にはじめて、小松亮太のバンドネオンのコンサートを聴いた。全て良かったが、特にピアソラは良かった。

いつかバンドネオンを弾きたい。これが夢だ。


2019年5月3日金曜日

ドビュッシー 「小組曲」 シャンパンでお祝い

連弾のスポコン猛練習は連休の行事。今年はドビュッシーの「小組曲」。去年コンサートで友人と弾いたとはいえ、あの時は短工期だったので、あらためて練習ことはじめ。

2時間びっしり、秘密の特訓である。冷や汗も、練習の汗もかき。加えて、練習の間に、友人がパンを焼いていただき、その香りでうっとり・・・、いやいや、練習、練習。

連弾のパートナーにして、社会人の尊敬する先輩でもあり、今までも多くの影響を受けてきているに加え、今回、活躍された職場を離れ、大学院に進学の道を選ばれた。お忙しいと遠慮し、GWに話が聴けるだろうと待っていたので、今回は特に、連弾練習に加え、その決断に至るまで、或いはその後の話をお聴きするのが楽しみだった。

話をおききし、またもや、自分には届かないなあ、と嘆息するのみ。


新たな門出にシャンパンでお祝いを。

とはいえ、全て友人のお手製で、私は歓声をあげるばかり。新鮮なホワイトマッシュルームと真っ赤なパプリカのサラダ、薄紅の海老と緑眩しいアヴォガドサラダ、数種類のアスパラにとろりと半熟卵のソ^ス、ジューシーなスティームチキン、

おもてなしいただいてしまいましたが、御祝の気持ちはこの泡の如く、何時までも立ち昇るばかり。

2019年5月1日水曜日

令和 調和 調律

今日から元号が令和。元号として、或いは文字として、様々な解釈が紹介されているが、私自身は「和」という字が好き。

音楽に引き寄せてみれば、ハーモニー「調和」だろうか。

昨日は20年来お願いしている調律師さんにきてもらって一年に一度の調律をしてもらった。隈なく音、和音をならして、響きを確かめていく。私にはできない技で、ただただ息を詰めてみているだけ。だが、段々と音の響きがよくなっていくのだけは分かる。ぽーんと和音を鳴らして、違う音が互いに並んで、一音一音では違う音の響きをつくっていく。

同じ音でなくともいい。違う音が違う色の音をつくり、それが連なって想像もしなかった音楽が生まれていく。そういう時代の幕開けであって欲しい。


2019年4月30日火曜日

平成 「ガラスの天井に挑む女たち」「OPTION B 逆境、レジリエンス、そして喜び」

今日が最後の平成の日ということで、暫く前からマスコミは平成を振り返る企画が目白押し。この企画を自分にあてはめたら?

私は平成元年入社なので、平成の今日までの間、社会人として生きてきた時間と言い換えられる。バブリーと言われた入社時の空気も、そのあとその時代のツケをを払う為に合理化の嵐となった時もその台風の目に居た。400人入った同期もすぐに辞めた人も、分社化して別会社になった人も、そして私も含めて残った人も多数居る。思えば、女性「でも」「使える」と思わせたくて、男性に伍して働き、それ以上の成果を出すことがずっと眼前の目標で、所謂「24時間働けますか」にYESと有言実行することが生き様だった。

昨日の日経に「平成を変えた女性管理職 元年入社の執行役員が対談」の記事があった。
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO44249860W9A420C1000000/

「平成の30年間で女性の働き方は大きく変わった。就業者に占める女性の割合は4割を声、勤続年数は2.5年延びた。しかし管理職比率は13%程度と、海外に比べ著しく低い。」からはじまり、野村證券の鳥海氏と三菱ケミカルの花房氏という二人の執行役員の対談に続く。

「仕事を続けてこられた原動力は何でしょう。」同じ問いを受けたら、自分の場合はどう答えるか。400人の同期の中、女性は7人。同じグループに残ったのは自分を入れて3人、他の人は転職したり、身体を壊したり、道は違えどわが道を行っている。自分にとってこの道がわが道になっているのは、結局今の営業の仕事が面白いから、しか理由はない。辞めようと思ったこと、辞めなければ瞑れる、ステップアップの為の転職、など幾つか分かれ道があったが、結局選び取ってきたことになる。

だが、満足している訳ではないし、戦って勝ち取ってきたつもりのものが、本当に「伍して働いてきた」ことが良かったかどうかは疑問だとも最近思っている。鳥海氏が記事で「いま役員になっている女性は男性化してうまくやってきたからで、発想は男性とあまり変わらない。男性化していない人は途中で淘汰されているのが現状。本当に変えるなら、そういった女性が入ってこないと。」と話しているとおり、今、漸く「多様化」の必要が言われる時代になって、「男性化している女性」としてが「均一化」に組み込まれている自分が見える。

一生懸命働いてきたこと、自分なりに成果を出してきたことは肯定しつつ、この一時代が終わったこの機に、今迄自分に課してきた枷を意識的に取っ払って「新しい働き方」「多様性を受け容れる、或いは多様性に寄与する」ことを考えていきたいと思うこの頃。もう、そういうことを考えてもよい年齢になったはず。変化のより早くなるこれから、柔軟性とそれを可能にする受容が私にとって必要な技術なのだろうと思う。

ビジネスウーマンが書いた本で、今でも何度か読み返す本をご紹介。

入社の頃読んだ懐かしい本;
幸田シャーミン「ハーバード・ウーマン・ガラスの天井に挑む女たち」扶桑社
幸田氏がハーバード留学でインタビューした女性達の語る「ガラスの天井なんかに封じ込められない」という思い。悔しい思いをした時によく読んだ思い出がある。ただ、自分自身の体験も含め、その当時は「最大限の努力をすれば、人は自分を男女という分類ではなく個人としてみてくれるようになる」と考え、或いは思い込もうとしていた。実際、今もその思いは変わらないが、少なくとも平成の時代は上述のように「男性化」しないと淘汰される側にまわるということも同様に理解している。そしてその法則は当の男性に対しても同様に適用されることも。

最近読んだ本で;
シェリル・サンドバーグ 「LEAN IN 女性、仕事、リーダーへの意欲」「OPTION B 逆境、レジリエンス、そして喜び」
フェイスブックCOOのメッセージ。自分にはかけ離れた、何でももっているポジティブな人というイメージがあって、正直「LEAN IN」の方は一回読んでそこで終わった。「OPTION B」は「レジリエンス 回復する力」との副題に惹かれて手にとった。相変わらず恵まれた人、というイメージもあるが、それでも夫に先立たれ、這い上がる気持ちも起きない、というところから回復しようと自分の力を信じて育てるその強さに、何度か読み返してはエネルギーを分けてもらってきた。

さて、次の元号の時代は、振り返った時どういう時代と言われるのか、或いは自分も振り返る機会があるのか・・・。楽しみに思いたい。