2025年5月4日日曜日

最後の授業 平井和夫

なにげなく聞き流していたNHKの番組の中で、平井さんの「最後の授業」。

場面が切り替わりいきなりICU(国際基督教大学)のキャンパスがズームアップ。

平井さんの人生の振り返りはちょうど日経の「私の履歴書」で1か月読んだばかりだったので、ちょうど寝るために電源OFFするつもりだったが。

キャンパスから平井さんの登場となり、聴衆にいくつか質問をしながら、答えにコメントをする講義形式で自然に始まった。

はじめの部分では、話していることは日経の「私の履歴書」と重なるものが多かったが、対話形式のライヴ感あり、何百回と話してきたであろう内容は腹の底から(あるいはそう信じ切ろうとしているのか)説得力あるレスポンスの仕方で、聴き惚れた。この人は、対話は数多くこなしてきたのだろう、明確に端的に自分の考えを述べている。

あなたがリーダーに求めることは?一方であなたが上司に求めることは?ギャップは何故おこる?

聴衆にも身近で切実なこんな問いかけで相手を惹き込んでいき、エンディングには「自分が自自分の人生のリーダーたれ」「らしいという伝聞ではなく自分で経験しよう」と誰にでもわかりやすい言葉でしめくくった。

ICUは今頃キャンパスは緑豊かで一番いい季節だろう。梅も多く収穫してジャムを作っている人もいるという。写真は梅の実。

2025年5月3日土曜日

「革命前夜」 須賀しのぶ

漸くGWだ!その前夜から楽しむため、高校時代の友人と食事へ。

窯焼きピッツアの美味しいピッツァリアへ。何を食べよう?何を飲もう?迷いながらももうお互いの近況に話が弾む。メニューを一緒にみてああでもないこうでもないと言いつつ、相談しているつもりだが、並行して話もしているから結局頼むものが決まらない。相談はやめてお互いに食べたいものを1-2品チョイスすることで解決。いわし団子のトマト煮。カポナータに生ハム。そしてピッコロトマトとモッツアレラの熱々ピッツア。

食べて飲んで。聴いて黙して笑って。あっという間の時間だった。

最後に、これ面白いから読んで、と本をいただいた。須賀しのぶ作「革命前夜]文芸春秋。彼女も妹さんからもらったそうだ。早速帰って読む始めると・・・本当に冒頭からひきこまれた。危うく一気読みしそうになったので夜中すぎに自らを制して本を置いたほど。

バブル期の日本を離れ、東ドイツに音楽留学したピアニストの話。ストーリーもテンポがよくて面白いのだが、そこに卓越した音楽の表現が深みを添えている。

たとえば主人公が練習室の順番を待っている時に聞こえてきた曲 ラフマニノフ 絵画的練習曲「音の絵」からOp39-5。

「ラフマニノフといえば重力奏法だろうがこれはハイフィンガー、いやほとんどチェンバロの弾き方に近い。レガートで弾く箇所もスタッカートのようにして弾くので、最初は驚いたものだ。・・・これほどの奔流の中、粒が際立てば収拾がつかなくなりそうなものなのに、音は純度を保ったまま見事に絡まり合っている。・・・奇妙な指捌き、巧みなペダリングで繰り出される世界に、あっという間に引きずり込まれそうになった僕は、大きく息を吸い込み、鞄で思い切り壁を叩いた。ちょうど中間部に入ったあたりで、演奏がぴたりと止む。椅子が軋み、険しい顔がこちらを向いた。細い目が、僕を認めていっそう細くなる。」

感情移入させられるロシア音楽、それも美しいメロディで知られるラフマニノフをハイフィンガーで?ほとんどチェンバロ?この設定だけで既に脳内ではどんな弾き方だ?と勝手な想像が膨らむ。奇妙な指捌き?それはラフマニノフの大きな手どおりの指使いで弾ける人はいないので当たり前だが、それを補う巧みなペダリング?聴きたい!いやペダルの踏み方をこの目で見たい。そしてひきずりこまれそうになっているので鞄で壁を叩く?実はこれは自分の練習時間になってもピアノの練習室をでていかない生徒を追い出す設定だ。ライヴァルとの関係が一行で読み取れる表現。上手いなあ。

さて今晩は、昨日の自制を再現できるか、正直わからない。やっぱり一気読みしてししまうのでは・・・。

2025年4月27日日曜日

「疎外感の精神病理」 和田秀樹

キャリコンの友人に勧められて購入したが手元に置いて数年。ふと手にとって読んでみた。

日本人の課題の一つが「疎外感」という病理。これがもとで同調圧力やSNS炎上が起こるとの分析。その誘因が学生時代のカースト制。1stリーダー、2ndフォロワー、3rd仲間外れの集団の中、2ndの中間層が3rdにならないため、子供の頃から努力することで日本人の同調圧力は更に磨きがかかるとの分析。

確かに学校教育のある時期以降は学業の成績で順番を公表しなくなった時期があり、次は友達を作ろうという政策のもと、友達の数がその人の評価に繋がったとの評論は論理的に納得感があるものの、その時代の前から生きていた人にとっては、その前からいじめ、仲間外れはあったよ、という切実な反論があるだろう。

また、この仮説だけだと、海外ではこれほどいじめがないのか?という疑問になる。

動物が群れの中で優劣をつけようとするのと同じ、人間も何等かそのグループ内で序列をつくる。運動能力だったり、頭脳、人種、宗教だったり。その時々で力をもっているグループが恣意的に利用しているのではないかと。子供は単純に人間関係をみながら斟酌するものが大人に比べて少ないからそれだけストレートに表しているだけではないだろうか。

幾つか反駁したい点はあるものの、最後の章「疎外感に精神医学は何ができるか」にて人に直に依存できる体験を与える、というひとつの解の提起を読むことができたのは良かった。また、この人が出会ったハインツ・コフートという心理学者による心の自立は、フロイトが打ち出した自我を鍛えて心の自立を目指したものであるのに対し、「人間というものはそもそも依存的な生き物なので、むしろ自立の強要は不可能なことの押しつけだ」という主張を知ることができたのも収穫だった。

今日はいい天気だった。本の考察を一度とっぱらって、陽光のもとに歩み出よう。つつましやかに馬酔木も咲いている。

2025年4月26日土曜日

4か月ぶりの早朝散歩

年初に行ったきり、体調崩し、その後の三連続海外出張で早朝散歩もずっとお休みだった。

今日はだからほぼ4か月ぶりの復活。散歩ルートも春の盛りで一変。コロナに入ってから始めた習慣だが身体は勿論精神的にも心地良いので、やはりGWに浮き立つこの時期にリセットで再開しよう。

今年はソメイヨシノをみる間もなかったが、こうして実は愛でることができた。

美しやさくらんぼうも夜の雨も 波多野爽波

2025年4月20日日曜日

フランス音楽講座 弾き合い会 2025年

 今年も実行。先生、とりまとめのDUOポッキーズの彼女、講座参加者のお蔭。

2台ピアノが今年のコンセプト。DUOポッキーズは、先日の話のとおり彼女の機転でなんとラヴェルのマ・メール・ロワを披露。彼女はほぼ毎年みていただいているウィーンの先生作曲のオリジナル曲を託されて本邦初演。フランス音楽にこだわらず様々な曲が奏でられ、約5時間の音楽会敢行。

当日は霧雨が時折降るものの、川面にそれまで盛りであっただろうそめいよしのの儚げな薄紅の花と、これからが季節のvividな八重桜ともに咲いていて、季節外れの寒さに誰も花見をしていなかったが、美しかった。


2025年4月6日日曜日

花を愛でる

ソメイヨシノの開花や花見の話でニュースは持ち切り。

だが、桜をみにいけない人もいる。外に行くことができない母に、桜色の花を買った。我が家の花見である。


2025年4月5日土曜日

教え

1月末に体調崩しドタキャンお願いした先輩との会食。リスケ決行。

欧州出張から帰国すると、客も社内も異動多く、歓送迎会の嵐だった。だが2か月延ばしていただいたこの会食だけは再リスケはできない。まわりの人に根回しして無事漕ぎつけた。

ドタキャンを謝罪するのも柔らかく押しとどめられ、最近どう?といつもの如く好奇心と心配と綯交ぜになった問いに。四半世紀前に同じ職場に同時期に異動してから、こうやって話を聞いていただいて様々なことを乗り越えてきたことを思い出す。

話は多岐に。ここ最近は半年先の為替や政権について予想をたてあったりしている。前回の予想と今を比べ、自分の不明さや世の中の道理のなさを嘆いたり。果ては日本の債券について論じ、翌日には先輩から面白いからこのIMFレポート読んだらとLINEいただいた。何年おつきあいしても先輩の背中はなお遠い。

一緒に仕事していた時に、担当は違うのに、営業を教えてくれる人がまわりにいない私を不憫に思ったのか、丁寧に自分の考えを説明して下さる先輩の言葉を、びっしり記したメモ帳が今でも手元に残っている。今自分が後輩に時折伝える言葉は、その教えが源泉だ。自分のものだけにせず他の人と分かち合うこと位しか還元できることはない。


いただいた金沢の「佃の佃煮」の包装紙 加賀友禅。家族の体調が悪く食欲がない中、いただいた佃煮で今日はいつもより食が進んだようです。美しい包装紙、美味なお心遣い、こんな風に粋にさらりと表せるようになりたいもの。