2018年2月28日水曜日

処置9日目 2度目の診断 骨が離れてしまった・・・

初回診断から1週間後、2度目の受診。レントゲンを撮ってもらうと、1週間前よりも離れてしまっていると言われた。松葉杖三点歩行(ケンケン歩き)ができていないからではないかと。その他、自宅で仕事中に座る時間が長く血流が下にたまり腫れた為、ギプスに入れた切れ込みが開いてしまい固定が弱まったのではないかとも。このままつかなければ手術と言われ、来週再度レントゲン撮影の予定。

2週間休みをもらい、実際には家で仕事することでどうにか乗り切れると思っていたのがわからなくなり暗澹とした気持ちとなった。また、松葉杖三点歩行をしたくとも、開張足の弊害か(整形外科でも解明できず、靴屋さんの見立てなのでまだ原因はわからないものの)右足の人差し指の付け根がケンケンをするとナイフをつきつけられたように痛く、立ち止まっても尚暫くの間痛くて歩き出せない。まだ二足歩行の時は鈍痛はあるものの歩けないレベルではないので、整形外科で解明できなかったあとはあきらめていたが、ここにきて無視できない状態になってしまった。

ネットで皆さんの松葉杖にまつわる体験を読ませていただき参考にしようと思うが、骨折しない足も痛い、運動してこなくて腕に力がなく三点歩行が難しい方の話に行きついていない。右足があたらないように詰め物をしたりしながら松葉杖の三点歩行を練習し始めたが・・・。今まで殆ど休んでこなかったので有休はどうせ流す状態ではあるのでこのままもう暫く自宅で仕事をすることを会社と話し合えるか、それとも右足を別の整形外科で見てもらい三点歩行できるようにするか、やれることは全てやってみようと思う。

2018年2月25日日曜日

ショパン マズルカ Op.67-4 <エディションの違いを楽しむ  ショパン・オンライン>

知ることの喜び。

同じ作品でも数多くの版があるということを「フランス音楽講座」に参加するまで知らなかった。特にショパンは多いとのこと。まず生前時点で、複数の出版社ら出版していたので、フランス初版、ドイツ初版が存在する。それぞれに違いがあったり、出版社の書き込みもあったり。加えてその楽譜にショパン自身が弟子のレッスンで書き込みしたり訂正したり。その後に弟子や有名ピアニストによる校訂も出された。できるだけ作曲家の原典に近い内容で弾くことがクラッシック音楽の基本ということで、原典版として、エキエル版、ウィーン原典版、ヘンレ版が信頼性が高いと言われ、まずこの版の解釈から出発することが多い。

マズルカ67-4は版が多い曲のひとつである。私自身はヘンレ版で練習したが、Fontana版、1846年の手稿版、Ganche版、といった稿もある。この稿によって結構中身が違うのだ。ヘンレ版では特徴的な最初のメロティーはfからはじまり17行目のdolceまで強弱記号もテンポ記号もない。だから私自身は1回目はfからメロディーの高低が自然に落ちるに任せ、9小節目での2回目のメロティーは更にたっぷり歌いながらも落ちていく先はpに収束させた。しかしFontana版は1回目がmfからはじまり一小節でdim.し、ritしながらmarcatoで終わり、2回目はa temoで指示なし。Ganche版は1回目の終わりがfで終わる。こちら2つの版は1回目の終わりをマズルカのステップを力強く刻むが如くみえる。どちらで弾いてもそれぞれの味わいがあり、いろいろな版が今尚弾かれているのも頷ける。

専門的なことはわからないが、ショパンが書き入れた、ショパンがこう弾いた、ショパンの弟子がこう聞いた、と時や機会や気分により、より良いように修正し続けたショパンの姿勢の表れだと捉えれば、どうしてこの時はfから自然に落ちるに任せたのか、この時はぐっと踏み込むマズルカらしさを強調したかったのか、など想像を羽ばたかせるのが楽しい。コンクールに出る方にとってはその解釈自体も何故選んだのか論理的に考えなければならないのだろうが、ただただ、いろいろなエディションでその時のショパンの感情を推し量りつつ弾いて浸ってみられることは、知る楽しみの醍醐味だ。

手稿も含めエディションの違いを比較できるサイトを講座で教えていただいた。有難いサイトである。 
chopinonline.ac.uk




2018年2月23日金曜日

処置4日目 起こった後の対処の大切さ

処置して左足を地につけないようケンケンして帰ってから、左足の腫れはもとより、上半身の筋肉痛が酷く、とてもではないが通勤できる状態ではなく、年休取得をしながらメールなどでできる範囲をこなす状態を続けている。1時間仕事をしては足をあげて休みをとることの繰り返し。

母が3年前に骨折した際には、入院と言われたにもかかわらず、介護を受ける父が心配で帰ってきてしまった。松葉杖も貸されることなく自力で1時間以上文字通り足を引きずりながら帰ってきたそうだ。安静と言われても、動けず聞こえない父の介護の為、結局通常どおり世話をし続けた。土日に買い物をしてきたりできるだけ手伝ったつもりではあったが、一緒に住んでいる訳でなく、殆ど手伝ったことになっていなかったことを今回自分がなってはじめて知った。今であればその大変さが分かるのだが・・・。無理をせざるを得なかった母は治癒も遅く、足の筋肉も衰え、両足が変形し、今尚そのアンバランスと歩き方の癖から痛みを引きずっている。骨折は起こった後の対処によりその後の治癒期間と体調に大きな差が生じるケガだ。

2018年2月22日木曜日

骨折のピアニスト

左足のヒ骨と外果を骨折した。所謂踝あたりである。

アマチュアとはいえピアノを弾く身としては、四肢のうち一番左足が影響が少ない。直接の役割はソフトペダルを踏む時に使う位。しかし会社員となると辛い。これから出勤をどうしようか。

2/18にコピーをとりに気軽に出掛け、コンビニに入ろうとして配線に躓き、踏鞴を踏んだ。家に帰り腫れてきたので翌日病院に行ったらこの診断である。先生の見立ては、綺麗なのでつくのではないかと思うので、ギプスで固定、安静2週間、ギプス6週間。毎週レントゲンでつき具合を見て判断していく、とのこと。松葉杖を貸していただき、ロキソニンの処方箋をいただき「左足はつかずにケンケンで帰ってね」でおしまい。

通常15分位の帰路を1時間弱ケンケンして帰った。足は予報どおり腫れ、慣れない松葉杖使いで上半身と臀部は筋肉痛、右足はもともと開張足で人差し指の鈍痛があるのが悪化。本当に「一寸先は闇」を実感。

2018年2月5日月曜日

ショパン マズルカ Op.67-4 <1846年という年には>

この曲が作曲された1846年。ショパンは36歳で亡くなる3年前だった。ジョルジュ・サンドとの間の軋轢は修復ができない状態になっていたという。サンドとの関係含め、サンドの子供のモーリス、ソランジュとの感情のもつれは戻らず翌年にはサンドと別れている。

この時代はどういう時代だったのだろう?同時代の作曲者として、シューマン(36歳)、リストは1歳下で(35歳)ヨーロッパ各地へ演奏旅行で脂の乗り切っていた。同時代の文学で言えばA・デュマの「モンテ・クリスト伯」が、翌年にはE・ブロンテの「嵐が丘」、C・ブロンテの「ジェーン・エア」の時代。絵画ではイギリスで「ラファエル前派」運動(例えばロセッティも一員)の志が形作られた頃。政治的に見るとアメリカ大陸では米墨戦争、日本においてはビドル提督率いる米国軍が浦賀水道に来航し通商を迫られていた。

こう並べてみると、音楽は、その時代の文学や絵画、政治よりも、時代を超えて受け止められる要素が強い気がする。それがいい悪いという話ではなく。例えばショパンのマズルカが、今でも私達のまわりにふと流れて聞こえてきても違和感がない。この普遍性がまた音楽の魅力でもある。

2018年2月3日土曜日

ショパン マズルカ Op67-4

学生時代ショパンを練習したことがなかった。美しい調べに憧れたが先生は「ショパンはいつでも自分で練習するでしょうから今はモーツアルトやベートーベンを練習しましょう」と。そのうちに社会人となり、ピアノをやめ、ショパンは聴くだけの遠い存在のままだった。そしてピアノを再開した。ショパンを弾いてみた。すぐに感情移入し、弾きながら心が揺すぶられる体験。だが一方、自分の思いばかりが空回りしている感覚がつきまとい、気持ちとは別に弾き心地が悪い。

中でもマズルカは、ショパンの作品群の中でも民族色濃く、生涯に渡り作曲され続けたことから彼の核と言われることもある舞曲。日本人には(或いはもしかしたら今の若いポーランドの人にとっても?)感覚的につかみにくいリズムで、私にとって敬遠する分野だ。

それなのに、そのショパンのマズルカを昨年末から練習はじめた。この曲で4曲目。有名な曲で一度は耳にしたことがあるだろう、冒頭から心を鷲掴みにするイ短調のメロディー。中間部は同名長調であるイ長調に転調して漣光る小川の水面のよう。そしてまた印象的な冒頭のモティーフに戻る。冒頭の流れるような長くしなやかなイ短調のメロディーと、水の煌めきの如く細かに変わるイ長調の対比を弾き分けたいものだが・・・。まだ練習中。