23年度も今日でおしまい。
今月は自分が風邪をひき家族に移し、体調が悪いまま怒涛の年度末に辿りついた感。2月に課内から二人異動し、3月には担当分野がまた増え、国内客の挨拶まわり。加えて桜を見がてら商談に来日される海外客が最終週に集中。週末は家事もできずに寝ているだけ。
桜の開花や花見のニュースを横目に、ただ亀のように遅々としてでもその日を過ごせるよう、毎日恙なく生きながらえるよう、それだけを願って。気息奄々。
23年度も今日でおしまい。
今月は自分が風邪をひき家族に移し、体調が悪いまま怒涛の年度末に辿りついた感。2月に課内から二人異動し、3月には担当分野がまた増え、国内客の挨拶まわり。加えて桜を見がてら商談に来日される海外客が最終週に集中。週末は家事もできずに寝ているだけ。
桜の開花や花見のニュースを横目に、ただ亀のように遅々としてでもその日を過ごせるよう、毎日恙なく生きながらえるよう、それだけを願って。気息奄々。
寒暖差の激しさを乗り越えて。3月。
体調を崩した母は食欲がない。だが久しぶりの太陽の光に元気づけられたのか、「今日は雛祭りだから散らし寿司を食べましょう」と。
今日の陽の光のような橙色の人参。まだまだ美味しい象牙色の蓮。紅い色が美しい桜海老。上品な甘さの帆立も奮発して数粒入れて。菜の花畑のような錦糸卵の黄色と絹さやと三つ葉の緑を一面に飾って。蕪の葉の糠漬けをだしてきて細かに刻み白胡麻をふって添えた。
いただきます!頬張ると口いっぱいに春の香がする。私の食欲につられてか、母も珍しくしっかりと箸を運んでいる。美味しいと思えること。それは季節の贈り物だ。
花言葉。日本では友情、イタリアでは感謝、フランスでは思いやり。
それはミモザ。今、散歩に行く公園で咲き誇っている。
各国の人々がそれぞれ佳きものとして言葉を寄せた花。早朝の淡い青空に、目にも鮮やかな黄色の満開の花を見て、ウクライナの国旗を想起した、そしてこの戦争が3年目に入る前にガザ紛争も再勃発して止まるところを知らない。この花言葉のうちの一つでも魔法の花粉のように風に吹かれて撒かれたら。
二十四節気では春の始まりとの定義。
この節気は紀元前の中国で太陽の動きに基づいてつくられた暦。この立春は一年の始まりも表す。だから中国では春節のお休みともなる。
立春の前日が大晦日ということで豆まきの節分の行事も今でも残っている。そういえば子供の頃は「福は内、鬼は外!」と言って、大豆を投げるふりをして食べたもの。
ニュースでは一昨日迄は暑すぎて梅が満開とか桜が咲いているとか。毎年「異常気象」と言っているので、何が異常なのか段々わからなくなってきている。一方、明日は関東でも雪との予想もあり、日々刻々と変わる天候に、身体が追い付かなくなる人も多い。
久しぶりに早朝散歩。白梅が少しずつ明るくなっていく空を背景にひっそりと咲いていた。別名春告草と美しい名前を思い出した。
一月らしい澄み切った空と寒気の晴天の日。
紀尾井ホールで華やかなニューイヤー・コンサートを聴きにいった。以前の会社の同僚が関係者で、とても楽しいよ、と言っていたので。
指揮・ヴァイオリンはライナ・ホーネック。演奏は紀尾井ホール室内管弦楽団。
プログラム前半は端正なモーツァルト。フィガロの結婚の序曲に始まり、ヴァイオリン協奏曲第5番。まだ、少し演奏が硬い印象を受けたが、弦楽の美しい響きは堪能できた。
後半は一転してウィーン音楽の中でも、ワルツ、ポルカ。身体が知らずに反応してしまう、グルーヴ感が。ヨハン・シュトラウス2世の曲はよく聴くとして、弟のヨーゼフ・シュトラウスの曲の楽しいこと。「おしゃべりなかわいい口」では絶え間なくおしゃべりが聞こえるようだし、最終曲の「ジョッキー・ポルカ」は騎士が馬に鞭打ち疾走しているのが体感できるような音楽効果の工夫も。指揮も楽団も曲が進むに連れてヴォルテージがあがる。ワルツ、ポルカ。その時代のディスコみたいなものだ。
なんとなく好きな句。
松は松 椿は椿 冴えかへる 高浜虚子
今月は同僚が複数去るのでなにかとせわしい。新年会と歓送会が日々一緒だ。朝の散歩もなかなかいけない中、短時間だけ急ぎ足で歩いてきた。そんなときに出会った爛漫の椿。椿は落椿とか寂しさを感じさせる言葉が多い中、華やかで空に向かって顔を上げ、咲き誇っていた。エネルギー充填された気がした。