2025年5月25日日曜日

寛容

金曜に職場の人の異動の報を聞き、いろいろ考えさせられた週末。

尊敬もしているし一緒に働くのが楽しい人だったので、内々示を教えてもらった時はショックだった。職場の同僚も「ロス」に仕事が手につかないと言っていた。これほどその人の異動のニュースが悲しみを与えられるという人も珍しいだろう。

私も初めショックで金曜はいつもより早めに仕事をきりあげた。そのあと何故この人事なのか考えた。それは違う組織で更に必要とされたのだろうが、何故?そしてその人のその後のキャリアも考えられたであろうこと。これだけ同僚が惜しんでいるだけに一時的に彼らのパフォーマンスも下がるリスクがあっただろうに、それを天秤にかけても押した理由があるのだろう。

それらを考えた時、私自身もまわりの人も、今のcomfortable zone(居心地の良い領域)を出て新たな人と仕事することで刺激を受けることもある、淀みのない組織をつくるためにも必要な措置だと思い至った。

会社員なので、或いは組織で働く人は必ず定期的にある集合と離散。肯定的に捉えた者勝ちの一つの機会である。


早朝散歩で出会った白紫陽花。雨あがりだが雨の粒が名残を残している。

花言葉は「寛容」。紫陽花はアントシアニンという色素をもっているため、アルカリ性が強い土壌ではピンク色に咲くが、白紫陽花にはこの色素がないため、白色のままだそうだ。

偏見をもたず、どんな土壌(組織、環境)にあっても色づかず組せず、どちらの意見もきき良い判断・行動ができるような人が、組織で働く上で求められる人材なのだろう。

2025年5月24日土曜日

幸せを掴む

 久しぶりの早朝散歩。黄菖蒲咲き誇り。


いろいろ考か事をしてルーティンのように歩いていたら、ぱっと目に飛び込んできた。

花言葉は「幸せを掴む」。

まっすぐに伸びた茎、葉、花。思わず立ち止まり、背筋を正して見入った。

家も人も餅も菖蒲の匂ひ哉 政岡子規

そうですね。この時期庭に菖蒲があれば風が匂いを運んでくる、菖蒲湯につかれば人にも香が移る、そして餅。ユーモアが嬉しくなる句。

2025年5月17日土曜日

春の嵐 piano+piano

今日は May Stormか。激しい暴風雨で「春の嵐」というにはほど遠かった。

雨のお蔭で家事の掃除は楽だったが、そのあとは一番豪雨激しい時間帯にレインシューズに帽子、レインコート、大型傘で身を掲げてピアノレッスンへ。


花には恵みの雨。ふと風が止んだ時に雫が落ちる様は美しかった。

先週はピアニスト斎藤真美氏、喜多郁美氏のジョイントコンサートを聴きに行ってきた。斎藤さんはフランス音楽講座の受講生であったこともあり、個人的にもファンで追っかけをしている。

先約あり部分的にしか聴けなかったが、ソロの他、ビゼーの2台ピアノ カルメン組曲を聴くことができたのは収穫。連弾と違って2台ピアノは音量・音響も2倍になるので、近い個性で弾くよりも対峙した異なる個性で弾いた方が対話しているようで二人で弾く意味合いが深まるような気がする。そういう意味でも興味深いDUOだった。

連弾は息を合わさないと一台を分け合って弾くのでお互いの演奏を邪魔してしまう。理想はまるで二人で一人のように息が合いながら、できることならプリモとセコンドの個性が聴きとれるように弾き分けられるとインタラクティウで刺激的に聞こえるのではないか。いろいろ考えさせられた音楽会だった。

2025年5月6日火曜日

連弾キックオフ マ・メール・ロワ ラヴェル作曲

同じ曲だが4月に弾いた2台ピアノ版と異なり、ラヴェル作曲版の連弾。

秋のコンサートに弾こうとGWのキックオフ会。結構2台ピアノ版と異なり、面白くも、新たに譜読みをする気持ちで臨まないといけなかったり。また汗と涙の短時間集中練習。

DUOポッキーズの彼女宅に伺い、お手製の美味しいハーブティーとメレンゲ、クッキーをご馳走になり・・・。また話に花が咲き・・・いえ、練習しなければ。そこは必殺仕事人(いつの時代の話?)すぐに気持ちを切り替え汗と涙の練習に。

カップ&ソーサーはお母様のためにイタリアで求められたジノリだそう。シンプルな藍のデザインが印象的。メレンゲの甘いサクサク感と、アップルミントなどのハーブティーの心ほぐす香りが嬉しい。ここまでのおもてなし、とても真似できない。

2025年5月5日月曜日

世界が注目の植物最新研究 豊田正嗣教授 

テレ東BIZの「いまからサイエンス」の再放送を聞き流していたら面白い話があった。

植物同志が情報をやりとりする?虫にかじられたらその葉でないところも傷つけられたことを感じる?防御物質までつくってしまう?ということを、理論としての想定ではなく、独自に開発したイメージング技術を使って解き明かした。これこそ文字どおり「見える化」。言葉を連ねても一見は百聞にしかず。YOUTUBEでも検索するとみられるようなので一見を。

だが、知ることは怖いことでもある。道で花を手折ったり、雑草を刈ってもこういう信号がいきかっているのかと思うと手が動かなくなるかもしれない・・・ような気がしてきた。

今日は子供の日。勢いよく空を泳ぐ鯉のぼり。

2025年5月4日日曜日

最後の授業 平井和夫

なにげなく聞き流していたNHKの番組の中で、平井さんの「最後の授業」。

場面が切り替わりいきなりICU(国際基督教大学)のキャンパスがズームアップ。

平井さんの人生の振り返りはちょうど日経の「私の履歴書」で1か月読んだばかりだったので、ちょうど寝るために電源OFFするつもりだったが。

キャンパスから平井さんの登場となり、聴衆にいくつか質問をしながら、答えにコメントをする講義形式で自然に始まった。

はじめの部分では、話していることは日経の「私の履歴書」と重なるものが多かったが、対話形式のライヴ感あり、何百回と話してきたであろう内容は腹の底から(あるいはそう信じ切ろうとしているのか)説得力あるレスポンスの仕方で、聴き惚れた。この人は、対話は数多くこなしてきたのだろう、明確に端的に自分の考えを述べている。

あなたがリーダーに求めることは?一方であなたが上司に求めることは?ギャップは何故おこる?

聴衆にも身近で切実なこんな問いかけで相手を惹き込んでいき、エンディングには「自分が自自分の人生のリーダーたれ」「らしいという伝聞ではなく自分で経験しよう」と誰にでもわかりやすい言葉でしめくくった。

ICUは今頃キャンパスは緑豊かで一番いい季節だろう。梅も多く収穫してジャムを作っている人もいるという。写真は梅の実。

2025年5月3日土曜日

「革命前夜」 須賀しのぶ

漸くGWだ!その前夜から楽しむため、高校時代の友人と食事へ。

窯焼きピッツアの美味しいピッツァリアへ。何を食べよう?何を飲もう?迷いながらももうお互いの近況に話が弾む。メニューを一緒にみてああでもないこうでもないと言いつつ、相談しているつもりだが、並行して話もしているから結局頼むものが決まらない。相談はやめてお互いに食べたいものを1-2品チョイスすることで解決。いわし団子のトマト煮。カポナータに生ハム。そしてピッコロトマトとモッツアレラの熱々ピッツア。

食べて飲んで。聴いて黙して笑って。あっという間の時間だった。

最後に、これ面白いから読んで、と本をいただいた。須賀しのぶ作「革命前夜]文芸春秋。彼女も妹さんからもらったそうだ。早速帰って読む始めると・・・本当に冒頭からひきこまれた。危うく一気読みしそうになったので夜中すぎに自らを制して本を置いたほど。

バブル期の日本を離れ、東ドイツに音楽留学したピアニストの話。ストーリーもテンポがよくて面白いのだが、そこに卓越した音楽の表現が深みを添えている。

たとえば主人公が練習室の順番を待っている時に聞こえてきた曲 ラフマニノフ 絵画的練習曲「音の絵」からOp39-5。

「ラフマニノフといえば重力奏法だろうがこれはハイフィンガー、いやほとんどチェンバロの弾き方に近い。レガートで弾く箇所もスタッカートのようにして弾くので、最初は驚いたものだ。・・・これほどの奔流の中、粒が際立てば収拾がつかなくなりそうなものなのに、音は純度を保ったまま見事に絡まり合っている。・・・奇妙な指捌き、巧みなペダリングで繰り出される世界に、あっという間に引きずり込まれそうになった僕は、大きく息を吸い込み、鞄で思い切り壁を叩いた。ちょうど中間部に入ったあたりで、演奏がぴたりと止む。椅子が軋み、険しい顔がこちらを向いた。細い目が、僕を認めていっそう細くなる。」

感情移入させられるロシア音楽、それも美しいメロディで知られるラフマニノフをハイフィンガーで?ほとんどチェンバロ?この設定だけで既に脳内ではどんな弾き方だ?と勝手な想像が膨らむ。奇妙な指捌き?それはラフマニノフの大きな手どおりの指使いで弾ける人はいないので当たり前だが、それを補う巧みなペダリング?聴きたい!いやペダルの踏み方をこの目で見たい。そしてひきずりこまれそうになっているので鞄で壁を叩く?実はこれは自分の練習時間になってもピアノの練習室をでていかない生徒を追い出す設定だ。ライヴァルとの関係が一行で読み取れる表現。上手いなあ。

さて今晩は、昨日の自制を再現できるか、正直わからない。やっぱり一気読みしてししまうのでは・・・。