豪雨が日本列島を何度も襲い、甚大な被害が出る一方、東京はコロナの一日の新規感染者が5000人を超える日もでた。そんな中、パラリンピックも始まった。
先週一日夏休みをとったのに、7月から始まった大型商談が大詰めで、結局終日客と社内の調整で終始してしまった。どうにか今週、内示を受け、まだまだ課題もあるがほっとしたところ。
ピアノの方は、練習不足の1楽章が手に入ってくるように、曲想が粗くなるのを覚悟で、メトロノームで速度を上げて通しで弾く回数を稼ぐことにした。千本ノックまではいかないが100本目指している。殆ど体育系。
実は体育系と芸術系は類似点が多いと思っている。地道な練習なくして自由度があがらないし、ある程度身体が動くようになったら、いかに人より上手くなるか。「上手く」の定義、優先順位、戦略を描いて練習するかで差がでてくる。少なくとも優秀な人はそうだと想像している。
自分のピアノの練習に戻ると、冒頭の目指せ100本!の甲斐あって少し早く弾けるようになった。テンポの自由度が増したし、ずっと力を入れていられないので力が抜けるようになってきたのは良かったこと。一方、最初に覚悟した通り、速さに力点を置いたので、曲想が粗くなってしまった。
厳しい批評眼(耳)をもつ母からは、冒頭がきれいに流れるようになってほっとしたが、陰影がない演奏ね、とのこと。耳が痛い。
ピアノレッスンでは、先週はフランス音楽講座での指摘をどう具体化するか、今週は母の批評を受けてどう陰影をつけるか試行錯誤した。どうしてそう言われるのか。どういう風にひけばいいか。対策は?
自分がやりたいと思うことを訥々と話し、先生が引き出しを探っていくつかの選択肢を提案してくださる。刺激を受けて、もっとやりたいことが広がる。これは楽しい(自分が実際できるかどうかは別として・・・)。
「陰影」は、そうやって考えて表現を考えていく部分があるが、その根幹には自分の感情がないと表現もできない。人生経験の多寡もあるかもしれないが、それ以上に感受性の敏感さが必要に思う。私自身は、その感受性は、ビジネスモードで感情を極力排している時にはなかなかでない。モードの切り替えは、言うは易し、行うは難い。
九州の親戚から母にレッドオニオンをいただいた。豪雨の前の贈り物。お酢に漬けて。スライスしてサンドウイッチに。食欲がなかった母もパリパリといただいた。自然の力は本当に有難い。