オリンピックが終わった。その間、東京の新規感染者は4000人を超えた。これからパラリンピック。まだまだ気が抜けない。今週は例年であればお盆の帰省時だ。昨年は自己抑制して巣ごもりする人が多かったが、報道では今年は里帰りする人も昨年より増えるようで、人流はコントロールが難しいステージに来てしまっているようだ。
フランス音楽講座を先月に3楽章を再度、今月は1楽章と受講してきた。フランス音楽講座でドイツ音楽をみていただくのは肩身が狭いが、先生のご指摘はフランス音楽にとどまらず的確なので、申し訳なく思いながらもっていった。
3楽章は漸く手になじむようになってきた感があるものの、先生からは今一度和声の流れを意識して表現すること。冒頭の右手と左手が交互に流れるような受け渡しをする形は、ややもすると疾走して「綺麗」で終わってしまう危険がある部分だが、右・左で和音におさえてみることで、ストーリーが浮かび上がってくることを確かめた。
今月は初めて1楽章をもっていった。3楽章では文献を探してまでスタッカートや装飾の解釈について考える機会を与えられたが、今回は曲想や楽譜の解釈については特にご指摘はなく、音が濁らないようペダルの踏みかえやフレーズの終わり迄細心の注意を払うことを求められた。時間がない中で気になる部分を注意した、ということなのか、それとも歌い方は弾き手に任されていると意識的に指摘されなかったのか。1楽章はレスタティーヴォ ソナタとの別名もあるように、途中(再現部)にラルゴでレスタティーヴォ(朗唱)が挿入されている。テンペスト(嵐)をずっと奏でていたのに、そこだけ雲をつきぬけて異次元にいってしまったかのような不穏な部分だ。1楽章はテンポも変わり、劇が暗転するかのように背景もがらっと変わる。ストーリーの描き方はピアニストのイマジネーションに委ねられている感が強い。
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