あり得るという話は種々のニュースやコメントにあったが。実行されてしまった。衝撃としかいいようがない。
父と母から戦争中の話を聞き、二度と起こしてはいけないと思いつつ、世界は戦争に満ちている。そして今起きているこの戦争に対して経済制裁以外の対抗ができていない状況。
あり得るという話は種々のニュースやコメントにあったが。実行されてしまった。衝撃としかいいようがない。
父と母から戦争中の話を聞き、二度と起こしてはいけないと思いつつ、世界は戦争に満ちている。そして今起きているこの戦争に対して経済制裁以外の対抗ができていない状況。
冬の五輪は美しい。ジャンプにフイギュアスケート。白い雪が全てを封じ込めるよう。
各国の選手達の健闘に手に汗握り見入ってしまう。一方で参加後の「規定違反発覚」で相次ぐ「失格」もあって、心穏やか観戦できないこともある。白い雪はそういう部分も覆い隠し、最後に美しい記憶しか残さないだろうか。
今週は東京にも雪が降った。外も雪、テレビで見る五輪も雪。雪が思い出させた映画は、「こころに剣士を」。エストニアの作品だ。
チャイコフスキーも滞在したことのある美しいリゾート地、ハープサル。ここはナチス、そしてスターリンから支配された土地。この地に教師としてわたってきたフェンシング指導者の実話である。
戦時中にドイツ軍にいたことから秘密警察に追われる身となった主人公は、身を隠すためにこの田舎町にくるのだが、実は彼はレニングラードでは有名なフェンシングの選手だった。この地で体育教師として赴任してきた。子供は苦手という彼だったが、部活でフェンシングを教えることに。戦争で父親達をとられた子供達の心が集まってきて練習にも力が入るように。練習を重ねて大会にでられるようになった子供達だが、大会は主人公にとって鬼門のレニングラードで行われる。最後、危険を冒して子供達に付き添っていく主人公は・・・。
しんしんと降る雪。感情を煽る音楽もなく、登場人物も多弁ではない。静かにストーリーは進み、静かに終わる。フェンシングという天職、生き甲斐、存在意義を生きる為に捨てなければいけない政治環境でもなお、捨てられない主人公の選択の重さと時代の非情さが迫る。
何故か五輪をみていて、この映画を思い出した。
オミクロン猛威で日本のコロナ新規感染者は2万人/となったこの週。
「立春」という春が来たかのような名前にもかかわらず非常に寒い日、2008年に続き二度目の北京五輪は前回の華々しさとは異なる演出と政治ショーで開幕した。
前回の北京五輪の頃は、月に1週間は中国出張をして商談に明け暮れていた時期だった。五輪の熱気も1年位前からボルテージが上がっていて、建設ラッシュで翌月街に出ると前回食事をした店が取り壊され高層ビルがどんどん建っていたような時代だった。五輪近くの出張は、時間が読めなくなると想定され避けるようにしていたが、確か開催一か月前頃にどうしても行かなくてはならなくった。その時は空港の入国手続きに3時間以上かかった。同行者や現地関係者と落ち合うまでに5時間。見越して入国の日は宿泊するだけにしていたから良かったものの、宿に着いたのは深夜。翌日からの客先訪問も、車での移動は、車両規制で道路の流れはコントロールされていたものの検問のようなものもあり、やはり時間が読めず苦労した。
今回はどうなのだろう。春節が明けたら、現地関係者にきいてみたいもの。