あるリサイタルの一部に参加する機会があった。
マスネ「黒い蝶」「白い蝶」、ドビュッシー「ノクターン」の3曲を弾くことにした。あのベーゼンをまた弾ける喜びに、どんなに綺麗な音がするだろう、バスは伸びやかに響くだろうか、などわくわくしすぎて、あろうことかあがってしまった。
椅子はいつもの椅子と違って高さ調節をハンドルで行うタイプで、通常前に回せば高くなるところがそうなっておらずやり直し。舞台にマスクをつけていってしまい、一曲目を弾いているうちに息が苦しくなって二曲目との合間にはずしたり。だがここに及んで開き直った。憧れのベーゼン。泣いても笑ってもあと触れられるのは数分。楽しもうではないか。
白い蝶は細かいパッセージが苦手だが、もう構わない。白い羽のように軽く、スワロスキーのビーズのようにきらきら光るアルペジオを鳴らしたい。ドビュッシーのノクターンは対照的に最初は海の底から妖気が立ち昇るような不気味さ。そのあとに続くは意外にも鈴のような少女のソプラノとデュエットを織りなすまだ若い青年の歌。ドビュッシーに似合わない甘い盛り上がりは、もちろんベーゼンの豊かなバスで。
ドビュッシーが完成させられなかったオペラがこの若書きのピアノ曲に既に表現されている。
最後の音が消えて、私の番はもう終わり。
このピアノでまた弾きたいがために、また今年も練習をしていくのだろう。
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