花言葉。日本では友情、イタリアでは感謝、フランスでは思いやり。
それはミモザ。今、散歩に行く公園で咲き誇っている。
各国の人々がそれぞれ佳きものとして言葉を寄せた花。早朝の淡い青空に、目にも鮮やかな黄色の満開の花を見て、ウクライナの国旗を想起した、そしてこの戦争が3年目に入る前にガザ紛争も再勃発して止まるところを知らない。この花言葉のうちの一つでも魔法の花粉のように風に吹かれて撒かれたら。
花言葉。日本では友情、イタリアでは感謝、フランスでは思いやり。
それはミモザ。今、散歩に行く公園で咲き誇っている。
各国の人々がそれぞれ佳きものとして言葉を寄せた花。早朝の淡い青空に、目にも鮮やかな黄色の満開の花を見て、ウクライナの国旗を想起した、そしてこの戦争が3年目に入る前にガザ紛争も再勃発して止まるところを知らない。この花言葉のうちの一つでも魔法の花粉のように風に吹かれて撒かれたら。
二十四節気では春の始まりとの定義。
この節気は紀元前の中国で太陽の動きに基づいてつくられた暦。この立春は一年の始まりも表す。だから中国では春節のお休みともなる。
立春の前日が大晦日ということで豆まきの節分の行事も今でも残っている。そういえば子供の頃は「福は内、鬼は外!」と言って、大豆を投げるふりをして食べたもの。
ニュースでは一昨日迄は暑すぎて梅が満開とか桜が咲いているとか。毎年「異常気象」と言っているので、何が異常なのか段々わからなくなってきている。一方、明日は関東でも雪との予想もあり、日々刻々と変わる天候に、身体が追い付かなくなる人も多い。
久しぶりに早朝散歩。白梅が少しずつ明るくなっていく空を背景にひっそりと咲いていた。別名春告草と美しい名前を思い出した。
一月らしい澄み切った空と寒気の晴天の日。
紀尾井ホールで華やかなニューイヤー・コンサートを聴きにいった。以前の会社の同僚が関係者で、とても楽しいよ、と言っていたので。
指揮・ヴァイオリンはライナ・ホーネック。演奏は紀尾井ホール室内管弦楽団。
プログラム前半は端正なモーツァルト。フィガロの結婚の序曲に始まり、ヴァイオリン協奏曲第5番。まだ、少し演奏が硬い印象を受けたが、弦楽の美しい響きは堪能できた。
後半は一転してウィーン音楽の中でも、ワルツ、ポルカ。身体が知らずに反応してしまう、グルーヴ感が。ヨハン・シュトラウス2世の曲はよく聴くとして、弟のヨーゼフ・シュトラウスの曲の楽しいこと。「おしゃべりなかわいい口」では絶え間なくおしゃべりが聞こえるようだし、最終曲の「ジョッキー・ポルカ」は騎士が馬に鞭打ち疾走しているのが体感できるような音楽効果の工夫も。指揮も楽団も曲が進むに連れてヴォルテージがあがる。ワルツ、ポルカ。その時代のディスコみたいなものだ。
なんとなく好きな句。
松は松 椿は椿 冴えかへる 高浜虚子
今月は同僚が複数去るのでなにかとせわしい。新年会と歓送会が日々一緒だ。朝の散歩もなかなかいけない中、短時間だけ急ぎ足で歩いてきた。そんなときに出会った爛漫の椿。椿は落椿とか寂しさを感じさせる言葉が多い中、華やかで空に向かって顔を上げ、咲き誇っていた。エネルギー充填された気がした。
年末年始含めてどこにも行かず休んだ。最高の贅沢だった。
溜めていたFPの継続学習も完了。あと2か月の期限だった。同じく今年迫っていたキャリアコンサルティングの米国資格であるGCDFの継続学習も終了。ほっとしている。「泥縄」と社会人新人の頃綽名された気性はこの歳になっても変わっていない。
土井善春さんの寄稿に触発されて。
6日の日経の夕刊を読んで、文章の律動、内容への共感。頭が下がった。
「春の七草」
「粥は米粒が開いて、花が咲けばよし。」
「冬すでに春兆す。走りものは縁起がよい。」
「料理する人は自然を信じれば良い。自然にあるものを料理する。翻り、家族の様子をみとり工夫する。自然は常に移ろうもの。完成とは違いに気づくこと。気づきは喜び。気づきを心に留め、日常を磨く。」
夕刊から「」以外は略させていただいたが、省略が難しいほど、短文に的確な思いを表現されていた。
我が家も早速今夜は七草粥を炊いた。家にあるもの7種類だから、昔ながらのものでも、スーパーで売っているものとも違うが、身体が温まり、健康を心から祈ることができた。