2020年5月17日日曜日

九州の親戚から絹さやが送られてきた。いつものように郵便局のエクスパックに採れたてをぱんぱんに詰めてくれて。


筋とりしようとテーブルに広げると、あおあおとした植物の匂いがふわっと立ち昇り、一緒に紫色の花も押し花のように一緒にでてきた。

では、ついでにこちらもまだ旬と言えるか?春キャベツ。きゅうりと大根とざくざくっと切って塩もみのサラダ。


かりかり ぱりぱり しゃくしゃく。
この季節の野菜はとにかく、いきがいい。

生きるを丸ごととりこもう。

葉脈に水音立てて春キャベツ 
村さと子

2020年5月16日土曜日

キャリア・コンサルティング試験 結果

コロナで試験が実施されるか不透明だったが3月に実施され、4月に発表された。結果は、学科 合格、実技 不合格だった。

明暗を分けたものは?

10-12月の講座出席で翌年3月の最短のタイミングでの試験。1月に模擬試験を受けて、1月末に結果がでて、講座はコンサルティングの為に大切な基礎を教えてくれたが、受験対策用の勉強は全くできていないことに気がついた。それから3/8の試験まで5-6週間、これが受験用に割いた時間。時間不足が一つの要因だろう。

だが、学科は受かり、実技は不合格。

学科試験についてはこの短期間のうち7割程度の時間を費やし、受験対策に特化し、参考書は一冊だけ、あとはネットにのっていた過去問を3回分やっただけ。集中が奏功したと思う。因みに、使用した参考書は、「1日1問キャリコンドリル」一般社団法人 1級キャリアコンサルテイング技能士の会。ネット解説は「みんなで合格(みん合)」で有名なこちら。https://www.career-consultant.info/
この解説サイトの分析、丁寧な過去問解説には本当に助けていただいた。有難うございました。

一方、実技は、150点中であと3点というポジション。たかが3点、されど3点。少ない時間の中で更に割いた時間が少なかったということが敗因だが、それだけではなかったと思う。国家資格ということ、コンサルティングという精神面を扱う「実技試験」には何が必要かということをもっと考えるべきだったのだろう。実際のコンサルティングで有効かどうかが採点対象ではなく、国が現場に出ても良いという許可なのであるから、慎重に、ガイドラインに沿ったやり方、型があり、それに対する許容範囲が決められていて、その中でやりとりしなければならない。この試験自体は例えば60分のカウンセリングのうちの冒頭15分が対象なので、信頼構築+展開までが試験対象であり、目的である問題解決はその先の話で対象にならない。その範囲内について「わかっている」「私はできる」というサインを試験官に示さなければならないのだろう。

私自身の短工期作戦は、時間と自信がなかったことから、とにかくロールプレイの回数を多くしようと、講座の人達との勉強会、最後に技能士の人達との勉強会、妹に相手になってもらってのロールプレイを数回やった。それでも回数も少なく、スムーズに言葉がでなかった。そして今にして思えば決定的に選択を誤ったのは、技能士の人達との勉強会の出席で、信頼構築+展開の次の問題解決に主眼があり、手がかりを引き出す為の質疑も行った。第一段階の部分がおぼつかないうちに次の段階に手を出した為、それぞれの段階でやるべきことを咀嚼せずに混同してしまった部分があったと思う。試験の際に、クライアント役の人の目に?という表情を読み取ったことが2度程あった。

結果がでて、講座のメンバーとSNSで報告しあったところ、合格の喜びの声も、今回は学科しか受けなかったという人も、不合格をものともせず不屈なリベンジ宣言者も。おいおいまた皆で勉強会しよう、ということにしたが、合格者からは「試験に受かることを目的の実技勉強をすべき、その場合は勉強会だけではなく、試験用の採点をするプロの視点を理解するために、個人レッスンがお勧め」とのアドヴァイス。実技はやはり、採点の判断の仕方、即ち採点者が「肝」と判断する内容の理解が大切なのだろう。

リベンジは次7月の試験でと思っていたが、コロナで未実施に。学科は受かったので、次は実技試験のみ。年末の試験に向けて地道にコンサルティング自体の勉強も続け、今度は試験対策をしようと思う。なかなか実技に関する独習は、個人レッスンの広告が主体で、本当の自習はネットでも探したが見つからない。自分でいろいろ工夫してやってみるつもり。受験生は人事畑の人が多い中で、普段業務上は使わない営業の人間が、独学で実技練習どうやるか。上手くいったらご報告したいもの。

今日の写真。家の近くのビルの一角で見つけた。高い所に咲いていて見上げると空から降ってくるように見えた。木蓮?

2020年5月10日日曜日

オンライン版 フランス音楽講座 そして 母の日

今日はフランス音楽講座 オンライン版である。

短工期で先生も、オンラインで高音質を目指そうと開発された方も大変だったことでしょう。また、取りまとめをしてくださったDuo Pockeysの友人も早朝から夜遅くまで連絡いただき、最初の一歩がどれほど大変か、傍で見ていても有難かった。

思っていたよりも音質高く、先生の手元が良く見えるのも嬉しい。

面白かったのは、受講生の演奏も録音した動画なので微妙にいつもと異なるように思えた。通常であれば先生に横で聴いていただく、有難くも厳しい緊張感が壁なのではなく、今回は自分の音楽の基準との戦いになるのではないか。時間との戦いではあるが、取り直しが効く中で、どの動画を出すか。

選択肢が自分にあるのである。考えさせられた。

私の場合、結局、最後までどの版でも、幾つか間違いは散見される中で、歌い易い早いテンポで、指は追いついていないが、比較的気持ちよく弾いた版を提出した(と偉そうに書いたが、実は3版しか撮れず、どんぐり背比べ状態)。

演奏家(アマですが)の自分と、プロデューサー(他人にどう映るか、聴こえるか)の二つの耳が、オンライン講座では必要にされた気がした。メディアが異なると、判断基準もこのように変わっていくのか(変わらない部分もあるが)と感じた講座だった(他の選択の余地のある人にとっては・・・)。

これは、ビジネスでも同様に、評価基準の変更を迫る動きかもしれない。対面で会えずに、Web会議やメールでのやりとりだけだと、提案そのもののメリットデメリットがより先鋭的に評価されるようになる。たとえば私の仕事である営業は、客先との日々のコミュニケーションによる対話よりも、金銭面といった客の眼前の興味だけで判断される確率が高くなっていくかもしれない、など。


話し変わって。

今日は母の日。

Mother's love is peace.
It need not be acquired, it need not be deserved.
Erich Fromm

エーリッヒ・フロムは、母の愛は平和である、と。 得る物でも、報酬でもない。

2020年5月9日土曜日

芍薬に

芍薬を描く牡丹に似も似ずも 正岡子規


はしりの芍薬を花屋で買った。香る、香らない、いろいろな品種がある中で、上品なライチのような香りがした。花屋さんでは咲かないでしょうと言われた固い蕾までも、いきなり、ふわり、と花弁を開いた。心開いてくれない人から笑みをもらった心地がした。

芍薬は色が変わる。ということを今回はじめて認識した。艶やかな、生命力もっとも美しい紅色から、ふと目を離した隙に、殆ど象牙色に近い色になっていた。これには驚愕。


この花びらが、遠心力の限界点にとうとう花びらを落とすのだが、視覚的にはドサリ、と花弁の塊が落ちる。しかし、実際には音は全くせず、落ちる瞬間の映像は、象牙色に光るシルクのストールをはらりと肩から滑らせた、という表現が相応しい。空気が一瞬、絹一枚動いただけ、と。

あまりの優美さを惜しんで、その花びらをドライフラワーに。


そうすると、なんと、もとの花の名残の紅が、象牙色に混じり、肌色というかほんのり薄い橙色の縮緬の着物のように姿を変えて現れた。

芍薬を供へその人にあふ如し 水原秋櫻子

本当、人のように変わっていく。

2020年5月5日火曜日

元気?

というひとことで、学生時代に気分が戻ってしまう友が居る。云十年前に賛美歌を歌い、檄を飛ばし、お馬鹿な話に笑い転げ、一緒に旅もした。それから会わない時の方が長いのに、学生の時のつきあいはそんな時空もものともしない。

とはいえ、それはWeb電話が可能にしてくれたもので、技術の進歩の恩恵もある。遠くに住んだり、普段会えない人と、こんなに気楽に会えることの有難さ。嬉しさのあまり、思わず合唱までしてしまった。


尾捌きがおのおの違ふ鯉幟 山口誓子

今日は子供の日。友人の顔を見て、お互いの無事を確かめあい、空に泳ぐ鯉を見て。元気をチャージ。

2020年5月2日土曜日

GW 初日の朝

12連休という記事もあるけれど、今年の実際の休みは今日からではないでしょうか。

今日はGW初日。それだけで幸せと感じることができる。

今年は皆辛いことが年初からあり不安や危機感が募っている。が、それでも例年のとおり、この休みを指折り数え待ち、やりたいこと、やらなければいけないことをノートに認め楽しみにしてきた。とはいえ、結局、特別なことをした訳ではなく、家に居られる贅沢を噛み締めている。

テレワークになってから日課にしている早朝の散歩。勿論行ける日も、早朝から仕事の場合もあり毎日ではないが、大切にしていている。行ったことのない道、十数年もいったことのなかった公園。頭を空っぽにして、ただただ歩く。


そのひとつの公園でのひととき。
この乾いた空気感は日本ではこの時期だけだろう。

撮った写真を眺めて既視感が。

時は春、
日は朝、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀なのりいで。
蝸牛 枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。

ロバート・ブラウニング (訳 上田敏)

モンゴメリ作の「赤毛のアン」最後の方で、マシューが亡くなり、大学進学を諦め教職につくアンがこの詩をつぶやく場面があり、この写真のようなシーンを見ると思い出す。

2020年5月1日金曜日

五月晴れ

本日から五月入り。

一月の春節前あたりから日本でもコロナが取り沙汰され始め、はや3ヶ月が過ぎ、その時には想像していなかった全国緊急事態宣言。では、今から3ヶ月後はどうなっているか。夏となり、収束はしていないものの低位安定状態になり、病気への恐れは薄れてかわりに雇用不安の色が濃くなっているだろうか。

今年は、日々起きているニュースに自分なりに変化の兆しを読み、半歩でも先を読む習慣をつけようと、毎日一つ「その日のニュース」とつけてきた。何故それをとりあげたか、それが次にどういう変化を誘発するか、余裕がある時はひとことコメントしたが、今のところ全然あたっていない。

人事畑からいきなり営業畑に異動になり、初めて一緒に仕事をした技サの先輩から「脳みそしぼりきる程考えて、自分で予想すること。それが外れたらどうして違ったか分析する。これを繰り返せば人より早く問題を予測して手を打てるようになる。」とアドヴァイスされた。仕事だけでなく、世の中の変化を少しでも見出せるようになりたいものだが。

不透明な世の中の流れとは異なり、五月晴れの今日、花々は目に鮮やかで美しい。


やまぶきも菜の花も咲く小庭哉 

正岡子規